2024/07/18 のログ
ご案内:「私営路面バス/停留所」にノーフェイスさんが現れました。
ノーフェイス >  
気になっていた個展が延期になっていることに気がつかなかった。
なので、午前はあまり歩かない場所の景色を楽しんだにとどまった。

根城は遠い。
単車も乗ってきていないので、ここ、学生街付近からは交通機関に頼ることになる。
のしかかるような入道雲に、背中を舐められながら。
歩きは鈍行。それにしても暑い。暑すぎる。
人気が少ない。夏季休暇の午後だからか?みんな海とか街とか帰省とかしてるのか。
自分しか世界にいなくなったようなさみしい道路のむこうに、ちらりと小さなバス停がうつった。

「……路線バス。 乗ってもいいケド……」

蜃気楼さえ産む暑さ、顎に伝う汗をリストバンドで拭いつつ。
しばらく歩けば都市部にはいって駅につくし、バスを待つほどくたびれているわけでもない。
それにしても、人気(ひとけ)が――

音。
――空。

ぽたり。

「あ」

熱された足元に穿たれるしずく。
ひとつ、ふたつ――、たくさん。

ノーフェイス >    
「うわ、マジ?」

そういうことか。
局所的豪雨、夕立――この季節の風物詩。このあたり、予測エリア(・・・・・)だったわけか。
最新鋭の気象観測はそれほど精密。結局、今日は情報においては後手も後手。

「だぁーっ、もう!」

瞬く間に、濡れ鼠だ。雫を蹴立てて取って返した。
通り過ぎたバス停に逃げ込む。それなりに新しいが、ずいぶん狭い。
日頃利用者があまりいないのだろう。だって……

「つぎの便……、二時間後ぉ!?……あ、これ……」

鉄道委員会直轄運営ではなく、その認可を得て部活として運営されてるタイプの私営バスだ。
のんびりと車で島内を遊覧するのが好きなひとたちの、道楽部活なんかもある。
ベンチにずるりとうなだれる。どうりこの時代、冷房も扉もない気の利かなさなわけだ。

「せっかく買えたのに……うわ。ちゃんと警報出てるじゃんか。
 もー……ふんだりけったりだな。気が抜けてたか……?」

ポケットから取り出したオモイカネ8。都合8回目の行列チャレンジでようやくゲット。
防水性能も最新世代だが、その苦労もあって高嶺の花のように扱ってしまう。
服が全身に張り付く。濡れた紅色をかきあげて、前を見た。
バス停の屋根から豪雨が滑り落ち、瀑布のようなカーテンで外界と隔絶されている。

「…………」

しばらくは、ここにいるか。
うるさいのに、不思議と静かだ。
脚を組み、組み。――ぼんやりと。
気が抜けていた。
そうなのかも。

ご案内:「私営路面バス/停留所」に緋月さんが現れました。
緋月 > 「うわーん!!」

暗い赤の外套(マント)を笠代わりに被り、大急ぎで駆ける少女。
刀袋は腰に差し、注意しながらの全速力である。

「天気予報の嘘吐きめー!」

天に唾を吐いても仕方がないので、怒りの矛先は天気予報に向ける事になった。お怒りな事この上ない。
随分と調子が戻って来たというのに、帰り道に夕立にやられるとは、ついていないとしか言いようがなかった。
傘は持っていなかったが、それなりに丈夫で濡れにも強い外套が代わりになってくれている。
とはいえ、所詮はそれなり。長持ちもしないので、雨宿りの出来る場所を探すしかない。

「――あっ!」

幸運にも小さなバス停――しかも屋根付きだ――を発見。
書生服姿の少女は大急ぎでバス停に飛び込む。

「た、助かった――!
…て、あ、すみません、五月蠅くして。」

先客がいた事に気が付くと、反射的に頭を下げ、もうちょっとでもたなかったかも知れないマントをようやく外し、

「――――あ。」

その先客が、見知った顔である事に気が付く。

ノーフェイス >  
「……………」

ぽた、と。
頬に伝う雫が落ちた。どこか呆然と見上げていた。
むき出しの白い肩、雨露に晒された肢体。
――見上げていた。この位置関係は、なかった気がする。
目を瞬いて、見慣れない角度の彼女を確かめた。

