2020/10/27 のログ
■日下 葵 > 「え、ここ吸えたんです?」
ジーンがマスターに許可をもらって煙草に火をつけ、
何食わぬ顔でマスターがカウンターの奥から灰皿を差し出してきた。
『ええ、一言言っていただければ。
日下さんは吸っていいかどうか、尋ねて来ませんでしたので』
カップをクロスで拭きながら答えるマスター。
――結構いい性格をしているらしい。
なんだか悔しくなってこちらもポケットから煙草の箱を取り出して、
一本咥えるとライターで火をつけようとする。
しかしあいにくガスが切れてしまっているらしく、何度親指を押し込んでも、
カチカチと音が鳴るだけで火が付く様子はない。
「……ジーンさん。火、もらえません?」
惨めだった。
「本当、よくもまぁそんな刃が浮くようなことを本人の目の前で言えますねえ。
――でも、悪い気はしませんけど。
私は逆で、ひとりのことばかり考えていたのが、
最近ようやっと他の人のことを考えられるようになりました。
ふふ、難敵ですか。
これでも、結構期待しているんですよ?
いつか本当に、ジーンさんが私にとって王子様になるんじゃないかって」
凶暴な笑みを浮かべて、昼寝をする猫の腹を破る彼女。
刃が浮くようなセリフとは裏腹に、
そんな凶悪な表情を向けてくれるのも私が彼女を気に入っている理由の一つだ。
「……つまり、満月の獣を狩るために、
代替の利かない人間の代わりとなるために、
使い捨ての狩人として生み出されたわけですか」
いわば兵器のようなものだろう。
人間の代わりに戦ってくれる兵器。
しかし、最後の言葉を聞いてすこし表情を明るくする。
「誇りはあったんですね。
なら私と一緒じゃあないですか。
ジーンさんも立派な”戦士”ですね」
以前、彼女は私を戦士と呼んだ。
今の話を聞くと、彼女も私と大差ないように思えて、思わず笑ってしまう>
■ジーン・L・J > 「おやおや、通っていてもわからないことはあるんだね。」
確かに灰皿は最初用意されていなかったが、普段からコーヒーと煙草をセットにしていると条件反射で吸いたくなるものだ。駄目で元々と聞いてみたら簡単に通った。
火を貸してくれないか、と困った様子を見れば
「哀れな姫君よ、その暗き眠りから目覚め給え、我が口づけで。」
といつも以上に芝居がかった台詞で応え、咥えたまま煙草の先端をくっつけて火を移す、いわゆるシガーキス。
ニヤニヤとしてやったりとでも言うような笑みを浮かべる。
「全く恥ずかしくないよ、本心だからね。私は戦術として騙し欺きは使うけど、人付き合いで嘘は言わないことにしてるんだ。
君がそうやって照れてくれるから楽しいってのもあるよ。ふふ、反応がもらえないと飾った言葉は空虚なものだからね。
その一人が誰なのか、どうしてずっと考えていたのか、気にならないと言ったら嘘になるけど、聞かないでおくよ。
君は周りの人を考えられるようになって、色々な楽しみを知った。けれど、ふふ、そのうち私のことだけしか考えられないようにしたい。
私が王子様かは一考の余地があるよ、凶暴な狼かもしれない、優しく君を抱きしめる代わりに荒々しく襲いかかってしまうかもしれない。
ははは、昼間からする話じゃないね、でもどっちにしても君のことは本気だ。私の実力が不足していなければ、私の君への考察が間違っていなければ、遠からず君の期待は叶うと思うよ。」
カプチーノをもう一口、アートは乱され、もはや何の意味もなさないまだら模様と化した。
「一緒に轡を並べることもあったけどね、それでも人間は一歩下がった位置に居た。ベテランの狩人ってのは替えが効かないからね。」
カップを置いて、左手で煙草を吸う。当時の自分の立場に思う所でもあるのか、ため息のような紫煙を吐き出す。
「戦士、私も?それは……正直、思わなかったなぁ。確かに誇りを持って戦ってはいたけど、そのために生み出されたからで……いや、そうだね、私達は同じか。」
いくらでも使える兵器としての能力を持ちながら、命令ではなく誇りを持って戦っている。
「君と同じってのが嬉しいね、共通点また一つ、だ。」
右手を軽く握って軽く突き出す。拳同士を合わせるフィストバンプの構え。
■日下 葵 > 「あちら側――異邦人街の外――は基本禁煙ですからねえ。
どこに行っても喫煙者は白い目で見られます」
飲食店なんかは特にそうだ。
大昔は喫茶店で煙草を吹かしてコーヒーを嗜む、なんて文化もあったらしいが。
吸っていいかどうかの質問が出てこなかったのは、
現代という時代に洗脳されてしまったからだろう。
「――ッ。
本当、よく口が回りますねえ」
てっきり、彼女がそうしたように指先に電流を流して火をつけてくれるものだと思っていたが、
その予想は大きく外れて彼女の顔がグッと近づいてくる。
別にこの距離は初めてではないが、
戦闘中に顔を寄せるのとは少し意味合いが違った。
マスターは特に動揺する様子もなく、
柔らかく笑ったまま『おやおや』なんて。
「私も元来、人を揶揄って楽しむのが好きなんですけどねえ?
