2020/09/11 のログ
セヴラン >  
両の碧眼を、憎悪に満ちたその青い炎を山本へと向けながら、
どす黒い色を微塵も隠さず、その呼びかけに応える。
 
「そうだ……『レーヴン・ヒェーヴェン』の部長、
 セヴラン・トゥシャール――」

彼が手を伸ばすその先に、
ただ放つだけで人を簡単に殺せる程の魔力が収束していく。

「――ヨゼフ・アンスバッハの遺志を継ぎ――」

術式《りせい》で編まれた暴力の紫が、その掌の内に渦巻く。

「――お前を殺す『余所者』の名だ!」

収束、爆発、解放――。

「何故だ……何故殺したぁ! お前みたいなカスの役にも立たない
 風紀委員が……ヨゼフを! 何の権利があって!
 殺したあああああッ!!」

先の奇襲とは比べ物にならない、殺す為の力――憎悪の紫が、
山本へ解き放たれる。

レイチェル >  
「山本っ!」

テーザーライフルを構え、弾丸を放つ。
目標は、正確に。過たず、対象を捉えた。
その筈、だった。

しかしその一撃は、魔の暴力によって霧散するに留まる。
彼の身体から迸る紫電が、外部からの干渉を寄せ付けないのだ。

――チッ。

次弾を装填しながら、レイチェルはインカムから聞こえる声に耳を集中させた。

山本 英治 >  
「そうか………セヴラン」

理は歪められる。
紫の力を見て少しずつ距離を調節する。

力の奔流を獣じみた直感のみで回避しながら。
語る。真意を。

「俺にはヨゼフを殺す権利はあった。だが資格はなかった」
「世の中には、人を殺して良い人なんていないのかも知れねぇな」

着地と同時に足元が弾けて。
崩れた姿勢に紫が迸る。
全身がバラバラになりそうな衝撃。

「ぐっううう!?」
「ヨゼフの………妹のことは聞いていたのか…」

「ヨゼフはイデオロギーの虚像じゃない」
「生きた一人の………人間だった…!」

人は一人で民意なんか受け止めきれない。
イデオロギーなんか体現できない。

「それが理解できない奴とは!! 俺は誰とでも戦う!!」

血を吐き出して、叫んだ。
相手との距離は、一足飛びには遠すぎる。

セヴラン >  
「殺す権利が……あった……だと……? 
 ふざけたことを……! いや、ははっ……は! 
 そう、だな……!
 殺す権利は世の中にあるとも!
 僕にだってあるッ!
 僕の大事なヨゼフを殺した……お前をぶっ殺す権利がッ!」

両の掌を激しく打ち合わせれば、双の掌に力の奔流が宿る。
右を放ち、左を放つ。その一つひとつは、常人であれば
一瞬にして命を奪われる魔の絶技である。

「一人の人間だと……!?
 カスめ! やっぱり何も理解しちゃいない!
 ヨゼフは……ヨゼフは僕達の柱だった!
 ヨゼフは僕達を導いてくれた!
 余所者だった僕達に、人生を与えてくれたッ!
 ヨゼフは、僕達にとっては、ただの一人の人間なんかじゃ
 なかったッ!
 だからッ!! 僕達は……僕はッ!」

全身から、今までにない程に激しい、超常の紫電が迸る。
そうして、そのまま自分の身すら焼く程の出力で、
眼前の山本に向けて殺意の雷を放つ。
その眼から、血を流しながら。

「理解できるもんかあああッ!!!!」

――僕は、お前の言うことを。
――お前に、僕を。
――お前に、ヨゼフを。

――理解なんて、できるもんか。

レイチェル >  
「……なんつー魔力だ。てめぇ自身も焼き始めやがって、馬鹿野郎が」

レイチェルは、次元外套《ディメンジョンクローク》から一丁の
ライフルを取り出す。それは、もしもの時の切り札。

取り出したのは、月光を反射せず漆黒の闇を湛える一発の弾丸。


「山本、今度はオレから我儘言うぜ――」

レイチェルは、インカムの先の山本に語りかける。


「――10秒だ。オレにくれ」

その手に握られているのは、虚弾《ホローポイント》。

異能や魔術によって生み出された超自然的エネルギーを食い荒らし、
速やかに霧散せしめる奇跡の弾丸。
落第街で出回りだした代物だったが、現在は風紀内でも開発され、
少数だが出回っている。

