2021/02/28 のログ
ご案内:「エアースイム常世島大会会場」に杉本久遠さんが現れました。
杉本久遠 >  
 スカイファイト。
 それはエアースイムを代表する競技種目であり、まさに空の総合格闘技と言える種目である。
 
 この日、久遠もスカイファイトの試合に出るため、海上にいた。
 四角いフィールドの外、空で待機するのは10人の選手。
 珍しく、参加枠一杯の試合だった。

(しかし、やけに初心者が多いな)

 ざっと見渡すと、待機中の10人の内、四人が浮いているのもやっとな様子の初心者だ。
 残りは久遠を除いた四人がそれなりの経験者で、あと一人は先日挨拶を受けた斎藤選手だ。
 実力差の明らかな試合組みである。 
 

杉本久遠 >  
(予め日程が合わない事は聞いていたが、これは次回以降の改善点だな)

 運営側でもある久遠としては、大きな課題の一つである。
 公平な試合を組めないのでは、参加選手に申し訳がない。
 簡単な改善策としては、フィールドをもう一つ増設する事ではあるのだが。

(そんな資金はないからな。
 なかなか難しい課題だ)

 などと考えている内に、カウントダウンが始まった。
 

杉本久遠 >  
 頭を振って思考を切り替える。
 今は運営委員会のスタッフではなく、一人の選手なのだ。
 試合を組まれてしまった初心者達には悪いが、真剣勝負の世界である。
 勝つために必要なら、容赦する事はできない。

(不運だったと思ってもらうしかないが──それでやめてしまわなければいいが)

 そんな懸念を抱きつつも、久遠にできるのは本気で泳ぐ事だけである。
 試合開始を告げるブザーと共に、久遠の体はフィールドの中に転送された。
 

杉本久遠 >  
 開始位置は、高くもなく、低くもない。
 かと言って他の選手に近過ぎない事もあって、好スタートと言えるだろう。

 スタートから、久遠は真っ先に高度を上げるため上昇した。
 スピーダースタイルのセオリーに乗っ取って、高高度を保持しての逃げ切り戦術だ。
 重力もあって垂直上昇は加速に時間がかかるため、フィールドの外周に沿うように角度をつけての上昇だ。

(他の選手たちは――やはり上昇か。
 セオリーに乗っ取りつつ、様子見と言った所だな)

 今回のスタート位置はあまり選手同士が固まっていない。
 そのために、最初から格闘戦を狙うには適さない状況なのだ。
 状況としては、ややスピーダー有利、ファイター不利のスタートだろう。
 

杉本久遠 >  
 しかし、ファイターやオールラウンダーがその状況に甘んじるわけではない。
 ましてや、初心者であっても、大人しくしている理由はないのだ。

 久遠の進路上に二つの人影が現れる。
 久遠より高い位置でスタートした、初心者と思われる選手の二人だ。
 久遠がスピードに乗り切る前に足を止めようという、対スピーダー相手の基本だった。

(しかし、二人同時か。
 偶然目的が重なったか、一人では厳しいと考えて即興の連携か。
 おそらくは前者だろうな。
 初心者にファイト中の協調は難しすぎる)
 
 進路に入った二人の動きは、初心者らしく制御の数値を高め、初速を重視したファイタースタイル。
 この場合、スピーダーの取る選択は主に二つある。
 進路を変えて接触を避けるか、タッチを躱してギリギリをパスしていくか。
 
 前者は安定した選択なものの、減速を強いられた上に高度を取るために迂回が必要になる。
 後者は止められるリスクが高いが、上手くパス出来ればそのままスピードで振り切る事も可能になる。
 どちらも一長一短の選択ではあるが、二対一の状況下であれば前者を選ぶのがベターだろう。
 

杉本久遠 >  
 しかし、久遠は前者を選ばない。
 速度を緩める事もせず、姿勢をしっかりと固め、一直線に突撃していく。
 後輩であるリタ・ラルケも使った、久遠の得意技、スーサイドダイブの姿勢だった。

 相手を侮っているわけではないが、客観的に見ても実力差は明確である。
 その上、制御に重きを置いた設定なら保護膜の強度は低くなっている。
 正面からぶつかったとしても、久遠の側にリスクが少ないと判断したのだ。

