2022/02/02 のログ
ご案内:「雨、降りしきる中で。」にレイチェルさんが現れました。
ご案内:「雨、降りしきる中で。」に山本英治さんが現れました。
レイチェル >  
激しい雨が降りしきる中、レイチェルは初めて入る軒下に立っていた。

「……あ~あ~、こんなに降っちまって……」

今、一歩も動きたくない状況であった。
一歩でも脚を踏み出せば、
爪先から太腿まで
一瞬でずぶ濡れになってしまうのではないかと
思われる程の、雨。

この軒下に退避するまでの僅かな時間で既に、
結構身体は濡れてしまっていた。

少しばかり肌に張り付き出した制服の上から、
冬場の凍てつく風が吹き付けてくる。

仕事の帰り道に、
突如として降り出した激しい雨。

たとえ傘を持っていたとしても、
女子寮まで帰るのは随分と難儀しそうだ。

そして女子寮へ帰ったとしても――もう一つの問題が待っていた。
今帰っても、女子寮の部屋に入ることはできない。
今朝に鍵が壊れてしまい、修理に出したばかりなのだ。
合鍵は以前、約束と一緒にトモダチに預けたままで、
レイチェルは持っていなかった。

一人、左腕で少し冷えた身体を抱え込むようにしつつ
端末に目をやる。

吐いた息は白く、立ち昇る。
それは立ち昇ったまま白い街灯に照らされて、
いつしか黒の宙へ向かい、見えなくなっていく。

何となくそれを目で追って――そのまま空を見上げれば。
ふぅ、と小さく息を一つ。


端末に映るポイントと、視界の端に映る建物を交互に見やる。
成程、ここは後輩が住む部屋の近くらしい。
少しばかり視線を足元へ。そうして、濡れそぼつコンクリートへ。
迷って、迷って、迷って――。




それが、数分前。
今、レイチェルは後輩の部屋の前に立っていた。
ここまで移動するのに
また少しばかり髪を服を、濡らしていた。
歩けば水滴を撒き散らすようなびしょ濡れ具合では無いにしろ、
まるで雨の中震える捨て猫である。

ちょっと先輩として情けない姿ではあるが――
――背に腹は代えられない。

『悪ぃ……ちょっと、屋根借りてもいいか?』とだけ、
事前にメッセージを送ってはおいた。

後は、インターホンを押すばかりだ。
何だか変に緊張している気がする。

それが何故なのか、はっきりとは掴みきれぬまま――。

指先でちょん、と。インターホンを押す。

山本英治 >  
ドアをゆっくり開いて。

「レイチェル!」

あちゃー、という表情をして顔を手で覆う。
随分降られたもんだ。

「うわー、大丈夫か……こんなに濡れちまって」
「とりあえず入ってくれ、今タオルとお茶を出すから!」

というかもう新品のタオルを出してポットでお湯の温度を計測している。
『お前が家に来る者を拒まないのであれば、持て成しは最良を追求したほうがいい』
師匠が言っていた言葉だ。

「あ、サーセン慌てて……」

パ、パと作務衣に触る。
思いっきり部屋着だよ!! ごめんレイチェル!!

「ちょっと散らかってて申し訳ないなぁ……」

ちょっと散らかっている。
本棚に漫画、テレビにはゲーム機が繋がっている。
カーテンのサッシにいつもの風紀委員の時の服一式が吊るしてある。

普通の男の部屋だ。

レイチェル >  
「いや、すまねぇな……近場で頼れるのお前しか居なくてさ」

ゆっくり開いたドアの向こうから現れた、見知った顔。
その顔を見て、少しばかり安心。

「すまねぇ……悪ぃな。
 気を遣わなくても、屋根さえ貸してくれりゃ
 オレは――」

そんなことを口にしつつ、既に動いてくれている後輩を見て
口を閉じる。

「――ありがとな」

全く、お前もいいヤツだよ。
指先で濡れた髪先をくるくるとしつつ、
何か手伝いたいところだが、
今の自分があちこち歩けば
余計な手間を増やしてしまいそうだ。
ここは、後輩の優しさに甘えるのみとする。

「いや、全然構わねぇよ。
 しっかし、成程なぁ……男の部屋なんざ、
 入るこたねぇから……」

そこまで口にして、自分が変に緊張してる根源に思い至った。
彼個人との現在の関係性はさておき――

――男の部屋に入るのは、初めてだ!

