2024/09/07 のログ
■ノーフェイス >
「……直視できなかったんだよな、真作は。
図録ならある程度は……やっぱり実物、デカいし、凄味があった。
筆……墨をぶつけたような、黒は。絵の具とはまた違って……
とりわけ強烈に……強く塗り込められた感じが、したんだ。そうなんだろうな。
あの透けない黒は、どれだけ大切なひとも、あっさり奪い去っていく……」
憧れようはずもない。魅入られようはずもない。
ただ恐かったのだ。自分の過去を照らし合わせて。
自分ではない誰かがあの闇に沈んでいった記憶を想起したのだと。
すこし渇いた喉にコーヒーの潤いを求めて、吸い付いて、認識を現在に帰還させる。
蒼白い騎士よりも、漆黒の殺人鬼のほうがまだ可愛げがある。
「…………」
合点がいった。組んだ脚を、テーブルの下でぷらぷらと揺らした。
「あまりに完璧な理想図を描かれて、現実とのギャップが強烈な嫉妬を産んだワケか。
こうはなれまい――という、ある意味での、敗北宣言でもある……?」
原動力になるのなら、こうあろう、と思えるはず――というのは。
才覚と努力を持ち合わせた人間のある意味では過剰な期待かもしれないが。
「どれだけ近づいてくれても構わないんだケドなあ」
それでも、やれと言えばがんばりやさんしてくれるのは、すこし嬉しかった。
……だからこそ、だ。根底にある、自己嫌悪の正体が……その来歴が、ふたりの成り立ちが。
ひどく気になる。生と死のありかた。ひとつの肉体にふたつ――
「……………、……」
果たして、真顔でそれを受け止めた。
彼女の語ってくれた、ノーフェイス。
まばゆく。勇気と決意をもって、最期の瞬間まで戦い抜いた――そのあり方。
それを受け止めて、咀嚼して……受け止めて……受け止め――――
「……ボク、キミの瞳に……そんなに格好良く映ってるの?」
思わず手のひらで口元を隠しながら、顔を窓の外へ向けてしまった。
顔がちょっと熱い。耳まで赤くなっている気がする。
■藤白 真夜 >
「はい!」
格好良く映っているのか。その問いにだけは、自信満々で応えた。
なぜなら、実際がどうなのかは、関係が無いから。
ノーフェイスがどういう存在であるか。そう問われたら、悩む。それは、あっているのか。相手に、傷を負わせないのか、と。
でも、わたしがどう見えているかは、わたしが定める、わたしの答え。
それに価値があろうとなかろうと、わたしの目にノーフェイスは輝いて見えていた。
「でも、あなたが音楽家だから……ではありません。
あなたの唄は一度聞きましたけど、やっぱり難しくて。……気持ちの良いシャウトは、覚えているんですけど。
でも、そういうことじゃないです」
あの象牙の塔の前で教えてくれた、ロックの意味。
虐げられても、立ち上がる者たち。人間や、個人が、音楽という芸術でつながる意味を。
闇のマーケットで手に入れたモノで、わたしは失敗した。
でも、自分の失敗だ。たとえ失敗であれ、自分で得た、自分のものだ。
挑戦を恐れぬ意思を持て、とノーフェイスは囁いてくれた。あれが唆しだったとしても、わたしはその末に意味を見た。
成功だけが人間の上に微笑むことはない。
わたしは未だ、泥沼の中に居るのだろう。わたしは未だ、自分を恐れているのだろう。わたしは未だ、資格を得ていないと思っているのだろう。
でも。
「あなたは、わたしを挑戦させてくれました。……失敗しちゃったんですけどね。
あんなふうに、ロックを謳うひとが、くじけると思えないんです。
……格好いいと、勝手に思っているだけかもしれませんが。……す、すみません、ちょっと、厄介ファンみたいになっていますね」
……藤白真夜は、諦めていない。
誘惑に揺蕩うことはあれど。己の暗がりを認めながらも、輝きを見つめている。
死の慰みを求めながらも、生を諦めていない。
彼女が、もし……もし、人並みの弱さを持っていたとしても。
その有り様で、きっとその歌で、勇気の花を咲かせられた人間は大勢居る。そう、示すように。
