2024/10/16 のログ
ご案内:「常世公園」にノーフェイスさんが現れました。
ノーフェイス >  
ベンチに腰掛けて、ハードカバーの書籍をひらく。
さっきがた瀛州で購入してきたものだった。
当時の版を再現するように、どこか荒れた印刷の紙面には詩が綴られていた。
挿絵のなかに文字が踊る、画家であり詩人である、三百年も前の男の心のかたち。

「なつかしいな……」

幼いころ、いまよりずっと小さい手で、がんばってこれを手繰っていた。
信心深いがゆえにこそ、教会権力と戦い続けた男の、魂のかたち。
美しい韻律と、なによりその人間の力強さを信じ、願った世界観が。
神を見捨てた幼少期でも、つよく心惹かれたものだった。

「――――――」

しずかに、一節を読み上げる。
日本語にはない、滑らかな響きが、小気味よい。
こうしたものに幼少からふれていたから、いまの情操が育ったのだとも。

ノーフェイス >  
生まれたばかりのその子供は、
生後二日目のその時より、すでに生誕を祝福され、
歓喜にみちあふれた名を授かった。

いつかの自分もそうであればいいな、などと。
どこかそうした後ろ向きな解釈と感情移入をかたむけていた。
ページをめくるまでもなく覚えていたその作品に、
傍らにおいたコーヒーショップのテイクアウトが、ゆっくり冷めていくほどの時間を傾けた。

無垢の時を超え、少しずつ経験を重ねていく。時を経て、連作は次の章へと。

ノーフェイス >  
「あ――――」

信仰を説く黒衣と、祈りを捧げるものたちが描かれていた。
緑豊かな園に、教会の、墓碑の有り様が刻まれていた。

「………………」

(タイトル)を、そっと指でなぞった。
絵と揃えとなっている詩は、タイプされたものではなく、作家が綴ったものである。
(つた)に囲まれたその詩を、目で追って行く――これも、暗記はしていた。

思わず、笑えた。
コーヒーの蓋をあけて、軽く喉を潤した。

生徒手帳(オモイカネ8)を取り出す。買おうと思って熱心に並んでいた熱い季節は、
もう、遠い遠い昔のようだった。戻りたいとは願わないし、願ったところで戻れない。

ノーフェイス >  
そっと。
マイク部を、口元に近づけた。
柔らかく囁くようにして、その詩を吹き込む。

耳に届けば、足をとめてしまうほど。
滑らかに詠み(うたい)あげる美声はしかし、
どこか静かに、淋しく、哀しく、いつかを願う詩を口ずさむ。

最後の一節――わずかに、つまずいて。
……録音停止ボタンを押した。

「……………」

この時代のマイク、それをはじめとした音響機器の性能には目を見張るものがある。
どこか物悲しいクリアに録音されたそれを確認することはなく、
普段あまり連絡を取らない相手へのメッセージを開いた。

「…………」

とん、とん、とん、とん。
いたずらに開けた改行とともに。
データを添付して、送信した。

ノーフェイス >  
「……………」

これが、最後(ラストチャンス)
……ずっと伸ばし伸ばしに、逃れ逃れていた結論。

こうなったことについて。
誰も恨めばいいのかも、憎めばいいのかもわからない。
……ずっとそういうふうに生きてきた気もするから、誰も恨めず憎めなかった。
勝手に信じて、裏切られ続けてきた結果のこの痛苦も。
きっとただ、単に……誰のせいでもなく、自分のせいだ。
そうやって生きてきた。

ほの淡い期待と、それでも拭えぬ予感を前に。
自分にできることはただ、全霊で向き合うことだけ。

「にが……」

苦いものを注文したのだけど。
妙にそう感じる味を転がして、昼前の時間を詩とともに過ごした。

ご案内:「常世公園」からノーフェイスさんが去りました。