2020/07/18 のログ
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----- >  
「どこ、かな」

少女の形をしたソレは、モノクロになり誰も居ない廃都市の中、何もない場所に立ち止まっては時折目をつむり、何かを手繰り寄せるように手を動かす。
夢を見せるソレはこの領域に入り込んだ者たちの見ている夢の断片の中から只一人を探していた。

「違う。このヒトじゃない」

手繰り寄せた夢からそっと手をはなす。
誰も見えていないが、この場所にはたくさんのヒトが”眠って”いる。
温かい揺り籠で、外からも中からも目を背けられる優しい夢で包み込まれて。
この領域に侵入した大半……実に半数以上がこの場所にはいったきり、目を覚ましていない。

「……お姉ちゃん、本当変なところで律義だよね」

「理想の世界を見せる」なんてアノヒトが言ったことを律義に再現して見せているのは
意地なのか変なところで真面目なのか……たまによくわからない。
けれどそれが抗いがたい誘惑を持っていることは理解できる。
この領域の本質は全く別の物だけれど、この場所においては夢は現実になるそうだ。
多分半分は自分の為でもあるだろうというと自惚れかもしれない。
……お姉ちゃんが私に甘いのは事実だけれど。あのヒトはいつも微笑むだけで、心の半分も教えてはくれない。

「……見つけた」

そしてソレは辿り着く。
傷つき、そして望んだものを満たす……たった一人のための”夢(揺り籠)”を。
見えないけれど、自分ならそこを辿れる。
少女の形をしたものは目を閉じ、その場所から掻き消えた。

……行先は一人の少年の”夢”の中。

神代理央 > ――思い出せない。私は何故、此処にいるのだろうか。


『――力部隊が包囲――建――への侵入は――困難を極め  
――地の利が無い――そこで 神代 ――いや、鉄火の   君の火力で――先陣を切っ――のだ。後続の部隊入する為――なってはくれま― 』

…そうだ、ああ、そうだった。黄泉の穴に展開した主力部隊の支援。その為に、私は現場を訪れた。
だが、現地で発生した【領域】とやらが、現場を全て飲み込んだ。ドローンによる調査も意味を為さず、派遣した調査部隊も錯乱状態。
だから、私は確か、志願して――


「……それで、どうしたんだったかな。それで…いや、此処は……?」

真っ白な。自分以外に何もない空間に立ち尽くしていた。
いや、何もない――違う。何かがあった。
映写機――そう、映写機だ。映写機が二台。純白の空間にぽつりと置き去りにされている。


一つは、まるで映像を映す事などおまけです、と言わんばかりの豪華絢爛な映写機。宝石が鏤められ、白亜の装飾は象牙細工。何処の国のものか分からない大仰な国旗が、大きく刻まれた映写機。

もう一つは、随分とみすぼらしい映写機。辛うじてフィルムを回す事が出来るだろう、という様な。今にも分解してしまいそうな機械。スイッチを入れるのもちょっとためらってしまう様な、古ぼけた、小さな、映写機。


「……こんな場所で、映画鑑賞でもしろというつもりなのかね。どんな魔術師が起動したモノかは知らぬが…」

フン、と尊大な吐息を吐き出すと、先ず触れたのは豪奢な映写機。
恐らく、此れで映像を映すという概念そのものが誤っているのだと思わせる様な、絢爛豪華な機械。
その映写機に触れる。ただそれだけで良いのだ、と不思議と理解していた。
少年が触れた映写機は、如何にもと言わんばかりの物々しい駆動音と共に映像を映し出す。しかし少年が、ソレを見る事は叶わない。
映写機が回り出すと同時に、純白の空間から少年の姿は掻き消えていたのだから。


 
――こうして、理想が投射される。"皆"に望まれる理想。始まりの理想が――

神代理央 > ――其処は、美しい国だった。

統一された街並み。近代化されながら、重厚な歴史を持ち合わせた国。
街中に翻るのは、世界に覇を唱える祖国の国旗。輝く陽光と、穏やかな風にはためく国旗が、都市を埋め尽くしている。
行き交う人々は皆幸せで、笑顔で、幸福を享受していた。

