2020/10/03 のログ
月夜見 真琴 >  
「恐怖心をなくす手段にはいくらか心当たりはある。
 ――が、おまえのそれは修練によるものだったかな」

忘れた、と言った。忘れさせられたのかもしれない。
彼女の経歴を洗えばこそ、そうなるべくしてなった風紀委員とわかる。

「いつのまにかどこかへなくなってしまっていた畏れ。
 それはもう、夢に見ることもなくなっているのか」

彼女の脳機能が、どこまで自分と異なっているかもわからない。
ただこうして言葉を交しているなかでも価値観の相違があるのに、
そばにいればいるほどに、齟齬を感じるような懸絶が横たわるようで、
彼女の背を見つめた表情の唇は、いつのまにか三日月のようにつり上がっていた。

「おまえが喪失してしまった恐怖は、
 おまえにとって、美しく尊いものなのかな――
 それとも、時が過ぎゆくなかであたりまえにきえてしまう、
 なくしやすい持ち物にすぎなかったのか」

あえて恐怖の行き先に、美の言葉を尽くしてみせたのは、
単にこちらに合わせてくれたものなのか、それとも。
裏を探ろうというのではなくて、単なる好奇からむけられた問いかけだ。

「だからいま目の前にある人生を謳歌する?
 食事とか、趣味とか、遊興とか、行楽。
 どうせ"生きるしかない"といえばそうだ。
 世を儚むなりしても、逃げることは赦されないから」

ある意味のさっぱりとした割り切りは、
生物的な輝きなのか、ある種の妥協か諦念か、
それにはある程度の答えを欲したように、視線が無傷の背中に向いた。
菩提樹の葉が張り付きもしない、不死身の英雄もかくやの背にあるものは。

日下 葵 > 「……さぁ、どうでしょうか」

恐怖心を失くしたのは、修練によるものか。
そんな問いを投げかけられると、曖昧にぼかした。
いや、ぼかすほかなかった。

彼が忘れさせようとして、思惑通り私が恐怖を忘れたのか。
あるいは自己防衛の為に棄てたのか。
あるいはありふれたものになってしまって薄れたのか。
それは見方や考え方で変わるだろう。
今の私には、そのどれなのかを決めることはできなかった。

「夢、ですか。
 昔を夢見ることはありますよ。
 ただ、一緒に伴う感情が恐怖なのかは、
 今となっては私自身にも判断しかねます」

昔の夢、あの無機質な白い床の広がる施設で、彼とともに訓練した日々。
夢に痛みを伴うことはあっても、それに感情が付随しているのかどうか。

「美しいかどうかはわかりませんが、
 今の私を形作るにあたって必要なものだと思っています」

失くしたものなのに、必要なものだと認識している。
まるで水のないコップを求めるように、空虚な隙間を求めている。
人となりというのは、決して有だけで形成されるものではないだろう。
”何も存在しない”という隙間だって、立派な要素だ。

「どうなんでしょうねえ?
 もしどこかに置いてきたのだとしたら、
 どうせ置き去りにするなら、埃をかぶった湿った場所よりも、
 美しいと思える場所の方がいい気がしたのかもしれません」

「別に今を謳歌しているとも思っていませんよ。
 私が今生きて、風紀委員をやっているのは、
 『お前が頑張れば将来救われる人が出てくるから』
 という恩師の言葉を信じてやまないからです」

だから謳歌も、死の意味も、考えるだけ無駄に思える。
私の中にある行動原理に、そのどちらも必要ないのだから。

「ただ――人が生きるために足掻いている姿には惹かれます」

今、私は笑っているのだろうか。
それとも無表情なのだろうか。
鏡を見ないと、その判別も難しい、そんな感覚だった>

月夜見 真琴 >  
「心に空いた"虚(うろ)"――さいきんは、とみによく触れる。
 穴があるからドーナツ、などというつもりはないけれど。
 おまえの場合は、"恐怖"か。 克服ではなく、喪失をした」

普段にも増して言葉に遠慮も配慮もないのは、既にそういう世界に入っているからだ。
答えなくていい。その前置きが許すままに、ささやく甘い声はことばをかさねる。
腕がふたたび動く、走る。生物的な肖像を、どこか冷たく描き出す。
どこを向いているのかわからない後ろ姿。僅かに頸は傾いて、視線は下に。

