2020/10/07 のログ
とある女生徒 >  
「こう見えて、芸術学科の生徒なんですよ、わたし。
 多くの美しいものを心にうつして……それを描き留めるために。
 先輩も、とっても素敵ですよ。び、もく、しゅう、れい。わかりますか?
 ――ぜひ、こんどモデルを! まだ画家見習い、ですけどね」

からかうように、ふふん、と上機嫌に笑った。
あまり性格はよろしくない。人が困る様を見るのが好きだ。

「春の美の見事なさまを語ることば、ですよ。
 花はくれない、柳はみどり……ねっ?
 絵も、そういうことばも、おじいさまに教わったものなんです。
 
 ――そういえば、先輩、どうして"オレ"って?」

ことば。といえば、歩きながら振り向いて問うてみる。
流暢な"こちら"の言語を、迦陵頻伽なる声で諳んじる彼女が、
さて、男言葉を選んで使っているのはどうしたものだろう。
男性装をしているわけでもないし――"男役"?

(ふたりきりになるのは無防備だったかなぁ)

なんて、内心の嘲弄が、フフ、とせせら笑いになって声に出た。
残念ながらそういう趣味はない。

さて、しばらく歩き、森の奥。
そこには不思議な桜の樹がある。

縮尺が、まずおかしい。
大の大人が腕を広げて、何人ならばその幹を囲めるのか。
樹齢の遥けきを思わせる精強さもさることながら、
高さもまたひときわ突き出ている。

その前にふらりと歩み出ると、そちらを振り向いて。

「では一度だけ、お見せします。
 わたしがうそをついている理由も、お教えしますよ」

三日月のような笑みを浮かべた。

――そして、その桜の特色はもうひとつある。
それは、もう『現在』のこの島から、失われたもの。

レイチェル >  
「あー、眉目秀麗……は知って……っておい!?
 そんなこと面と向かって言うもんじゃねぇぜ」

妖精のからかいにすっかり乗せられてしまうレイチェルであったが。
ややあって、からかったな、とじっとりとした目で言葉を投げかける
のであった。

――やれやれ、そういう手合《タイプ》か。

眼前の女生徒の性格が少し分かってきた気がする。
頬を人差し指の腹で撫でるように掻きながら、レイチェルは
からかいの笑いを見せる彼女に呆れた視線をくれてやるのだった。

「ははーん、成程。それで花紅柳緑か。理解したぜ。
 でもって、お前の爺さんも絵描きだったんだな。
 じゃあお前は爺さんに憧れて絵を描いて……芸術学科に?」

教えられた古風な言葉を奏で、絵まで描くというのだから、
余程祖父のことを尊敬しているのだろうか、と。
そう考えたレイチェルは、疑問をそのまま少女に投げかけた。

「オレのこの話し方は……まぁ、オレに剣やら何やら教えてくれた師匠
 の爺さんが居てな。その爺さんの口調を小さい頃に真似してたら、
 癖になっちまったってだけさ」

口の端を緩めるレイチェル。
昔は、普通に女の子らしく『私』と口にしていた。
しかし師匠と出会ってから、憧憬の念に引っ張られて口調もこの通りだ。
今では『私』などと口にすると、どうにも違和感を覚えてしまう。
『レイチェル・ラムレイ』の口調は、もう長いこと続けているから。

「……へぇ、こんな桜の樹があったんだな」

途中から二又に分かれたその樹を、レイチェルはじっと見つめた。
綺麗だな、という感情に先んじて、不思議な在り方の樹だ、という
簡潔な印象が胸に強く刻まれた。

さて、彼女が見せるものとは。

とある女生徒 >  
「うーん」

人差し指を顎にあてて、わざとらしく考えるように唇を尖らせた。

「おじいさまを尊敬しているのはそうだけど。
 絵を描き始めたのは、すきだから――あー、でも、
 たしかに最初はおじいさまが描いてるから描きはじめた、気がする。
 ……楽しくて、すきなんです。 先輩にはそういうこと、ありますか?」