山本 英治 >  
レイチェルの言葉にインカムを一度切って繋ぎ直した。
相手の言葉へのイエスの合図。

レイチェル・ラムレイは。
10秒あれば戦場で必ず戦果を上げる。
今回もまた、その例に漏れることはないだろう。


「そうだ、お前には復讐する権利がある」
「ただし……その相手は俺にだ」

「世界じゃねぇ!!」

オーバータイラント・セカンドヘヴンを発動。
傷を強引に塞ぎながら足元を強く蹴って移動する。
足場が崩れるのがなんともやりづらい。

そうか、ヨゼフは。
彼らに生きる道を示していたのか。
俺は……罪人だ。

それでも、殺されてやるわけにはいかない。

大切な人たちを守るために。
止まってはいられない。
まして、墓の下なんかに滞在はできない。

「ああ、そうだ!!」
「俺はお前のことを理解なんかできねーかも知れねぇ!!」

「それでも分かり合うことを放棄したら!!」
「ヨゼフを殺した時と同じだ!!」

超放出される紫電をオーバーに走り回って回避する。
それでも、余波で腕の毛細血管が弾けて血が流れる。
どこまで持つ! どこまで持たせられる!?

「俺はお前を殺さねぇ!!」

親指を三度、弾く。
空気の塊が指弾となってセヴランの足首を狙う。

末端部位への射撃は、例え拳銃であっても難しい。
こんな雑な攻撃で相手の足を正確に射抜けたら世話はない。

だが……アンタの足元はどうかな?

セヴラン >  
「世界だ……ッ!」

セヴランは、山本の言葉に否定の言葉を重ねる。
眼から赤い涙を零しながら、掌を自らの雷で焼きながら。

「お前を……殺して……次は、世界を……!
 僕達を……居ないものとして、扱ってきた……世界に!!
 痛みを刻んで……思い出して……思い出させて、やるんだ!
 僕達の、存在を……ッ!
 それには……力が、必要なんだッ……!
 誰にも負けちゃ、いけないんだッ……!
 だから――」

ローブも端から千切れていく。
力の波動が、空気を地面を巻き込んで、ごちゃ混ぜにしていく。

力は叩きつけている。
ありったけの力を、叩きつけている。
これまで溜め込んできた全てを、こいつを殺す為に。
なのに。


――なのに。

――何で、こいつは倒れないんだ。


「殺さない……だと……?
 余裕を……見せているつもりかッ!
 山本 英治ッ!」

――倒れろ。

次の一撃を充填《チャージ》すべく、腕を振る。
空気が、概念が、歪んで紫の滲みとなる。
放つ、一撃。

――倒れろよ!

セヴランの口元から血が噴き出す。
鮮やかな赤が、地に滴った。
更に放つ、一撃。

――倒れろよッ!!!

そうだ、たとえ自分が死んでも、ヨゼフを殺したこいつだけは。
あらん限りの一撃を、充填《チャージ》して……

そこで。

足元を狙った一撃。

「馬鹿がッ! そんな攻撃が僕に当たるとでも……」

簡単に、躱す。
足を狙って動けなくさせようという魂胆が丸見えだ。
この一撃を放って――

――足元が、崩れる。

「……な、にっ……!?」

がばりと空いた地獄の底に、
セヴランは飲み込まれかけて。

その地の端を、掴んだ。
上半身だけ、何とか縋り付いている形となった。

しかし未だ、その身に紫電は迸っている。

レイチェル >  
――安心しろ。
 
虚弾《ホローポイント》を、装填する。
再び狙撃の姿勢をとって、レイチェルは狙い撃つべき対象を
その瞳が捉える。

――必ず、止める。

引き金に指をかける。
足元が崩れて這い上がってきた対象に向けて。
風を読み、弾道を計算。
この風ならば、ズレは左に7cm。
虚弾の効果範囲を計算し、着弾させるべき点を割り出す。

射線上の奇跡を殺すこの弾丸で以て、
あいつの道《みらい》を作る。

――この連鎖は、オレ達が。


「零すな! 手を伸ばせ! 山本英治ッ!」

インカム越しに、告げる。
今度は、ぶちかますのじゃない。

暴力を振るうんじゃない。
たとえ甘えた考えだとしても。
それで傷つくことになったとしても。

――オレ達が、この場で成すべきことを。


引き金を絞り、精確に放つ。
レイチェル・ラムレイは過たずに撃つ。
道を、誤らぬように。

――こいつが、オレ達がこの場で出せる最大の……『正解』への道だ!