「実際に、おまえが成してきた多くの責務は結果的にそうだろう。
 ドライなものの見方をしてしまえば、委員は"死"なずに――いや、
 この言い方は適していないな、そう、"損失"をせずに済む。
 そして、それが巡り巡って島民の助けになっている――といいが」

委員は失われない。死が終わりではない存在が、それを補填している。
そして、その膝を立たせていることは心に空いた空白と、
恩師の言葉、祝福、あるいは――空白とこれは、結びつけてもいいのかもしれない。

「ふしぎな話だな。 痛みに患わない、死が恐くない。
 それをある種の強さと受け取るものもいるだろうに。
 死や痛苦への恐怖を、持てる者と持たざる者。 
 お互いにあこがれていても、どこかその実、
 はっきりいって"そうなりたくはない"と思う部分も、ある――
 やつがれは痛みを喪いたくはないな、そう思うからおまえがより美しく視える」

月夜見真琴を立たせていたのは痛みだった。
いまは、恐怖。視線はふと、カンバスから天井、閉じられた天窓に向いた。

「ところで裸体を拝ませてもらっておいて今更過ぎる問いかけかもしれないが、
 おまえ、恋人とか――たいせつなひととかは?」

日下 葵 > 「芯がないから管と呼べるように、
 空虚であるから存在を認識できる。
 私は自身の在り方をそう捉えています」

”恐怖がない”ということでしか、得られなかったものは間違いなくある。
今、彼女に見せているこの姿も、
いつか時計塔で手に入れた幼いペットも、”私”でなければ得られなかった。

「死んでしまう兵士を無尽蔵に集めることと、
 数に限りがあるものの消耗しない兵士をそろえること、
 両者は似ているようで異なります。
 私は後者、他の人は前者」

これらは非可換な存在だ。
どちらがいいとかではない。
どちらもあったほうが良い。

「私は行動原理に従って動いているだけです。
 私の存在によって実際に誰かが救われているかどうかは、
 最悪――関係ない」

まるで与えられた命令を延々とこなす自動機械の様だが、
そこに意志がないわけじゃない。
私は間違いなく生きているし、”機械の様”であっても”機械”ではない。

「私のような存在に憧れる人が居るのは事実です。
 でも大抵、そういう人は私にはできないことができるモノです。
 隣の芝生は青く見えるモノですから、私にあこがれるのも、
 私の様になりたくないと思うのも、不思議なことではないように思います」

みんな違ってみんないい、といったのは遥か昔の詩人だったか。
まさにその通りだと思う。
私は痛みや死に対して恐怖という感情を失うことでその存在を成しえた。
逆に、恐怖という感情を抱くことで存在を成す者もいるだろう。

「本当に今更な質問ですねえ?」

思わず笑って、動いてしまうくらいには今更だと思った。

「大切な人はいますとも、
 それを恋人と限定されると居ませんが」

恋人はいない。
可愛がっている”ペット”はいるが>

月夜見 真琴 >  
憐れみも同情も求めていないように見えた。
あるいはそれに手が届く場所に自分が居ないようにか。
自己分析という観点において、ほぼ淀みなく返ってくるいらえは、
心地よく――しかし淀みがないほどまでに、
聞いた限りの"日下葵"を自認してしまっているのは、少々不幸にも思えたが。

「それが"恩師"の言葉を端に発するものであっても、
 おまえ自身がそれを選んでいるのであれば、やつがれに口を挟めたものではないが」

もしも――、と口にだしかけて、噤んだ。
いまは要らない問いかけだ。彼女はモデル。自分は絵描き。
それ以上は領分を侵すことになると考えて、筆が乗る喜びを返礼として。

「そうなのか――ふむ、では内緒にしておいてくれ。
 やつがれに嫉妬をするような間柄か、は聞かないようにしておく」

意外そうに目を丸くしたあと、愉快げにころころと笑って。

「痛みや死への恐怖がないとして、
 たいせつなひとを亡くすということに対して、
 痛みや恐怖を感じるということはあるのかな、と思ってな」

痛みと恐怖を持つ者は、そうして不死者に問いかけた。
彼女が身動ぎしたことで、少しだけ背を伸ばし。
一区切り、という姿勢で、まっすぐ銀色の双眸でその背、
肩越しの日下葵の唇のいらえを待った。