 もちろん、これが相応の経験があるファイター相手であれば、躱されてからすれ違いざまに背中を取られる可能性もある。
 しかし、相手は哀しいかな、初心者なのだ。

 正面に回り込んでいた二人が、まっすぐに突っ込んでくる久遠に表情を硬くした。
 動揺したか、とっさに回避することも出来ず、両手を使って身を護るような姿勢になるが――。
 この技は、その防御の上からヒットを取るための技だ。

 二人の選手が久遠と接触し、一人はフィールドから姿を消し、一人は錐もみしながら吹き飛んでいく。
 一人目に接触したことで若干減速したために、二人目はヒットを免れたのだろう。
 そして久遠はそのまま突き抜け、他の選手に先駆けて十分な高度を獲得する。
 

杉本久遠 >  
 海面を遥か下に見下ろした状態で、久遠はフィールド上で円を描くように泳ぐ。
 速度を維持したまま、下方の選手に圧力をかけるスピーダーの常とう手段である。
 こうする事で、自身より高度が高く速度の載ったスピーダーに、他の選手は手だしが難しくなり、逃げ切りがしやすくなるのだ。

 しかし、それでも放置せずに突っ込んでくる選手はもちろん存在する。
 熟練のファイターやオールラウンダーが逃げ切りを潰すためにか、経験の浅い選手が機を誤って無謀な攻撃をしてしまうか。
 どちらもよくある光景であるが、アマチュア大会では後者の状況が圧倒的に多い。

(仕掛けるタイミングが悪いな。
 初心者なら仕方ない事ではあるが――しかし、また二人同時とは)

 再び進路上に現れるのは、先ほどとは別の二人。
 どちらも最初の二人と同じような設定の初心者だ。
 偶然にしては珍しいと思いながらも、久遠は再び姿勢を固めてのスーサイドダイブ。

 ほぼ先ほどと同じような展開で、高速で突っ込んでくる久遠を怖がるように身を固めた二人は、どちらもフィールドから姿を消した。
 最高速に近いスピーダーの突撃である。
 正面からぶつかってしまえば、この結果は当然のものだった。
 

杉本久遠 >  
 しかし、成果が何もないかと言えば、そうでもない。
 久遠は多少なり相手が避けようとすることを想定していたが、初心者である二人は身を固めて動けなくなっていた。
 それが幸い――災いして、正面衝突の連続。
 久遠は円の軌道を大きく崩され、速度も削られてしまう。

 そして、まるでそれを待っていたと言わんばかりに、一人の選手がアタックを仕掛けてくる。
 下方から迫ってきたのは、やはりファイターよりの設定だろう経験者の選手。
 制御の数値に偏らせずとも安定して泳げるだけの経験は持っているようだった。

(まずいな、このタイミングでは抑えられないか――?
 なんだ?
 上を取る気がないのか?)

 その選手は久遠の背後――つまり久遠を躱してより高い位置を取るのではなく、正面に回り込むように動いた。
 そして、その腕を久遠に叩きつけ、久遠はそれを防御するものの、また軌道を逸らされてしまう。
 そうして速度を落とした先には、さらに別の選手の姿。
 

杉本久遠 >  
 待ち構えていたとばかりに、真正面に回り込んできた選手からのアタックを受ける。
 今度はさすがに一方的に弾き返す事は出来ず、久遠の身体もわずかに押し返される形になってしまう。
 持ち前の体幹で体勢は崩さずに抑えたが、それでも足は止まりかけてしまう。
 追撃を受ける前に逃げようとしたところで、久遠は気づいた。

(――下方に一人、同じ高度に二人。
 上にもいつの間にか一人、か)

 まるで、包囲するように久遠の周囲を泳ぐ四人の選手。
 上と下の二人は直立で泳ぎつつ滞空していて、同高度の二人は久遠の周りを円を描いて泳ぎ始めた。
 エアースイムではめったに見る事がない、完全な包囲状態だった。
 

杉本久遠 >  
「――なるほど、初心者を囮と使い捨てにして、残りの経験者で囲う。
 全て仕込まれた上での行動だったか。
 最初から、公平な試合など、するつもりがなかったんだな――斎藤選手」

 久遠を囲う選手たちの向こう、久遠よりも高い高度で悠々と見下ろしている選手の姿を睨んだ。
 それは先日会ったばかりの斎藤の姿であり、その顔はにやにやと笑っている。
 久遠はつい今まで気づかなかったが、久遠を囲む選手たちは、先日、斎藤が連れていた四人だった。
 