ひとまず、遠慮がちに玄関へと入り、靴を脱いで進んでいく。

山本英治 >  
「そこで俺を頼ってくれるのグレートえらい」

真顔で両手の人差し指を向ける。
ああ、こんなに濡れちまって。
風邪なんてひいたら大事だ。

「雨の日にぃ? 冬の雨に降られたレディーをぉ?」
「外に放り出したままぁ?」
「漢じゃねぇよそりゃあ」

これタオルです、新品ですと言って白いタオルを差し出す。
靴は布団乾燥機についてたアタッチメントで両方同時に乾かせます、と失礼してセット。
終わったら手を洗ってお茶をどうぞ、と洗面所と適温の緑茶が置いてあるテーブルを指す。

「俺………初めてだ…」

三文芝居で強張った笑顔を見せて。

「ヒトが部屋に来るの」

旅行中の人のペットのハムスターは預かったことあるんすけどね、と言って。
自分の分の湯呑(魚へんの漢字が書かれまくったやつ)を出した。

レイチェル >  
「何だよ、グレートえらいって。
 でも実際、お前は頼れるからな。
 信頼してなきゃ、こんな時だろうが頼らねーよ」

笑いながら、彼の言葉に肩を竦めて見せた後に、
穏やかな笑顔を見せる。

これまで彼と関わってきた中で、そのことは十分に理解している。
おちゃらけた性格を見せているがその実、信頼のおける男だ。
風紀委員のムードメーカーとしても、一役買ってくれていると
常々感じている。


「おっ!? あ、ありがとな……わざわざ新品のやつを……」

受け取って、そこに顔を埋める。
髪の方もすいすい、とタオルを添わせて水滴を拭き取っていく。
まだ僅かに雨に降られた艶は髪に残っているが、それでも殆どは
拭き取ることができた。

「……あれ、そうなのか? 
 英治って結構、ムードメーカーしてるだろ?
 いろんな所でつるんでそうなイメージあったからさ。
 なんか男友達とか呼んで、わいわいやってんのかと思ってたぜ。
 人呼んだこと無いだなんて、信じられねぇよ。
 突然来ちまったのに、対応も完璧だし……」

意外そうな顔をしつつ、手を洗った後にテーブルまで行って、
申し訳無さそうにちょこんと座る。
訓練指導の最中の鬼の顔は何処へやら。
こうなれば、借りてきた猫である。

背後のベッドを髪が濡らしていないか注意しつつ、
湯呑を持てば、一口。
緑茶の味なら、もう随分と前に慣れている。

「……美味しい。冷えた身体があったまるぜ。助かる……」

頼っておいてなんだが、成程。これは『グレート』だ。

山本英治 >  
「あのレイチェル・ラムレイにそこまで言われるとは」
「俺ぁ感動の涙で前が見えませんや」

ニヒヒと笑って言いながらテレビをつける。
可愛い動物だけを映す専門チャンネルだった。

「これ契約してんのナイショですからね…」

小声で言って自分の分のお茶を淹れた。
失礼と言って指差して。

「首んとこ、まだ水滴ついてるぜ」

男友達。確かにいる。
だが………部屋に呼ぶかというとどうにも違う気がする…
違うというか。“見破られる”のが怖いというか。

「あー……俺、その…」
「実は陰キャって言ったら信じるぅ?」

冗談で誤魔化して。

「メシ食った? 作れるよ……俺の手料理、トルコ料理をな…」

フッ、と鼻を指で擦る。
風紀委員としてTwisterに作ってるアカウントでは結構、料理の写真がバズってる。
タグは #アフロ手料理 だ。

しかし人に振る舞ったことは殆どない。

レイチェル >  
「なーにが感動の涙だよ。
 あと、褒めてもオレからは何も出ねーぞ」

ニヒヒ、と笑う後輩には困ったように笑って返す。

さてそれでもって、テレビがつけられれば
静かな空間に異なる彩りが現れる。

それは――

「あっ……『ちいきゅーチャンネル』じゃねぇか!」

目が輝いて、思わず画面の方へくい、と顔を少し近づける。

ちいさくて、きゅーと。
そんな動物をずっと映すチャンネル!
『ちいきゅーチャンネル』だ。
無論、レイチェルも契約している。

そして今流れているのは――、
『うちのわんにゃんでポン!』のコーナー!
登場する人々が自慢の愛犬や愛猫の愛くるしい姿を
撮影し、局に送ったものを流しているコーナーだ。
このコーナー、今日はもう見られないものとばかり思っていた……。