日下 葵 > 「ふふ。私はね、自分を”不幸だ”と認識したくないんですよ」

実際に不幸かどうかはわからない。
それはきっと死ぬ間際にわかるだろう。
それだってきっと、『不幸”だった”』か『不幸”じゃなかった”』
という過去への評価だ。
今の私を、幸か不幸か判断できる存在は、きっと”完成された存在”のみだ。

だから自分自身を不幸だと言い切ることをしたくない。
わからない、というブラックボックスに、全てを押し込んでおきたい。

「真琴さんにはいるんですね?大切な人」

彼女の口ぶりに、目だけで視線を送ってみよう。
はて、暇を持て余してこんな私を読んでしまうような彼女にとって、
大切な人とはどんな人だろう。

「どうでしょうか。
 私の力でそれを回避できるなら、きっとそうするでしょうねえ?
 ただ、それは恐怖によって起こる行動ではないと思います」

恐らく、大切な人を失ってしまうような時ですら、恐怖は感じないのだろう。
代わりに違う感情が湧いてくるのだろう。
怒りか、悲しみか、諦めか。

再び姿勢を戻して、少し考える。

「恋人ねえ……?」>

月夜見 真琴 >  
「――我が身の不幸を理由に、禍いを撒き散らすよりは」

すくなくとも、格好はつく。
彼女は優秀な風紀委員であり、みずからの意志で歩んでいるのなら。
いま、問題なく"正義"のために駆動しているなら。

「いいんじゃないかな。
 ――やつがれも、みっともないことは、したくはないなあ」

他者からの憐れみが欲しいわけではない。
望むものがこの上なく明確だからこそ、
他のすべてから如何な誹りがあっても気にならない。

「ん」

視線がかち合うと、それを確かめてから穏やかに微笑んだ。
いつもの表情だ。隠してもしょうがないことだ。

「ああ、いるよ」

だから聞いたんだ、という補足を込めて。
そして、一端筆を置いた。
まだカンバスに描かれた肖像、美しくも痛ましい無傷の背は、
未完の有様ではあるが――真っ白だったことを考えれば、
驚くほど進んでいる、といえた。

佳い刺激だった。

「失いたくないと思う。いなくなってしまうのが恐い。
 きっとそうなったら、やつがれは生きてはいられない。
 ――と思っていたのだが、"逃げられない"理由もできてしまった」

難儀だよ、と思う。
つらくて苦しい時に、逃げられない。
その理由が外側にあるか、内側にあるか、

「死を選べない不自由は――いや、幸か不幸の話はやめておこう。
 休憩しようか。夕食、なにか食べたいものはあるかな、――ん。

 なにか、おもうことでも?」

立ち上がり、一端作業は中断する。
恋人。含みのある彼女のつぶやきに、不思議そうに視線をむけた。

日下 葵 > 「そんなことをするくらいなら――死んだほうがマシです。
 っていうのは、少し格好つけすぎでしょうか?」

えへへ、と笑う表情には、含みのある暗さとか、
意味深な表情とか、そういうものは一切ない。
純粋に、そんな生き方はしたくないと思っているのだ。

「へえ?いつか紹介してくださいよ。
 私にこんな話をさせるような絵描きが、大切に思う人。
 少し興味が出てきました」

これは純粋な興味が半分、揶揄ってやろうという気持ちが半分。
そこに”らしくもなく喋ってしまった”という溢れたくやしさが半分。
5割増しの気持ちだった。

「つまり――大切な人ができて、心の持ち方に変化があったと?」

彼女の『"逃げられない"理由もできてしまった』という言葉に、
質問を投げかける。
もし質問した通りなら、私もいつかそういう変化が訪れるのだろうか。

「そんなに気を遣わなくていいですよ。
 私はね、そういうの気にしませんから」

そういうことを気にして悩む時期は、もうとっくの昔に置いてきた。
死ぬとか、生きるとか、意味とか、
一々そんなことで悩んでいたらたとえ不死でも時間が足りない。

「……そうですね、暖かいものなら何でも。
 いえ、誰かを恋仲として好くことが、いずれ私に来るのかなぁって」

全く想像できないものですから、なんて言って笑うと、
休憩に誘われると、気が抜けたように布を手放すと、
恥ずかしがる様子もなく身体を伸ばした>

月夜見 真琴 >  
「格好をつけることは悪いことではないだろう?
 おまえを否定してしまうと、こんな喋り方をしているやつがれも、ね?
 そう"在ろう"とすることは――"生きる"うえでは、きっと大事なことだとおもう」

