2020/10/06 のログ
ご案内:「レイチェルの部屋 浴室」にレイチェルさんが現れました。
レイチェル >  
隅々まで清掃の行き届いた白の浴室。

ゆったりと足を伸ばして尚、少しばかりの余裕がある浴槽の縁に組んだ両腕を、
そしてその上に細い顎を乗せているその少女は、伏し目がちに浴室の床を見つめていた。

立ち込める湯気の中で、後ろに結って纏めた金の髪と、
透き通った白の肌が照明を受けてきらきらと輝いている。

レイチェル >  
「はー……」

湯に浸かる度、身体に溜め込んでいた疲れという疲れが、
汗と共にじわりと滲み出てくる感覚をレイチェルは覚える。
胸いっぱいに吸い込んだ空気を、腹部から押し上げるようにして出した声と共に吐き出す。

普段であれば、凛と研ぎ澄まされているその声も、浴室においては別。
どこか甘ったるい声が出てしまうというものだ。
入浴の時間こそが、一日の中で最もリラックスできる時間であると同時に、
己の一糸纏わぬ心と向き合える時間だと考えている。己と向き合う時間は、必要だ。
今ならそう考えることができるだけの時間的な余裕があった。

最近はキッドをはじめ、凛霞や理央、英治やレオ――レイチェルから見れば
『後輩』の肩書を持つ彼らと言葉を交わし、向き合ってきた。
彼らのことをしっかりと見ることができている、と断言するには
まだまだ十分ではないと感じているが、それでも彼らをただの『後輩』として見るのではなく、
一人ひとりの思いや考えと向き合うことが少しずつでき始めているのではないかと、
レイチェルはそのように感じていた。

机に齧りついて書類に目を通すだけではわからないものが次々と見えてくる。
思えば、個人の領域へ踏み込むことを躊躇するようになって、
どれだけの月日が経っていたことだろうか。

それこそが『らしくねぇ』ことだと気付くのに、
随分と時間を要してしまったようにレイチェルは思う。

西園寺 偲の奥側に気付いてから、『美術屋』と対話を重ねてから、
『レイチェル・ラムレイ』が悩み、向き合おうとしていたこと。

そして当然のように行っていたことが、
社会――組織の中で少し立ち位置が変わるだけで、崩れ去ってしまった。

それでもと、崩れた部品を積み上げた今は、時計の針が動き出している。

組織の中で、歯車のように――或いは、砂一粒のように在るのではなく。
『レイチェル・ラムレイ』としての時を、確かに刻み始めている。
そう、感じていた。

レイチェル >  
そして今、何よりも――漸くではあるが――向き合い始めることが
できたと感じているのは、やはり月夜見 真琴だ。

長いこと、知らなかった。
気付かぬままに、彼女のことを沢山傷つけていたのだと。
その事実が未だに、
レイチェルの胸中に翳りを残していることは否定できなかった。
それでも、彼女の想いを受け容れるとレイチェルは決めたのだ。

見なければ、知らなければ、苦しむこともなかったのだろう。
のうのうと、彼女と話をすることができていたのかもしれない。

しかしそうなっていれば代わりにレイチェルの見えないところで、
真琴がいつまでも傷ついてしまっていた筈だ。
たった、独りで。
それは、レイチェルの許せるところではなかった。
たとえ一度手を振り払われた相手だろうが、
それでも大切な相手で、救いたいと思う心には、
一点の曇りすらも存在しなかった。
だから、彼女の想いも一緒に背負うと決めたのだ。

自分が今、最も大切なのは誰であるかを彼女に示した上で。
大切なところは改めて伝えた上で。
彼女の想いを受け止めると、そう決めたのだ。
それは、しなくてはならないからしたことではない。
したかったから、したことだ。

『……ひとりに、しないで……』

彼女が囁いた数多くの言葉の一つ。
想いを乗せたその言霊が、
今改めてレイチェルの心の内に響いて染み込む。
ずっとずっと、彼女が溜め込んでいた気持ち。
その全てとは言わないまでも、大事なところを、
レイチェルは受け止めた。

受け止めてから初めて、向き合うことができる。
受け止めなければ、何も始まらない。
相手を見据えることができない。
見据えることができて、初めて受け容れることができる。
本当の意味で、心と心を交えて繋がることもできる。

そこから全てが始まり、何もかもが動き始める。

レイチェル >  
『園刃華霧を殺して』

再び。
今度は、はっきりとした口調で。
真琴がレイチェルに向けて放った言葉が、脳裏に響き渡った。
それは浴室にも響き渡っているかのような錯覚を覚えるほどに
強烈に、そして鮮烈に思い出された言葉であった。
胸が熱くなるのと同時に、
どうしようもなく心の内側が掻き乱されるのをレイチェルは感じていた。
それはあの日にアトリエで真琴に会ってからというもの、
何度も心に浮かんできた言葉だ。