「……逢いたいって思ってた」

よいしょ、と横にずれる。ベンチの端っこ。
二人でかけるなら、余裕がある。――その程度の。
誰か来るのは聞こえてた。彼女だとは思ってなかった。

「災難だったね、緋月も。
 天気あんなによかったから、傘なんて持たないよな。
 ……座ったら。たぶん、しばらくやまないよ」

緋月 > 「あ――はい、失礼します――。」

最初の一言は、少し反則ではないか、と思いつつ、横にずれて貰えれば、ひょいと空いたスペースに腰掛ける。
少し、湿度が上がったような気がした。多分、気のせい。

「…稽古の帰り道で。
ようやく体の調子が元に戻ったと、言い切れるくらいになってきたので。
出る前に、天気予報は確かめて来たんですが…。」

裏切られました、と、小さく愚痴る。
天に文句を言った所で仕方がない。天気予報に文句を言うのも、さして変わらないと思うのだが。

「――えと、何か外に御用だったんですか?」

とりあえずそんな話題を振ってみた。

ノーフェイス >  
「そりゃよかった。もしかしたら快気祝いの雨かも。
 ……不意に崩れるんだよな、常世島(ここ)の夏。暑さがつくる、大きい雲が……
 湿度も高いし、暑すぎるし……本土もこんななのか?
 アプリ入れてりゃ、ちょっと前に警報出るんだけど、さっきまで電源切ってて…」

どこかぼんやりとして、言葉にとりとめがなかった。
あまり顔を見ずに話すのも、なかった気がする。

「ん」

そこで、炎の色が向いた。

「訊いてくれるの、めずらしいね」

こたえるまえに。余裕ができたのかな、なんて。
柔らかい表情を向けた。

「ちょっと絵を鑑賞()に。各務遥秋(かがみようしゅう)っていう、本土の画家さんのね。
 ……気になる絵があったんだけど、来週に延期になっててさ」

こっちは、稽古のような。
実りのある用事には、出くわせなかった。

緋月 > 「えっ。」

アプリを入れていれば警報が出る。
勿論、そんな事など知る由もない。電話とメッセージ機能辺りでいっぱいいっぱいだ。

「し、知りませんでした…そんな機能まであるなんて…。」

しょぼしょぼとした顔で自身のオモイカネ8を取り出す。
余分なアプリなど皆無、何なら壁紙までデフォのままという有様。

「同じかどうかは知りませんけど、此処に来る前に居た場所は大体こんなものでした。
ここ数年で暑くなりすぎてるとは、聞いた覚えもありますが。」

旅の最中の夏はとことん厳しかった。
頻繁に水分を摂らないと、すぐに体が参ってしまう。
だからといって冷たい飲み物をがぶ飲みすればそれはそれで体調を崩す。

「それは――何と言うか、間が悪かったとしか…。
しかし随分と古風なお名前の絵師さんですね。
私は水墨画程度しか知りませんが。どんな絵なんでしょう。」

ちょっとだけ興味が湧いたり。
よく考えたら、藝術に興味を持つような事は今までなかった。
そんな間があれば刀を振って居たからだ。

(これも心の余裕なのでしょうか。)

ちょっとだけそんな事を考える。

ノーフェイス >  
「ボクより先に最新ガジェット持ってるくせしてニブめだよな……?
 この時期は……けっこうピポピポ鳴るから。
 折りたたみ傘でも持ち歩いたほうが穏やかに過ごせるかも。
 ……あれは?あの時代劇とかで出てくる、デカい笠。暑いかな?」