――場面は切り替わる――

「――我々は、最早世界のどの国家よりも裕福で、強力で、進化した帝国の民である!臣民全てに、万里の幸福を!従属する者に、慈愛の支配を!そして、我等に歯向かう者に――人理の鉄槌を!」

「他国の王で有る事よりも、我が帝国において侍従となる事こそが誉れであると、全てに知らしめよ!他者に、他国に、世界に、神に!我等こそが、人理の支配者であると!神すらも我等に跪くのだと、鉄火の闘争によって知らしめよ!」

神殿の様な議会場で、演説を振るう一人の青年。
肩にかかる金髪は丁寧に整えられ、燃える様な紅い瞳が居並ぶ者達を見据えている。
力強く発した演説によって、雷鳴の様な拍手が場を包む。新たな闘争が。新たな戦争が。新たな支配が始まる。

そして、それら全てに青年は勝利する。
戦い、戦い、戦い続けて。青年の後に続く者達は、幸福でいる事が出来る。
戦場に倒れる兵士達ですら、祖国の為に。青年の為に死ぬ事が幸福であると最後迄信じ切っている。
多くの血と、多くの屍の上に、強固な幸福を、皆に齎す。


その果てに。高く高く築かれた塔の上。高い城の玉座に、青年は腰掛けていた。
異能も魔術も魔法も、全てを鉄火で焼き尽くし、人理の力を以てそれらを撃ち滅ぼし。
黄金の玉座から、世界を見下ろしていた。一人で。誰の力も借りる事は無く。

「……神を滅ぼしたら魔王になる、などと言うのは所詮は御伽噺であったか。世界は、こんなにも幸福だというのに」

理想を叶え、野望を叶え、青年――少年は、玉座で微睡む。
全ての人を幸せにして、少年は静かに、微睡んでいた。

神代理央 > ――其処で、豪奢な映写機は動く事を止める。しかし、純白の空間に少年の姿は無く。映し出されている映像の中で、玉座に腰掛けて微睡む儘に。
----- >  
「……」

ここに写っているのは”夢”だ。
夢を見る事は純粋さを失わない。本人がどう思っていたとしても。
それは何であれ、例えどのような荒唐無稽なものであったとしても願い続ける。
だからこれは彼自身の夢だ。
彼が願う、強く純粋な根源の願いだ。
……いや、根付いた願い、というべきだろうか。

「……寂しいね」

酷く孤独に見えるその願いを眺めながら少女は小さくつぶやく。
与えられた役目はいつしか彼自身の”夢(鎖)”になったのだろう。
その役目を十全に果たす。それは酷く甘美で、完璧なもの。

「……本当なら、そうなるよう私はそばにいるハズだった。」

何時しかその座の足元で、彼にもたれかかる様に少女が眠っていた。
そう、この結末ならば、きっとこの少年の横には自分が座っていた。
全てを肯定し、称える声以外をすべてかき消して彼の世界を補完し、完成させる。
彼が世界の王となっても、全世界が彼を人の理から排斥してもその全てを肯定し、愛しただろう。
……彼が孤独に震える夜など絶対に来ないように。
彼を変える者など、全て排しただろう。ただ一人の王の為に。
この夢をかなえる事が自分の役目だった。

「……でも違うんだよね。
 貴方はもう、見つけちゃったもんね。」
 
しっている。
とんっと豪奢な映写機に触れるとそれは糸が解けるように真っ白な空間へと溶けていく。
これは”与えられた”夢。彼にそう在れかしと与えられ、彼がそう在りたいと願ったもの。
……この願いはもう”終わってしまったもの”
ずっと見ていたから、本当はずっと傍にいたから……だから知っている。

「”今の貴方”の夢はもうこっちじゃない。
 隠して、捨てたつもりになっていたけど
 ……ずっと貴方の中に”夢”は残ってた。」

古ぼけ、壊れた映写機に触れる。
それは軋んだ音を響かせながらゆっくりと回り始めた。
油を指すことを忘れていたそれは初めは朧気に、けれど次第に滑らかに、鮮明に別の色を映し出していく。