奇跡の弾丸《ホローポイント》は、過たず山本とセヴランとの間に道を作る。
その道は、超自然の暴力では侵せない。

ほんの、一瞬ではあるが。それでも、この男ならば。

山本 英治 >  
「俺を殺して、世界を壊して、次はなんだ?」
「───終わりがないだろうがッ!!」

紫電が奔り、指の筋肉が強張って骨が折れる。
強引に接合して前に出る。

「まずはその手を開け、自分の力で自分を壊す気か!?」

紫の力の奔流を受けて、全身から血が吹き出る。
また一歩、前に出る。

「アンタが死んだら誰がヨゼフのミームを受け継ぐ!!」
「誰が次代にヨゼフの名を語り継ぐ!!」

さらなる攻撃。足の指の感覚がない。
それでも──────前に出る。

「セヴラン……お前が死んだら、今度こそヨゼフ・アンスバッハは終わるんだぞ」

撃った指弾は想像以上に足場を崩してしまった。
落ちたら助からない。

これだから暴力ってやつは度し難い!!

自分が振るっておいて、なんだがなぁ!!
目の前をレイチェル先輩が『道』を作る。
その道を蹴りながら彼の前に跳ぶ。
大丈夫。間に合う。

山本 英治 >  
 
今度こそ取りこぼさないぜ!!
 
 

山本 英治 >  
オーバータイラントを切って紫電を纏う彼の手を掴む。
破壊の残滓が俺の腕を切断せんばかりに荒れ狂う。

「うおおおおおおおおおおおぉぉぉ!!」

異能を切っていると、痛ぇな!!
強引に相手の手を引っ張る。

セヴラン >  
「ヨゼフ・アンスバッハが――」

セヴランは、目を見開く。
目を見開いて、山本を見やる。

「――終わる……?」

僕が死んだら、本当に。

ヨゼフが、世界から居なくなってしまう。

確かに、悪人だったのかもしれない。それでも。

妹思いで、弟分の自分も可愛がってくれて。

ぶっきらぼうな優しさを見せてくれる彼が。

そして、多くの『余所者』に希望を与えてくれた彼が。

――本当に、この世から居なくなってしまう?

崩れる。

自分の中で、何かが。

ダメだ。そうじゃない。

そうじゃないそうじゃないそうじゃない!
迷うな、迷うな、迷うな! 迷わされるな!
迷いが生じる前に、いっそこの身を……!


「だとしたって! お前なんかに……助けられるか!
 僕が! お前なんかに! 助けられて、たまるかッ!
 思い上がるなあああッ!!!!」

そのまま、地獄の底へ落ちようと手を離し――


「あ……」

――そして。その手は、確かに掴まれた。

ボロボロの、その腕に。
ぐしゃぐしゃの、その腕が。


「どうして……どうして、掴むんだよ……!
 ヨゼフは、殺したのに……何で、僕のことは……
 助けようとするんだ……! 山本英治……ッ!
 僕の方が死ぬべきだった……ヨゼフは死ぬべきじゃ
 なかったんだ……! なのに、なのに……!」

赤の涙ではない。心から流れ出る涙が、セヴランの瞳から
零れ落ちる。

レイチェル >  
「……間に合うさ」

ライフルを肩に担いで、レイチェルは笑う。
それが、先輩の義務だ。
後輩が手を伸ばすのなら、それを後押しする。
それが、先輩の――そしてレイチェル・ラムレイの在り方だ。