顎にくくる、三度笠。ジェスチャーで示す。
西洋伝来からすると物珍しく、書生服には合うような。

「まぁ、おかげでキミに逢えたし」

きっと一日を潰していたろう。
そういうことを、平然と言う。普段より、いくらか気取ったふうは抜けていた。

「……水墨画。キミの故郷(とこ)にもあったんだね」

いましがたの言葉もそう。彼女がこの前語った、正規学生証発行前の猶予期間を思えば。
自分と同じ異邦人(ストレンジャー)であることは、なんとなく察せられた。

「若い女の人だったっていうぜ。筆名だろうね。
 本名は(はるか)さん……いろいろ描いてたみたいだけど、生涯のテーマとして。
 四連作――『()』、ってのが有名でさ」

雨の紗幕。……どんどん、勢いが強くなっていた。
うるさいほどの驟雨のなかで、その声は奇妙に耳に届く。

「画家となった、処女作の『生』。隆盛期に描かれた、『病』と、『老』」

立てた指先が、空中をとん、とんと叩いて。

「それで、ついこのまえ世に出たばっかの……描きかけの『死』、ってのが」

四度目を、とん。

「ボクのお目当てだった。
 水墨画ってだいぶデリケートなんだろ。天候不順のせいもあるかもな」

こいつのせいか……?うるさい天井を見上げた。

緋月 > 「あははは…以前のレンタルの端末でも手に余ってましたので。」

以前に借りていた、小学生あたりが持っていそうなキッズスマホ型の端末。
正直あれだけでも充分用事には足りていたりした。

「ああ、あの形の笠も随分前は持ってたんですが、傷んで使えなくなってしまって。
今だと、修復するような材料も売っていませんし、安い透明な傘をダメになるまで使ったりしてました。」

コンビニのビニール傘。
確かに今ではそちらの方が調達が楽そうである。

「わ、私に、ですか――?」

少し顔が熱くなった。照れ隠しに強引に話題の転換。

「え、ええ。
宗主様の部屋などに掛け軸が飾られていました。
昔の宗主様の誰かが描いたものだとか。」

確かあれは、枯木に留まった野の鳥の絵だったと思う。
藝術的価値やら、絵のセンスと言うものは、当時は理解できなかったが。

「生、老、病、死……仏の教えの四つの苦、ですね。
釈尊がまだ俗世で王子だった頃、城の四つの門から郊外に出掛け、最初は老人、次は病人、三度目に死者、
最後に苦行に打ち込む者を見て、出家を決意したという。」

それ程深く齧ったわけではないが、そんな逸話だった筈。

「若い方が選ぶ絵の題材としては…私はその辺り、素人ですが、随分と考えさせられる題材ですね。」

口元に手を当てて考え込む素振り。
そこではた、と気づいた顔。

「最後の「死」だけ、書きかけなのですか?
それに――だった、という事は…。」

もしや、という予感。
――優れた芸術家の中にも、時にあまりに早く世を去るものはいるというが。

ノーフェイス >  
「キミ、お金持ちなのか持ってないのかよくわかんなくなってくるな」

華麗な掛け軸を飾っていたかと思えば、笠のやりくりに苦心しているみたい。
それでも、なんとなく充実していそうに見えた。

「…………」

それでも、真面目な話になれば、静かな顔でそれを聞く。

「四苦の教えの起源までは知らなかったな。
 なにごとにも主想やきっかけがあるけど。
 ……キツい時代だったって話だもんな」

人を導き、あるいは操る。それでも、人の為になるもの。基本的には。
へえー、と興味深そうにしてから、彼女の語ったことを受け止める。
だがそれでも、かつての王子のことは、識り得ない。