神代理央 > かたり、と少女が触れた映写機が動き出す。
軋む様に。怯える様に。戸惑う様に。それでも、少女に後押しされたかの様に、回り始めた滑車はフィルムを動かしていく。

――それは"彼"が望んだ理想。


小綺麗な住宅で、父は、何時もの様に珈琲を啜りながら新聞に目を通していた。お腹が大きくなった母親は、にこにこと笑いながら穏やかに編み物をしている。
その正面で朝食を取りながら、時折父親と社会情勢の話を弾ませる。最近流行している新型ウイルス、とやらに気を付ける様にと、父親から心配そうに声が投げかけられる。

「父さんこそ、通勤中に貰ってこないでよ。母さんも今は大変な時期なんだから」

朝食を終えて、洗い物を済ませた後。鞄を手に取って、玄関へと速足で。

「じゃ、行ってきます。今日は友達と夕食済ませるから、夫婦二人で仲良くね!」

何を言っている、と反応を見せた父親に小さく笑みを零しながら、少年は学園への道を急ぐ。
道中で、多くの者に出会う。知人、友人、同級生、先輩、後輩。
それら全てと挨拶を交わし、笑みを交わし、少年は学園への道を急ぐ。
今日は、夏休みの予定を想い人と立てる約束をしている。その後、友人達も交えてカラオケにでも行こうか。
最近よく話題になる【もし皆が魔法や超能力を使えたら】という話で、盛り上がるのも良いかもしれない。

まあ、今考えるべきは一限目の数学だ。今日は小テストだった筈。
一応勉強はしてきたが、念の為授業までに復習しておくべきかもしれない。
そんな事を思いながら、校門をくぐろうと――


其処で、世界は静止した


「…下らんな。実に下らん。私を騙すなら、まだ最初の幻想の方がマシだというもの。こんな小さな夢では。こんなありきたりな夢では。――こんな、非現実的な理想では、私を誑かせる事など出来ぬさ」

平和な世界を。校門へと駆ける"己"を。醒めた瞳で見つめる、風紀委員の制服を纏った己自身。
静止した世界は色を喪う。全てが、ゆっくりと、モノクロへと変わっていく。

「……いるのだろう。其処に。如何様にして私の記憶を弄んだのかは知らぬが、貴様は其処にいるんだろう。
――なあ、アリス。俺に狂気を与えた人形。俺の狂気を飲み込んだ少女。……お前は、其処にいるんだろう?」

返事を期待している訳でも無いのだが。
緩やかに視線をモノクロの天空へ持ち上げると、静かに囁いた。
空間に、世界に、そして、彼女に。

----- >   
「……私はずっと、傍に居たよ。」

色あせ、剥落していく世界の中でそれは悲しげな笑みを浮かべて彼と同様に空を見上げていた。
平和な日常、ありきたりな生活……
闘争に拠らず、甘受する世界への願望。
それは酷く細やかで、そしてツマラナイモノ。

「傍に居たんだよ。」

泣きそうな声で繰り返す。
いつものように尊大に、何物にも恐れる事のないといった様子の彼を見て心が揺らぐ。
王に憧れ、王であろうとする青年は多くの傷を抱えてそれでもここに立ってしまった。
どこかで期待していたことは認める。けれど同時に恐れても居た。

「貴方がそれを願うなら。」

ああ、見たくなかった。
このヒトの夢を鮮明に目の当たりにすることはとても甘美で……
そしてその願いを叶えることは少女にとって悲願だった。

「……何度だって”初めまして”っていうよ」

泣きそうな声で、けれど出会った時の様にゆっくりとドレスのすそをつまんで一礼する。

神代理央 > 「……それを俺が認識出来なければ、それは存在する事に成り得ない。
俺の視界に映るものだけが世界であるかの様に。俺の背後には、俺の認識しない"世界"など存在しないかの様に。
……こうして言葉を交わさなければ、何にもならないさ」

此の世界は、細やかで、脆く――或いは、惰弱なモノ。
穏やかな日常も。平和な世界も。決して否定すべきものではないのだろう。それこそが、多くの人々が欲してやまないものなのだから。だが、己は。己はそうであってはいけない。己は此の幸福を与える側でなければならない。導き、勝利し、闘争を繰り返す事によって、此の幸せを享受する者を、少しでも多くあれかしと、行動しなければならない。