杉本久遠 >  
『人聞きが悪い事言うなよ、杉本くん。
 僕は別になにもしていないだろう?』

「貴方自身は、な。
 恣意的なチームプレイは、明確なルール違反だぞ」

『杉本くんさぁ、それを誰がどうやって判断するのさ。
 彼らは、この中で一番厄介そうな杉本選手を、協調して倒そうとしてるだけじゃないか。
 秋の大会でも、決勝で幾つも協調が見られたじゃないか、それと同じだよ』

「――同じだと?
 あの試合と、これを一緒にするのはやめてもらいたいな。
 だが、確かにこれで試合中止は決定できん、か」

 久遠の表情が苦々しく歪み、斎藤はそれをみて哂っている。
 エアースイムにおいて、試合中止は非常に重い決定だ。
 エアースイムは非常にスタミナを使う競技スポーツだ。

 それを中止するという事は、多くの場合、その試合がそのまま無効試合となる事を意味している。
 延期など再試合が組まれる事も稀にあるが、スケジュールに余裕がない大会ではまず延期はあり得ず、当日中の再試合は、選手の疲労度合いで公平さが欠けてしまうために滅多に行われない。
 そのため、おいそれと決定する事は出来ないのだ。
 

杉本久遠 >  
 おそらく今頃、審判スタッフ内では審議が行われているだろう。
 しかし、単なる協調だと言い張れない事もない以上――試合中止を決定するのは難しい。

『そういう事だからさ、大人しく受け入れなよ。
 よかったじゃないか、協調しなくちゃいけないくらい、君が優秀な選手だって事なんだからさぁ。
 ああ、もちろん僕は公平に試合がしたいからね、協調には参加しないよ?
 けど、助けるのも不公平だから、見ているしかできないのが口惜しいよ』

 そう言う斎藤の表情は、言葉と異なり喜色満面と言った様子だ。
 単なる協調であるなら、この圧倒的に有利な状況でさっさと久遠を落とせばいいものを。
 ただ囲んで動きを封じるにとどめているのは――誰でもわかるだろう、久遠を甚振ってから退場させるためだ。

「見損なったぞ、斎藤選手。
 ここまで卑怯で恥知らずなヒトだったとはな」

『酷い事を言うなあ。
 卑怯というなら、君だって夏に僕の事を卑怯な手で攻撃してきたじゃないか。
 僕は君のせいで、あの試合に負けたんだ』

 斎藤の言葉は単なる言いがかりに過ぎない。
 久遠はエアースイムにおいて、卑怯と呼ばれるような手段はとっていない。
 それは試合を見ていた多くの人間がそう評価する事だろう。
 しかし、彼にとってはそうではなかったのだ。
 

杉本久遠 >  
『まあいいよ、これから君には時間いっぱい彼らと遊んでもらうわけだしね。
 ――それじゃ、そろそろやられちゃいなよ』

 斎藤の言葉を合図にしたように、久遠の周りを泳いでいた選手が、円を狭め始める。
 じわじわと距離を詰めながら、圧倒的に有利な状況でどう甚振ろうかと考えているのだろう。
 詰めてくる二人の表情は、にやにやとわらっていた。

(――遊び、か)

 斎藤にとって、エアースイムという場は遊びの場だった。
 自分が気分よく楽しむための、遊びの場。
 それが久遠によって壊された事を、斎藤は許せなかったのだ。

 久遠は一人、強く拳を握りしめる。
 エアースイムを遊びという斎藤を否定する事は出来ない。
 実際に、趣味、遊びの範疇で楽しんでいるヒトは大勢いるのだ。
 特にこういったアマチュア大会では、そちら側の参加者の方が大多数だろう。

 それはいい。
 そこは、いいのだ。
 しかし、この斎藤の報復行為は間違っている。
 

杉本久遠 >  
 久遠には譲れないものがある。
 久遠はポジティブでかつ、温和な人間ではあるが、それでも許せないモノがある。
 だから久遠の表情からは色が抜け落ち、持ち上げられた瞼から、ぎらつく青い瞳が覗いた。

(シャンティ――オレの譲れないモノ。
 これは愛する心なんて綺麗なものじゃないが。
 いうならば、信念とか、信義、矜持という物なのだろう。
 朝宮先生――これがオレの、誰にも負けない一つ、です)

 久遠は己を囲む選手を一人一人、確認する。
 その動きからは、おそらく誰もが純粋なファイターに寄せた設定。
 久遠を甚振るためだけに用意された人員。
 この日この時間しか参加できないと無理を通して、仲間だけを押し込んだ結果だろう。

