2022/03/20 のログ
■レイチェル >
「現場に急ぐ訳でもねぇんだから、そんな運転しねーっての」
その一言を聞けば、がっくりと肩を落としつつ。
己の背後で、しっかりとした姿勢でバイクに跨るのを確認し。
「ったく……」
悪態をつきつつ、夜道を切り裂く黒の鋼鉄を駆る。
バイクのキーについているネコマニャンが、
振動で小刻みに揺れる。
賑やかな学生地区を過ぎ去り、
居住区を過ぎ去り――
「そろそろ地区に入るぜ」
――そうして辿り着いたのは、未開拓地区。
荒野の土を蹴り砕きながら、鋼鉄は道なき道を進んでいく。
そして、その先に見えるのは――青垣山だ。
遠目に見れば、その名の通り青い垣根に見えなくもない。
そしてその山は、この二人にとっては、ただの山ではない。
先にも話題に挙がった、一つの思い出の場所だった。
互いが風紀委員として出会った、あの春の日の遠い記憶。
少しばかり色褪せていたあの頃の景色が、今目の前に在る
現在の景色と重なっていく。
魔導の馬は、山の眼前で静かに動きを止める。
バイクから降りれば、真琴の方を見ぬまま、
レイチェルは一言だけ口にした。
「じゃ、行くとするか。あの場所に」
そうして口にした後に、振り向いて手を差し出した。
■月夜見 真琴 >
「ある程度なら飛ばしてくれても構わないということでもあったんだけれど」
とはいえ、品行方正な風紀委員を不良の道に引き込むこともあるまい。
「ずいぶんっ―――」
未舗装の道に入ると、流石に軽口を叩いている余裕もなくなる。
この荒れた道で跳ね馬にならないのはドライビングテクの賜物だろうが、
それでもランダム性を感じるゆれのなかで舌を回すのは憚られた。
ネコマニャンの揺れるスパンもさっきよりは激しくなった中、しばらく沈黙は守っていた。
行き先は、その時点で察せられてはいたが。
「ああ――まだ、咲いてはいないのかな」
こちらもまたバイクから降りた。左右の脚で地面を踏む。
歩行には問題ないことを確認してから、青垣山を睨め上げた。
麓から見上げても、全容を確かめることはできない。
そういえばあの時は自分が無理を言って連れ出したんだっけ。
出会ったばかりの先輩を――そう考えると、随分付き合いがいい人だ。
「――、――まあ、この暗さだものな?」
手をひいて?
一瞬そう思って気後れしたが、ご相伴に預かることとする。
"いまの自分"は、彼女の眼帯の奥の瞳に頼るほうがよほど正解だ。
青垣山のなかにある、不思議な桜の木。
ある時期から形を変えた、曰く付きの隠れた名所。
まだ眼鏡をかけていた頃、よく行っていた、お気に入りの場所だった。
形が変わる前の桜を描き込んだ絵は、そういえばこの島に来て間もなく描いたものだったっけ。
「水先案内、よろしく頼もう」
■レイチェル >
「はいよ」
言われて、眼帯を取る。
その下にあるのは、彼女が持つ生来の瞳に近い精巧なものだ。
ただ時折、緑色の光のラインが走っているのが見える上、
彼女が本来持つ紫の瞳に比べれば、
やはり何処か無機質で、温かみがない。
月明かりの下、安全な道を選んで進んでいく。
時折見られる躓きそうな場所はしっかり伝えながら、
一歩一歩。
生い茂る木々の間を縫うように歩き、先へ先へと進んでいく。
「っと、着いたぜ」
その最奥部――幾度の春を迎えたのだろう、荘厳に佇む
桜の樹が出迎えた。
「でもって……良かった、ちゃんと咲いてんな」
まだ桜の化粧が山を覆ってはいないが、それでも。
確かにその樹は、美しい桜の花を咲かせていた。
空を、見上げる。
宙に浮かぶ桜色を通して、二人を取り囲む少し暖かな夜風を
照らす月光。
見上げた空は、
星々によってその輝きを幾分か増しているように見えた。
何処までも透き通った空気が、肌に心地よい。
桜色の下で手は繋いだまま、レイチェルは真琴に語りかける。
「『お世話になりました』だなんて、らしくねぇこと言いやがる」
ここに来て、漸く。
先のアトリエでの彼女の言葉に対して、レイチェルは答える。
「風紀、辞めるんだな?」
教師でも委員会に所属することは可能だし、そういった教師も多い。
しかし、監視対象から外れ、教師となる彼女の行く先は、
風紀委員ではないだろう。もしその道を選ぶのなら、『お世話になりました』
なんて言葉は出てこない筈だ。
■月夜見 真琴 >
道が二つあるとする。
どちらかに進んだ時点で引き返す選択肢が許されないのだとしたら、
