2024/09/10 のログ
■橘壱 >
「そんな話はしていない。」
ぴしゃりと、彼女の言葉を遮り、返した。
じ、と真っ直ぐ射抜く碧の視線は彼女を
伊都波凛霞の心底を射抜くように、鋭く真っ直ぐ。
「僕は、アナタの気持ちの話をしているんだ。
先輩だからって、僕を子ども扱いでもしてるつもりなのか?」
少々言葉に、怒気が含まれる。
苛立ちなんだろう。ああ、そうだ。
自分でもまだ気づきはしない事だ。
乱雑に資料をテーブルの上に投げ捨て、眉間に皺が寄るほど視線は鋭くなった。
「関係ないでしょ、場所とか僕の事とか。
アナタは何を我慢する理由があるんですか?
一人の姉に生まれた責任感?それとも優等生とか鼻にかけてるのか?」
冷静に努めようとする彼女とは真逆に、どんどん感情的になってくる。
それこそ代弁するような物言い。押し込める物をはねのけるように、言葉尻は強くなる。
気づけば椅子から立ち上がり、彼女を見上げていた。
思えば、どいつもこいつも勝手な連中だ。
そう思わずにはいられない。
「だとしたら、随分とした自惚れだな。
……今回の騒動の割り振りも、アンタは単独行動だって聞いた。
そんなに人のことが信用出来ないのかよ。ならそうだろうよ。」
は、と鼻で笑い飛ばした。
口元に浮かべるような歪んだ笑みは
初めてあった時に見せたような身勝手な嘲りを含ませていた。
「いちいちウジウジした素振りを見せても、どうせ弟切夏輝の事もかまってほしいだけの上っ面なんだろうな!何も彼女の事をどうと初めから思っちゃいないんだろ!」
ハッキリと、大声を張り上げた。
土足で、敢えてその気持ちへと踏み込んだ。
■伊都波 凛霞 >
「私の気持ちの話をしても、仕方がないでしょ?」
小さく息をついて、対象的に穏やかな話口。
鋭く射抜くような視線を、真っ直ぐぬ受け止める鈍色。
「…そうだね。場も弁えず感情的な話を切り出すのは、子供だと思う」
思うところは、勿論ある。
感情的に吐露すれば、いくらも出てくる筈。
「…気は済んだ?
橘くんの言う通りかもしれないし、そうじゃないかも知れない。
でも、私が思う私の気持ちは、私だけのもの。
それに、それを知ったところで───」
「君には、何も出来ないでしょ?」
声色は、少し儚げに。
そして真っ直ぐに剥けられる鈍色の視線は、悲しみの色を揺らめかせている。
「我慢はする必要がある。
理不尽に思えることに噛みつかない。
それができないうちは…橘くんは子供だと思う。
……そういうキミだから出来ることも、たくさんあると思う」
「──私は、大丈夫だから」
そう言ってもう一度、笑顔を作った。
■橘壱 >
「──────……そんな事、アナタに決めつけられる事でも無いでしょう!
何も言わないくせに決めつけておいて、人を子ども扱いして
それが大人の対応って言うんなら、僕は別に子どものままで充分だ!」
「そんな"如何にも"な言葉なんかで誤魔化してさ!