(だからそうだな。
 リタ、川添――すまない。
 オレは今から、悪い先輩になる)

 開いた眼で、確かに詰め寄る二人を認識する。
 仕掛けてくるタイミングは、何秒後だろうかと。
 ほんの些細な動きも見逃さないよう、神経を研ぎ澄ませる。
 わずかでも見誤る事は出来ない。
 見誤れば、彼らの目論見通り、久遠は弄ばれる事になるだろう。
 

杉本久遠 >  
 数秒の空白。
 久遠を挟んでいる二人の内、片方が目配せを送ったのが合図だった。

 二人はほぼ同時に久遠を対角から挟むように突進してくる。
 どちらかに応じようとすれば、一方から背中を取られるような状況だ。
 熟練のファイターでもあれば対処して見せるのだろうが、久遠はあくまでスピーダーである。
 初速に劣るスピーダーが多少回避行動をしたところで、ファイター二人の攻撃から逃れる手段はほぼ無いと言っていい。
 それこそ、圧倒的な力量差でもなければ不可能だ。

 だから久遠はタイミングを測った。
 二人が久遠の無抵抗を確信するタイミングを。
 
 二人がヒットを確信して、久遠に腕を伸ばす。
 その瞬間、久遠の身体が、突然浮力を失ったように『落下』した。
 久遠は泳ぐのに必須な魔道具、S-Wingを停止させたのだ。
 

杉本久遠 >  
 久遠の身体は、わずかに後ろへと倒れ込むようにしながら落下する。
 そして、保護膜を失った久遠の鼻先を掠めるように、二人の腕が交差し、互いに衝突しあった。
 本来、久遠が纏っている保護膜と干渉しあうはずだった攻撃が、久遠をすり抜けるようにぶつかったのだ。

 しかし、至近距離でその衝撃の煽りを受ければ、保護膜のない久遠はひとたまりもない。
 衝撃は直に身体を打ち、吹き飛ばされそうになる――が、そこで久遠はS-Wingを再び機動した。

 空中で起動されたS-Wingは、異常時と判断してセーフティを働かせ、久遠の落下を無理やり止めようとする。
 落下を防ぎ、安全な姿勢へと自動で立て直してくれるのがS-Wingのセーフティの一つだが、久遠はそのナビゲートに逆らって、体を無理やり全身姿勢へと起き上がらせる。
 衝撃による落下、それを止めて姿勢制御をするセーフティ。
 その多方向からの強制力に抗って動けば、ミシミシと全身が軋む音が頭に響く。
 だが、それを無視して久遠は、互いに弾きあった二人の内、片方へ向けて泳ぎだす。
 

杉本久遠 >  
 久遠に近づかれた選手は、体勢を何とか立て直したところで、久遠に対して腕を振り下ろすように攻撃を加える。
 スピーダーの初速が遅いとはいえ、これを避けるだけなら何とでもなった。
 しかし、久遠は避けず、下から上へと払い除けるように、相手の腕を右手でかち上げる。
 それと同時に、久遠は相手の足元を――蹴った。

 保護膜の強度に差があるとき、衝突した際、基本的に強度が低い方が弾かれる。
 この時もその例にもれず、相手が一方的に弾かれ――そして、上下同時に弾かれた相手は、その場で『回った』。
 身体の中心を支点に、腕と足が振り回されるように回り始めたのだ。

 これはディフェンダースタイルの選手が稀に使う、『崩し』というテクニックの一つである。
 身体の中心を通って対角になる部分へ逆方向への衝撃を与える事で、相手の姿勢を大きく崩すのだ。
 ――そしてこれが完全に決まると、予期していなかった選手が体勢を立て直すには非常に長い時間がかかる。

 久遠は崩した一人を無視して、今度はもう一人へと向かって反転する。
 向き直った選手はすでにもう体制を立て直しており、すでに久遠に向かって動き出していた。
 久遠もまた、正面から相対して向かっていく。
 

杉本久遠 >  
 エアースイムにおけるキャットファイトのセオリーは、如何に回り込んで背中を取るかである。
 久遠は相手の姿勢が僅かに傾くのを確認して、回り込まれた方向に合わせて正面を向けるように回転。
 相手は舌打ちしながらも、攻撃姿勢に入っていたため、そのまま腕を突き出した。
 それを今度は緩く避けつつ、そのまま距離を取るでもなく、久遠はその場で両手を大きく広げた。
 そして、その挙動に困惑する相手の頭を、両手で挟むように打ち付けたのだ。