どうにもジーンさんの前では調子が狂います。
――もし、王子さまじゃなくて狼だったとしても、
私にあの恐ろしい感情を思い出させてくれるなら何でもいいですよ」
私に対して、どんな考察をしているかはわかりませんけど。
そういってけたけたと笑えば、またカプチーノを一口。
そこで眠っていた犬は、起きてどこかに行ってしまったようだった。
「練度に大差がなくて、替えが利くなら替えの利く方が前に出るのは当然です。 ――いわば、代わりに死んでも問題ないのが、代替品の”長所”ですから」
まるで何か思うことがあるような表情を浮かべるジーンを見て、
こちらも煙草の煙を深く吸って吐いた。
それはまるで、ため息を誤魔化すかのようで。
「”そのために生み出された”のなら尚のこと同じですよ。
だから、ジーンさんもきっと戦士です」
こんなことで共通項を見つけることになったのは些か不本意で、
なんだか複雑な気持ちだ。
しかし拳を突き出されると、軽く苦笑いして拳をコツンと返す>
■ジーン・L・J > 「ああ、そうだね。現代に目覚めて一番困ったのがそこ、建物は基本的に喫煙所以外は禁煙だし、喫煙所も小さいよね、文字通り肩身が狭い気分。」
聞いてよかった、と満足そうに紫煙をくゆらせる。
「ははは、煙草越しとはいえ君とキス出来る機会を私が逃すと思ったかい?まだまだ見くびられてるなぁ。」
マスターと目配せをしてまだニヤニヤと笑っている。
もしかすると相手方は恋愛事の経験は浅いのかもしれない。まだ10代頃で他人のことが考えられるようになったのが最近ならば当然かもしれない。
そうすればそれなりに生きてきた経験のあるこちらに分がある。
「お生憎様、私も人の感情を揺さぶるのが大好きでね。ああ、揺さぶられるのも好きだよ。君の方からアプローチなんかされたらとっても揺さぶられるだろうね。
思い出させてあげるさ、むしろそれなら狼の方が適任じゃないかな。
君の喉笛に食らいつき、肉を引き裂き、骨を砕き、体温が失われていくのを感じさせてあげよう、そんなこと王子様じゃあできない。」
再び歯を剥き出すと、鉤爪のように曲げた指を顔の横で掲げる、戯画化された狼の振り。ハートを狙うにしては血腥すぎる言葉選び、だがやってのける必要があるのだ。
彼女に人であることを思い出してもらわねば、化け物の皮を被られたままでは抱きしめてキスも出来やしない。
「そうだね。それに狩人は獣が見えるかどうかだけで、肉体的には普通の人間だった、鍛えてはいたけどね。手足が取れたら生えてこないし、痛みで動きが鈍る。私達はそういうことのないように作られた。
私は禁書だから当然だけど、君は人間なのに、"そこまで同じ"とは思ってなかったな……。」
フィルター近くまで灰になった煙草を灰皿に擦りつけて火を消す。
彼女は人間だ、血の味は混じり気のない、少なくともジーンが知る限り普通の人間のものだった。
そんな人間が自分を化け物と定義し、"そのために生み出された"とまで言う、その原因は恐らく彼女が持つ異能だろう。
何があったのか、どうしてそう考えるまでに至ったのか。考えられる可能性はどれも悲惨なもので、目元を隠しているにも関わらず表情に出さないようにするのに酷く苦労する。もしかしたら伝わってしまうかもしれない。
■日下 葵 > 「昔はどこでも吸うことができた、というのが、未だに信じがたいですよ。
”向こう”の喫煙所はガラス張りの所が多くて、
なんだが動物園の動物になった気分ですし」
自分のことを化け物だと認識していても、
動物園の中で暮らす動物だとは思われたくないらしい。
「これは一本取られましたねえ?