「ハッピーになっちゃうくらい、あの乳粥が美味しかったのかなとは思ってたな」

あるいは、差し出されたその優しさになのだろうか、なども。

「……死因は、非公表(・・・)だ。遺族の意向だってさ。
 でも『死』は展示される。描きかけなのに。本人の意向だって。
 どんなのなのかは……まだ、みてない」

インターネットにもパンフレットにもあがっているだろう撮影されたそれより。
先入観なしで本物をこの目で見たい。……そう、考えた。
情報に疎いのはそのせいだ。

識りたい(・・・・)んだ。
 ボクのなかに、おそらく『死』が、まだないから。
 ふわふわしてるんだ。かたちにならない。……音楽(うた)に。
 他人(だれか)を見送ったことは、一度や二度じゃないのにね」

この存在が、識ろうとするのは――そのためだ。
識りたい。――斬りたい。
そのために、理想を追う少女の傍らで。

緋月 > 「うーん、何しろ故郷がひどく山奥の里でしたから。
其処から出る用事も、そうそうありませんでしたし。」

一番の基準になっている、山奥の里。
其処を基準に考えるとするならば、

「……多分、今の世から見れば、お金を持っていそうな家だとは思います。
あれだけ大きな屋敷は、今の世ではとても都会に作れる余裕はありそうにないので。」

実際にそうなのかは分からないが、大きな屋敷だったのだという事は、旅に出て外界を見てから理解出来た。

「苦行だけでは、悟りに到達できない……という逸話でしたね。
目指す所は違っていても…他人事とは思えません。」

乳粥の逸話には、小さくそう返答。
鍛錬とその繰り返しは時に苦しいが、それでも己の力となり技となる。
だが――それ以上を望むのならば、それだけでは何かが足りないのではないか。つい、そう思ってしまう。

「――やはり、鬼籍に入られていたのですか。
遺族の意向で詳しい事情を明かさないというのは、理解出来ます。繊細な問題ですから。
しかし……それでも、書きかけのその絵は、展示されると。」

それは何故なのか。そこはまるで分からない。
例え書きかけの不完全なものでも、「四苦」である以上、それを出さずに置く事を己が許せなかったのか。
はたまた、他に理由があるのか。

「死を、識りたい――ですか。」

「死」がないから。
曖昧で、形を持たないから、出力できない。
だから識りたい、と。

「…私とは、逆ですね。
刀の業に生きる者として、私は死が何より身近なものだという認識でいました。
ただ――あ、いえ、そんなに深い出来事ではないのですが。」

思わず口ごもり、誤魔化してしまう。

――あの時の事は、例え知己や知人、それ以上でも、
徒に口にすべきではないと、己の勘が警告を出した。

ノーフェイス >  
故郷(ふるさと)から遠く離れて……」

彼女は、どうやら名家の子らしい。
どうにも、最初に話したときは。
もっとなんというか――進んでいない集落のそれを思わせた。
育ちも良く、教えもあるのに、そうして彼女の性質が、周囲から人間を遠ざけたのだろうか。
横目で伺った。識る――それは、自分のなかで解像度をあげること。

「辿り着く場所(ゴール)なのか、帰り着く場所(ホーム)なのか」

生を旅だとするなら。死はどちらだろう。あるいは、転がり落ちた崖下なのか。
ずいぶん遠く、旅の途中、ふたり。雨は、やまない。

「それは」

ひとつ、うなずいた。

「なにより身近なもの、……って感覚は。
 なんか、わかる気がする。ずっと、そこにあるんだよな。
 キミのそれは、戦場とか、決闘とかの、それか……ボクは……このまえから。
 考え始めてから、ずっと。枯れ果て(・・・・)腐り落ちた(・・・・・)自分に殺される幻覚(ゆめ)を見てる。
 いつでも自分で選べる帰結なんだ、っておもった。 ……フフフ。
 このまえ、キミに識ったふうに聞かせたよな、あの話。その時も」

であれば不死者は、みずからを死より遠ざける、ともいえる。

「…………ねぇ」

不意に。
少し疲れた表情で、す、と身を乗り出し、近づいた。

「キミにとって、識る……てのはどういうコト」

緋月 > 「そうなりますね。
里を出て他の街に辿り着く事が、既に遠い旅でした。
初めて見た外界の街は、自分が知らぬ間に国境(くにざかい)を超えたのでは、と誤解したほどです。」

