2025/01/12 のログ
■泳夢 >
おっと藪蛇をしてしまっただろうか?
視線の先で手を落とした少女の仕草と言い回しに苦笑を浮かべる。
身に沁みついた自虐した言い回しはどうやら悪手だったらしい。
密やかに少女は反省しながらも、だからといって怒りもしなければ焦りもしない。
「んー、話せない事情ならしょうがないかぁ。
話したところで…な事があるのは、私もよく知ってるし」
うんうんと頷きながら、実に涼しい顔で肩を竦める。
「お互い不便な身体だねぇ…なんてお話しても、楽しいかは別だもんね」
自嘲のように呟いて、少女はうーんと視線を泳がす。
見渡した公園は広く、遊具は少なくも子ども達が遊ぶ姿だってある。
ここいにる自分たちとは、実に対称的だ。
「じゃあ、手助けじゃなくて”私の暇つぶしに付き合ってもらう”ってことでどうかな?」
■黛 薫 >
「ま、そっすね。愚痴り合ってスッキリする人が
いねーワケじゃねーですけぉ。あーしもそゆの
楽しくねー側です」
ふっと肩を竦める。薮から現れた蛇はいとも容易く
牙を収めた。端から噛み付く気はなかったのだろう。
言葉尻を咎めたのも気分を害したからでは無さそうだ。
単に自分を粗末にしているとも取れる言い回しに
反応した……不良然とした口調で飾っているが、
根っこに善性があり、素直に表に出せないだけ。
付け加えると、まぜっ返す際に改めて貴女の身体を
観察する様子もなかった。つまり初対面時に視線が
泳いでいたのは観察の意図もあったということで。
コミュ障だが内面は素直で一定の善良さもあり、
臆病なまでに機微を悟る力があるにも関わらず、
表出の仕方は捻くれている……本心をそのまま
表現出来ない心の壁がある。
パーソナリティを読み解く能力があるなら、
まあ生き辛そうな性格だと察するのも難しくない。
で、そういう性格であるならば。
「……ま、付き合ぅくらぃなら。忙しくもねーですし」
当然、"相手の都合に付き合う" という建前があると
断らないし、断れないのだ。
■泳夢 >
なるほど、これは色々と苦労してるんだろうな、と。
少女が認識をするのに、そう時間は掛からなかった。
そうなる程に、彼女は”いい子”で在るのを隠せてないが、”いい子”の振る舞いを自ずと出来ない。
或いは自分が”こう”であったのなら、全然違う道を今頃歩いているのだろうなと、思うくらいには。
「それならよかった♪」
ともあれ、”こうした言い回しならば付き合ってくれるだろう”という打算は見事的中。
両手の義肢をポンっと叩いて、実に嬉しそうな笑みを向ける。
「あ、とりあえずお名前聞いとくべきかな?
私は泳夢、まぁみての通りな感じで絶賛保護支援受給中~」
そして臆面もなくそう続けると、実に開き直った言葉がぽんぽんと出てくるのだ。
実に彼女の方は、”いい性格”をしているのが見て取れる。
「それで、なんでこんなとこに来てたの?買い物の途中?暇つぶし?」
■黛 薫 >
「……いーい性格してやがりますこと」
言葉こそ刺々しいが、まぜっ返したときのような
咎める色はない。打算的な振る舞いは理解しつつ、
仮に迷惑を被るとしても引き受けるのが自分なら
諦めが付くとでも言いたげに。
「あーしは『黛 薫』。保護……とは違ぅけぉ、
ま、あーしも支援受けながら暮らしてる」
身体の不自由を開示したのは、自虐の意図が
あった場合に咎めるだけに留まらず、共感を
示す形で余計な気遣いの壁を作らないための
意図もあったが……相手がこの性格であると
分かった今、杞憂であったとため息ひとつ。
開き直った貴女とは真逆で、支援に関しても
若干の後ろめたさを感じているのが透けて見える。
■泳夢 >
「まぁね。色々私も悩んだりはしたけど……見つけたいもの見つけたし?」
開き直りも清々しく。少女の声色は今も楽しげである。
支援を受けることに泳夢もまた後ろめたさがないではないが…
泳ぐ夢の場合はその割り切れる性格と、特にここ最近は躁になるくらいに好いことがあった。
悩んだり後ろめたいことがあっても、極楽の中では気にならないというやつである。
とはいえそれは余談、閑話休題。
「薫ちゃんかぁ、よろしくね~。
んー、必要なものと分かっていても、迷惑かけたくない感じかな?」
目の前の少女の名乗りを聞きつつふむりと思案。
支援を受けることそのものを、自分は”そう”割り切ったが、彼女は恐らく違うのだろう。
■黛 薫 >
「見つけたいもの、ね」
遠くを見やる。何も見つけられずにいる者の目とは
少し違う。心当たりはある、もしくはあるからこそ
余計に悩みがちか。
「迷惑……とは、言いたかねーですけぉ。
だって、ホントに必要な人に失礼……いぁ別に
あーしが必要としてねーワケじゃねーですけぉ」