ジーンさんと話す時は少しガードを固めておかないといけないようです」
経験がないわけではない。
しかしそこに愛情をはじめとした感情があったことはほとんどない。
大多数の同年代は、大抵感情が先に立つものなのだろう。
恐怖を欠落した自分には、その歪さ故感情の抱き方が不器用だ。
「ふふ、次に”ご一緒”するときには、
何か反撃を用意しておかないといけませんかねえ?
私も、感情を揺さぶるのも、揺さぶられるのも好きですから。
きっと、そんな風にされたらその瞬間、
ジーンさんは間違いなく私にとっての王子様ですよ」
恐怖という感情を失って久しい。
本当に死にかけたことは何度かあるが、
その時に感じるのはいつも愉快な感情ばかりだった。
もしかすると本当に欠落しているのは恐怖ではなくて、
死ぬことへの躊躇なのかもしれない。
もし恐怖を取り戻すことができたのなら、
その時のジーンはきっと、
深い眠りから起してくれた王子様の様に感じるかもしれない。
さながら、白雪姫のように。
「強いて違いを挙げるとするなら、
ジーンさんは最初からそういう目的で作られて、
私は偶然の産物を、実用のために仕立て上げた、ってことでしょうか。
幸か不幸か、私はひどく丈夫でしたからねえ。
きっと誰が私を見ても、
”何度でも使いまわしのできる兵士に仕立てよう”
と思うでしょう。
そういう意味で、私に目をつけた私の師は真人間でした」
私の師。
恐らく彼女の前で初めて、自分の過去にまつわる人間の話をしたかもしれない。
些細な違いこそあれど、
私も彼女も、恐らく数えきれないほど獲物を狩ってきた。
何となく、彼女が目隠しの裏にどんな表情をしているのかがわかるようだった>
■ジーン・L・J > 「その頃になると私も伝聞だけど、禁煙という概念すらなかったらしいね。電車でもオフィスでも皆そのまま吸っていたそうだ。その頃は非喫煙者の方は肩身が狭かっただろうし、その揺り戻しかもね。」
生きてない時代の揺り戻しを食らう身としてはたまらないけどさ、と笑いながらもう一本煙草を取り出して口にくわえる。自分の分は相変わらず指を弾いて火を点ける。
「おっと、余計なことを言ったかな?でもこれでより張り合いが生まれるかも。ガードをかいくぐって一発、っていうのはやっぱり楽しいからね。
"反撃"なら大歓迎、でも私の顔が赤くなる、なんてのはそうそう出来るとは思わないでよ?驚くことはあっても照れたことは生まれてこの方数えるほどさ。
ああ、全く。姫様は随分難儀な癖をお持ちだ。あなたのためなら千里を駆け、万の敵を打ち倒せるというのに、自分を恐怖させてみろとねだるなんて。
花のようなかんばせを叩き潰し、白魚のような手を切り落とし、見事な調和の取れた肉体を破壊し尽くして脅かせと命じるのだから人が悪い。だが、他ならぬあなたの望み、成し遂げてみせましょう。」
王子様、との呼び方に演技好きの心に火が点いたらしく、歌い上げるように言葉を紡ぎあげる。
居心地の悪そうな顔の他の客に構わない独壇場に、パチパチとマスターの拍手が響いた。
「………君の師、ということは、君の今の在り方を作った人物、という認識でいいのかな。」
過去の話題になれば、薄く浮かべていた笑みが消え、体ごと相手に向き直る。煙草もケーキをつまんでいたフォークも置いて、一言一句聞き逃すまい、それを話す彼女の表情も仕草も、全て見届けようとする姿勢。
■日下 葵 > 「ほんと、関係のない立場からすると勘弁してほしいものです」
なんなら当時に生まれて、周りを気にせず吸いたかったなぁ
なんて言って見せるが、さすがにわがままだろうか。
そうしている間に二本目の煙草を咥えた彼女が火をつけるのを見ると、
すかさずその煙草を取り上げて咥えてしまう。
「へえ?数えるほど。なら――
もーらい。お返しに私のを一本あげますよ。
ほら、こっちにお顔を寄せてください?」
自分の煙草を一本取り出すと、彼女の口許へ。
そして彼女が差し出したこちらの煙草を咥えるのを待てば、
さっき彼女が私にしたようにこちらもシガーキスで火を移そうとする。
「ふふ、往々にしてお姫さまってわがままなものでしょう?