「傍に居たのだと言うのなら、俺の前に現れるべきだったな。俺が狂気に沈む様を、お前が望んでいたのなら」

傍に居たのだ、と繰り返す少女に。悲痛な声色で繰り返す幼児の様な少女に。天空を見上げていた視線をゆっくりと彼女に移しながら、静かに言葉を返す。
その声色には、悲痛な様子の少女へ向ける慈悲も慈愛も無い。尊大で、傲慢で、己の言こそが正しいのだと強い自己への矜持に満ちた――何時もの、少年の姿であった。

「願わぬさ。今更、初めましてと挨拶を交わす事など。願わぬさ、もう一度、最初から等と。貴様と俺との邂逅を、もう一度繰り返すなど」

少女に向ける視線は、あの頃の儘。
苛烈で、獰猛で、他者を従える事への欲望を押し殺した瞳。

「…"久し振り"だな。アリス。俺は、随分と薄情な人形の持ち主(マスター)だった様だが。貴様は息災にしていたか?」

コツリ、と革靴の音を鳴らして。
静かに少女に歩み寄りながら、まるで世間話でも始める様な口調と声色で。少女に言葉を紡ぐ。

----- >  
ああ、と小さく息を吐く。
胸元で軋む痛みを飲み込んで、そして隠しながら。
このヒトが忘れるはずがないと思っていた。
お姉ちゃんのことは忘れても、私の事は忘れるはずがない。
だって私は”彼の狂気”だったから。

「ふふ、そうだね。
 あは、失敗しちゃった。
 ……私は薄情なお人形だからアリス上手にできなかったかな。」

もしも願いを叶えるなら、自分が自分としてあるのであれば、この人の願いの為に傍に立ち続けた。玩具として、道具として、例え壊れ果て、秒針が狂いきっても、この体が朽ちるまで喜んで奉仕し続けた。ただ主人を悦ばせるためだけに全てを投げうっても惜しくはなかった。それが彼の願いであり、私は誰かの願いを叶えるために生まれたのだから。

「……うん。主様(マスター)。私は元気だよ。」

けれど、そうするには彼女はあまりにも欠陥品過ぎた。
眠り続けなければ、この場に立っていることもなかっただろう。一度は欠損し、失われた体は致命的な行為層を多く抱えている。本当であったらもう止まっているはずのそれは、姉の願いと今この場所のお陰で辛うじて機能している状態。耳を澄ませたなら少女の方角から不規則な歯車の音が聞こえるかもしれない。

「ああ、会いたかった」

けれどだからこそ、彼女の一つの機能が働かなかった。そしてそれは彼の願いを育み、突き落とすことを拒まさせ、本能的に従者として寄り添おうという欲求を殺し会うことすら抑え込まんとする、何かを呼び起こした。

神代理央 > 「アリスを演じるには、貴様は余りに狂い過ぎていて――余りに純粋過ぎた。描かれたアリスの様に、強かさと狡猾さを僅かにでも持ち合わせるべきであったな」

そう、眼前の少女は己の狂気。狂気を注ぎ、飲み込み、愛おしんだモノ。例えどんな魔術だろうと、どんな異能だろうと、根源の狂気を忘却の彼方へと追いやる事は出来ないだろう。
認識が薄くなる事はあっても、決して忘れ得ない。眼前の少女は、己の狂気は、そういうものなのだから。

「……そうか。ならば良かった。…いや。自らの狂気の息災を、良かったと表現して良いのか分からぬが」

そうして、少女へと歩み寄り、眼前にて向かい合えば。
"聞き覚えのある"歯車の音に、僅かに表情を歪ませるだろう。
しかし、直ぐにその貌は、少女を見下ろす主の顔へ。支配者と獣としてのソレへと、変化する。

