2024/06/03 のログ
ご案内:「大時計塔」に藤白 真夜さんが現れました。
藤白 真夜 >  
「ここに置いておきますね」

 時計塔、その入口。
 親切のつもりで口にした言葉が誰かの耳に届くことはない。基本的には、時計塔には生徒は立ち入りを禁じられている。
 わたしも、点検用の消耗品の在庫補充を任されただけ。単純な雑用。

 いくつかの雑用を自ら引き受けては、小さな充足感を糧にする。
 重要な仕事とは言えなかったけれど、それは確かな日常のひとつだった。 

(ふう。雑用はこれで終わり。この後は祭祀局のほうで手伝いが──)

 ……ほんの少し、忙しく。嫌なことや、煩わしいことが霞むくらい。
 そしてなにより……平和だった。己の心中が、どうあったとしても。
 その日々は、学園は、平和だったのだろう。それが、あるべき日常の姿。
 かすかに胸が弾む。それは、わたしにとって何より喜ばしい。
 ──そう、あったのであれば。

「──え?」

 荷物を届けるだけ届け、時計塔から立ち去る、その最中。

 気づく。

 そこに歪なものは何もない。
 ただの、時計塔の下の地面だ。
 だが、解る。──臭う。
 あまりにも、薄く。──何かがそれを洗い流したかのように。痕跡は何もなく。
 ……だからこそ、訴えていた。
 己の、生と死に満ちた躰が。

「え、……? なぜ、……ここで……」

 ──何かが、喪われた。
 誰かも、わからない。いや、人間かも、わからない。
 でも、その場所が、何より解りやすく、教えてくれていた。
 希望と平和に満ちた生徒たちの、その只中で。
 
 何かが、死んだのだと。
 
 愕然と、歩み寄る。ただの、通路に。物言わぬ、石畳に。
 色は無く。見えない。何も。臭いすら、しない。
 それでも……漂っていた。
 何かの、想念。
 ……消え入るような、最後の願いが。
 

藤白 真夜 >  
「ああ、……」

 なぜ、気づいてしまったのだろう。いや、違う。わたしならば、気づく。卑しくも。
 ソレを、わたしは求めているから。
 
 こんなにも、当たり前の日々の中で。
 こんなにも、平和な、日常の中で──。

(いや、……いや。ええ、……違います、よね)

 知らず、石畳に脚をつけていた。
 祈りなどと、誰が言うものだろう。
 わたしは誰かを知らず、何かを知らず、何故かもわからない。
 望んでか、苦しんでか、殺されたのかもわからない。
 その痕跡が、何故消えていたのか。それは悪意なのか、善意なのか、哀れみなのか、機械的なものなのか。
 そのどれも、知らないのだから。
 
 ただ、理解した。
 
 それが日常なのだと。
 この場所は、そういうものを当たり前に含むのだと。
 自らの中に芽生えた、異常なる能力──異能。
 その歪さが、明るさだけを、平和だけを、秩序だけを呼ぶと、誰が決めたのだろう。
 当たり前だった。
 異能が、ヒトを殺すことも。異能が誰かを苦しめることも、わたしは十二分に知っていたはずだったのに。

「なぜ、わたしは、……」

 勘違いをしたんだろう。
 日常が、良いことだけを運ぶだなんて、都合の良い勘違いを。
 当たり前なんだ。
 異能を与えられ、それに苦しみ、その現実との齟齬に、自ら死を選ぶ人間が居ることは。
 ──それが、日常なんだ。それが、現実なんだ。

 ぽとりと、雫が石畳を濡らす。
 憐れむでも、祈りでもなく。
 ただ、現実の無常に。
  

藤白 真夜 >  
「……わからない。わかりません、よね」

 その理解すら、わたしの中にない。
 わからない。
 その死が、なんであったのか。なにひとつ。
 なぜ、痕跡が拭い去られたのか。
 それが、悪意があるものなのか。
 怒ればいいのか。
 悲しめばいいのか。
 なにひとつ。

「……気づかなければ、よかった? 貴方に。……誰かも、わからない、あなたに。
 ああ。……そうです。きっと、失礼なのでしょう。見出すことは、罪なのだと。
 死を嗜む女に、おっしゃってくだされば──」

 それはすでに、いつもの自虐と変わらなかったのかもしれない。
 ただ、己を呪うだけだったのかもしれない。
 その誰かは、望んでいないのかもしれない。
 
 臭いも、痕跡も、赤色も、何も残らないその場所に、己の残穢を残すだけなのかもしれない。
 でも、それでも……どうしようもない。
 わかってしまったのだから。

「──さようなら。
 ……名前も知らない、あなた」

 だからこそ、残すものはない。花を手向けることはない。
 これは、ただ愚かな女が、己の愚かさに気づいただけなのだから。
 どこにも残らず、誰にも届かない言葉だけを、餞に。

ご案内:「大時計塔」から藤白 真夜さんが去りました。