そうして――

「あ……あっ? す、すまねぇ。ありがとな」

思わず顔を近づけてしまったせいで、見えたのだろう。
首から鎖骨の所にかけて少し残っていた水滴を、
すぐにタオルで拭き取る。

……恥ずかしい姿を見せてしまった。
先輩として、今日はさっぱり面目が立たない。

「陰キャ~? お前がねぇ……。
 少なくとも、表向きはそう見えねぇよ。
 ただまぁ……」

芝居がかった口調や、オーバーなアクションは。

「……『頑張ってるのかな』って感じは、たまにする」

正直なところを後輩へ伝える。

そして。

「トルコ料理って……あ、ああっ!
 そういえばお前の料理、
 Twisterでめちゃくちゃ人気だもんな……!」
 
 そうだな、じゃあアレ作ってくれよ、アレ!
 一番最近に投稿があったやつ……!」

最近Twisterについては、適当に閲覧をするくらいで
あまり使っていないのだが、彼のことはきっちりフォローしていた。

山本英治 >  
「前にクッキー出してくれたのにそう言う……」

お茶を飲む。部屋は適温、後は……
後はなんだろう。雨に濡れて部屋に来た女性にするべきことは。
本を読んだって書いてはいない。
俺の知識は経験を伴わない薄っぺらなものだと痛感する。

「し、知ってるのかレイ電……」
「そう、ちいきゅー………好きなんだよなぁ…」

「あ、この猫かわいいな………アメリカンショートヘア」

テレビの中で猫が後ろ足で立って飼い主の足に縋り付いている。

「まぁまぁ、俺もなんだかんだでレイチェルのことがわかってきたよ」
「そういうところあるからなー、ねこまにゃんとか好きだし」

頑張ってるのかな。
彼女から出た言葉は、今まで話した大勢の人のどの言葉より響いた。
『でも頑張らないとさ………俺…』
その言葉をお茶と一緒に飲み下した。

「レンズ豆のスープと“スルタンのお気に入り”でしょーう」
「変わった名前の料理だよなー」

それじゃ、と言ってキッチンへ歩いていく。
アレ、あそこに入れっぱなしだったな…
まぁ見つかることはないだろう。

そう頭の隅で考えながらささっと料理をしに行く。

レイチェル >  
「んだよ。また食いてぇのか?
 じゃあ、今度作って渡すぜ。
 
 『クッキーには人を幸せにする力がある』って言うからな」

母親から聞いた言葉で、彼女以外から聞いたことはないのだが。
それでも、レイチェルはその言葉を心の何処かで信じていた。

「誰だよそれ……。
 ま、まぁ……うん、好きだからな、動物……。
 あ、アメリカンショートヘア! 可愛いよなぁ……。
 マジで可愛いなぁ……飼いてぇなぁ……」

そんなツッコミを入れつつ、
一緒にアメリカンショートヘアを眺める。
風紀委員としての姿しか知らない者が見れば、
思わず二度見三度見――その後に驚愕の視線と共に凝視するであろう
とっても柔らかな、
ぽわぽわとした表情をするレイチェルがそこに居た。

「あ、それだよそれ! トルコ料理って……何かすげー難しい
 名前してるよな……よくそんなスルスルと出てくるもんだ」

感心しつつ、キッチンへと歩いていく彼を見送る。

それから数分。
ちいきゅーチャンネルは、
飼い主のインタビューパートに入ってしまった。
こうなると、見応えがない。
とはいえ、勝手にチャンネルを変えるのも――。

一人、英治の部屋を見渡してみる。
男の部屋をこうもじっくり見るのは初めてだ。
だから、この違和感がどれだけ確かなものかは分からないが。
少し散らかっているそこは、何処か――何処か。
生活感が欠けているというか、少しだけ冷たい感じがした。
彼の言葉を思い出し、少しばかり思考を巡らせるレイチェル。
そうだな、きっと英治は――。