選ぶということは、どちらかを諦めるということだ。
この桜はそうした決意の犠牲になったともいえた。
選んだ道を正解にせよ、という信条は、
少なくとも、英雄でも選ばれた者でもない自分からしたら、
未練や後悔を飲み込むために必要な通過儀礼でもあるのかもしれない。
「咲いていなかったら、どうするつもりだったんだ?」
その物言いに苦笑しながら、歪な形の桜を見上げる。
あるいは、ここに来ていたのかもしれない。
腕章を預けた時から訪うことをやめた自分と違って。
「早咲きの花、星に守られた月、良い風も吹いてる。
酒が美味くなりそうだ――気づけばおおっぴらに飲んでいい年になってた。
あとは鳥でも囀れば、いたれりつくせりだ。
鶯の鳴き真似でも、してくれるのかな――」
そんな軽口を叩いても、なにかが先送りにできるわけでもないことはわかってた。
手は繋いだまま、視線は桜に。
「うん」
問いかけには、簡潔に答えた。
「らしくないなんてヒドいなぁ。
礼儀だけならず、義理人情というものを……
人並みには理解しようと、努めてきた筈なんだけど」
続いて、力なく笑う。握り返す手は弱々しい。
「まあ――残る理由もないかなって。
わたしが戻りたい場所は、多分、もうないし」
■レイチェル >
「この樹は、結構早咲きなんだよ。
ニュースで、そろそろ桜が咲き始めるって聞いたから、
きっとこいつは咲いてくれてると思って」
空いた手で頬を掻きながら、ちょっと恥ずかしそうに口にする。
痛い所を突かれたものだ。確かに、これで咲いていなかったら
流石に締まりが悪すぎる。
「……しっかし、鶯の鳴き真似なんて誰がするかよ、馬鹿か」
軽口には、呆れた表情で否定をしつつ。
こういったやり取りは、昔を思い出すな、なんて思いながら。
一緒に組んで仕事をしていた時の、様々な光景を思い出す。
またいつか、語り合っても良いかも知れないが。
それは、今ではない。
――その弱々しさも、らしくねぇってんだよ。
弱々しい手を、しっかりと握り返す。
その脆さを補うように、横並びの形で。
そうして繋ぐ手は、レイチェルの心を暖かくしてくれた。
「真琴の、戻りたい場所?」
その言葉を繰り返す。
色々思い浮かぶものはあるが、ここは真琴の考えをしっかりと
知っておきたかった。
■月夜見 真琴 >
「じゃあ、きっとあなたの期待に応えてくれたわけだ。
わたしにひどい目に合わされた樹なのに」
はにかむ彼女に、面白そうに笑った。
きっと咲いてなくても、それはそれで笑い話になっただろう。
風情のあるなしだけで冷めるような段階は、とうに超えていた。
この桜に、一歩間違えば逮捕ものの狼藉をした気がするけれど――
許してくれたものとして、勝手に考えておこう。
「ん」
問われると、少し考えるように視線を空に。
「あなたの隣」
ぼんやりと、そう答えた。
「あの時の、あなたの隣。
あの時の、風紀委員会刑事部。
あの時の、わたしの信念」
悪党とのおいかけっこ。
彼女と同じで、手を翳した。
彼女と違って、死などという逃げ道を握りつぶすために。
夢のような時間。過ぎ去ったもの。
「それが、いつまでも風紀委員会にあるんだって根拠もなく信じてた。
正義を信じて、全身全霊で遊べたあの場所が、
自分の外にあるんだって勘違いをしてた。
やらかして、監視対象になってまで残って守ろうとしていたのは、
レイチェル・ラムレイという、わたしが理想を押し付けていた友人であり、
そしてわたしの帰る場所であった筈なんだけど」
一年かけて貪り尽くした、悪を嬲る快楽。
現役時代、"正義の味方"の傍らで、
どこまでも"悪の敵"だった風紀委員は。
「それはわたし自身の情熱が作り出してた環境だった。
理想を追及しようというモチベーション。
風紀委員としてのわたしならイーブンに誰かと戦えた。
武力でも暴力でもない。風紀委員と違反部活生という役割を演じられる舞台。
組織を作るのは組織じゃない――当然だね、そこにいる者たちだ」
首輪をつけられ、手錠を嵌められ――違う。
首輪をつけて、手錠を嵌めてでも、風紀委員の肩書に、レイチェルとの繋がりに拘泥するうちに。
「最近はずっと探してたんだ。
どこかにまだ、自分の帰る場所があるんじゃないかって。
甚だ気に食わないことをやった後輩に当たり散らしてまで。
でもどこにもなかった。そりゃそうだ。唯一の在り処からとっくに消えてたんだから」
片手で自分の胸にふれる。