歯切れが悪い。相手が公的機関であれ、金銭的に
負担をかけることへの負い目、それを迷惑と率直に
表現することへの罪悪感。一貫して自己評価が低く、
それでいて自責に他者を巻き込むことに怯えている。
優しさと呼ぶには臆病で、保身と呼ぶには自分本位に
欠けるその感情は、ある意味で彼女の悩みそのものだ。
「ただ……そーゆー、支援? って、受けてねー人のが
多ぃんすよね。自分の力で……いぁ、家族単位とか
色々あるんだろーけぉ……とにかく、支援に頼らず
生きてる人が大半で」
「あーしは、頼ってんのに何か……頼った分だけ
貢献できてんのかって、絶対出来てねーし……。
いぁ、つかコレ暇潰しになっ……ぁ゛ー、いぁ、
違ぅ今のは。忘れて」
元はといえば、暇潰しに付き合うというお題目。
こっちが愚痴っていては本末転倒であると同時に、
"良い性格" の相手の手のひらの上で転がされている
現状は暇潰しに適っていると言えなくもない。
当然、肯定なぞされてしまえば赤っ恥なので
強引に問いを取り消した。
■泳夢 >
「なぁに、話してるだけで暇って潰れるんだよ?」
だからそう、今やっているのは暇つぶしなのだと正当化する。
決して嘘ではないけれど、物は言いようであることに疑いはない。
分かった上でやっているのだから、始末に置けないとはこのことである。
「でもうんうん、そういう気持ちは正直私もよくわかるな。
世の中支援なんか受けずに、普通に生きていける人ばっかりで……
けど、自分はと言えば誰かの手を借りないと、生きてもいけない」
されど、続く言葉に帰ってくるのは共感だった。
うんうんと、その愚痴を少女は否定しない。
「割り切っちゃうことは出来るけど、それでも支援の分を帰せるものがないのも分かってて。
それってさ──まるで”生きながら死んでる”みたいだよね?」
何故ならそれは、確かに泳夢にも確かに存在したものなのだから。
「ただ生かされてるって事ほど、息苦しいことはないんだもん」
■黛 薫 >
「生物学的に "生きてる" からって、
"生きてる" って思えるワケじゃねーものな」
肯定、共感の言葉を挟まずに続けたのは、
やはり主語を大きくしたくないからだろう。
目の前の彼女はそう思ったことがあって、
自分もそれに共感していて、けれど支援を受ける
人々全員にその形容を適用しないように……と。
レスポンスの度にそういう細かいことを気にするから
目の下のクマが濃くなるのだと言われてしまったら
何も言い返せないのだが。
「んでも、極論それって支援の有無も関係ねーの。
生きてる実感って、恵まれてるかどーかとか、
そんなの全然関係なくあったりなかったりする。
つーか、そっちが揺らぐから外に原因求めなきゃ
なんなかったりして……結局原因は自分の心なのに」
はぁ、と大きく息を吐く。
白い吐息は夜空に昇り、星に届く前に消える。
「……あーし、 "今は" 生きてる。気持ち的な話でも。
でも、生きてんだか分かんない苦しさの代わりに
"生きてるから苦しい" がある」
「ゼータクだよな。だから助けられんのがしんどぃ」
露悪的な言い方をするなら、支援は恵まれない人々を
救けるための物。身体が不自由であれ、恵まれていると
──少なくとも自分ではそう感じているからこそ、
罪悪感がある。
■泳夢 >
「そうだね、人間って贅沢なものだよ」
それは隣の芝生は青いとか、満ち足りていても不満が出て来るとか。
主語を大きくしない少女とは反対に、泳夢の紡ぐ言葉のそれはより大きく。
まるでそれは、生きる事すら出来ないことに苦しむ人もいるのというのに…
生きることが苦しいだなんてことを、言ってしまうことを正当化するかのよう。
「だから支援もおんなじ。ないならないで、たぶん悩んじゃう」
その因果が己の心にあるのなら、つまりはそれを如何にして受け入れる様な自分になれるか。
きっと車椅子の少女は、それを見つける事が出来たからこそ、開き直っているのだろう。
「だから、いいんじゃないかな。悩んでも、しんどいって思っても。
そのうち見つかるといいね──薫ちゃんにとっての生きる意味」
まるでその言葉は、それさえ見つけ出せるのなら、そうなれるのだろうとでも言うように。
■黛 薫 >
「ま、そーよな。こと支援に関して言や、
"無かった場合の悩み" は想像しやすぃ方か」
世の中には『もしこれが無かったら』という
想像すら容易に及ばないがために見過ごされる
悩みというものがある。
支援だって、そうした理解されない悩みを抱える
マイノリティが世間の荒波に晒されながら声を
上げ続けなければ生まれなかったものだと言える。
苦しみから生まれた物が救いを作る。
或いはそれを突き詰めた果てに "生きる意味" がある?