そうして、色々考えながら部屋を見渡している内にふと。
ベッドの下から覗いているものを発見する。

「ったく、英治の奴。
 ベッドの下もちゃんと片付けとけっての。
 一回、きちっと掃除してやらなきゃダメだなこりゃ――」

そうしてその、
散らかったまま置かれているものを手にとった――

山本英治 >  
「ああ、食ったら幸せな気分になれた」
「相手のことを考えて作ってるモンなんてそうそう口に入らないしな」

親に勘当されている。
だから、一人で生きているゆえの言葉だった。
でも、ちょっとバツが悪いな、これ。

「マジすか、俺も猫が好きなんだよなぁ」
「思えば俺の親友は猫っぽかった……」

しみじみと言う。故人の影響、あまりにも強し。

「本場の発音だともっとすごいぜ」
「レンズ豆のスープはメルジメク・チョルバスで」
「スルタンのお気に入りはヒュンカル・ベーエンディだ」

楽しみにしておいてくれよ、と笑った。

 
 
料理を手に戻ってきた。
ついでだし俺も食べてしまおうと二人分。

すると。

「いっやーん、男の部屋のそこは見ちゃダメだぜレイチェルさんよぉ」

テーブルに料理を並べるとチッチッと指を振って。
ベッドの下から出てきたのは『満開!!南国娘フルーツバスケット』というエッチな本だった。

「そういうのはプライバシぃ~っつーのがあるからさぁ」

上手くデコイに引っかかってくれたな。
視線は机の引き出しに。

あそこに入っているものさえ見られなければなんだっていい。

レイチェル >  
「……あ、あの……あの――」

さて料理を持ってやって来れば、
『満開!!南国娘フルーツバスケット』を手に、
顔を真っ赤にしているレイチェルが居た。

英治が現れれば、ハッとしたように本を閉じて
元の場所に戻す。

「――ごめっ、わ、悪ぃ……いや、ほんと……。
 そ、その……そうだよな……
 み、見られたくないものくらいあるよな……
 は、はは……は、はぁ……」

弱々しく笑いながら、ちょっと視線を逸らす。
このレイチェルという少女。
そういったことに対する耐性がやはり皆無に等しいらしい。

内容的には比較的軽めのものだとしても、
すっかりノックアウトされてしまっており、
長い耳まで赤くなっている。


「え、ええと……か、片付けとこうか?
 ひ、引き出しか? 引き出しにしまうか!?」

すっかりノックアウトされたレイチェルは、
英治の視線を勘違いしたのか立ち上がり、本を持って
引き出しまで歩いていくが――

山本英治 >  
「えっ!?」

意外なリアクションが来た!?
やべ、デコイをもっとソフトな本にしておくべきだったか!?
だがそれだとわざとらしくなりすぎる………って、そうじゃねぇ!!

「いや、本当すいません。セクハラみてーなこと言いました」
「って…………ッ」

引き出しを開こうとする彼女を止めるだけの瞬発力が。
死者の呪詛で弱った体にはなくて。

 
開かれた引き出しの中にあったのは。
遺書、と書かれた白封筒だった。

項垂れて。
視線か、もっと上手く隠すべきだったか、いや、それよりも。

「ごめんな」

何故、俺は謝ったのか。
何を言えばいいのか。
わからないまま。

「食べながら話をしよう」

そう言って彼女の手から本を取って本棚に押し込んだ。
引き出しは寝ている子供の横にいるかのように静かに閉めた。

「美味いぜ、良い羊肉が手に入ったんだ」

テーブルに座る。

レイチェル >  
「……え、あ」

開かれた引き出しの中に何があるのか、なんてことは
考えてもいなかった。
ただ、この本をさっさとしまって、一緒に食事を――
そう、思っていた。

中に在ったもの。
それを見て、思わず力が抜ける。
本を、なんとか取り落とさない程度の力すらも、
すぐに消えてしまって。

落ちそうになった本を、英治が手にとってしまう様子も、
何処か遠くを見るような視線で追うことしかできなかった。
 

項垂れた彼を見るのは、初めてで。
彼が仕舞い込んでいたモノを、目にして。
それでも笑う彼を目にして。

「ごめん、勝手に見ちまったのは……
 オレが本当に悪かった」

まず、謝る。決して見られたくないものを見てしまった
自らの過ちは、きっちりと謝り切る。

その上で。

どうしても、許せないことがあった。
どうあっても、そのままにしておけないことがあった。
よく見知ったもうひとつの顔がちらついて、
そのこともあって、胸の内で燃え滾るものがあった。