鼓動は――規則正しい。か細く、静かに。
「形ばかりの風紀委員になって、引きこもって、
わたしを裏切ったあなたを呪いながら絵ばっか描いてるうちに……
――気がついたら、冷めちゃってたんだ」
誰のせいでもなかった。
時間は過ぎていく。変わっていく。それだけの話だった。
それでも風紀委員として活動していた者と、
日陰の風紀委員として裏側に居た者との温度差の話。
「それでも――わたしはなけなしの誇りのために。
"ただなんとなく風紀委員であり続ける"ということを、選ばなかった」
視線は、レイチェルのほうに。
決然として告げた。
■レイチェル >
真琴が口にしたことを全て、受け止める。
静かに、ただ静かにそれらを聞いた後に、
レイチェルは言葉を返していく。
「ありがとよ、お前が考えてきたこと、
今の覚悟に至るまでの話、よく分かったぜ。
流石に……こっ恥ずかしい話ではあるがな」
そんな分かった、なんて一言で括ってしまえるような話でも
覚悟でもないのは分かっている。
それでも、ただその言葉だけを渡したのは、
一つだけ伝えたいことがあったからだ。
彼女の覚悟を受け入れ、その先の道へ送り出す中で。
どうしても、『同僚』として伝えなければいけないことがあった。
「だけどな、真琴。
一つだけ伝えたいことがある」
決然と告げる彼女に向けて、レイチェルもまた毅然とした表情で
言葉を贈る。久方ぶりに放つ、強い意志の籠もった声色だ。
■レイチェル >
「お前に居場所が無い、なんてことある訳ねぇだろ。
そう感じるっつーなら、見てねぇだけだ」
繋いでいた手を、そっと離した後に、そう告げた。
■レイチェル >
「お前はオレに『拾い直せ』っつったよな、真琴。
その言葉、そっくりお前に返すぜ。
何もかも諦めたような、落ち着いた顔しやがって。
大人ぶってるつもりかよ」
その声色は、言葉とは裏腹に憤りよりも、
もっと何か別の色が込められていた。
吸血鬼の放つ、力強い口調はそこまで。
後は淡々と、しかし穏やかに彼女へ言葉を贈るのみ。
「教師として働く――それも一つの、居場所作りだ。
でも、居場所なんて幾つあったって構わねぇだろ?
居場所、見えるように作っていきゃいいじゃねぇか。
そいつは、これまでとは違うカタチで、
お前が追い求めていたカタチとは、そう……
違うのかもしれねぇけど……」
それ以上は言葉にせず、代わりに、ただ手を差し出した。
その手を引っ張るのではない。
決別したあの日のように翳すのでもない。
優しく握手を求めるように。
それはあの日あの時、この桜の下で差し出したのと同じように。
もう一度。
■月夜見 真琴 >
手のひらの感触が消えた。
一度は、身体の横にぱたりと落ちた腕。
彼女の言葉を、受け止める――受け止めることができた。
できてしまった。
「アミィ」
差し出された手に視線を落とす。
受け止めた言葉を反芻して、目を閉じて。
開いた先には、微笑みはなかった。
静寂の炎が、静かに見据えた。
「じゃあ、ここ」
握手するのとは逆の手で。
彼女の胸元、心臓の場所に指を置いた。
手は未だ取らない。
「ここでいい。
ここがいい。
風紀委員・月夜見真琴の、最後の居場所は。
――覚えてる? "わたし"を……? あの時の?
いまの腑抜けたわたしじゃない。
理想を求めていたときの――
ねえ?」
決意は、しかし、揺らがなかった。
「切人くんが言ってたよ。
覚えている者がいる限り、居なくなろうが消えないんだって。
――彼、ひとを気遣うようなことが言えるようになってたんだ。
だれしもが、時間を経て、ひとと関わって、変わってく……」
そのまま一歩を踏み出した。懐のなかに。
「ここに刻んでおいて。
全盛期のわたしを。紛れもなく風紀委員だった頃のわたしを。
"あなたという正義の下で、誰よりも熱く理想を追い求めた者を"。
今のわたしも、今のあなたも、もはや絶対に追い越せない究極の残像を。
あなたが諦めの現実に迎合しようとするたび、理想の刃でねちねちと切り刻む者を。
太陽よりも熱く、ここに灼きつけておいて」
それをどう取り扱うかはあなた次第。
けれど、消えることをただ是としないなら、居場所は自分で決めさせてもらう。
とん、と後ろに押すように。
力を込めた。うまくいったかは知らない。
"生身の"力だ。そうそうレイチェル・ラムレイの体軸を揺らがせまい。
「――そしたら、あなたの元からかわいい後輩もいなくならないでしょ?