嘘を吐くのが大人の仕草ってんなら、間違ってるでしょ!」
それこそ感情的してない"風"なだけであって、ただ目を逸らしただけだ。
大丈夫なんて言っている人間が、そんな悲しそうな目を
そんな悲しそうな笑顔を作るものかよ。
場所を弁えていないと言われても、此れを前にして弁えずにいられるか。
声を張り上げ、彼女をにらみ上げた。
今すぐデスクでも叩きたい気分だが
ギリギリの理性が代わりに握り拳として表れた。
一息、二息。
直情的ではあるが、少年は意外と冷静だ。
息を整え、不満そうに椅子へと再び座り込んだ。
「……声を荒げたことに関しては、すみません。
頼りない後輩だということは、自負しています。
僕に出来ることは少ないかも知れません。
けど、何も出来ないとも限りません。」
確かに人間としても未熟であり
非異能者の凡人。何が出来るかと言われると、出来ない事のが多い。
だが、少年の成り立ちは全て挑戦から始まっている。
どれだけ拒まれようと、困難であろうと、しないの選択肢はない。
妙に気まずい空気が流れるが、なんのその。
それに、とため息交じりと吐き出し肩を竦めた。
「なんですか、子ども子どもって。僕達タメですよ。
勢いで言ったけど、お互い子どもじゃないですか。
なら別に、不足を補うには充分な年齢だと思うんですけどね。」
■伊都波 凛霞 > 彼の憤りは最もだ。
自分では役不足だ、と、はっきり言われたようなもの。
「必要なら嘘もちゃんと使えるのが大人、とまでは言わないけどね」
怒りを鎮めようとしている彼。小さく"ごめんね"と告げる。
「頼りないと思ってたら、今回の騒乱にキミの名前を推薦していないよ。
キミのことを高く評価した上で、私自身が感情的に話をするのはダメだって思ってる、ってこと」
「顔に出ちゃってるのはまだまだなのかなぁ…。
でも、自分の中で整理つけられないほど追い詰められてるわけでもないよ」
だから、「大丈夫」と告げた。
彼は、きっと私の力に成りたかったんだろう。
でも、迸るような若い彼の感情は、近くに招くには苛烈すぎる。
──何事にも挑めば良い、というわけではない。
挑まれる側の都合を考慮しないそれは、子供の我儘に過ぎないのだから。
自分は、正直すべてを吐露しても良かった。
ただ、彼のこの一面が他の誰かに剥けられた場合。
何かと、トラブルに発展する可能性も見え隠れしてしまう。
『良かれと思っての行動』が裏目に出た時、人間は何よりも相手を傷つけ、己も傷つくことになる。
そこには悲しさしか残らない。…その危惧、それに尽きる。
「このシマで年齢の話するの?」
くすり。
精神面どころか見た目ですら年齢のわからないものが跋扈しているっていうのに。
まだまだ、シマに慣れきっていないのかなと思わず苦笑が漏れてしまった。
■橘壱 >
「その必要な"嘘"で僕の都合もまるっきり考えないのが大人って奴なんですね。
……いや、それはお互い様か。けど、もう一度言ってやる。」
「そういうのが自惚れだって言うんです。
それで僕のことを気遣ってるってんなら、大間違いだ。」
それこそ彼女だって此方の都合を考えちゃいない。
達観したつもりで気取ったような物言い。
自分と歳も変わらない相手に"そうじゃない"と言う嘘。
何かいい言葉に取り繕っているけど、ただの自己都合だ。
ああ、そうだとも。それこそ──────……。
「僕の言い分とアナタの言い分、一体何が違うんだ?
実力だの評価だの言ってるけど、それはアナタの都合でしょうが。
……確かに非礼を初めに働いたのは僕だ。ハッキリ言えばいいだろうに。」
「どっちも自己都合の、"子どものワガママ"だろうに。
当たり障りなく言っても、お前は頼りないで済む話でしょうが。
僕に気を使ってるつもりか?それとも保身か?どっちにしろ、余計なお世話だ。」
その心底を覗き込めるようなエスパーでもなんでもない。
ただ、本音と言葉の乖離のような、妙なちぐはぐさ。
力に成りたいのは事実だし、引き下がる気だってそれこそ無いと言えばそうだ。
だから、敢えてそういった物言いになったのも理解は出来る。
ただ、返ってその半端さは神経を逆なでにしただけにすぎない。
好意を無碍に下げたからとか、そういう厚かましいものじゃない。
もっと、単純で、明確な苛立ちだ。
気の高ぶるところを知らない。適当いいやがって。
視線にさえ、強い怒気が入り交じる。
「何が整理だ。自分一人で何でも出来る全能でも気取ってるつもりですか?