 直後、久遠の両手は大きく弾かれ――相手は、その場で頭を抑えるようにしてふらふらと浮かぶ。
 脳震盪を起こしたのだ。

 本来、保護膜が受けた衝撃は、保護膜を伝って反対側へと受け流されていく。
 しかし、まったく同時に正反対から挟むように衝撃を受けると、衝撃の逃げる先がなくなり――結果、保護膜の内側にいる選手へ直に衝撃が伝わってしまうのだ。
 しかもその衝撃は保護膜同士の干渉しあう衝撃まで加わるため、直に殴られた場合に比べても、ダメージが重くなる。
 偶発的に起きる場合もあるためルール違反ではないが、故意に行う事はエアースイムにおける危険行為であり、非常に難しいテクニックの一つでもあった。
 

杉本久遠 >  
 と、そこまで来てようやく、久遠の上下に居た二人が慌てて動き始める。
 様子を見て異常だと気付いたのだろう。
 しかし、動き出したころにはすでに久遠は降下を始めていた。

 下から上がろうとした選手と入れ違う形で降下していく。
 その久遠を追うように、残った二人も降下するが、すでにファイターの初速で追いつけるタイミングは逃している。
 重力を使って真下に向かっていく久遠に、ギリギリのところで届かない。
 しかし、エアースイムでは高度が高い方が有利である。
 このまま海面まで追い詰めればいいと考えたのか、追うのを辞める様子はない。
 
 そしてそれは、久遠の望んだ通りの行動である。
 久遠はあえて、もう少しで追いつかれそうな速度を維持するように減速をかけながら、海面を目指す。
 一直線、真っ逆さまに。
 

杉本久遠 >  
 海面まで10メートルを切ったところで、追いかける二人はおかしい事に気づく。
 久遠に減速する様子も、ターンする様子もないのだ。
 しかし、気づいたからといって、二人はその意図を読み取れなかった。

 海面まで数メートルとなっても久遠は減速しない。
 それどころか加速を始めていた。
 追う二人はそこでようやく、慌てて減速を掛ける。
 このままでは海面に激突する、そう思ったのだ。
 保護膜のおかげで、海面にぶつかろうと怪我をする事はない。
 しかし、目の前に迫る恐怖を克服するのは簡単ではないのだ。

 そして、それこそ久遠の狙いだった。
 海面に減速無しで突っ込んだ久遠は、凄まじい勢いの水柱をあげる。
 それは数メートルの高さにまで達して、減速した二人すら巻き込んだ。
 

杉本久遠 >  
 水飛沫の中、視界が短い時間だけ遮られる。
 そして水飛沫が止んだ時、追っていた二人の選手は、一人になっていた。

 視界が遮られたわずかな時間で、久遠は海面から再び上昇し、水飛沫の外を迂回するように一方の選手へと近づいた。
 そしてそのまま後ろ取り、背中に一撃。
 それが有効打撃と判定され、フィールドの外へと転送されたのだ。

 残された一人は、佇む久遠を見ると、大慌てで逃げ出した。
 一対一では敵わないと思ったのだろう、上空で残っている二人と合流しようとしたのだ。

 もちろん、久遠もそれを追いかける。
 短い時間のドッグファイト。
 しかし、最高速度に劣るファイターがスピーダーから逃げようとも、ある程度の距離で必ず追いつかれてしまう。
 だからこそ、久遠に追いつかれた時点で、相手は足を止めて背中を庇うように久遠へと向き直るしかなかった。
 

杉本久遠 >  
 だが、久遠は足を止めた相手に目もくれず、そのまま上昇する。
 そして、そのままひたすら高度を上げていく。
 目的は、ようやく回転から立ち直ろうとしている、最初に崩した選手。

 その選手に向かって、最高速のまま減速無しに激突した。
 この試合三度目の完璧なスーサイドダイブだ。
 久遠は相手から一方的にヒットを奪い、そのまま上昇する。

 そして再びS-Wingを停止させた。
 慣性に従って、久遠の身体がふわりと浮き上がる。
 しかし、それも少しの間。
 すぐに落下が始まり、久遠は頭から落ちていく。

 そこでS-Wingを再起動。
 自動の姿勢制御を無視して、落下の勢いからそのまま降下姿勢となり加速する。
 本来なら減速しつつ旋回などして方向転換しなければならないところを、自由落下する事で無理やり向きを反転させたのだ。