「……そうか。寂しい思いをさせていたなら、謝ろう。すまなかったな、アリス」

そっとその手を"昔から知る"彼女の長い髪へと伸ばす。
絹糸を弄ぶかの様に、指先は彼女の髪の先端を擽るだろうか。

----- >   
「だってそれしか知らなかったんだもの」

目を覚まし、いじられ、眠るだけの日々。
その合間で”お姉ちゃん”が読んでくれた少女の物語だけが知っている”形”。
勇敢で、聡明で、けれど等身大の少女であり多くのヒトに愛される物語の主人公。
けれどそうあるには、あまりにも”私”は……

「     」

俯き、口元だけが言葉を紡ぐ。
そう、私は常に傍にあった。彼が物心付いたころから傍に居たと記憶されているように、ずっと、ずっと”昔”から。それは私ではないけれど私そのものでもあった。このまま傍に居られたなら、このまま共に壊れていけるなら……そう、それを望んでいたはずだ。彼も、私自身も。

「……謝らないで?貴方は悪くない。
 ずっと会いたかったけれど、けれど会わなかったのは私。
 ”貴方の物”であることをちゃんと果たせなかったのは私。
 だから、何も貴方は悪くない。」

髪先を弄ぶ指先にひかれるようにその胸元へと飛び込み身を寄せた。
何時しか周囲の景色は一変し、何時しか睦んだ教会の姿を借る。
……この人が”そう”することを私は良く知っている。髪を撫でる手も、その呼吸も、その目も。

神代理央 > 「…そうか。ならば、精々学ぶ事だ。狡猾さを。狡さを。愛し、愛される為には、時にはそういう事も必要なのだから」

ヒトが造り上げた"アリス"は、万人に愛される創作物でしかない。其処に"本物"など存在し得ない。
しかし、彼女は演じようとした。世界中に愛され、慈しまれた"アリス"になろうとしたアリス。それは余りにも滑稽で――悲しい寓話では無いだろうか。

少女の唇が、僅かに震えて言葉を紡ぐ。
それを受け入れる訳でも、拒絶する訳でも無い。唯黙って、静かに、壊れゆく少女の髪を撫で続ける。
"随分と親しんだ様に手に馴染む"少女の髪を、ただ優しく、梳く様に、そっと。

「……さて、どうだか。お前と会わぬ間に、きっと俺も変わってしまった。お前を置いて、俺は変わってしまった。
お前はそれを責める権利が、詰る資格がある。義務を放棄した所有者を、責める権利が、お前にはある」

己の胸元に飛び込んだ少女を受け止め、その頭を撫でながらそっと抱き締める。
視界に映る壊れかけた世界は、日常は。気付けばかつての協会へと再構成されていく。
己が狂気を飲み込んだ場所へ。吐き出した場所へ。新たに世界が形作られる。

「……これもまた、幻想の続きか?であれば随分と……趣味の悪い事だ。此の魔術は。この空間は」

"人形"を愛でながら、小さく唇を歪めて、嗤った。

----- >   
「……もっともっと上手にできたら、私はもっと愛されたのかな」

呟き、強くしがみつく。相変わらず尊大で欲深く、実は甘いものが好きで身長を気にしているこの人は、あの頃と変わらぬ背丈のまま。どれほどの時が経ったのだろう。僅かで、長い時間がたった今もこの人の感触は変わらない。けれど……あの時少年だった彼はいつしか青年になっていた。

「……しってるよ。
 貴方は変わった。とっても弱く、そして強くなった。
 もう、貴方はあの時の貴方では居られない。
 私を後ろにおいて、貴方は変わってしまった」

拒絶するでもなく、咎めるでもなく、ただ事実として淡々と口にする。青年はあの頃と同じ目をしているけれど、少女には同じものには見えていない。

「ううん、ここは……分岐点。
 選ばれなかった時を選びなおす場所。
 ”私とあなた”にとってここは大事な場所”だった”。」

腕の中で青年を見上げ、クスリといたずらに成功した子供のようにほほ笑む。
そう、ここは夢を紡ぐ場所。あの時こうできたなら……が叶う場所。
それは言い換えるならば追憶と決別の場所。