「間に合わせるさ――」

そうして、腕を掴まれたまま光を失っていくセヴランと、
山本を見守るのだった。
心の底から満足そうな笑みを浮かべながら。


「――それが先輩ってもんだからな」

山本 英治 >  
「先輩、本当に10秒ジャストじゃないですか…」
「ここは気を使って7、8秒で終わらせてくれてもよかったんですよー」

軽口を叩きながら、伸ばした手から落ちる紅がセヴランの顔を汚した。
相手の言葉に、穴に落ちそうな彼を引っ張り上げながら。

「さぁな……アンタは俺になんか言われたら納得するのか?」
「殺そうとした相手に? 憎い仇に? 答えをもらって満足できるのか?」

息を吐いて。
今度は入院コースは避けて素直に魔術的処置を受けて回復しよう。
そう考えながら血まみれの手で頬を掻く。

「考えるんだよ、どうして俺がアンタを助けたのか」
「どうしてヨゼフはアンタに優しくしていたのか」
「どうして自分は生きているのか」

「何度迷っても、必ず自分で答えを出せよ」

今度こそ、掴んだ。
けどそれは、痛みを伴った。

「先輩、人を呼んでくれませんか」
「俺はようやく捕まえたんだ……殺さずにね」

「なんて、格好つけすぎですかね」

煙草が吸いたいな、と血塗れで溜息をついて。

セヴラン >  
「どうして、たすけたのか……。
 どうして、ヨゼフはやさしくしてくれたのか……。
 どうして、ぼくはいきているのか……」

考えろ、とその男が言った。
――癪に障る、憎い男だ。殺してやりたい。

それでも、セヴランの理性が今この瞬間、それを拒んだのだった。

その腕のぬくもりを感じながら、殺すのは
もう少しだけ、考えてやってもいいと思えた。

「……ぼくは、どうしたらいいんだ」

ぽつり、と呟いた。
殺そうとした筈の仇敵に命を助けられて。
拠り所を失って。
居場所は既にない。

――どうしたら、いいっていうんだ。

レイチェル >  
「うるせーうるせー。
 宣言通り、ぴったり10秒だったんだからそれで良いじゃねーか」

明るく笑いながら、レイチェルはそう告げる。
インカム越しだとしても、自分の持つ温かさを彼に届けたくて。

「安心しな、もう呼んでるぜ。
 山本……いや、英治。ほんとお疲れさんだ……よくやってくれた。
 ほんとお前は、頼れる後輩だぜ」

彼の名前を呼んだ。親しみを込めて。

事態が収拾した後、すぐに人を呼ぶ。
その辺りの動きに抜かりはない。
山本が彼の腕を掴んですぐに、
レイチェルは風紀へ連絡をとっていた。

「……道は選んだ。一歩を踏み出した。
 でも……まだまだこれから、だぜ」

この道を本当の意味で正解にするには、まだ遠い。
時間もかかることだろう。

それでも、二人で――いや、三人で、道を切り拓いたのだ。

山本 英治 >  
「風紀に捕まることでアンタの選択肢は狭まるだろう」
「それでも、考えることだけはできるはずだ」

「考えることを止める時は死ぬ時ってくらいに思えよな……」

いつだって悩んで。答えを出せよ。
自分にもそう、言い聞かせた。

座り込んでインカムをコツコツと叩いて笑う。

「ジャスト10秒、そんで仕事も正確とは恐れ入る」

ニヒヒと笑ってポケットに手を突っ込み。
煙草がないことを確認してパ、と手を開いた。

「ああ…疲れたよ、先輩………」
「先輩のサポートがなけりゃ2、3回死んでたな」

はぁ、と深く息を吐いて。

ふと、空を見ると。
薄く白んで来ていて。

「ああ、これからだ……」

クソッタレの青空が。今日という日が始まる前に。
口の端を持ち上げて笑った。

セヴラン >  
「考えることは、できる……」

はっ、と。
セヴランのその瞳に、少しだけ輝きが戻る。

「……ちっ、偉そうに言いやがって。
 僕はお前がきらいだ……きらいだ……けど」

視線を逸して、忌々しそうに奥歯を噛みしめるセヴラン。

「……今回は、助けられた」

ありがとうとは言わない。
相手は、今でも仇敵だ。
だからただ、事実を言うだけ。
それが精一杯。