「…… 泳夢にとっての "意味" は、
泳夢をそーゆー風にしたのな……」
実のところ、黛薫にも "意味" はある。
ただ、彼女の場合は『あるから』捻くれている
……正確には、捻くれたのが治らなかった。
だからこそ『贅沢』なんて感想が出る訳だが。
だからこそ、恐らくは "意味" を得て開き直ったと
思しき泳夢に一定の理解を示す一方で、自分が抱える
それを開示も出来ず、さりとて軽々に踏み込むことも
出来ず。曖昧に言葉を濁すのだった。
■泳夢 >
「あはは、今の私は生きる為に生きてるからね」
生きる意味、生きる甲斐を見出しだからこそ大いに少女は能天気で居られるのだと。
それを否定することもなく、ただただ正直に肯定する。
ただ、誰しもがそうなれるかと言えば、きっとそれは否だろう。
何故ならきっと誰しもが、苦しむことは避けるもの。
それを自ら歩むことを良しとする泳夢もまた──その根底が歪んでいるのだから。
「私はそれだけで満たされたし、これからもっともっと満ち足りていける。
ただ生かされたんじゃないってだけで、受け入れられた」
だからそう、車椅子の少女は今もどこかがずれている。
その視点は人のそれの筈なのに、出力されるものは位相が違う。
「でもそうだね、実際どうかは分かんないけど…
見つけても、見つけていたとしても、私みたいにならないことを祈ってるよ」
■黛 薫 >
「そーーゆーーコト言ぅから、ホントもー……」
今日一番の大きいため息を漏らす。
出会って初めて、臆病と気遣いのフィルターを
取り払った黛薫の本音。
"意味" は泳夢をどう変えたのか。
開き直った態度からは伺い知れなかったが、
「私みたいにならないことを祈ってる」なんて
言われてしまえば方向性は読める。
肯定、否定、共感、反発。
悩んでいるのを見られた時点で、どの反応も
『正しくない』──薄っぺらなものにしかならない。
だから、せめて『暇潰し』のお題目には誤魔化さず
応える。素直じゃないと笑われても仕方のない素直さ。
(「大丈夫です?」なんて声かけてきたクセに。
とんだ食わせ者じゃねーか、こんにゃろ)
置きっぱなしのエコバッグを乱暴に掴み、
伸びをする。勿論、元気が出たとかではない。
けれど、苦しむために生きる人がいるように、
プラスだけが人を進ませる訳ではない。
「お陰さまで色々吹っ飛んだわ、ったく。
泳夢もあんま遅くなんねーうちに帰れよ」
■泳夢 >
「ふふふふ、今の顔のほうが似合ってるよ」
溢れた本音、素の形。
なんとなしにそれが分かったからか、車椅子の少女はそう呟く。
「どういたしまして。
私も散歩だったし、ゆっくり帰るよ。そんな遠くないし」
ともあれ、気まぐれに関わって、言葉を交わした中で得た結果としてはきっと上々。
またひとつ、ただ在るだけのことに意味を与えた気がして、どこか少女は上機嫌に。
「それじゃあまたね、薫ちゃん」
車椅子を90°程回転させて、背を向ける。
彼女が帰路に着くのなら、それを引き留めることはしないのだ。
ご案内:「常世公園」から黛 薫さんが去りました。
ご案内:「常世公園」から泳夢さんが去りました。