「わたしは、……まだ死ねません。
……夢を、叶えるまで。
だから……敗北宣言では、無いんです。……いえ、しちゃってもいいくらいでした、けど。
だって」
……わたしにしては、珍しいことだったかもしれない。
基本、自信は無い。勇気も。あの死の花に、いや、各務遥秋に、おぞましい感情を抱いたのも認める。
でも……単純な回答を、持っている。
「人間って生きてるほうが、強いじゃないですか」
……生と死は、表裏一体。あるいは、繋がっているもの。
異能から湧き上がる命と生存欲求が、滅びゆく精神を貫いている。
どれだけ死を愛でても、生を捨てないこと。
それが、わたしの約束だった。
そして、たまに揺らぐその決意を、……音楽家の言葉は、確かに支えている。ううん、きっと、この島で出会った全てのひとのものが。
■ノーフェイス >
――――ああ、
「――――」
雨が降っていなくてよかったと、心から思った。
泣きそうになったときに平然と振る舞うことは小さいころから得意だった。
ノーフェイスは泣きやしないのだ。彼女のなかに在る偶像は、このように――
一度目を伏せてから、あらためて顔を向けて、
その存在は、それはもう余裕と自信を滲ませて、無駄に佳い貌で笑ってみせた。
「でも、まだ生きてるんだからやれるよな……?」
彼女の挑戦を――夢を。語ってくれた胸のうちを。
手放しに称賛は、しない。それでも、爛々と輝く双眸でみつめた。
「キミが……どうしようもなくみじめで無様にやらかしたんだとしても。
……生きるのって、きっとそういうコトだ。
実際のところ、どうしようもなく恥ずかしいことなんだと思うんだよな」
ただ生きることを、まばゆく評価する気にはなれなかった。
心臓が動き、呼吸するだけならきっと誰にできて、
たとえどれだけの不幸や悲劇が転がっていても、下ばかりを見ない人間だった。
「でもそうじゃなかったらできないコトのほうが、ずーっと多いから。
痛いのだってキモチイイのだって、人生にしかないんだし。
イヤになるほどのしがらみや不自由のなかで、たとえ迫られた選択でも、
自分の意志で……どう生きるのかを、考えて、選んで、決めたのなら。
不徳の七罪だって、迷いの六道だって、きっと尊いもののはず」
からからと、ストローでグラスをかき混ぜた。
しっちゃかめっちゃかになった人生も、停滞することなく進み続けていた。
肯定するのは、生ではなく人間だ。虚無のなかで、意志をもって生きる種。
万物の霊長。世界において最強であるもの。
「ボクが、各務遥秋に抱いた感情は――」
あのとき、なぜ手を掴まれ、引き込まれそうになったのか。
「――共感だった。
理想を実現するために生き抜いた女なんだと。
病に苦しみながら、月に手を伸ばし続けたんだと。
……いや、違う。その輝きをつかもうとし続けていたんだ。
楽になれる方法なんて、きっと、いくらでもあった。
それでも……最期の一瞬まで、一切手を抜かなかったんじゃないか」
執念深く、狡猾に。
絵を描くために――では、きっとない。
彼女はどうしようもなく、生きることができたのだ。全力を出すことができたのだと。
――決意はした。新たにしたのだ。おそらくは十年ほど、先を歩いた女性にむけて。
「だから『死』がボクとキミに届いた。
その裏側の意図まで含めても、どうしても想像になっちゃうケドね」
結局は、どう受け取るかの話。執念の結実と理想の具現と受け取っている。
彼我の死生観、人生観。
藤白真夜にとっての、各務遥秋であったり、ノーフェイスであったり。
ノーフェイスにとっての、藤白真夜であったり、そして。
■ノーフェイス >
「…………ね、真夜。
生きてさ、夢を叶えた先でなら」
少しだけ、もう少しだけ前に、乗り出した。
「キミは、キミ自身を愛せるかい?」
すこしばかり、狡い問いかけであったとは思うが。
問わねばならなかった。
死――すべての清算の時にまで、生きてなにかを成そうとしている少女に。