 そうして普段より早く速度に乗った久遠は、唖然と見上げていた選手へと迫る。
 自分に突っ込んでくることに気づいて、慌てて逃げだすが、久遠に逃がすつもりは微塵もなかった。
 逃げるその背中へ最高速で突っ込み、ヒットを奪ってフィールドから追い出す。

 フィールドの中に残されたのは、復帰してきた初心者を含めた、怯えるように足を止める四人。
 脳震盪から立ち直れず無力化されたままの一人。
 残るは久遠と――呆然として見ている斎藤だけだった。
 

杉本永遠 >  
(あーあ、やっちゃった)

 永遠はその一部始終を見ながら、額を抑えて嘆息していた。
 空中、試合中でのS-Wingの停止、違反スレスレの『挟み打ち』、意図的な海面落下。
 久遠の行いは、危険行為のオンパレードだ。

(兄ちゃんてば、完全にキレちゃってるよ。
 まあ兄ちゃんとしては許せないだろうけどさ。
 私でも腹が立つくらいだったし)

 とはいえ、ここまでやられたら委員会も動かないわけにはいかない。
 試合中止の審議中であろう、運営委員のテントを眺めれば、慌てて出入りする人。
 恐らくやっとの事で対応が決まりそうなのだろう。

(ちょーっと遅すぎないかなーって永遠ちゃんは思いますけどね。
 兄ちゃんのラフファイトが披露され過ぎちゃったじゃん)

 と、兄のしでかした事に、またため息を吐いた。

 兄、杉本久遠は、ドッグファイトが苦手だ。
 それは、試合中の本人の視野があまり広くない事が要因である。
 なら、格闘戦はどうなのか、というと――実のところ、苦手ではないのだ。

 エアースイムが空中での総合格闘技と言われるように。
 エアースイムに置ける近接戦では、格闘技のノウハウが有利に働くことが多い。
 エアースイム以前に格闘技をやっていた選手は、やはり格闘戦を得意とする傾向にあった。

 しかし兄には、これまで格闘技をやっていたという経歴は一切ない。
 ただ、生まれてからこれまで――喧嘩では一度も負けた事が無いのだ。
 三年前まで、まだ自分より小さいくらいの身長だった兄が、一度もだ。

 それは異能や魔術を振りかざすような相手でも変わらない。
 兄は徹底的に手段を『選んで』必ず相手を負かしていたのだ。
 喧嘩の理由も色々とあったが、その多くが誰かのためであったと永遠は記憶している。
 本人は決して、他人のためだったと、責任を押し付けたりはしなかったが。

 そんな兄がエアースイムを始めた時、永遠はファイターになる事を奨めた。
 喧嘩に強い兄の素質は、完全にファイター向きであり、選手としての伸びしろも圧倒的だったからだ。
 しかし、兄はそれを笑って断り、スピーダーとして競技に挑んだのだ。

 その理由を、永遠は二つほど知っている。
 一つは、兄がスピードに憧れた事。
 スピーダーの泳ぎに魅了されたのだ。

 そしてもう一つ。

(『オレがファイターをやると、ラフプレイヤーになってしまいそうだからな』って、自分で言ってたじゃん)

 スポーツマン精神に目覚めた兄は、それから喧嘩をする事は無くなった。
 だというのに、逆鱗に触れられたことで我慢できなかったのだろう。
 それだけ、許せない事をされたという事で、それを我慢しろとは永遠も言わないのだが。

(後で滅茶苦茶へこみそうだなー。
 まあ、どうせ少しすれば立ち直るだろうけどさ)

 兄の精神力は、少しばかり常軌を逸している。
 妹からして、頭のネジが飛んでるんじゃないかと思う程度には。

(さて、そろそろスタッフさんには急いでほしいところかなー。
 じゃないと、兄ちゃんがまた始めちゃいそうだし)

 フィールドでは、兄が斎藤と同じ高度で向き合っているのが見える。
 他の選手は、20秒経って復帰した選手も含み、誰ひとりとして動かない。
 あの場所では今、誰もが兄の事を恐れていた。
 