あくまで自分の話と前置きして、彼女の有り様を肯定した。
けれど、とひとさしゆびを立てて。

「如何な強靭なペルソナとて、時に打ち砕かれることはある。
 心にうまれた理想のアニムス、あるいはアニマに。
 それが出会いなのか、変化なのか、それとも――これは、経験則。
 やつがれのたいせつなひとは、そういう相手だ、とはいっておこうかな」

少し悪戯っぽく笑って。
紹介してくれ、という言葉には"いつかな"、と柔らかく返した。
つづく問いかけには、首を横にふった。

「逃げられなくなったのは、外的要因。
 いなくならないと、約束した相手がいるから。
 "我が身の不幸を理由に、みっともないことをする"のは、
 ――格好悪いだろう。 やつがれは、そういうのはいやだ」

肩を竦めた。
たいせつなひとの恥には、なりたくない――とは、思っているが。

「けれど、それでも恥も外聞もなく、後を追いたくなるのかも。
 じぶんに問いかけてみるとな、そういう可能性もみえてくるから。
 失いたくないとおもう、そのために行動する。
 "恐い"から。そのひとが失われることの、なにもかもが。
 それが、おまえのいう、"生きるためにあがく"ことなのかな」

言葉は、ほとんど自己の確認だ。
頭の回転がはやい相手は、淀みない言葉がかえってくるから、すきだ。

「――来てほしくなくても、望んでいなくても。
 望んでいないときにこそ、来るものさ。
 やつがれのこれは、"なってしまった"ものだから、どうにもならない。
 おまえがそうなったら、"生きる"心地を感じられるかな」

光を浴びる裸体に感じる生命の躍動を、
いつか実感するときに、また新しい貌が視えるのかもしれない。
カンバスに描きぬかれた日下葵は、どこかネガティブで影を感じさせる様。
それでもどこか、生物的な笑みを見せてくれる――18歳の女性。
これは、今日、この時の、月夜見真琴から見た日下葵。

「きょうは、シチューにしよう。
 たいせつなひとに教わった味だ」

時間は一方向に流れ、人は変わっていく。
今日はこころのあたたまるメニューを提案した。
いつかまた、違う場所で違うものを食べる時は、違う顔を見せてくれることも期して。

日下 葵 > 「ですかね、ならめいっぱいかっこつけちゃいますかねえ。
 あら、その話し方はキャラづくりなんですか?」

やつがれも、ね?なんて言われると、
ちょっと驚いたように、でも面白そうに聞いてみよう。
案外、自分も意識していないだけで、
気づかないうちにキャラを作っているのかもしれないな、なんて。

「もし、もしそうだったら、私もいつかこの考えかたを
 打ち砕かれる日が来るのかもしれないですねえ……」

彼女のそんな生き方を砕いた人、
そんな人がいつか私にも表れるかもしれない。
そうなったときに、私はどうするのだろう。
砕かれた後に、砕かれた事実を受け入れられるのだろうか。

「いいですねえ、そういう考え方は好きですよ。
 もっとも、私は自分を不幸だと認識していませんが」

――どうせ死ねなくて、長く生きるなら、好きなように、
  自分は間違っていないといえるように生きていきたいですねえ。

だから、みっともない生き方はしたくない。
大切な人が居るなら、その人のために。
居ないのなら、自分の為に。

「もし私がいつか、
 そういう存在によって遠い昔に失くした恐怖を思い出すのなら。
 それは恋って呼んでもいいのかもしれませんねえ」

思い出しても、思い出さなくても、
きっと大切な人のためにどうにかしたいとおもうのだろうけど、
それで感情を思い出すことがあるなら、
今までの生き方を砕かれるのなら、それはそれで素敵だ。

「シチューですか!いいですねえ!
 私もいつか来るかもしれない大切な人のために、
 何か料理を覚えるのもいいかもしれませんねえ?」

教えてもらった味。
とても素敵だと思う。
だから、そんな素敵な思いを、誰かに贈るのも、
人を虐めるのと同じくらい素敵なことかもしれない。
人が生きようと足掻くのと、自分が生きようと足掻くのも、
いいものなのかもしれない。

死なないのに、生きようと足掻くっていうのは皮肉かもしれないが>

ご案内:「邸宅兼アトリエ」から日下 葵さんが去りました。
ご案内:「邸宅兼アトリエ」から月夜見 真琴さんが去りました。