それに、ジーンさんが思うほど、私はきれいなもんでもないですよ。
獲物を付け狙う獣の眼に、使い古された道具のような肌、
血が染みついて汚れた手に、薬で形を整えた歪な体です」
さすがに卑屈すぎるかも、とは思うものの、嘘を言ったつもりはない。
このイチャついているのか、辛辣なのかわからない独特な雰囲気に、
周りの客も困惑気味で、ついてきているのはマスターくらいなものだった。
「おっと、口が滑ってしまいましたかね。
……まぁ、そんなところです。
師とは言っても、私から恐怖という感情と、痛みへの拒絶を奪って、
代わりに他人に痛みと恐怖を与える術と、戦いの技術を教えてくれた人ですが」
完全に聞く姿勢になったジーンを見て、
どこまで話していいものかと思案する。
思案するが、今更ごまかすのも不自然で、
周りの客に聞こえない声でぽつりぽつりと話し始めた>
■ジーン・L・J > 「先人の恩恵にも預かれてるんだからある程度は受け入れるしか……っと」
ひょい、と火を点けたばかりの煙草が取り上げられてしまう。
「へぇ、これが反撃かい?不意を打たれた、嬉しいなぁ。」
だが同じことをやり返された程度ではどうということはない。さらにカウンターをいれてあげよう。
まるで本当にキスをするかのように相手の頬に手を添えて、顔を傾ける。そのまま顔を寄せていけば。角度に寄ってはそうとしか見えないだろう。
「どうも、ごちそうさま。ふーん、これが君の煙草の香りか。つまり君とキスをしたらこの味がするってことだね、君も私の味、覚えておいてよ?」
などと更に追い打ち。喫煙者同士の煙草の交換は実際のキスにも等しいだろう、口中の香りを混ぜ合うのだから。
「確かに、そしてそれを叶えるのが王子様、と。
君の自己評価はそうなのかい、でもそれは宝石の原石を見て石ころだと捨てるようなものだよ。
君は美しい人だよ、外観だけじゃなく、在り方もね。でもそれは痛々しい美しさだ、例えるなら、限界を迎えているのに走り続ける長距離走者のような美しさだ。
だから私はそれを変えたい、一度立ち止まって、息を整えて欲しい。まだ誰かのために走り続けるのか、止めにするのかは任せるけれど。」
頬に添えていた手を動かして、相手の手と重ねようとする。筋肉質だが年頃の女性らしさも確かに兼ね備えている手に、魔力で作られたが故に均整の取れすぎた、人形のような手を。
「……。」
しまった、露骨に態度を変えすぎたか、と密かに後悔する。もっと気軽な風を装うべきだった。
「正直な所、君の真人間という評価には疑問を抱くよ……、でも君が今こうしてコーヒーとケーキの味や、喫茶店の空気を楽しめるのはその師のおかげもあるんだろうね。」
喫茶店の内装に目をやるようにして姿勢をカウンターに戻す。もう冷たく、少なくなってきたカプチーノを、飲み干さないように気をつけて口に運ぶ。
そんな感情、兵士にするなら消され、二度と戻らないようになっているだろう。食事や待遇で士気が落ちるようでは兵器としては使えない。
要求された必要最低限の訓練を施しながら、人間性の余地を残した、というのが"師"とやらのやったこと、だろうか。
■日下 葵 > 「ま、きっと均して平らにしたら、
昔も今も大して代わり映えしないのかもしれませんね」
恐らくそんなもんだ。
私が当時に生まれて、当時を生きていたとしても、
きっと何か違った不遇を受け、違った不満を抱いていただろう。
「……どうにも、ジーンさんの方が数枚、上手のようですねえ?