彼の作ってくれた料理。それを、無駄にすることはしたくない。

けれど。

今、テーブルにつくことなんて、できやしない。


絶対に、できやしない。

料理の話をする、大事な後輩に向けて、口を開く――。

レイチェル >  
 
「……頑張りすぎだぜ、英治」
 
胸の内にある様々な感情を、抑えながら。
それをなんとか口にした。 
短い言葉。それが、精一杯だった。 

彼の顔を見やった後――静かに閉められた引き出しを、静かに見ていた。
 
 

山本英治 >  
何もかも見られてしまった。
そしてかけられる言葉も。

部屋は。
『学生がこういう部屋をしているだろう』という想像で作ってある。
漫画も。ゲームも。一通り触れたが俺の趣味じゃない。

この部屋は虚構だ。
普通、こうだろう。
普通、こうしているだろう。
その妄想が作った……空虚な大嘘だ。

「もう………どうしようもねぇんだ…」
「ディープブルーの違反部活生を殺して呪われた」

「因果応報、もういつ正気を失うかわかんねぇ」

手のひらを見る。幾つも零れ落ちた手のひらを。

「愛した女に何もしてやれねぇ」
「大切な友人たちに何も残せねぇ」

「あと俺に何ができるかって……頑張ることだけなんだよ…」

「みんなの日常を守ることしか……今の俺には…」

見ただろ、俺の部屋。全部空っぽだ。
そう言って拳を浅く握る。
外では雨垂れがポツ、ポツと流れて落ちていた。

「……時々考える」
「俺の人生は後日談なんじゃないのかって」

「親友を殺された時にゲームオーバーになってて」
「今、生きてるのは……オマケなんじゃないかって…」

「蒼い空が嫌いだ」
「塀の中にいた時に唯一キレイなものだったから」
「犯罪者が嫌いだ」
「俺の一番大事なモノを奪ったから」

「……小さいだろ、俺…」

座ったままぼんやりと天井を見上げた。

レイチェル >  
「どうしようもねぇだとか……」

拳を握る。
その言葉は、自分の中でも何度も繰り返してきた言葉だからこそ。
これまでに、沢山の人間と共に経験してきた数多くの事件の中で。

そして。
彼にかけられた呪い、そして自身の血の呪いの解法を求める中で。

「もう終わってるとか……」

更に強く拳を握る。
『潮時』。最近、後輩からかけられた言葉を思い出す。

「頑張らなきゃ……とか……」

そして更に拳を握りしめる。強く、何よりも固く。
『頑張りすぎ』ていることを、何度も大切な人に
言われてしまってるから。

沢山の言葉。
『先輩として』かけるべき沢山の言葉が、脳裏に浮かぶ。
これまでなら、それを彼に向けて放っていただろう。

『余計なことは吹き込むな』

英治のことを話した時に、
真琴が口にしていたことを思い出す。

ああ、そうだな。分かってるよ。
きっと、今オレが何を言ったって、
余計なことなんだろ?
確かに今のこいつに、いつもの調子でいっちまったら……
きっと、それは毒になる。

レイチェル >    
 

分かってるよ、だから。
これ以上は、『言わない』。


『諦めてんじゃねぇ』だとか。


『頑張らなくていい』だとか。


『小さなくなんかない』だとか。


『お前を信じてる』だとか。


そんなんじゃない。


伝えたいのは、そんなことじゃなくて! 
 
 
だから……! 
 
 

レイチェル >  
 
  

――横からそっと、抱きしめた。  
 
  
 
 

レイチェル >  
 
――言葉よりも何よりも。
 
『君』に与えられるべき温もりは、ここにあるから。

ちゃんと生きてるぞ、って。

言葉じゃなくて、分かってほしかったから。

かつてあの人が、『私の母親』がしてくれたように。

彼のことを、『私』はそっと。そして、しっかり抱きしめたんだ。 
 
 

山本英治 >  
ふわ、といい匂いがした。

予想外の行動に、瞑っていた目を開く。

どうしてだろう。俺は。

子供の頃、癇が強くてよく泣いてしまっていた頃に。

おふくろに落ち着くまで抱きしめてもらっていたことを思い出していた。

 
もう……松葉雷覇と戦って死ぬまで流すことはないと思っていた涙が溢れた。

「くっ………う、うう……」

みっともない。格好良くない。男伊達から程遠い。
でも、温かい涙が。止まらなかった。

 
どこで間違えたんだろう。
間違えたまま進んで、それでも信じ抜いて戦った日々。

失って、喪って、それで。
でも、生きてるんだ。

俺は生きている。