「ねぇ、もう気が付いているのでしょう?」

手の中にいる私が何なのか。
もう彼は気が付いているはずだとそれは寂しげに笑いながら目を伏せた。

神代理央 > 「…………そうだな。否定は、するまいよ。ああ、きっと。そういう世界も、あったのかも知れないな」

己に強くしがみつく、体温を感じない少女。
少女は変わっていない。ずっとずっと、己の人形であり続けた。変わったのは、変わってしまったのは、己の方なのだ。
短くも永い時間。一言で表すには、余りにも長く、そして短い時間。その間に、濁流の様な変化は、確かに訪れたのだから。

「……そうだな。強くなったかは些か自信が無いが。
それを成長と言うべきか。或いは変化と呼ぶべきか。俺には分からない。でも、お前と出会った頃の俺では、無い。
……もう、何時出逢ったのかもあやふやだ。遠い昔からお前と知り合っていた様な。そうでは無い様な。それでも、出逢った頃の俺とは、きっと、違う」

変化とは悪なのだろうか。成長とは、善なのだろうか。
何方にせよ、少女の言葉が全て。"変わってしまった"のだ。己は。少女を置いて。

「……だった、か。ああ、そうか。そうだな。……本当に。本当に趣味の悪い場所だ」

あの時こうできたなら。それは、既に終わった物語のリロードでしかない。何度書き換えても、何度繰り返しても"現在"に繋がらない物語。それはなんて、残酷な物語。

「……それを、言いたくはない。言葉にしたくはない。認めたくは、ない。だって、お前は……」

其処で、言い淀む。ソレは、少女に投げかけるべき言葉では無いのかも知れないと思うが故に。それを聞くべきなのは、違う誰かなのだと思うが故に。己が投げかけるのは、少女への侮辱ではないかと、怯えるが故に。
しかし、それでも。それでも、随分と重たくなった口を、ゆっくりと開くのだ。少女の主として、尋ねるべき事を。

「……なあ、アリス。お前は、幸せだったか?俺の人形であり続けたお前は、幸せになれたのか?……これからお前に、幸せに生きてほしいと願うのは……俺の、傲慢なのだろうか」

----- >  
「ふふ、お姉ちゃんみたいになんでも出来たら、きっとそうなってたよ」

ありもしない未来を紡ぐ。
そう、ここはあり得ない場所。
本来出会うことがない者が交わり、交差することのなかった時間が絡まる場所。
そして、それらをすべておいていくための場所。
そこで語られる言葉は何処まで行っても慰めにしかならない。そういうものも居るだろう。
けれど、その夢は一人の少年を青年に変えた。
彼がそう望んだから。

「うん、強くなったよ。もうお人形も、だれかの夢も必要ない位。
 それにね……そんなに長い時間ではなかったよ。
 ずっとずっと、一緒に居られたら……理央が大人になって、お爺さんになって、ずっとその隣に居て……
 それに比べたら、ほんとうに短い時間。」

彼にとって今の私でさえ、”都合の良い夢”に過ぎない。
だってこの場所はそういう優しい夢見せる場所だから。
そして優しい夢ならこういうだろう。
天使として造られた私もこういうだろう。
それは想定され、プログラムされた言葉かもしれない。
それは彼にも理解され、本心と思われないかもしれない。

「でもね……そんなことはね。どうでも良いの。
 本当にどうでも良いんだよ。
 私にとって一瞬は永遠だった。”短くっても永遠”なの」

それでも少女は言葉を紡ぐ。
私が人形でも、私がそういうものでも、
それでも”私”は選んだ。

「貴方を愛せて、私は幸せだったよ。
 たとえ貴方が私を愛せなくても、私を忘れても、
 貴方を愛することこそが私の意味。」
 
小さな声で囁くと彼の顔に手を伸ばし背伸びする。
嗚呼、この人には伝わるだろうか
髪を漉く腕が、ぬくもりがどれほど愛おしいか。
……僅かに影を重ねた後、それは静止する間もなくするりと腕の中から身を離す。

「私は夢。どれだけ長く感じても、どれだけ暖かくても」

お姉ちゃんが紡いでくれた時間で、貴方に出会い、言葉を交わし体温を感じて……
「幸せになって欲しい」そう告げられるだけでああもう、これ以上何を望めるだろう。
彼と幸せな未来を夢想する。それだけでもう、十分。