思い出してみると、愉快そうにころころと笑った。
絵の話になると、露骨に機嫌がよくなる。
自然に、そうして彼女のことも問い返して。

「なるほど?……ははぁん。
 "王子様"を演じていらっしゃるものとばかり。
 つまり先輩はそのお師匠様のことを尊敬していらっしゃるわけだ。
 
 ――すなわち我らは老境の先達に薫陶を賜った者同士。
 やつがれとおまえは氷炭相愛の在り方かと思ったが、
 存外、已己巳己の間柄であるのやもしれないな」

と、芝居がかった声で語ってみせると。

「――いやあ、"やつがれ"はさすがにないですね、ない。
 妖怪っぽい感じなんですよね、うちのおじいさまは。
 先輩のお師匠様は、豪放磊落!って感じに聞こえましたよ」

真似るのは、口調以外で十分ですね、なんて笑いながら。
眼鏡を外して、ケースに押し込んで。
髪の毛を解いた。光沢のない、冬の滝のような長髪が流れる。

「――さて」

春の陽光のなかにあって、凍りついたような。
野暮ったい眼鏡で印象を欺瞞したその素顔は、
どこかあどけなさを残す、透明な美貌。

とある女生徒 >  
刹那にも満たぬ間に、それはこの世に現れ、そして泡沫へ消える。

――"そいつはお前じゃねぇだろ"

その言葉に倣うなら、嘘の裏側にあるこの真実こそが。

「――――これが、"わたし"」

"更に満開になった桜"という、結果をその背に。
哀しげな笑顔が振り向いた。
誇るでもなく。
虚しさばかり募らせたようにして。

嘘のない笑顔は、どこまでも真っ白い感情を浮かべている。

「"わたし"は、こんなもん、なんだよ。
 褒めそやすやつに、文句言うやつにいってやった。

 "こんなもんのなにがたのしいの?"って。

 そいつらの悔しがる顔は楽しかったけど、ね――すぐに飽きちゃった。
 こんなのより、絵を描くほうが、わたしはずっとすきなんだ」

そして、この女生徒は。
その自分の成したことに、一抹の価値も見出していなかった。
なれど――周囲とのその認識の齟齬に、その道を選ばなかったことに。
悔悟の念があるのは、確か。

さて。
それでも期待するものはある。
この"侮辱"に、こいつはどんな顔をしてくれるだろう。

怒ってくれれば儲けもの。暴力まで来れば最高だ。
欠片も愛していないものとて、こういう時なら"使える"。
そう、考えている。その程度のもの。

レイチェル >  
「師匠のやってることを見て真似したことは全部、生きる為の手段に
 過ぎなかった。でもな。師匠から教わって、唯一心の底から好きだと、
 そう思えたものは確かにあったよ……詩、だ。ま、読むことしかしなかったが」

今や遠く離れた異界の詩の数々を、脳裏に想起する。
幾度も捲られてすっかり色褪せてしまった詩集を、
寝そべりながら読み耽ったものだ。
詩は、レイチェルにとって師匠と並び立つ程に大きな心の拠り所だった。

「王子様、ね。
 残念ながら、役者をやれるほどの器用な性分は持ち合わせてなくてな。
 ……で、つまる話が、意外にもオレ達は似た者同士って言いてぇ訳だ。
 ま、そこんところは納得だ」

異邦人の知識には無い古風な表現が混ざっていようとて、
文脈からある程度の意味を推測すれば良い。
そして彼女が語るその話は、十分に頷けるものだった。
互いに老練の先達を師と仰ぎ、その背を追って道を歩んできたのだ。

そして、眼鏡を外す彼女を見やれば。
今から眼前にて展開されるものがレイチェルが彼女の内側から薄々感じ取っていた『嘘』の裏側を示すものであることを、
言外の内に改めて察するのであった。

レイチェル >  
「……面白れぇじゃねぇか」

不敵な笑みを覗かせながら、レイチェル・ラムレイは呟いた。
そこには彼女が期待する怒気どころか、悔しがる色すらも無い。
彼女に向けられたその笑みは、何処か挑戦的ですらあった。
しかしその笑みも、すぐに消え去って。
レイチェルは静かに語を継いでいく。

