2020/12/07 のログ
レイチェル >  
「ちっ、てめー……もう二度とやんじゃねーぞ」

嬉しそうな顔を浮かべる月夜見に対して、む、と鋭い目を向けるレイチェル。
そう口にして、レイチェルは拗ねたように息を吹きかけられた方の
自分の耳を、掌で庇うように握る。

「いやほんと、想像もできねー世界だな。500億までいくと……。
 しかしまぁ、魂か。なら、500億はその芸術家の魂の価値ってとこか」

夏を感じさせる風に少しばかりだるさを覚えながら、そんな風に返す。
金持ちや芸術家の価値観というものは、どうもよく分からないものであるが、
魂と、そう言われてみれば何となく理解もできようというものである。

「……まぁ、そいつはどっちもかな」

月夜見の語る言葉を全て聞いたからこそ、レイチェルは素直にそう答えた。
分からないのは、どちらもだ。
昔、恋人という人間が居たこともあるが正直、
ずっと昔に別れてから、今になっても実感はなかった。

「お前は外見は良いんだから、まず性格をだな。
 
 ……で、そうだな。
 その『もう一方』に関しちゃ、オレは。
 
 経験が無い訳でもねぇ……ああ、恋人は確かに居た、けど。
 なんつーかな……気づいたらそういう関係になってた、というか……
 されてた、というか……いや、そいつはちょいと言い方が悪いか」

積極的に恋愛をした訳ではなかった。
たまたま仲良くなった仕事仲間の少年。
レイチェルを名乗りだして少しした時に知り合ったその少年と、
世間一般的に見れば恋人と呼べる関係になっていたことはあった。
実際、彼もレイチェルのことをそう呼んでいたのだ。

「……ま、お察しの通り恋愛には疎いぜ」

続く言葉を幾らか選ぼうとした後、諦めて、そのように一度言葉を締めた。

月夜見 真琴 >  
「善処しまーす」

弱点は多く知っておくに越したことはない。
拗ねたり悔しがったり、そういう顔を見ると喜ぶタイプだ。
お察しの通り、性格が悪く、友達も少ない。けれども。
こうやってかまってもらいたがるところはある。

「――どうだろう。
 五百億で買った、という事実がほしかったのかもしれない。
 ただ単に高いものを蒐集したかったのかもしれない。
 物の価値は見る者ひとそれぞれであって、魂の形も自分の受け取り方次第。
 手袋とマスクはあるし、もし取り戻したら少し、確認してみる?
 乙女の秘密を盗み見るようなものだけど、鑑識課に提出したあとに、
 複製された贋作でした、なんてことになっても嫌だしね」

わたしの進退が掛かっていますもの。
そうやって、またも性格の悪い言葉を聞きながら。
少しまた、弱みを見せられた気がする。
――後になって思えば、自分ならぐいぐいと、"弱点"に噛み付いた筈だ。

「―それでもわたしよりは詳しそう。
 経験の有無はそれだけ大きい懸絶になる。
 空想だけでは至れない実感の世界。
 ……してみたいな。刺激が凄そう。
 あなたにそういう顔をさせる体験なら、きっとその時わたしは良い絵が描ける」

けれどぼんやりと、本音をそのままそう言って。
無自覚に。
"レイチェル・ラムレイの恋愛"を、話題から遠ざけた。

「刺激といえば。
 思ったより、大きい事件って起こらないものなんだね」

あまりよろしくない発言が連続で唇から飛び出るが、随分つまらなそうに呟いた。
億単位の物品の盗難は、十二分に大事件ではあるが。そうではない。

迷惑行為、規律違反――軽犯罪は多いものの。
一幅の物語を切り取った、レイチェル・ラムレイの戦い――資料で読んだことが。
日常なのかと思っていたが、この数ヶ月。そういうものには出くわしていない。
独自の商業ルートや違法の輸出入、裏サイトの蔓延、不法入出島の斡旋ヤミ業者。
異能の暴走、通称落第街での小競り合い、などなど――
事件そのものは起こっているのだが。

「空想をめぐらせる、と言うなら。
 一端、さっきの話に戻ってみよっか。
 ほらちょうど、そこにお洒落なカフェもあるし、一端話をまとめてみない?
 "そんな本"を盗んだ犯人が、一体どういうやつなのか。
 噂になった稀覯本をなぜ盗んでしまったのか――気にならない?」

そいつがどういう"悪"なのか。
唇には三日月のような笑みが浮かんでいる。
ウサギの皮を被っているが、獲物を追い立てて弄びたがる猛獣の色。

あとは、そう。――この夏の暑さのなかで疲れていそうな多忙な先輩を気遣いつつ、
風紀・芸術の二足の草鞋のせいで、こっちの睡眠時間がだいぶ足りておらず、
真面目な話、このままだとへたり込みそうな状態だった。
顔には出さない。笑っている。辛い時こそ笑う癖があった。

レイチェル >  
「あーあー、さっぱり心がこもってやがらねぇ」

じっとりとした目で月夜見を見ながら、レイチェルは肩を竦めた。
刑事課で共に働くからには、こういった性格に向き合わなければならないな、と。
レイチェルは心の底で改めて思い始めていた。
それは、この時の彼女にとってかなり難しい話ではあったが。