案外、いろんな人にこういうことをしてて慣れていたり?」
反撃に対してさらに繰り出される反撃。
どうやらちょっとやそっとの反撃では彼女は動揺しないらしい。
この空気感に気圧されたのか、それとも時間帯の問題か。
気付けば周囲に客はおらず、この空間には私たちとマスターだけの様だった。
――そんなマスターも気を遣ってか、
奥の方に豆を補充しに姿を消してしまったが。
「キスならいいですが、顔ごと食われる時かもしれませんけどねえ?」
――覚えておいてよ。
その言葉を聞くと、一度煙を口に溜めて、香りを楽しむようにゆっくりと吐いた。
私の吸っている何の変哲もないレギュラーの煙草と違って、
ジーンの煙草からは薔薇の香りがした。
どういうわけか、
私の周りの喫煙者は独特なフレーバーの煙草を吸っている人が多い。
それこそ、匂いだけで誰だかわかるような香り。
「もしかしたら私は長距離走の走者じゃなくて、
ロードレースの走者かもしれませんよ?」
それこそ、立ち止まったら転んでしまうような。
そういって、己の手に重ねられた彼女の手に視線を落とす。
その表情は微笑んでいるのか、悲しんでいるのかわからない、微妙なもの。
「他の観点から見れば、私の師は真人間とは程遠い人ですよ。
散々人の身体をいじくりまわして、
その後に親戚のお兄さんみたいなテンションで話しかけてくるんですから。
――サイコパスもいいところだと思いません?
挙句の果てに、散々人にアレコレ指導しておきながら、
最後には慢心して死ぬんですから、笑いものですよ。
だから私は――最善を尽くすんです。
絶対に死なないように対策して、準備をして、訓練をして、
そのうえで死にたい。
”自分は不死身だから”なんて言って、慢心して死んで、
死んだ後でボロクソに言われるなんて――」
――まっぴらごめんです。
そういって、残ったカプチーノを飲み干した>
■ジーン・L・J > 「良くなってはいると思うよ、少しずつ少しずつ、小さなレンガを積み重ねるようにね。時折崩れたり、歪んでるのを引っこ抜いたりしなきゃいけないけど、長い目で見れば良くなってる。昨日より今日は少しだけ良い日で、明日は今日よりもう少し良い。なんてね、ちょっと無理にでも未来に希望を持ってないと生きるのは大変だから、私はそう信じるようにしてる。」
ああもちろん、今日は君と会えたからとても良い日さ。と冗談めかして笑う。
「んー、まぁ種明かしすると、私の兄弟姉妹、つまり同じ禁書のシリーズが相手だったね。私達は量産品だからみんな同じ顔と体と記憶を持って生まれてくる。
でも誰でもそうだけど、自我があればアイデンティティが欲しくなる。だから姿形を変えたり、性格を変えたりする。
それで私が選んだ情報ソースが演劇の台本だった、それで同じように台本を選んだ兄弟姉妹と役をとっかえひっかえしながら色々と演じていくうちに出来上がったのがジーン・L・ジェットブラックというわけさ。だから男としても女としても恋愛の真似事なら数え切れないほどやったよ。あとまぁ、普通に過ごすうちにそれなりの仲になった相手もいた。だから慣れているといえば慣れてる、けど心から燃え上がるような大恋愛、なんてのは未経験だよ。」
でも君とならそれも経験できるかも、って思ってる。と付け足して、自我の基礎に役者を選んだ禁書は一幕を終えた。
気付けば店内には2人きり。重なった手からは体温が伝わってくる。こちらの体温も伝わっているだろう。
「君の口を味わうなら齧り付くよりキスを選ぶよ、例えそれで君を恐怖を味わわせる機会を逸したとしても、君の味を血で汚したくない。」
葵の味、何処ででも売っているだろうごく普通の煙草の味、それを肺一杯に吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。
これで覚えた。同じ煙草の匂いなら残り香でも即座に判別出来る。
「止まってみるまでわからないよ、私はずっと狩人として獣を追ってきた、けれど仲間も獲物の痕跡も見失って、今ある意味立ち止まってる。
だからこの時代を楽しむ余裕が出来たし、君とお茶を楽しむことも出来る。友人が出来て変わったという君は、多分少し速度を緩めてるんじゃないかな。」
柔らかく手を握る。もう片手もその上に重ねて、祈るような願うような手の形に。
「それが君の願いなんだね。葵。」
死ぬことを前提に生まれた狩人は悲しそうに微笑む。
「君は……その師を、君に仕込んだ技術や調整を通じて感じているのかな。そして、彼か彼女か、その死後の悪評を返上してやりたい。
だから不死を最大限に利用して、自分の命の使い道を文字通り身を削って見せつけている。」
今までの彼女の言葉を思い出し、点と点とを繋げて一本の糸へとするように思索する。
酷く難解な作業、だが彼女が垣間見せた心情は言わば与えられたチャンスだ。最大限に活かすために必死で頭を働かせている。
「もしそうなら、それは呪いだよ。死んだ人間は悪評を気にしない、もう居ないからね。居ない人間のために生きている人間が出来ることは忘れないでいてあげるぐらいだ。血を吐くような真似をする必要はない。」
どうにか繰り出した言葉が当たっていて、彼女にとって少しでも慰めになって欲しい。祈るように重ねた手に無意識に力が入り、葵の手をしっかりと握りしめる。
■日下 葵 > 「良くなっているんですかね。
いや、きっと良くなってはいるんでしょうね」
私がその変化に気付いていないだけかもしれない。
変わることはないと思っていた日常も、友人をきっかけに変わった。
そして友人をきっかけに変わっていたことに気付いた。
ならジーンが言う通り、きっと昨日よりも今日は良い日なのだろう。
そして明日は今日よりも素敵な日になるのだろう。
私が――気付いていないだけ。
「つまり、本を読んでお勉強して、
兄弟姉妹で練習したたまものだ、と?」
昔はアイデンティティがなかったというジーンの言葉を聞くと、
真っ白だったころのジーンを見てみたかったな、なんて思った。
しかし、
”当時のジーンならきっと今よりもずっと簡単に驚かせたりできただろうに”
なんて思考が浮かぶと、すぐに思考を取り消した。
――それではあまりにもつまらないではないか。
「ふふ、私を怖がらせてモノにしてしまえば、
後からいくらでもキスくらいできるでしょうに」
変なところで律儀ですねえ?