「--夢は覚めて、そして消えるの
 貴方の居場所はもう、”此処(私)”じゃないよ。
 だからね、こんなところに居ちゃだめだよ。」

神代理央 > 「……お前の姉は、随分と何でも出来る才女の様だな。俺も、そうなれれば良かったのだが」

クスリ、と小さく微笑む。彼女の姉については"不思議と"知識も記憶もない。それ故に、彼女の言葉に柔らかく微笑むだけ。
有り得たかも知れない未来を紡ぐ有り得ない場所。
過去と、訣別する場所。
理想を映し出す空間とは、何と残酷なものなのだろうか。

「……そんな事は無いさ。俺は、まだ強くならなければならない。だれかの夢に、ならなければならない。俺は夢を見ない。俺が、皆を導く夢になれる程、強くならなければならない。
………そうだな、ああ、そうだ。あっという間だった。短い時間だった。揺蕩う様な、微睡む様な時間だった。だが、決して。決して無くなりはしない。良い、時間だった」

少女の言葉は、己の弱さ。許されたいのだ、きっと。
少女を置いて、変わってしまった事を。少女を――置いていく事を。そして、その通りに、少女は許す。己を許す。残酷な迄の優しさで、赦す。
此れでは、アリスではなく宛ら――

「……永遠、だった?」

どうでも良い、と不意に告げた少女に、僅かに首を傾げる。
少女の"選択"を、少女が紡ぐ言葉を。
全て、受け入れる為に。

「……そう、か。お前は、アリスは幸せでいてくれたのか。
こんな情けない主の元で。決して、お前を愛しきれたとは言えぬ様な主を愛して。お前は、幸せだった、のか」

いっそ、不幸であったと。幸福足り得なかったと告げて欲しかった。彼女を幸福に"してしまった"
彼女を満たしてしまった。未だ生に執着する理由を、失わせてしまった。幸福であってほしいと願いながら、それでも彼女には、未だ無念を引き摺って欲しかった。
けれど。ああ、けれど。彼女は、幸せだったと、己に告げる。

唇に触れる、一瞬の逢瀬。
祭る神を喪った廃教会で、彼女と過ごした時間が、鮮明に蘇る。
もう二度と、訪れない時間を。人形を慈しんだ、あの時間を。
だから、伝わる。伝わって、しまう。この人形が、少女が、彼女が。どれ程に、己を愛してくれていたのか。僅かに重なった唇から、しっかりと、伝わった。

「……そうだな。所詮は泡沫の夢。此れは、唯の夢。醒め難いだけの、夢。人を惑わし、融かし、堕とすだけの……夢に過ぎん」

分かっている事だった。理解している事だった。
全ては夢。夢幻の一時。彼女にもう一度会いたい、と願った己を写す鏡。
だから、終わらなければならない。夢からは、醒めなければならない。どんなことにも、どんなものにも、別れは訪れる。
無限の生など存在しない。何もかもが、有限で、終わりを迎えるから、きっと、世界は美しい。

「……言われる迄も無いさ。俺が、こんな所で立ち止まるものか。
俺の道が。俺の理想が。こんな所で潰えるものか。
……お前が愛した男が、こんな場所で、朽ち果て、終わるものか」

そっと、抱き締めていた腕を離す。
衣服を整え、背筋を伸ばし、他者を睥睨する様な。矜持と誇りを以て立つ"青年"は、少女と向かい合う。

「……でも。最後に。最後に一つだけ。我儘を聞いて欲しい。
どうか、どうか幸せに。お前も、お前の姉も。此の世全てを憎んでも、此の世全てを恨んでも構わない。
ただ、幸せに。どうか、どうか、幸せに。願わくば、三人で甘い紅茶を、また」

静かに腕を伸ばし、そっと少女の頬を撫でる。
そうして僅かに身を屈めると、先程の御返しだ、と言わんばかりに少女の唇へ、そっと、影を落とす。静かに重ねて、離れる。
叶わぬ理想と願いを、少女に囁いて。

