2020/07/19 のログ
ご案内:「スラムの奥」にヨキさんが現れました。
■ヨキ > 風紀委員会とも、違反組織とも、はたまたスラムの住人とも異なる立場。
ひとりの美術教師。ひとりの裁定者――ただ一匹の犬。
そんな男が、廃ビルの屋上に身を伏せて、巨大な光の柱を見上げている。
「……何だ、あれは」
落第街を密やかに飛び交う風聞。
“スラムの最奥に光の柱が立っている”“呑み込まれれば帰ってこられない”――
そんな話を聞いて、ここまでやって来たのだ。
「帰ってこられないなど、斯様なもの」
まるで《門》のようではないか、と。
■ヨキ > 次の瞬間には、もう足が動き出していた。
ビルからビルへ飛び移り、光の柱への距離を詰めてゆく。
迷う理由などなかった。
たとえいかなる強大さとて、この島の住人を呑み込むものに対し、臆していいはずがない。
確信も、保証もない。それでも。
「……ふうッ」
柵のないビルの屋上、縁に足を掛けて立ち止まる。
光の柱が壁と紛うほど視界に迫ったところで、息を吐く。覚悟を決めるように。
■ヨキ > 右手を持ち上げ、人差し指の指輪へ口付ける。
決心へ至る、儀式のようなもの。
足を踏み出す。
虚空へ向けて飛ぶ。
誰も知らない、誰も見ていない、スラム最奥の一角で。
男が独り、光の中へ姿を消す。
■ヨキ > 「………………、」
飛び込んだ先で――
誰かを。
人の姿を、捜す必要はなかった。
そこには、誰もが居たからだ。
誰もが。
■ヨキ > 今も学園に籍を置く教え子が。
卒業し、巣立っていった教え子が。
己と意気投合した教え子が。
異なる道を見据え、袂を分かった教え子が。
生きている教え子が。
死んだ教え子が。
己が手に掛けた教え子が。
世話になった者。
己を嘲った者。
己に手を伸べた者。
己に刃を突き立てた者。
誰もが。
そこには誰もが居て。
笑っていた。
古くからの友のように――
否、血を分け合った家族のように。
■ヨキ > 教え子が。同僚が。作家仲間が。飲み友達が。オンライン上のフレンドが。
己と関わり合った誰もが、誰もがみなそこに居た。
「なんだ」
「これほど近くにあったなんて」
「もっと」
「早くに来ればよかった……」
揺蕩うように笑う。
誰もが優しく笑う世界で。
何もかもすべての願いが叶い尽くした世界で。
足りないものは何もない。
何も。
何も。
何も……。
■ヨキ > そこにはありとある垣根がなかった。
異能者も魔術師も異邦人も、みな一様に仲良く笑い合っている。
明るく。朗らかで。いかなる諍いもない。
隣には、共に理想の世界を作ろうと誓い合った友人――■■■■の姿がある。
互いに努力と研鑽を惜しまず、支え合って走り続けて。
ついに。
ついに自分たちの考える理想郷へ至ったのだ。
異能と無能力を理解し合い。
魔術によって異能と紛う力を誰もが持ち。
言葉も感情も通じ合う。
誰もが、誰もを傷付けることのない世界。
「あはッ」
「はははは……」
「あははははは!」
笑いが零れた。
嬉しくて、嬉しくて。目頭が熱くなる。
完全無欠のハッピーエンド。
■ヨキ > 心地よさに目を閉じる。
いつまでも眠っていたくなる。
この世界には、敵や味方の区別もない。
正義も悪もなく、誰もがそこに生きている。
「もう」
「もう……殺し合う必要もないんだ」
誰と?
■ヨキ > 友人の温かな手。
笑い声。
穏やかな会話。
足りないものなどない。
足りないものなどない。
足りないものなどない。
ここにはすべてがある。
だからこそ。
何かがない。
何かがないのだ。
何かが。
己はそれを心地よいと思っていた。
■ヨキ > 「■■」
友人の名前を呼ぶ。
何だ、と言葉が返ってくる。
友人が己の名を呼ぶ。
呼んでくれる。
労わってくれる。
甘えさせてくれる。
愛してくれる。
隣に居てくれる。
敵ではない。
初めから敵ではなかったかのように。
優しく。
■ヨキ > この世界には、敵や味方の区別もない。
正義も悪もなく、誰もがそこに生きている。
明るく。朗らかで。いかなる諍いもない。
平坦で。平坦で。平坦な世界。
「ヨキは」
そうだ。これは己が望んだとおりの世界だ。
これ以上何を望むことがあるというのか。
平坦な世界。ぬるま湯のような心地よさ。
身体が重い。眠りに落ちる直前のように。
「ヨキはもっと」
「もっと……」
■ヨキ >
「お前と殺し合わなくてはならないのに!」
■ヨキ > そうだ。
ヨキには敵が必要だ。
罵り合う悪友が。
鎬を削り合う相手が。
立ち塞がるほどの思想が。
そのぶつかり合いが。
たとえ、その道がどれほど曲がりくねっていたとしても。
求める先が、どれだけ遥か遠くにあったとしても。
後悔などない。
躊躇などない。
到達点などない。
そこにあるのはいつだって里程標。
ヨキの求める理想郷は、“生きている”。
生きているからこそ。
凸凹でもいい。歪でもいい。整っていなくたっていい。
溢れるほどの、色が。熱が。生命力が。
そこになくてはならないのだ。
■ヨキ > 味方でなくてもいい。
己から離れていったっていい。
その刹那に、交わる生があるのなら。
「ヨキはまた……」
「馬鹿犬って、呆れてもらわなくてはいけないんだ」
あたたかな理想郷には、罵倒の言葉など存在しないから。
「ヨキは彼奴に殺される以外の結末はなく」
「彼奴がヨキ以外の手に掛かって死ぬなど許さない」
ひとり、またひとりと。
ヨキの視界から、薄れて消えて。
もう二度と見られない笑顔も、霞んでゆく。
「たとえヨキに笑い掛けてくれなくたって」
「それがその者の選択であるのなら」
「ヨキは祝福するよ……」
身体中に絡み付く心地よさを振り払って、踵を返す。
望んで敵陣の中へ舞い戻るように。
■ヨキ >
――次に気が付いたとき、ヨキは同じ廃ビルの屋上に居た。
■ヨキ > 四つん這いで地面に顔を伏せ、溢れ出す汗が次々と床に落ちた。
光の柱は変わらずそこにある。
何事もなかったかのように。
肩で息をしながら、ヨキは。
汗に交じって目から溢れ出す滴をそのままに、しばしその場で伏していた。
「……………………、」
理想郷というものは。
果てしなく遠いからこそ、理想たりうる。
ご案内:「スラムの奥」からヨキさんが去りました。