今となっては懐かしい出来事だ。
その後旅を続けて、寧ろ故郷の方が隔絶されていたのだ、と分かるまでそう時間はかからなかった。

「――難しい問題ですね。
私にとっては――それこそ、道の半ばで倒れても、それは己の天命だったと思えるものですが。
勿論、ただ甘受するだけでなく、せめて相応に歩いた果てで迎えたいものです。」

漠たる死に安らぎなし。曲折の果てに、其は訪れん。
今の世では、聊か理解されがたい考えかも知れないが。

「自分に…殺される幻覚(ゆめ)、ですか。
枯れて、腐った自分に…それは…。」

一言で言うのが難しい。
それは、腐った己(楽に流された思想)に、自身が追い立てられているという焦燥にも、思える。
勿論、他の意味も存在するかも知れないが。

「――私にとっての、識る事、ですか。」

目を閉じ、考える。
己にとっての「識る事」とは、

「……あるいは、最も恐れているのに、どうしても捨てられないもの、でしょうか。
己の「業」に振り回されて、それでも誰かを識る事を、そう願う事をやめられない。
その結果は…もしも耐えられず、衝動的に「識る事」を選んだなら――
手にしたものは、最もおぞましく、しかし手にしたくてやまないモノ…なのでしょう。」

少し、憂鬱そうに、小さく息を吐く。
出来ればそんな形で手にしたくはないものだった。

ノーフェイス >  
前のめり(・・・・)に……?」

座すより、臥すより。
たとえそれが天命でも、相応に歩いたその先へと。
その時まで、歩き続けることだろうか。
どう死にたいか。そういう話であるような気も。

「ごう……、…(カルマ)……」

手を。
その頬に触れた。
相変わらず大きく、指も長い。剣ダコとはまた違う、修練に硬くなったそれ。

「でも、その『業』が……ボクとキミとの、(よすが)でもあるはず。
 識ることは、よろこびなのか、納得なのか……とか……そうか。
 まだキミのなかでは、こたえには至っていないんだな……」

あの夜、偶発的に至れたというものでは……きっと、不全なのかもしれない。
成したことは、確かでも。
理想が成就したときにのみ、わかるコト。

「…………じゃあ、さ」

覗き込む。

「誰でも、いいの?」

誰にでも、その欲望は向いてしまうのか。

「あの青垣山(ヤマ)で……ボクに言ってくれたよな。ボクのことも、識りたい、ってさ」

どうして自分を?と。
表情のない、しかし、遊びのないそれとは違う。
力のない色が、問いを重ねた。

緋月 > 「はい、せめて一歩でも歩いて、少しでも前に。
――こんな事を言うと、「死を美化し過ぎている」と怒られそうですが。」

あるいは、より危なっかしい、と言うべきか。
とある知己の顔が浮かぶ。

「――――。」

かたい、指。自分のように、刀を振り続けた者とはまた異なった固さを持った、指。

「…そう、ですね。
まだ、其処までの答えには、辿り着けていません。」

素直に肯定する。
それを答えるには、まだ己には欠けている所が多いと、そう感じる。

「……意地の悪い、質問をされるのですね。」

少しだけ、不機嫌そうに、ほんの少し視線をずらす。

「――前向きに、識りたいと思った、いえ、一番に思っているのは、あなただけです。
あなたは――今まで会った人の中で…どういえば良いか、分かりませんが…何かが、違う。
それを、知りたい。

他の方に、それ程強い衝動は、まだ感じません。
――それに、」

少しだけ目を伏せ、憂鬱そうに口を開く。

「識る事に戸惑いを覚える事も、あります。
普通であれば、当たり前なのかも知れませんが…知る事が、良い事に繋がらないのでは、と……
そう思う事も、時折あります。」

恐る恐る手を伸ばし、己の頬に触れる手の甲に、人差し指を伸ばして小さく触れようとする。

ノーフェイス >  
視線を逸らされると、炎の色が、不思議そうに瞬いた。

「……………、」

続く言葉には、どこか、呆けたような。
想像していたものとは、まるで違った言葉を言われたような。
そんな受け止め方をしていた。まっすぐすぎて、疑いようのない言葉だから。