「ま、確かに。魂やら芸術家の想いやら。
 そういったもんまで勘案して購入したかどうかなんて、分かりゃしねぇか。
 
 って。見てみるってか? 取り戻した後に?
 ……まぁ、内容に興味がない訳じゃねぇけど……。
 
 あ、いや……変な意味じゃなくて、そんな高価なもんとなれば、
 気になるからな」

しれっと、そう口にした。
事実、別に女同士のあれやこれやに興味がある訳ではない。
男とのあれやそれやに関しては         のだが。

「お前、たまにとんでもねぇこと言うよな。今回だって十分大きな事件だし……。
 良いことじゃねぇか。違反部活の大規模なやり合いが無いなんざ、
 願ったり叶ったりだ。この島が平和なら、それが一番良い」

後頭部に回した両手はそのままに、レイチェルはまた空を見上げる。
フェニーチェやロストサインの起こす事件、
そして他にも様々な荒事を相手取ってきた。
ここ最近はそういった動きもなく、刺激が足りないと言えば嘘になる。
それは、この世界に来る前からそうだった。
刃を交える壮絶な日々は、過ぎ去ってしまえばいい意味で刺激的な過去だった。
無論、多くの傷跡も残しているし、そこから目を背けている訳ではないのだが。
だからこそ、軽々しくそんなことは口にはしないのである。

「ああ、そうだな。ちょいと休憩しつつ、情報整理といくか。
 オレもそうしようと思ってたよ」

本音を言えば、もう少しばかりピースを集めたい気持ちはある。
実際、その方が事態は早く好転しそうな気配もあった。
しかし、レイチェルは感じ取っていた。
目の前の月夜見真琴という少女の裏側にある疲弊を。
故に、そのように口にして彼女の提案に乗っかることにしたのだった。

月夜見 真琴 >  
「ふふふ。なによりもわたしとあなた、ふたりいるというのがいい。
 魂のかたちをどう受け取ったか、互いに照らし合わせて。
 受け取りかたの違いをたのしむことも、できる――"恋の座学"?」

初心者と初級者にはいささか刺激の強い勉強にはなるかもしれないが。
刺激――といえば、少しだけ意外そうに諫言に視線を向ける。

「ふうん?」

我こそは悪、と標榜する者を。
追い詰め、陥れ、欺き、謀り、へし折る愉悦。
それは、自分の歪んだ魂の形であり、
すべてに共感を求めはしないが。

獲物を追い詰める快感。悪と相対するスリル。
彼女は"そういうもの"を持っている、獰猛な獣を胸裏に飼っている。
そういう印象はあった。経歴だけではない。
あの桜の木の下で見せたあの笑みからも、伺い知れた気がする。
同意を得られるかと思っていたが、そうでもないらしい。
それをひとつの愉しみとして、この委員会に、刑事課に、配属を希望したのだ。

あの雄々しき記録にあるレイチェル・ラムレイとは。
そうしたことを是としない、誇り高き獣であるのか、それとも。
自分はまだ、彼女について殆ど知らない。
"嘘つきであることも"。だから、自分の"うそ"が――
疲弊を覆い隠す笑顔の裏が、見通されていることにも、
この時は気づくことはなかった。

月夜見 真琴 >  
「"高く売れる本"の噂を聞いて、盗みを企てた。
 誰がどこに持ってるかわかれば、そういう異能なら盗むことは難しくない。
 でも、瀛州や落第街の裏ルートで巨額の金や代替品が動いた形跡もないから、
 おそらくいま、売り手に困っているかもしくは――」

涼しい店内で、散歩を終えた犬のようにずるりとソファに座り込む。
汗もかく。ずぶ濡れになるほどの暑気はまだないが、この島は随分暑くなるという。
シャツの具合を気にしながら、アイスココアを注文した。
糖分が欲しかった。プロファイリングごっこもできやしない。

「――いずれにせよ、盗んでしまった時点で……」

ソファに背中がくっついてしまったように脱力をしたまま。

「さっき、島の平和――って、言ってたよね。
 《時空圧壊》さん。あなたがどう思ってるのか、前々から聞きたかった」

対面の席の先達に、聞こうと思っていたことを投げかけてみた。
今しがた、事件というものに対する認識のズレ――
新人と先達、というだけでは埋めがたい差異を垣間見て。
興味がそこに移ってしまっていて、捜査に差し障る可能性を内心感じていた。

異動の際の面談では他の委員の目もあり、込み入ったことを聞けなかったのもある。
実際、こうして隣り合うまで、ゆっくり話す、という機会もなかった。
静かな空調に体を冷やされながら、ゆっくりと回るシーリングファンの下で、ふたり。

月夜見 真琴 >  
 
 
「"悪(はんざいしゃ)"について」
 
 
 

レイチェル >   
 

嘘つきは悪を問い、もう一人の嘘つきはまたそれに答えるべく口を開く。

これはまだ二人の風紀委員が今よりも、ほんの少しだけ若かった頃の物語。
 
遠い夏の紙片《おもいで》は捲られ、次の頁《はなし》へと続いていく――。 
 
 

ご案内:「2年前、夏休みの少し前。」から月夜見 真琴さんが去りました。
ご案内:「2年前、夏休みの少し前。」からレイチェルさんが去りました。