ただ、何も言わずに終わりでは、とても自分を許せなかっただけだ。

「……考えて、みる」

そうして、セヴランはただそれだけを口にした。

彼の時は、輝く暁の中で確かに動き出したのだ――。

レイチェル >  
「死なれちゃ困るっつーの。大事な後輩なんだから。
 お前が死んだらオレ、泣いちゃうぜ?」

なんて。軽口には軽口を返しながら。
ライフルを次元外套《ディメンジョンクローク》へとしまい、
後頭部に両腕を回すとビルの階段を降りていく。


「……飯。あと煙草。奢ってやるよ、英治」

帰ろう。


空を見上げる。
いつもと変わらず陽は昇る。
その下で何が起きていたって、お構いなし。
そんなクソッタレで、愛おしい青空が
今日も迎えてくれる。

そんな当たり前のことが、それでも何だか愛おしくて。
レイチェルは、口の端を緩めたのだった。
満面の、年相応の少女の顔で。


こうして。
今日も――オレたちの日常が青に染まりながら、始まっていく。

ご案内:「落第街 廃ビル群 僻地」から山本 英治さんが去りました。
ご案内:「落第街 廃ビル群 僻地」からレイチェルさんが去りました。
ご案内:「Free5」に『拷問の霧姫』さんが現れました。
ご案内:「Free5」から『拷問の霧姫』さんが去りました。
ご案内:「情報屋ワトソンのオフィス」に『拷問の霧姫』さんが現れました。
『拷問の霧姫』 >  
そこは、陽の光の射し込まないオフィスだった。

灰皿と、くしゃっと潰された缶ビールが無造作に放られたその事務机。
それを間に挟んで、中年の男と黒の少女が互いに向き合っている。
男は今日も葉巻を吸っていた。彼の指の間に挟まれたそれが、今日は軽やかな煙を燻らせている。
仮面の奥、微動だにしない表情でそれを見つめる少女に対し、男――ワトソンは声を投げかけた。

「全く、肝を冷やしたぜ。で……偽造悪魔《ディアブロ・ファルサ》は――」

男は微笑みながら、葉巻を手にした指を目の前の少女に近づけた。
少女の表情は変わることはない。
それでも男は、分かっている、とでも言いたげな表情でそう口にするのだ。

「――一体、どうなったんだ?」

ワトソンは、ゆっくりと身体の重みを後ろへと回す。
古びた木製の椅子が僅かに軋む音がこじんまりとしたその部屋に響いた。

「今回は、不完全な状態での運用が確認されたのみでした。
 恐らく、捧げた血肉と魂が足りていないのでしょうね」

落第街に走らせている魔術監視網は、僻地での戦いを全て捉えていた。
地を喰らいながら進むあれは確かに化け物だが――十全ではない。
 

『拷問の霧姫』 >  
「それでもとんでもない化け物であることには、変わりありません。
 ……姿形と性質は、確かにグロトネリアのそれでした。
 製法が掘り起こされてしまった以上は、『本物』が落第街に出現する可能性も十分にあります。
 注視しておかねばなりません」

縫影獣《シャドウビースト》。
その存在をよく知る一部の人間は、暴食の魔《ディアブロ・グロトネリア》とも呼ぶ。
異界の怪物にして、数ある悪魔の一種である。
十全の状態で現れれば――地獄が生まれることは、想像に難くない。

「……ま、情報が入ったらすぐに連絡するさ。
 しかしまぁ、セヴラン・トゥシャールも生きてたって話だが、今後どうなるのかねぇ。
 あんた、確か前に――」

ワトソンは頭を掻きながら、ため息をついた。
そうしてそれだけ口にすると、缶ビールに手を伸ばすのだった。

そうして。

こくりと頷いて背を向けて歩きだす少女に、ワトソンは悪戯っぽい笑みを向ける。
いつもと、ほんの少しだけ違うその後姿に。

「――あんたにしちゃ、随分と機嫌が良いみたいじゃねぇか、ええ?」

少女は少しだけ足を止めて、ワトソンへと振り向いた。

「……気の所為ですよ」

紫色の冷たい瞳が、どこか穏やかに細められたのだった。


――ああ、それでも、一つだけ。

――期待に応えてくれて、何よりでした。

――山本英治。

ご案内:「情報屋ワトソンのオフィス」から『拷問の霧姫』さんが去りました。