なんて笑って見せる。
もしジーンが私に恐怖を与える機会を逃して、キスすることを選んだなら、
その時はきっとジーンのことを”王子様”ではなく”獣”と認識してしまうかもしれない。
「速度を落としても、止まらなければ自転車は走れる。
でも油断して、完全に止まったとき、私は再び走り出せる自身がありません。
だから、立ち止まるときというのは死ぬときだと決めているんです」
そう思い込んで決めつけているだけ、という可能性もあるが、
今のところ、自身の中ではそう決めている。
だからジーンに何を言われても、今は止まる訳にはいかないのだ。
――裏を返せば、立ち止まりたいから、全力の果てに殺してほしいのかもしれない。
だから、中途半端に死を望んだりしないのかもしれない。
「返上だなんてそんな。
そんなおこがましいことは考えていませんよ。
所詮死人は死人。
死んだ人間は反論する権利を失い、生き残った人間に好き放題言われる定めです。
私は師を尊敬していますし、同時に恨んでもいる――と思います。
だから、尊敬する師に育てられた弟子として、文句を言われない死に方をしたいし、
”弟子は師の思い通りにはならない”ってことを証明して、
あのふざけた師に仕返ししてやりたい。
ま、ある意味汚名の返上と、師を超えることで慰めたいって意味で、
結果的に呪われているとも言えますか」
ジーンの言葉は半分正解で、半分不正解だった。
しかし、こんな話をしたのは、もしかしたら彼女が初めてかもしれない。
「忘れないように、ですか。
そうですねえ。実はそういうつもりで、この煙草も吸い始めたんですよね。
でも最近、私の友人(性格にはペット)は、
この匂いを『マモルの匂いだ』って言うんですよ。
今のジーンのさんだって、
この煙草の匂いを”私の匂い”として覚えたでしょう?
