2020/10/20 のログ
ご案内:「大時計塔」に日下 葵さんが現れました。
日下 葵 > カツ、カツ、カツ……
ブーツの硬い靴底が、点検整備のために立てつけられた鉄の階段を踏み鳴らしていく。
点検用というだけあって、雨や風を凌いでくれるような屋根も壁もない。

ここ数日、まるで子供が飽きて玩具をほっぽり出してしまったかのように、
気温は大幅に下がり、代わりに不機嫌にでもなってしまったのだろうか、
雨まで降りだす始末。
気分屋な子供に振り回されて疲れ果てる親の様に、
身体は体調を崩して風邪気味だった。

「寒い。もうそろそろここに来るのがつらくなりますねえ」

屋根も、壁も存在しない、ただ高所に登るためだけの階段。
容赦なく吹き付ける風は衣服の隙間を抜けて体温を奪っていく。>

日下 葵 > 止まることも、早まることもない足音が響く。
永遠に続くんじゃないかと思える階段も、いずれは終端がやってきて終わった。
階段を登り切ると、一際強い風が吹いた。

「あっ――」

被っていたキャップが風に煽られて飛ぶ。
とっさに左手が自身の頭に伸びて、
持ち主から離れようとするキャップを押さえようとするが、
寸でのところでついには間に合わなかった。

「お気に入りの一つだったんですが……まぁいいか」

――どうせ今着ているモノは全部だめになるんだし。

飛ばされて、遥か彼方に流れていくキャップを名残惜しそうに眺めるが、
その視線はすぐに諦めに変わった。
風になびいて邪魔くさい髪を耳に掛けると、足場の端に向かって歩き始める。
足場は水はけのために金網になっていて、今まで登ってきた階段や、
ずっと遠くの地面が全部見えるつくりになっていた。
高所恐怖症の人間からしてみたら地獄みたいな場所に思えるだろう>

日下 葵 > 「……ほんと、ここからの眺めは不思議ですねえ。
 自分の住んでいる町がちっぽけに見えて」

足場の端までたどり着くと、手すりに身体を預けて街を眺めた。
未だにここからの景色をきれいだと感じたことはない。
でも、何も感じないかと言われるとそれは嘘だった。

とても不思議な気持ちになる。
自分があの町の一部で、
自分のような人間がたくさん集まることであの町を作り上げている。
その事実がどうにも理解できなくて、
スクリーン越しに映画を見ているような気持ちになる。

”お前が頑張れば将来救われる人が出てくるから”

その言葉を信じて生きてきた一方で、

”私の存在の有無はこの街に関係ないのでは”

という考えもどこかにあった。
相反するような考え方が頭の中に両立していて、
何が正しいのかわからなくなる。
わからなくなった時は、いつも”試したくなる”のだ。

頭の中でそんな考えを巡らせて、煙草に火をつけると――






    その身体は手すりを越えて足場から落ちた。

ご案内:「大時計塔」から日下 葵さんが去りました。