「……でも、ま。お前の『在り方』、きっと惜しんだんだろうな、周りの奴らは」

伏し目がちに、レイチェルはそう口にした。
視線は、散って地に落ちた桜の花びらへ吸い寄せられていた。 

これ程までの技を持ちながら、価値を見出していないのだとしたら、
彼女が武を重んじる家の者であったとするならば。
瑣末事にも思われる芸術を追い求めたとするならば。

「お前の『それ』にも『絵』にも、
どっちも興味がある前提の上で言うけどな。オレとしちゃ……

価値がないと断じた上で放たれてる……
そんな魂の無い『それ』よりも、

お前が好きだっていう魂の籠もった『絵』の方に、
一段と興味が湧いてるぜ」

レイチェルはそう伝えれば、顔を上げて笑った。
一層眩しく咲き誇る桜と、
胸に期待を秘めた彼女を前にして、
庁舎で会った時と同じく、
その場に更に輝きを添えるような、満面の笑みを浮かべて見せた。

とある女生徒 >  
"面白い"と言われれば。
垣間見えたその感情に対し、桜の花の隙間より春の空を見上げた。

「"山をどこまで登れたか"――そう競う楽しみもあるのかもしれないね。
 わたしには、それもよくわからなかった。

 山を登り終えたら終わりだと思ってた。
 みんながそう言ってた。誰も登り終えてなかったから。
 ……登り終えたひとはみんな、"その先"にいって。
 ……もどってこなくなったんだと思う。
 
 山の頂のその先には、"空"がある。当たり前のことなのにね。
 わたしも登り終えて、天涯無限の"空"をみて。
 ――嫌気が差しちゃったんだよね。"これ、つまんない"って」

だからそこで、"引き返す"という道を選んだのだと。
惜しまれる道であれ、人生のすべてを捧げられる道かといえば。
欠片も愛していなかった、というのが答えだった。

さて、そんな自分を笑顔で肯定され、あまつさえ絵に興味を示される。
拗ねたように唇を尖らせた。壊すとっかかりが見つからない。
顎に手を宛てて。

「……なんで悔しがってくれないの?」

物凄い勢いで睨んだ。低く抑えた声で唸るように呪った。
どういう意味で言ってるのか見定めようとした。
真っ直ぐ過ぎる言葉を、真っ直ぐ受け止めるのはむずかしい。
くしゃくしゃと白い髪をかき撫でた。

「そういってくれるのは、うれしいけど。
 いくらでも、見せたいけど。
 気を遣って……くれてるんだよね?
 ……おじいさまも、家族も、周りも、そんな感じだった」

自分の"正体"を通して絵を見られることに戸惑い。
"正体"に比べて落胆されるという不安もある。

「乙女の秘密をいきなり暴いて、全部曝け出させたくせに。
 そのうえで甘い言葉をかけようなんていうのは、
 すこし、ずるいんじゃないかな……?」

求めたものは、彼女の醜態は。
降って湧いてこなかったのである。

うつむいて、笑顔を見上げる顔は、弱気なものだ。
激しく攻撃的で、強い嗜虐性を持ち、嘘にためらいがない。
そうした苛烈で悪辣な精神性は、そのくせナイーブ。
仮面を一枚剥げば"めんどくさい女"だ。

「絵はすき。……あなたの詩も気になる。
 異界の詩、なんだよね? どんなのが好きなの。
 自分で詩ったりはしないの? やっぱり異界の言葉で?」

笑顔を作り、覗き込むようにして、問いを重ねた。
指を立てて、空中を撫でる。

「ねえ。白と黒があれば、詩を書けるでしょう。
 白黒つけることしかできないあれよりも、ずっと面白いよ。

 でも。わたしは。"あれ"を。

 欠片も愛してはいないけれど。
 欠片も侮ってもいない。

 多くのひとにとって、わたしのたどり着いたものが。
 価値があるものだとはわかっているから。
 ……選んだこの道が、ただしいのかどうか。
 それを、ずぅーっと悩んでる」

ことばを真っ直ぐに受け取れないのは、そうした負い目だ。
知らずに絵を褒められることと。
知った上で絵を求められることは。
まるで違っていた。

とある女生徒 >  
 
 
――続きは次回の講釈にて
 
 
 

ご案内:「二年前、春」からとある女生徒さんが去りました。
ご案内:「二年前、春」からレイチェルさんが去りました。