■藤白 真夜 >
ノーフェイスの記号の下に伏せられたものを、見なかった。でも、否定もしない。
真面目で素直に、見えるものを見た。綺麗に、輝かしいものを。
事実、わたしにはそう見えているのだから。
「……はい。あんまり、急ぐつもりはないんです。
結局、わたしの……そういう生き方だと、思っていますから。
思えば……いろんな、正しいもの。楽しいもの。……輝かしいものが。辛い道の最中の誘惑にばかりに、見えていました。
お釈迦様みたい。……ふふ、どの口が、ですね」
自嘲の笑みは、浮かべ慣れていた。ノーフェイスのものとちがって、見栄えはよくないけれど。
意味がなかったとしても。救いがなかったとしても。資格がなかったとしても。
……わたしは、この藤白真夜は、罪を雪ぐまで……死なずに生きるのだと。
「……共感。
やっぱり……あなたも、芸術家なんですね」
わたしの考えは、きっと外れていただろう。でも、妙な納得があった。
あの作品に、ではなく。あの人生に。
己の死をも利用するような、あの執念に。
他人の人生という、額縁を通してみる、その絵画に。
……どうしようもなく、惹かれるんだ。
切り取られたその意味を見て、勝手に解釈して、勝手に美を見出す。
そんな、人間の自分勝手な、でも大切な想念を……芸術に、求めていた。
■藤白 真夜 >
「……ゆめを叶えた、さき……」
遠い。
とんでもなく、遠かった。夢想、妄想ですら、遠い。なにせ、自分に想像できないのだから。
──自分の、罪悪感が晴れた先。
きっと、一番簡単なものがある。問いには、一番難しい仮定があった。
でも、手を抜けない。各務遥秋のように。きっと……太陽の下でも記号を降ろさない無名の音楽家のように。
「……もし、もし許されるなら」
そこに至るまで、時間がかかった。妄想の中で、さえ。ある種、口にすることすら、罪かもしれない。一瞬、胸に痛みが走る。予感がある。それはきっと、考えても痛いだけだと。
楽であろうとすることは、避けた。全てが誘惑に見えるから。でも、でも。
……仮に、でなら。
「愛は……わかりません、でも。
……恋が、してみたいです」
目を閉じて……そこに無いものを、見ていた。
それは、自らを愛せるかという問いの、真逆だったかもしれない。
でも、それはわたしの答えだった。
誰かに恋することは、自分を愛さないとできない。わたしは、そう信仰していた。
自らの、定まらぬ芯と直面出来ぬ自我を抱えたまま、恋は出来ない。
ただ、ただ……純朴な、無垢な恋。
それこそ、自らを認め、赦し、愛を得たその時だと。
……一時、静かに微笑みながら、夢にみた。
■ノーフェイス >
「苦行だけでは悟りには至れないのかも……っていうのは。
どっかの箱入りお嬢様が、ボクにいったことの受け売りだケド」
そもそもは有名な説話である。
かの女の素朴な慈悲に救われた男の話だ。
ちょっとそれを聞いた状況を思い出すのは……相変わらず癪というか、あれなのだけれども。
眼の前の彼女に倣って、そう、無様で惨めな自分も、甘んじて受け入れねばならない。
そうしなければきっと成長はないのだ。悔しくとも。
「……うん。あのときよりは、よく笑えてる。
でももーちょっとボクみたいになれるとイイかな~。これからすこしずつ、一歩ずつ。
もしボクの歌が、その背中をわずかでも押せていたら……そう、冥利かな~?」
釈迦の話が出たなら、冥利――らしくないけどこの言葉を使って、微笑んだ。
かつて笑えと真面目な少女に言ったのは、紛れもなく自分だ。
だから自分も笑わなければならない。
「命を賭して。
理想の自分を目指し、実現し、証明する……し続けるコト」
端的に言えば、そういう人間だと。それが人間だと、言い張った。
「でも、そうだ。そうだな……、
各務遥秋は、遺したかったのかもしれないね。
目指す形は違えども……たしかに、そうかも……」
死後も途絶えぬ芸術。ノーフェイスを通して、藤白真夜が見たるもの。