(どうして……)

目が潤むことすら気づかないまま。
少し、唇を噤んでから。やがて。

「……逢いたいって思ってたって……あれは、ウソ。
 知り合いになら、だれにでもそういったと思う」

心にもない言葉だったのだと。

「各務遥は……各務遥秋という筆名に、死因(ほんとう)を隠した。
 識られたくないほんとうのことがあって、識ってほしい……、ううん。
 伝えたいことは、別なんだ。……ボクも……」

識りたくないことを識ってしまうかもしれない。警告(・・)だった。
名前のむこうに、多くの虚構のむこうに、隠すもの。
それが甘美なる果実とは、限らないのだ。
そこで。

倒れ込むように、抱きついた。
彼女から逃げなかった。逃げるはずもなかった。
濡れた服ですら留められぬ、熱い体温。
耳元に、唇を近づけて、

ノーフェイス >  
 
   
「―――、」

最初の、一声。
ほんの僅か、ささやくような小ささでも。
それだけで――けたたましい雨音が、さっと遠のく(・・・・・・)

世界が歌声だけになる(・・・・・・・)
 
 
 

ノーフェイス >   
彼女の識らぬ曲。まだ誰も識らない曲。英語(イングリッシュ)
子守唄(ララバイ)のように柔らかく、優しい旋律。

傷を慰撫するように。視界を柔らかく覆うように。
郷愁をかきむしるように。哀惜をさそうように。
それでも、明日を願う熱ばかりは、隠せずに。

剣をふるい、精神を研ぎ磨くものならばよく知る感覚だろう。
集中――雑念(・・)を廃絶し至る境地。
抱きしめるように、他者をそこ(・・)へ導く――惹き寄せる、技術(・・)

真に至った剣が、異能や魔術と変わらぬ奇跡をこの世に示現するならば。
真に至った歌が、そうであることも――また、明白のこと。

美醜、巧拙、良し悪し――そんなものは後からついてくる。
響かせて(・・・・)ふるわせる(・・・・・)――魔性。

ノーフェイス。
それを識るなら、まず(ここ)から。
ほんの玉響……1コーラスだけ。

緋月 > 「気の多い方ですね、あなたは。」

嘘を告白する言葉に対して放たれたのは、責めるような言葉に反するように子供っぽい響きを伴っていた。

「でも、もしかしたら私も同じかも知れません。
私の何が良いのか知りませんが……妙に距離の詰め方が激しい人との出会いが多くて。」

だから、あまり責められたクチではない。
向かうベクトルが外側か内側かの違い。
自分もまた、妙に誰かに強い思いを向けられる事が多い。

「識られたくないのに、識って欲しい――。」

大いなる矛盾であり、切なる願いであるともいえる思い。
誰しも、心に知られたくないものを隠しているのだろうか。

そんな事を考えていたから、抱き着かれても反応は遅れてしまって。

何かを言う前に、世界が、歌声で満ちる。
あれだけ五月蠅かった雨音が遠い――否、隔絶されているとすら感じる程に。

「――あぁ。」

聞いた事のない言葉で紡がれる歌。
優しい調べなのに、何処か胸を掻き毟られるようでいて、しかし同時に、強い熱を感じる。

誰の言葉だったか。
《道を窮めれば、辿り着く処は同じである。》

それをまさしく、己の身を以て感じ取る事になった。
要らぬ混じり気は消えて、ただ透明な何かに精神が向かう。

――――――それを一言で表すならば、

『とても――――きれいだ。』

美しいだけが綺麗ではない。
その概念は、恐らく…人の数だけ存在する。

故に。少女にとって、その歌声と、それが導くモノは、とてもきれいなものだった。