杉本久遠 >  
 斎藤と向き合う久遠の表情に、色はなかった。
 ただ、青い瞳がギラギラと、怒気をはらんでいるだけである。

『お、お前、なにしやがった――なんでピンピンしてんだよ!』

 斎藤が理解を超えた光景に喚く。

『くそ、なんで、なんでだよ!
 ふざけんなよっ、くそ!』

 しかし、久遠は眉一つ動かさない。

「あなたが売ってきた喧嘩だろう。
 買われて文句を言うのは、随分と勝手じゃないか?」

 そうして久遠はゆっくりと斎藤に向けて近づいていく。

『やめろっ、来るな!
 わかった、俺が悪かったから、謝るから、許せよっ!』

 喚き狼狽える斎藤に、ほんの少しだけ久遠の眉が上がる。
 握りしめた拳をゆっくりと突き出しながら、久遠は口を開いた。

「斎藤選手、オレはあなたがどういう姿勢でスイムをしようと、それに文句を言うつもりはない。
 だが、故意にルール違反をした上で、自分は何もせず、あまつさえ自分だけ許されようとする。
 その行いは――信義に悖るッ!」

 その声は、明らかな怒りに震えていた。

『ひ、や、やめろっ!
 俺は棄権する、棄権してやるからくるな!』

 それ以上聞く耳は持たないと、久遠は体を傾ける。
 斎藤は背中を向け、久遠から逃げ出そうとする。

 そんな中で、フィールドに鳴り響くのは、普段とは違うけたたましいブザーの音。
 試合中止を示すブザーがようやく鳴ったのだった。
 

杉本永遠 >  
「結局こうなっちゃったねえ」

 試合は中止となり、参加選手には全員に厳重注意。
 その後、再試合が組まれる事になったが、兄を除いて全員が棄権。
 結果、無効試合となった。

 とぼとぼと、肩を落として戻ってきた兄は、今は救護室で横になっている。
 永遠が座った椅子の横から、時折うめき声が聞こえるのは当然の事だ。

「全身の筋肉痛程度で済んでよかったよ。
 肉離れとか、脱臼とか捻挫とか、いくらだってあり得たんだからね。
 普段から兄ちゃんを鍛えてきた、永遠ちゃんのトレーニングに感謝するんだぞー」

『お、おお――』

 兄を奮い立たせていたアドレナリンの効果が切れたんだろう。
 身体を抱えるように震える兄を見ながら、永遠は息を吐く。
 鎮痛剤はあえて使っていない。
 厳重注意のみで罰則がなかった分――兄は、この痛みに耐える事を戒めとしたのだ。

「ま、無効試合でよかったんじゃない?
 記録にも残らないし、映像も残らないし。
 まあ誰かが個人的に撮影してたら別だけど、その時は仕方ないって事で」

『う、うむ。
 だが、オレは、怒りに任せて、競技者として相応しくない行いをしてしまった。
 記録に残らないとはいえ、それは恥ずべき行為だ』

「そうだね。
 だからそうやって落ち込んでるんでしょ。
 ペナもなかったんだし、兄ちゃんが自分で反省してれば、それでいいんじゃない?」

『そうは、いかんさ。
 見ていた人がいる、オレのプレーを見てエアースイムを辞める人がいるかもしれない。
 その償いはやはり、しなくてはならん、だろう』

「はぁ。
 その馬鹿正直なところ、もう少し柔軟にした方がいいと思うなー。
 まあ、でも」

 兄はきっと、これからも真っ正直に、真剣にエアースイムと向き合う事で、償っていくのだろう。
 今まででさえ、ただの選手の枠に収まらず、我武者羅に貢献し続けてきたというのに。

「兄ちゃんはほんと、バカだなあ」

 しかし、そんな兄だから応援したくなる。
 こんな兄だからこそ、自分の予測を超えていってくれる。
 そんな期待もしてしまう。

 たしかに、後輩たちに見せるには少しばかりよくないモノだったが。
 永遠は一つのルール違反にこれだけ本気で怒れる兄の事を、少なからず誇りに思うのであった。
 

ご案内:「エアースイム常世島大会会場」から杉本久遠さんが去りました。
ご案内:「どこかの堤防」にシャンティさんが現れました。
シャンティ > 「久遠、くん……た、らぁ……ふふ。やん、ちゃ、さん……だった、の、ねぇ……?」

くすくすと女は笑う


「ん……理央、くん……は……骨、を……折った、割、に……元気、そう、ねぇ……? あら、あらぁ……あの、やさし、さ……私、にも……くれ、ないの、かし、らぁ……妬け、ちゃ、わ……ねぇ?」


