2020/07/19 のログ
ご案内:「スラムの奥」にヨキさんが現れました。
ヨキ > 風紀委員会とも、違反組織とも、はたまたスラムの住人とも異なる立場。
ひとりの美術教師。ひとりの裁定者――ただ一匹の犬。
そんな男が、廃ビルの屋上に身を伏せて、巨大な光の柱を見上げている。

「……何だ、あれは」

落第街を密やかに飛び交う風聞。
“スラムの最奥に光の柱が立っている”“呑み込まれれば帰ってこられない”――
そんな話を聞いて、ここまでやって来たのだ。

「帰ってこられないなど、斯様なもの」

まるで《門》のようではないか、と。

ヨキ > 次の瞬間には、もう足が動き出していた。
ビルからビルへ飛び移り、光の柱への距離を詰めてゆく。

迷う理由などなかった。
たとえいかなる強大さとて、この島の住人を呑み込むものに対し、臆していいはずがない。
確信も、保証もない。それでも。

「……ふうッ」

柵のないビルの屋上、縁に足を掛けて立ち止まる。
光の柱が壁と紛うほど視界に迫ったところで、息を吐く。覚悟を決めるように。

ヨキ > 右手を持ち上げ、人差し指の指輪へ口付ける。
決心へ至る、儀式のようなもの。

足を踏み出す。
虚空へ向けて飛ぶ。

誰も知らない、誰も見ていない、スラム最奥の一角で。

男が独り、光の中へ姿を消す。

ヨキ > 「………………、」

飛び込んだ先で――

誰かを。
人の姿を、捜す必要はなかった。

そこには、誰もが居たからだ。

誰もが。

ヨキ > 今も学園に籍を置く教え子が。
卒業し、巣立っていった教え子が。

己と意気投合した教え子が。
異なる道を見据え、袂を分かった教え子が。

生きている教え子が。
死んだ教え子が。
己が手に掛けた教え子が。

世話になった者。
己を嘲った者。

己に手を伸べた者。
己に刃を突き立てた者。

誰もが。

そこには誰もが居て。

笑っていた。

古くからの友のように――

否、血を分け合った家族のように。

ヨキ > 教え子が。同僚が。作家仲間が。飲み友達が。オンライン上のフレンドが。
己と関わり合った誰もが、誰もがみなそこに居た。

「なんだ」

「これほど近くにあったなんて」

「もっと」

「早くに来ればよかった……」

揺蕩うように笑う。

誰もが優しく笑う世界で。
何もかもすべての願いが叶い尽くした世界で。

足りないものは何もない。

何も。
何も。
何も……。

ヨキ > そこにはありとある垣根がなかった。
異能者も魔術師も異邦人も、みな一様に仲良く笑い合っている。

明るく。朗らかで。いかなる諍いもない。

隣には、共に理想の世界を作ろうと誓い合った友人――■■■■の姿がある。
互いに努力と研鑽を惜しまず、支え合って走り続けて。

ついに。
ついに自分たちの考える理想郷へ至ったのだ。

異能と無能力を理解し合い。
魔術によって異能と紛う力を誰もが持ち。
言葉も感情も通じ合う。

誰もが、誰もを傷付けることのない世界。

「あはッ」

「はははは……」

「あははははは!」

笑いが零れた。
嬉しくて、嬉しくて。目頭が熱くなる。
完全無欠のハッピーエンド。

ヨキ > 心地よさに目を閉じる。
いつまでも眠っていたくなる。

この世界には、敵や味方の区別もない。
正義も悪もなく、誰もがそこに生きている。

「もう」

「もう……殺し合う必要もないんだ」


誰と?

 

ヨキ > 友人の温かな手。
笑い声。
穏やかな会話。

足りないものなどない。
足りないものなどない。
足りないものなどない。

ここにはすべてがある。

だからこそ。

何かがない。
何かがないのだ。

何かが。

己はそれを心地よいと思っていた。

ヨキ > 「■■」

友人の名前を呼ぶ。
何だ、と言葉が返ってくる。

友人が己の名を呼ぶ。

呼んでくれる。

労わってくれる。
甘えさせてくれる。
愛してくれる。
隣に居てくれる。

敵ではない。

初めから敵ではなかったかのように。

優しく。

ヨキ > この世界には、敵や味方の区別もない。
正義も悪もなく、誰もがそこに生きている。

明るく。朗らかで。いかなる諍いもない。

平坦で。平坦で。平坦な世界。

「ヨキは」

そうだ。これは己が望んだとおりの世界だ。
これ以上何を望むことがあるというのか。

平坦な世界。ぬるま湯のような心地よさ。
身体が重い。眠りに落ちる直前のように。

「ヨキはもっと」

「もっと……」

ヨキ >  

「お前と殺し合わなくてはならないのに!」

 

ヨキ > そうだ。

ヨキには敵が必要だ。

罵り合う悪友が。
鎬を削り合う相手が。

立ち塞がるほどの思想が。
そのぶつかり合いが。

たとえ、その道がどれほど曲がりくねっていたとしても。
求める先が、どれだけ遥か遠くにあったとしても。

後悔などない。
躊躇などない。

到達点などない。

そこにあるのはいつだって里程標。

ヨキの求める理想郷は、“生きている”。

生きているからこそ。

凸凹でもいい。歪でもいい。整っていなくたっていい。

溢れるほどの、色が。熱が。生命力が。
そこになくてはならないのだ。

ヨキ > 味方でなくてもいい。
己から離れていったっていい。

その刹那に、交わる生があるのなら。

「ヨキはまた……」

「馬鹿犬って、呆れてもらわなくてはいけないんだ」

あたたかな理想郷には、罵倒の言葉など存在しないから。

「ヨキは彼奴に殺される以外の結末はなく」

「彼奴がヨキ以外の手に掛かって死ぬなど許さない」

ひとり、またひとりと。
ヨキの視界から、薄れて消えて。

もう二度と見られない笑顔も、霞んでゆく。

「たとえヨキに笑い掛けてくれなくたって」

「それがその者の選択であるのなら」

「ヨキは祝福するよ……」

身体中に絡み付く心地よさを振り払って、踵を返す。
望んで敵陣の中へ舞い戻るように。

ヨキ >  

――次に気が付いたとき、ヨキは同じ廃ビルの屋上に居た。

 

ヨキ > 四つん這いで地面に顔を伏せ、溢れ出す汗が次々と床に落ちた。

光の柱は変わらずそこにある。
何事もなかったかのように。

肩で息をしながら、ヨキは。

汗に交じって目から溢れ出す滴をそのままに、しばしその場で伏していた。

「……………………、」

理想郷というものは。

果てしなく遠いからこそ、理想たりうる。

ご案内:「スラムの奥」からヨキさんが去りました。