それが見当外れかといえば、そうではないはずだ。
花。一輪の楚々とした花。それはきっと――自分と、彼女の。
夢のなかの道端にも、きっと咲き続けるのではないだろうか。
自分が――彼女からそういうものに見えていたのなら、それはそれで面映い。
あんなお上品に咲くことはできないけども。
■ノーフェイス >
「…………」
果たして、語られた夢の先に。
目を丸くして――あっけに取られた。
「キミは…………」
今日ここに至るまで、堕ちずにいられたのか。
恋という、奈落の穴に。赦されざる他者への想いに、焦がれたことはなかったのか。
それを押し留めてきた罪悪感のほどを、単なる自己嫌悪と題してもいいのか。
――――すべての問いをしかし、彼の漆黒に向けながらも。
「…………うん。それなら――――」
いますぐ、応えなど出やしないだろう。
ひとつ頷いてから、あらためて、彼女のほうに手を差し出した。
「人生の結末まで、見届けさせてほしいな。
たったいま、恋に恋した罪を負ってしまったキミの、そのみちゆきと挑戦を」
彼女がなにを目指し、なにと戦い、なにを叶えようとしているのか。
いまはまだ不透明なまま。きっと、そして、彼女の人生は、長いのだろうから。
きっと殺人鬼ほどには、自分の近くにはいない相手。
それでも告白を聞いてしまったからには、まったくの部外者でもいられない。
――そも自分の結末も、片割れのほうに握られているのだし。
■藤白 真夜 >
「やっぱりちょっといじわるでしたね」
背中を押すその言葉に、しかし困ったように笑う。
恋に恋した罪は、一体何を背負えば赦されるのだろう。
その夢想は確かに罪を増やしたけれど……揺らぐことは、無い。それだけ、わたしにとって難しいことだから。
「……物語と命は、違うものです。
ときに綺麗ではなく。ときに歪で。理不尽に終わることだって」
各務遥秋のことを、想った。
……どうあれ、彼女は死んだ。もう居ない。終わって……その物語は完成を迎えた。未完成の作品を、遺して。
「でも、わたしは……諦めません。挫けはするかもしれませんが。
ご存知ですか、ノーフェイス」
差し出された手を見る。
挑戦し続けるものの、手。
わたしのものとはずいぶん違うように見えて……でも、同じ。
理想を諦めていないものの、手だ。
「音楽は、一度識ればどこでも聞けるんです。
頭の中で思い出せば、それだけで。
きっとあなたは……あなたの歌は見届けてくれる。
……わたしの、夢の中まで」
目を閉じてそっと、手を重ねた。
祈るように、誓うように。
「……隣人の祝福を願うことの出来るあなたに。
輝くものが、その瞳に映りますように……」
少し冷たい手を重ねて、祈った。
自分に願うことの在庫は、今日の懸想で飛んでいってしまった。
だから。せめて。
彼女のみちゆきに、月の無い夜が訪れぬように……。
■ノーフェイス >
「兎の巣穴?」
回り道。あるいは、恋わずらい。
出会わなければ抱くことのなかった罪を、背負わせてしまったので。
少々寓意が効きすぎているかもな、と、彼女に倣って自嘲気味に。
――知っている温度。知らない手つき。
わずかばかりに、その手を握る。きつく、こたえるように。
「……キミは優秀だ」
目を伏せて、観念した。
きっと、彼女の恋を見届けることは、自分には叶うまい。
だからせめて、結末までは。
「見つめるよ。罪だろうと、死だろうと。
それがボクの混沌を満たして、あらたな歌が誕まれるから」
すべては、能動と認識で、じぶんの世界を形作って。
「……だからキミも、どうかこの世界に満ちる輝きから、目を背けないように。
受け取って……そこからどうするか、じっくり考えればいいんだから」
その祝福は、さらなる荊棘に蹴り込む無慈悲であっても。
それが、慈悲よりも巨きな愛と謳うように、少女を呪った。
ご案内:「喫茶『Detours』」から藤白 真夜さんが去りました。
ご案内:「喫茶『Detours』」からノーフェイスさんが去りました。