人差し指を唇に当てて、考える仕草をする


「さ、て……『特等席』、も……さすが、に……今日、は……静か、ね……」


すとん、と腰を下ろす。顔の向く先は、人もいない向こう側。


「……静か、ねぇ……」


ぽつり、と口にする

シャンティ > 大攻勢以来、落第街も静かだ。風紀の側も、本来であれば大騒ぎであろうが結果的には静かなものだ。

自分が望んだ争いの果てではあるが、少々物足りないのも事実だ。


「……次、の……こと、も……考え、ない、と……ね、ぇ……やっぱ、りぃ……ただ、の……集まり、だけ、では……駄目、かし、らぁ……?」


人差し指が、とんとん、と小さく唇を叩く


「強、い……個人……目立つ……看、板…… そう、ねぇ……あの、小太り、ちゃん……も、センス、は……悪く、ない……の、かし、ら……ね、ぇ……」


吐息が漏れる


「いけ、ない……わ、ぁ……まる、で……舞台、に……あがった、つもり、の……よう……」


ぽすりと堤防に背を預け、寝転がる

シャンティ > 「頭……冷やす、かし、らぁ……」


S-Wingを起動し、魔力膜を纏う。それとともに、ふわり、と体が浮く。


「あぁ……いい、わぁ……やっぱ、り……浮遊、感……ね、ぇ……あぁ……あの、やん、ちゃ、も……楽し、そう……よ、ねぇ……」


仰向けの姿勢でふわふわと宙に浮きながら、ぽつ、と呟く

シャンティ > 「……あぁ……でも……本当に……退屈……」


くるり、くるりと空で舞い踊るように動く。見方によれば、盛大な寝返りだろうか。


「今日、は……平和、ねぇ……静か、で……平和……あぁ――」


手を彼方へと伸ばす


「どう、にか……して、しまい、たい……わぁ……」

ご案内:「どこかの堤防」に雨見風菜さんが現れました。
雨見風菜 > 散歩をして、ふらりと堤防に立ち寄ってみた風菜。
どうやら今日はエアースイムの競技は行われていないようだ。

「まあ、そういう日もありますよねえ」

ふと、視線を上げてみれば。
銀髪褐色の美女が浮いている。
S-Wingの保護膜によるものだと、すぐに気付いた。

(不思議な雰囲気の人……)

シャンティ > 「ん……」


『女が一人、歩いてくる。彼女は、空に浮かぶ女に視線を向け思案する。』


静かに、小さく、謳うように読み上げる。


「あ、らぁ……お客、さん……? こん、な……ところ、に……どう、した……の、かし、らぁ……?」


動きを止め、うつ伏せの姿勢になって空に浮いたまま問いかける。

雨見風菜 > 饒舌な歌うが如き語り口が聞こえたと思えば、まるで対極的なたどたどしい語り口。
ちょっとびっくりして固まったが。

「いえ、散歩をしていて通りがかっただけなんですけども」

特に嘘を付く必要もないので、正直に答える。
しかし、彼女の視線に違和感を覚える。
視線はこちらに向いているが、通常の視線とは何かが違う。

シャンティ > 『女はほんの僅か、体を硬直させる。其処に宿るのは驚き。「――」口を開いた女はそう答える』


淀みなく、女は謳う。


「そ、う……お散、歩……ね、ぇ……ふふ。 ここ、はぁ……寒ぅ、い……から……気を、つけて、ねぇ……?」


薄い笑みとともに口にする。


「それに、して、もぉ……驚か、せて……しまった、かし、らぁ……? ごめ、んな、さい、ねぇ……?」


くすくす、と笑う。

雨見風菜 > 「ええ、お気遣いありがとうございます」

そうは言うものの、寒さ対策はきちんとしている。
『糸』による断熱効果。
異能がなくなる、ということは早々ないだろうが、そうなってしまったときは相当不便になるだろうなとは思っている。

「……はい、ちょっと驚きました。
 こちらこそ驚いてしまって失礼しました」

口調が切り替わるのが慣れないが、言っている内容から、
歌うような語り口が情景を言葉にし、本人の言葉がたどたどしい口調だというのは理解できた。
だが、感じる異質な視線は何なのかまだ分からない。

シャンティ > 『「――」丁寧な物腰で、女は口にする。「――」まだどこかに緊張感のようなものが残る。』

「いい、の、よ……別、にぃ……慣れて、る、もの……ふふ」


くすくすと、笑みを絶やさずにいる。


「遠慮……? 配慮……? うぅん……疑問? ふふ。別、に……とって、食べた、りは、しなぁ、い、わ、よぉ……?ふふ。」


悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「私、は……ただ、の……学生、だ、もの…… 貴女、も……か、しら……ね、ぇ?」