そんなもの口に出すくらいなら、初めから人に隠すように下になんか入れようとするなよ。」
「何も"大丈夫"なんかじゃないでしょ、そんなの。」
何よりも明確だ。
ある程度整理は付けられても、"大丈夫"とは見えない。
それなら初めからわざわざ自分が来た時に隠す必要もない。
注意力散漫になる理由がそこには消えるはずだ。
今日初めに出会ったあの仕草の時点で
間違いなく後ろ髪以上の何かを引かれてるからこそしたに違いなかった。
握った拳で、見せつけるように資料を軽く、小突いてみせた。
「アナタが初めに僕を子ども扱いしたんでしょうよ。
……悠薇先輩と喧嘩したっていうのが、なんとなくわかるな。」
■伊都波 凛霞 >
「私が言っているのは精神面の話。
逆撫でするだけかもしれないけど、私は私が離す言葉以上のものは君に求めない。
強い言葉を使わないと理解ってもらえないのかもしれないけど、それを私は好まない。
君のいう通り、私は君に気を使っているから」
じゃあどうしろ…という話にもなるかもしれないが、そこに踏み込みはしない。
直接的な言葉のやり取りは無意味に相手を傷つける。
そちらのほうが傷つく、なんていうのは一時的なもの。
時間が立って治る傷と治らない傷がある。
相手が自分を気遣ったつもりで言っていたんだろう、と理解していることと。
相手がまるで自分を気遣わずに適当な言葉で自分を傷つけているだけ、と理解することでは大きく違う。
つまり、こちらの意図を半分は理解しつつもそれを拒んでいる、──ただ子供の我儘だ。
「その違い、一言一句丁寧に説明する必要があるならしてあげる。
でも説明を聞いても、君は納得しないでしょ?
大人の都合と子供の我儘の違いがわからないから、子供扱いすることになるんだよ」
「君が今のこの環境に至るまで、どういった環境にいたのかは知らないけど──全然、精神的に未熟。
君をはじめてみた時に感じたものが、表に出てきたようにも思える。
君の言い分は、私と君の立場が対等じゃないと成り立たない。
それは話をする内容によっても変わるし、状況によっても変わる。
誰かに話をしてほしい…、頼って欲しい、そう思っている側と、それを受ける側は対等じゃない」
「君の言葉は、不自然に平等を願ってるように思うよ」
■橘壱 >
「──────……そうですか。」
静かに席を立ち、トランクを持ち上げる。
その言葉を出したのなら、もう話す意味もない。
橘壱の表情は、落胆の色を隠せなかった。
「だったらこれ以上の問答に意味はありませんね。
気を使ってる?大人の都合?冗談。"アンタ"の自己都合だろう。
一々言葉を適当に着飾るなよ。大人だの子どもだの、どっちもどっちだよ。」
何一つ此方の言葉の返答にかすりはしなかった。
彼女の気持ちは彼女のもの。それはその通りだ。
一方的だったのかも知れないが、そもそも対等でもなかったらしい。
同じ仲間として、彼女と向き合ったつもりだったが。
相手の都合一つで子どもだの大人だのとはぐらかされるなら、意味もない。
どっちもどっちなんだ。そして、その上で言われたのなら、もう話す言葉はない。
「そうだよ、僕は人間的にも未熟だ。
わかってるさ。そう講釈垂れるなら、"アンタ"はさぞ完璧なんでしょうね。
なら、"対等じゃない"僕には出過ぎた真似だったみたいです。」
それを理解した上で向き合おうとしたが、それが大きな間違いだった。
初めから"眼中にない"らしい。それこそ、余計な気を使った。
どうやら、大きなお世話だったのは自分らしい。
そこまで自分が完璧なら、そこで資料でもずっと眺めていたらいい。
この落胆は、自らへの、彼女へ何もしてやらなかった自責。
いや、相手目線なら自惚れだ。対等ではないのだから。
確かな拒絶だ。なら、これ以上居座るのも無意味だ。
静かに背を向け、顔も合わせるつもりもない。
「……ドーナツは気持ち悪いなら捨てといてください。
申し訳ありません。気持ちの良い求める言葉を出せるほど"大人"ではなくて。」
「それでは失礼します。」
此れが大人だと言うのなら、そう言っておけばいい。
振り返ること無く、オフィスを静かに出ていった。
残されたカップの白く淀んだコーヒーだけが、ただ静かに揺れていた。
ご案内:「委員会街 風紀委員会本庁」から橘壱さんが去りました。
■伊都波 凛霞 >
「…お疲れ様」
去りゆく背中にそう声をかける。
「───はぁ」
ぎ、と無機質な椅子の背凭れの音が独りのオフィスに響く。
言われたい放題、無理もない。
彼は対等にあろうとして、私を心配して力になってくれようとしたのに。