脳裏に浮かぶのは、レイチェルが見てきた園刃華霧の姿。
沢山の、華霧の姿。そのどれもが今思えば愛おしくて。
しかし、何処までも――。


浮かぶ。

『まあ、適当に適当に……本気で泳ぐとか大変だシ……
 のんびりと浮かびながら、がいいかナ……』
海で、貴子も交えて一緒にのんびりとお喋りをした園刃華霧の姿が。

――ああ。楽しかった、な。でも、そんな昔が楽しかったからこそ。

浮かぶ。

『貴子チャンがくっソ真面目しテさ。生活をシメてサ。
 レイチェルちゃんが無茶ニ突っ込んデって、アホをシメて……
 んデ、アタシは"ドブさらい"、ト。
 意外と分担でキてたヨねー』
砂浜で、へらりと薄ら笑いを浮かべた園刃華霧の姿が。

――正直、突き刺さった言葉だった。
  それでも、本当に胸を抉られてたのは、お前だったんだよな。

浮かぶ。

『そーソー、天国天国。
 飯が食えテ、寝られレば十分でショ』
独房で、お互いの過去を話したあの時の、華霧の姿が。

――全力で欲張った奴が、口にする言葉じゃねぇって、
  気付くべきだったんだ。

浮かぶ。

『……悪ぃ。ちょっと頭冷やした。』
水族館で、頭をテーブルに打ち付けた華霧の姿が。

――知りたい。隠し事はしないで欲しい。
そんなオレの自分勝手な想いが、
どうしようもないほどに傷つけちまってたんだよな。

浮かぶ。

『……気が、つかなかった、て……
 ほんと……ばか、チェルぅ……
 馬鹿は、アタシの……役割、だろぉ……』
病室で、胸ぐらに掴みかかる勢いで迫ってきた華霧の姿が。

――馬鹿は、お前『だけ』の役割なんかじゃねぇ。

浮かぶ。

『ァ―……ン。
 アタシも、まあ楽しかったよ』
カラオケで、一緒に声を重ねた華霧の姿が。

――綺麗な歌だった。それでも、その歌い方は。

浮かぶ。

『そーダな。"みんな"で"なかよく"守っていこう。
 お互い、無理シすぎないよう二。ずっと、ナ』
慣れない遊園地で、一緒に日常の思い出を作ってくれた華霧の姿が。

――無理してんのは、お前だったんじゃねぇか。

そこまで思い返せば
湯を手で掬って、自らの顔にばしゃりとかけた。
睫毛と、額にかかった金の髪に瑞々しい輝きが宿った。

レイチェル >  
そうして響く。もう一度。

『園刃華霧を殺して』


――分かってる。

真琴の声が響く。

――ああ、分かってるよ。

湯の中に沈めた手を、自らの胸の前で握りしめる。

――オレは、何よりも助けたいと思っていた『園刃 華霧』を……。

手が、真っ白になる程に。

――そんなことは辛いし、嫌に決まってる。

奥歯を噛みしめる。

――けど、そうしなくちゃ、きっと向き合えない。

湯気の向こうに見える、白い壁を見据える。

――だから。

そのまま、すぅ、と息を吸って天井を見上げる。

――オレの中の『嘘』のお前を否定して。ぶっ壊して。

その瞳は、冷たく輝いて。

――本当のお前を、きっと見つけたい。

それでも、口元は優しく微笑んで。

――その時こそ、向き合える時だろうから。そしたら。

大きく、息を吐いた。迷いを振り払うように。
ずっと迷ってるのなんて、『らしくねぇ』から。

――きっとお前がずっと伸ばしてた手に、今度こそ手を伸ばせる時なんだ。
  

レイチェル >  
自分の手は、届いていなかった。届ききっていなかった。
積み重ねてきた時間は確かなもので、偽りのないものだ。
少しばかり心を交えることができたことも、きっとあった。

それでも。

きっと、これからだ。
不器用で、馬鹿で、どうしようもない呪縛を背負った
『レイチェル・ラムレイ』が。

それでも。

園刃 華霧の向こう側へ手を伸ばす為に。
そうしたいと願ったが為に。

今の彼女がそれを望んでいるかは、わからない。
だからと言って躊躇してまた足を踏み出さなかったら、
それこそ本物の馬鹿だ。

『彼女』が苦しんでいるとしたら。
『彼女』が痛みを覚えているとしたら。
そんなの、『オレ』が放っておける訳がない。
そう、レイチェルは胸に決意を新たに刻み込んだ。

そうしてそこまで想いを新たにしたところで、
レイチェルははたと気付く。


――そうか、やっと分かってきたじゃねぇか。

『そこを分けるのは、結局どう在りたいかだろ』
病室を訪れた、紅蓮先生の言葉が。

繋がる。

『トロリー問題』、あるいは『トロッコ問題』。
覚えているかな。
フィリッパ・フットの思考実験。
おまえのうまれた世界でも、似たような命題があったという、あれだ――』

それは、メール文に記された真琴の言葉。

『――転じてあれは、

「なぜ、そう在らなければならないのか」

という命題だったはずだ』
真琴が送ってくれた言葉が。

「オレは、どう在りたいか。なぜ、そう在らなければいけないのか」

そこが『彼女』に向き合おうとしている
今のレイチェルにとって、一番大切な所に相違なかった。



「オレは――」
 
 
 
 

ご案内:「レイチェルの部屋 浴室」からレイチェルさんが去りました。