「……ではな、アリス。俺の狂気。俺の夢。
どうか幸せな夢を。甘い甘い幸せを。狂気を忘れて、甘い夢の中で、眠ってくれ」

衣服を翻し、硬質な革靴の音と共に、彼女に背を向けて歩いていく。
もう振り返る事は無い。俯く事は無い。理想の世界で、足踏みする事は無い。
ただ前を見据えて、静かに歩いていく。

----- >  
「お姉ちゃんはね、時々馬鹿で頑固だけど、凄く世界を愛してるの。
 きっと貴方もそう。どれだけ憎んでも憎み切れないことを知ってしまったから」

幾度後悔しても、幾度絶望し、転び、挫け泥に塗れても
そこで輝くものをこの人は見つけてしまったから。
例えそれを忘れても……いつかきっと世界に夢を見る。
ヒトはそれをやめられないから。

「貴方は変わっていく。
 これからずっと。でも、きっとそれで良いの。」

その中には足踏みしてしまうものもあるだろう。
変わらない事を望んでしまうこともまた夢の一つだから。
事実この世界は、それらを飼いならすための時間で、舞台。それを望んだからこそこの世界はここにある。

「だって、微睡むだけの夢はいつか覚めちゃうから。
 目が覚めたら、おはようって誰かが言ってくれるはずだから。」

私も狂気も、そしてそれに対する惜別もここにおいて、彼は歩んでいく。
それが今の彼の願う”夢(強さ)”。
此処が崩壊すればここでの記憶は急速に薄れていく。いずれ直ぐに思い出せなくなるだろう。
本当は呼び止めたい。後ろから駆け寄り抱き留める事が出来たならどれだけ良いだろう。
ずっと此処に居てと、永遠の停滞の元で現世の全てを奪いさってしまえたら……どれだけ幸せだろう。
けれど、元々私には時間がなかった。この人の隣には永遠にはいられず、いてはいけない。
もう、この人には守るべき人達がいる。

「もう十分だよ。ううん。願える限り最高の結末。
 夢でも貴方に会えてうれしいの。夢でも貴方を愛せて嬉しいの」

だから、ここでお別れ。
幸せな想像も、未練も全てここに置いていく。
そうすることでしか彼の夢を叶えられないから。
願いを叶える。それが”願いを叶うるもの”としてのたった一つの矜持。
だから少女は青年に置いて征って良いのだと笑顔で告げる。
唇の温かさと痛みを胸にしまって。

「……いってらっしゃい」

教会の”扉”を開け、去っていく背中に優しくつぶやき手を振る。
これだけが置いて(忘れ)ゆかれるものが送れる言葉。

神代理央 > そう、結局は。
少女の言う通り、己は世界を愛していた。夢と希望を抱いていた。
だから、前に進む。だから、変化する。変わりゆく世界を、愛しているから。

けれど。変わりゆくには、変わる為の土台が、過去が必要になる。
出会いと、経験と、感情と、時間。それらを積み重ねるからこそ、人と世界は、常に変化する。

「……それが。目覚めたときに声を投げかけるのが、お前である世界も、俺は嫌いじゃないよ。ああ、嫌いじゃない」

嫌いではない。けれど、望む訳では無い。それを望むのは、停滞だから。その場に、立ち止まってしまう事だから。
それがきっと、此の世界の甘い罠。甘い夢。固定化された"今日"を、永遠に生きる幸福。
狂気と愛情の中で、微睡む様に少女と繋がり合う世界。それはきっと、甘く甘く、蕩ける様な時間。
だが、それは――きっと己も少女も、望むものではないのだろう。

「……もう俺は、此の世界を出ればお前を愛する事は出来ない。俺にはもう、護るべきものも、愛するべき人もいる。目覚めればきっと、この物語は御終いだ」

そう、本のページは最後迄捲られた。
作者の後書きも、余白も、エピローグもない。
"童話"は終演し、夢は醒める。
――だから、だから。

「――ああ、いってくる。愛しているよ、アリス」

終わる物語に口付けを。醒める夢に親愛を。
――置き去りにする少女に、無責任な愛を。

そして"青年"は扉から立ち去っていく。
後ろ髪を引かれる想いも。蕩ける様な過去も。揺蕩う様な狂気も。愛した人形も。

全てを置いて、全てと別れて。
少年は"再び"教会を後にしていくのだろう。