相手の都合を考慮するのが大人の対応。
それ自体は間違っていない。
自分にとってどうしても譲れない都合は在った。
一方で彼の都合は──どうだろう。彼にとっては譲れないものだったのかもしれない。
でも、私の解釈では彼の都合は、譲れる範囲のものだった。
「…難しい~」
デスクに頬杖をつき、大きく溜息。
本当に、屁理屈を捏ねゴネる子供を相手にしている気分になってしまった。
気持ちはわかっても、それに寄り添うことが出来ないのだから、どの道こういう結果にはなっていたかもしれない。
「まったくもう…いっぱい棘刺してくれちゃって、
冷静に装ってても傷つくんだぞー…と」
もらったドーナツを一つ摘んで、口へ。
シュガーパウダーのさらりとした甘み、……妙に寂しく感じる。
■伊都波 凛霞 >
達観してる…なんてつもりもなかったけど、そなっていたのかもしれない。
学生が主体のこの島では、彼のような若い言葉と感情が溢れていたほうが、自然なんだろう。
けれど社会は社会、歯車として動くためには…学生とて大人になる必要もある。
それをヘンに意識しすぎたつもりもないけど───。
「でも」
「もし、感情的になったら、私───」
暗い視線が、デスクの上の報告書へと落ちる。
「───……」
小さく、小さく、唇が動く。
■伊都波 凛霞 >
誰にも聞こえなかった呟きをアイスコーヒーで流し込む。
口の中の甘みを酸味と苦みと混ざり、中和してゆく。
「……大丈夫かな。橘くん」
二度目に彼に会った時…偉そうに聞こえるかもしれないが、凄く成長したことを感じた。
そのせいで、必要以上に彼に大人の判断や機微を求めてしまったのだろうか。
きっと、外側はとても強くなった。──でも、本質はきっと、変わらず同じままなんだろう。
"対等"の意味を履き違えたまま、なのも心配ではあったけれど──。
──図らずも彼の言葉の力で、目の前の書類のことだけを考えてしまう思考のループに入らずには済んだ。
「ちゃんとしたお礼、言い損ねちゃった」
はむ、とドーナツを咥える。
■伊都波 凛霞 >
───この捜査には、自分は関われない。
それが決定で、覆ることはない。
組織という中に身を置く以上はそれは絶対で……。
──ということも、若い彼には我慢ならなかったんだ。
わかっていたのに。
「…はぁ、折角、悠薇と仲良くしてもらったのに、私が喧嘩してどーすんだか…」
デスクに頬杖をつき、何度目かの溜息を吐く。
……脳裏に、軋む天秤がチラつく。
ぶんぶんと頭を左右に振って、ロクでもない想像を吹き飛ばす。
"天秤"は力を失った筈。その筈なんだから。
彼を怒らせたのは、ただただ、自分が悪い。
■伊都波 凛霞 >
針の筵みたいな中でもドーナツは甘く、美味しい。
わざわざ私が甘いものを好んでいると知って、選んできてくれたんだ。
気持ち悪いなんてとんでもない。
…ミルクたっぷりのコーヒーの残りを見て、
彼も甘いものが好きなのかもしれないな、なんて思う。
たくさんのドーナツを持って、彼に謝りにいこう。
間違ったことを言ったとは、思っていない。
けれど彼を怒らせたのは事実で、その原因は自分にある。
「うーん……素直に謝られてくれるかな…?」
独りとなったオフィスでは、ただただ連なる溜息が続いていた。
ご案内:「委員会街 風紀委員会本庁」から伊都波 凛霞さんが去りました。
ご案内:「委員会街 風紀委員会本庁」に黒條 紬さんが現れました。
■黒條 紬 >
風紀委員本庁、その廊下。
渋谷で今話題のドーナツがどっさり入った袋を持って、
その女は刑事課のオフィスまで歩を進めていた。
本庁に用事があったついでに、
こちらの刑事課に改めて挨拶を行おうと考えて
ここまでやって来たのだ。
最後にここを訪れたのは、少しばかり前のことになる。
テンタクロウの件で、
本庁の伊都波 凛霞と協同で別軸の捜査を行う約束を
交わしたあの日が最後だ。
ふと廊下を見やる。
あの日、妹の負傷の報せを受けて錯乱し、
己を振りほどいて走り去っていった凛霞の背中は
今でも鮮明に紬は覚えている。
扉まで目と鼻の先、というところでふと、少女の動きが止まる。
『――かまってほしいだけの上っ面なんだろうな!』
少年の怒号。
紬は反射的に、身体を近場の柱の影に滑り込ませていた。
■黒條 紬 >
――穏やかじゃないですねぇ。
窓の向こう側から僅かに視認できる範囲で、
声の主の前に居る人影を判別する。
――相手は、伊都波 凛霞。
顎に細い人差し指を当てながら、聞き耳を立てる紬。
――痴話喧嘩ではないでしょうけどぉ?