なんだか笑えちゃいますよね。
私にとっては師の匂い。
ジーンさんにとっては私の匂い」
重ねられたジーンの手を、そっと握り返す。
まるで私に寄り添うような、慰めるようなその温もりを、一瞬感じた気がする。
しかし、すぐにその手は離れていく。
今ここで、彼女の優しさを受け取るのは、きっと違う。
――彼女には、ジーンにはぜひ、私に恐怖を与えてほしいから>
■ジーン・L・J > 「私の信仰だよ。魔術を使う上での信仰とは別の、そうであって欲しいという小さな祈りさ。」
大した根拠はない、反論の余地などいくらでもある、でもそう信じたいから信じる。だからジーンはそれを信仰と表現する。
信仰には根拠など要らないのだから。
「簡潔に言うとそうなるね、ありがとう。最初は台詞も棒読みでね、今思えば小学生のお遊戯みたいなモンだった。で、今は仕草も言葉選びも芝居がかっているだろう?自覚はあるんだけど、普通の人はここまでやらないって気付いたのは身についた後だったんだ。」
そのままずっと演劇を続けるような人生さ、と決まり悪そうに首の後ろをこする、その仕草もいかにも困っていますというのが大げさに伝わってくるだろう。
「それは矜持だよ。目的のためには手段を選ばないのは好きじゃないんだ。そりゃあ殺し合いじゃあそんなこと言ってられないけど、その分他のことでは手段を選びたい。君の理想の王子様はきっともっと無慈悲なんだろうね、でも私はそうなりたくない。」
元より"獣"だ、さっきそう宣言した。"王子様"の皮を被った獣が攫いに来るのだ、それを彼女は悲鳴を上げて拒むが、獣はそんなこと気にもとめず、どこかへ連れて行ってしまう。
「そっか、なら、そうだな……君が心を許してくれたその時は、君の隣を一緒に走ろうか、あまり組織に入るのは好きじゃないけど、風紀委員に入ってバディを組むとか。その頃にはお互いどれぐらいやれば死ぬのか熟知してるだろうし、いいコンビになると思わない?」
どうかな、と伺うように首をかしげる。止まれないなら、共にあればいい。
どうして彼女に入れ込んでいるのか、なんとなくわかってきた。似ているのだ、新人の狩人に。特に"満月の獣"への復讐を望む者に、身を焼き焦がすような焦燥と衝動に駆られて、多くはそのまま初陣から帰ってこなかった彼らに。復讐を果たすまで死ねないと言いつつ、その道半ばで斃れることをどこか望んでいた彼らに。
「うん、うん、そっか……。難しいね、人の心ってやつは。
気の利いた言葉でも君に捧げて、その呪いを解す手伝いをしてあげたいけど。難しいね…。」
死んだ人はそんなこと望まない、なんて薄っぺらい言葉ならいくらでも言える。大抵の劇ではそれでなんとかなっていた。だがこの場合はその台詞選びは違うという確信があった。
知らないのだ、彼女の師について、何も。名前も、素性も、男らしいのは察せるが、どんな歴史を彼女と歩んできたか、わからない。
彼女が話してくれるまで自分は外野だろう、その立場ぐらいわかっている。そんな所からの声は彼女の中の師との世界ではかき消されてしまう。
離れていく手。今しがた葵の匂いとして覚えたものは実は違うのだと知らされて、その手を追う気はなくなった。
代わりにもう冷めきったわずかしか残っていないカプチーノを手にとって、飲み干す。
「そうだね、私は君の師を知らないからそう覚えてしまった。君に少し立ち入った気がしたけど、まだまだ端役が精々らしい。
だからもしよければ、君の師について聞かせてほしい。もちろん今じゃなくていいよ。今日は君について沢山知れたから、私もちょっと咀嚼する時間が欲しいしね。」
このケーキみたいに、とシフォンケーキの最後の一切れを口に運ぶ。
■日下 葵 > 「信仰ですか。
でも、そういう”明るい信仰”も、良いかもしれませんね」
毎日毎日”今日は恐怖できるだろうか”なんて気にしながら生きるよりも、
”きっと明日は今日より良い日になる”と思いながら生きたほうが良いに決まっている。
そこに反論されたとしてもいいのだ。
事実がどうであれ、祈る分には人のじゆうなのだから。
「なら――
私がその演劇に幕を下ろしてあげますよ。
ジーンさんが手段を選びつつ、それでいて私の王子様になってくれたなら、
貴女が演技なんてする余裕なんてなくなるくらい、
私がお姫さまになって見せますよ」
手段は選びたい、というジーンを見ると、少し真面目な表情で言って見せた。
半ば告白ともとれる言葉を口にすると、
「もっとも、私が王子様でジーンさんがお姫さまの可能性もありますけど」
と続けて、すぐに誤魔化してしまったが。
「あら、今の段階でも、相当心を開いているつもりですけどねえ?