これでダメって言われたら、ちょっと困っちゃうけど」
決意を諦めと言うなら、これくらいは背負ってもらう。
風紀委員の月夜見真琴。苛烈な狼の居場所は、そうした場所だ。
戯けて笑うと、改めて差し出された手に視線を向けて。
「ところでアミィ――ウミガメって食べたことある?」
■レイチェル >
「ああ、覚えてるぜ。
後輩だけど頼り甲斐があって、何処までも情熱があって、
本当に強い、後輩の姿はな。
そいつは、忘れねぇさ。
……つーか、忘れられるもんかよ」
苦笑しつつ、そう答える。
あの日々は、あの姿は、今も鮮烈な印象を残している。
とん、と押されれば身体は揺るがぬものの、
意表を突かれてちょっと目を見開いた。
「別に、可愛い後輩が居て欲しいって訳じゃねぇからな。
あの日々を懐かしく思うことはあってもな。
でも、ま……そうだな。
風紀委員としての真琴は、ちゃんとオレの中に刻んどくよ。
そう、居場所は確かにここ」
そう口にして、押された胸に、自らも空いた手をやる。
差し出した手は、下げない。
「だから、安心して新しく踏み出せばいい。
ただ、こいつも伝えとく。
お前が風紀委員の中でしてきたこと。
隣で戦ってくれてた日々。
オレにとっても、風紀委員会にとっても、本当に
沢山のものを与えてくれた。
だから、感謝してんだよ、オレも。
『世話になった』のはオレの方もだ。
それから、今この場に居ない――
風紀の活動の中で、お前が救った奴らもきっと、な。
それだけはちゃんと噛み締めてから進んで欲しいもんだ」
そう口にしてから、問いかけに対して怪訝そうな顔を浮かべる。
「ウミガメ? いや、食ったことねぇけど。
急にどうしたよ」
■月夜見 真琴 >
「それが、わたしの在りたい風紀委員の姿。
だから、優しさの中には戻れないんだ。
――知ってるでしょう? いまのわたしは甘えちゃうんだよ。
年は取りたくないもんだ、ってね」
お互い、全盛といえる時期から随分と様変わりした。
成長はしているはずだ。間違いなく。
その成長という過程で失われるもの、捨てなければいけないものがあるだけ。
"選んだ"後の姿は、"選べる"時の姿に、戻ることは叶わない。
悲しいけれど、弁えなければならず――月夜見真琴はおとなぶって、それを理論的に納得して、
しかし仕方なく、その青臭いかつての自分を、彼女に託すことにした。
最後の最後まで敗け通しだな、とは、口には出さず笑って。
「それ。 それなんだよ――"そのとき"のわたしはね?
風紀委員に何かを与えようとか、何かを残そうとかさ。
そういうの全然考えてなかったんだ。
いざ終わる時には、そんなことばっかうじうじ考えてたのにね――。
だれかを救うよりも、悪人と遊ぶほうが大事だったしね。
その過程で救われる人がいるとしても、実際どうでもよかったしさ。
わたしひとりじゃなくて、すごいひとたち、あなたも含めてみんなでだし。
自分のことだけ考えて、どこまでも全力で遊んでた。
いままで心から救いたいと思った人は――あなたと、華霧くらい。
あなたのために、ジェレミアを救おうとしたことはあったかな。
――まぁ、そのときのわたしなら受け取れなかった。
いまのわたしなら――くすぐったいけど、それを聞いて、
無駄じゃなかったんだなって、ちょっといい気分だよ」
少し照れたように笑ってみせた。
良き後輩であり、仲間であれた――と言うのなら。
アルバムに新しく、一枚の写真を綴る。
自分ではなく、彼女が撮ったものとなる。
「悔しい気持ちもあるけど、楽しかったから」
出会ってきた者たちは、風紀委員としてではなく、月夜見真琴個人として持っていける。
無駄にはならない――無駄にしない。
でも、そう、これで最後なら。
差し出された手にみずからの手を重ねて、握り返すと。
「そう?」
■月夜見 真琴 >
「"ウミガメのスープ"…ってあるじゃない」
ぐい、と自分のほうに手を引いて。
背伸びをして顔を覗き込む。
くちづけをせがむような姿勢だが、その実、
挑戦的な笑顔を向けた。
「ひとつ――いや、ふたつがいいかな?
イエスかノーでこたえられる質問なら、
正直にこたえてあげる」
これで最後だから。
隠していたこと、過去、謎、罪。少しくらいは。
「特別だよ」
■レイチェル >
そうして桜色の夜空の下、語り合い、問いかけ合う。
互いに、前へと進めるように。
今年も出迎えてくれた、桜色を前に、
二人のやり取りは続いていく――。
ご案内:「Refrain C.B.」からレイチェルさんが去りました。
ご案内:「Refrain C.B.」から月夜見 真琴さんが去りました。