このオフィスには他にも園刃 華霧やレイチェル・ラムレイといった
風紀委員が配置されていると記憶しているが、彼女らの気配はないようだ。
――弟切 夏輝って言いましたか。
成程。こっちじゃ当然揉めてるってとこですかねぇ。
今まさに風紀委員が追いかけている、元風紀委員の連続殺人犯。
相手が相手だ、当然諍いの元にもなろう。
――本庁側できっちりやってくれれば良いですけど、
伊都波 凛霞と関わりがあることは
公安にも渋谷分署にも報告しちゃってますし……。
私がアサインされる可能性も0ではないってとこですか。
誰にも聞かれぬ小さなため息を、胸の内だけで吐いていたそんな時。
ややあって、オフィスから出てきたのは少年だった。
橘 壱。
話したことのない男だが、その名やある程度の素性を、紬は知っている。
当然だ。風紀委員のデータを調べ、その状況を把握し、何かあれば逐一
報告するのが彼女の公安委員としての仕事の一つだからだ。
メインは渋谷分署の方であるが、本庁の方も粗方データは漁っているし、
頭に叩き込んでいた。
■黒條 紬 >
――いや、でも。伊都波……凛霞さんならきっと大丈夫、ですかねぇ。
去っていく少年の背中を見やった後。
気まずさの詰まった箱を抱えながら、
部屋に残った凛霞に気付かれぬように動こうとして。
また、紬は動きを止める。
刹那の内に完全に静止、気配を完全に殺し。
ちらり、とドアの方を見やった。
再びドアが開く音がしたのだ。
そのドアから出ていった凛霞の背中を見送って、
紬は人知れず、僅かに顔を綻ばせた。
――やっぱり。
■黒條 紬 >
「……でも、どうしますかねぇ」
ふーむ、と腕組みをする紬。
その視線の先には、無論気まずさの塊が残っている訳である。
このまま渋谷まで持ち帰るのも大変であるし、
かと言って預けておくのも微妙なところである。
窓の向こうにあるドーナツを見て、紬は頬をかいた。
そんな彼女に声をかける者があった。
風紀の制服を纏ったその短髪の男の方へ、紬は目線を向けた。
――風紀本庁の、西川 光。成績優秀で正義感も強いけれど――
『あ、君さ! 渋谷分署の黒條君だよね!
あのさ、良かったら、トレーニングついでに飯でも……』
――女好きなのが玉に瑕。こっちはそういうの間に合ってるんですよねぇ。
「……わあ、西川さんですよねっ! お噂はかねがね!
その、ご一緒したいのは山々なのですが、この後ちょっと用事がありまして――」
目をきらきらと輝かせながら、ずい、と。
ドーナツの山が敷き詰められた箱を突き出す紬。
「――お詫びと言ってはなんですが、これどうぞっ!」
『え、えっ……? ありが……』
「どうぞどうぞーっ! 私の気持ちだと思って受け取ってくださいねっ!
えへへっ……それじゃ、失礼いたしまーす!」
ぶい、と。顔の横でピースサインを作って。
そのままさっさと消えていく紬なのであった。
■黒條 紬 >
『……思ったよりパワフルな娘だな……』
一人残された西川は、随分と重いその袋を抱えて、帰っていった。
彼が男子寮で味わったそのドーナツは、ほんのりしょっぱかったと言う。
ご案内:「委員会街 風紀委員会本庁」から黒條 紬さんが去りました。