私が師の話を他人にするの、ジーンさんが初めてですよ?」
師の話を知っているのは、私が自分から教えた人間か、
私についてまとめられた報告書をよんだ人間。
前者については、今のところは目の前の彼女だけだ。
「ただ、そうですねえ。
将来ジーンさんと仕事をするのも、悪くないかもしれませんねえ」
そんな未来を望めるなら、
望む資格が私にあるなら、
望んで、手を伸ばすことができるなら、
そんな未来も悪くないのかもしれない。
「なにぶん、私は演劇ではなく”本物”ですから。
ただ、そうですね。
呪いを解くことはできなくても、多少綻ぶくらいはしたかもしれません」
誰に対しても調子の良いことを言っていそうなジーンが、
なぜここまで私にかまうのか。
彼女のその隠された目に、私がどんな風に映っているのか。
その本心はわからない。
わからないが、徐々に期待が膨らんでいるのは確かだ。
彼女なら本当に、私の願いを――
「ふふ、ジーンさんが思っているよりも、
私はミステリアスで、ややこしくて、面倒な女なのかもしれませんよ?」
演習場で手合わせしたとき、
「そう簡単には落とされない」なんて豪語したが、
その言葉も少し揺らぐほどには、彼女に心を開いているきがする。
しかしそれでも、私が内に抱えている気持ちを全て吐露するには、
もう少し時間がかかりそうだ。
私が彼女のことを、狩りをしていた時のことをまだほとんど知らないように、
私が彼女に伝えなければならないことはまだまだたくさんある。
ただ、焦ることもないように思えた。
だってお互い、ひどく死にづらくて、時間には余裕があるのだから>
■ジーン・L・J > 同調を得られれば、そうだろう?と微笑んで返す。
「おっとっと。それはそれは。」
告白めいた言葉には、薄い笑みを浮かべたまま頷いてみせる。驚いているようには見えないが、そのまま言葉に詰まったように煙草を吸うのは誤魔化しているようにも見えるだろう。
「まぁ、まぁ、どっちでも構わないさ。君が私をオトすというならそれもありだ。」
相手も誤魔化せば、その話題に乗ってから安堵のような紫煙を吐く。
「そうなのかい、それは光栄だな。なら実は私の魅力と話術に大分やられちゃってるんじゃないかな?
なんてね。バディの件、前向きに考えておいて欲しいな。君が望めばすぐに馳せ参じるつもりだから。」
冗談めかして笑いながら、本気だよ?と付け加えておく、あの赤い制服が自分に似合うかどうかわからないが、一緒に着て並べるならそれもいいだろう。
「そうだね、人間模様ってのは大変だ。その点については今後にご期待ってとこかな。
いつか解いて見せるよ、君が自由になれるなら私の手じゃなくてもいいけど、今の所私が一番近いみたいだから。」
目は人間が言葉の次に意思疎通に使う器官だ。それを隠したジーンの真意は測りづらいだろう、ましてや人間ではなく、禁書であるのだから精神構造が同じかすら定かではない。
だが、言葉からはジーンが葵を心底気遣っているのが伝わるだろう。
「んふふふ、なら余計に燃えるね、入ってきた時言っただろう?手に入らないものほど欲しくなるって、残念ながら君がどれほど大変な獲物だとしても、私は必ず手にするつもりだよ。」
何時間かぶりに見せるのは牙を剥き出した獰猛な笑み。獲物を狙う肉食獣のような気配を放ちながら、包帯の奥からでも伝わるほどの視線が相手に突き刺さることだろう。
「さて、お互い食べ終わったし、払っておくよ、いい店を紹介ありがとう。」
財布を取り出すと、いつの間にかカウンターに戻ってきていたマスターに、二人分の料金を支払う。
「気にしなくていいよ、紹介料ってことで。」
■日下 葵 > 「ふふ、どうでしょうか。
案外、私はもう惚れこんでいるのかもしれませんし、
逆に、私の不可解さに、ジーンさんが惚れているのかもしれません」
後者に関しては、本人からずっと言われていることだが、
前者に関しては、私自身もわかっていない。
真偽のほどは、これから明らかになるだろう。
「ま、バディを組むなら、もう少し手合わせが必要でしょうけどねえ」
バディ、お互いの命を預けるのだ。
お互いの殺し方を知っておく必要がある。
そして訓練場でのてあわせでは、まだまだ不十分だ。
「私も、ジーンさんも、およそ人間というには大分マイノリティですけどねえ。
でもいつか、私がより人間らしく存在できる日がきたなら、
貴女もより人間らしく振舞えるように協力しますよ」
これは本当。どっちがお姫さまで、どっちが王子様かに依らない話。
「あら、いいんですか?
さっき武器を買ってお財布がさみしくなったところだって言うのに……
でも、ごちそうになっておきましょうか」
次のランチは私が出します。
と言えば、自然と次の食事の約束を取り付けてしまおう。
きっとこんなことをしなくても、彼女の方から誘ってくれるのだろうが。
そうしてジーンが支払いを済ませてくれると、
マスターに一礼してお店を出ていこう。
何も予定のない休日、もう少しだけ、二人のデートは続くのであった>
ご案内:「Cafe SketchBook」から日下 葵さんが去りました。
ご案内:「Cafe SketchBook」からジーン・L・Jさんが去りました。