2024/12/17 のログ
藤白 真夜 >  
「……!」

 即答。力強い言葉に、わたしの心は打たれていた。
 きっと、ふたつの意味で。

「……いえ、解っているんです。
 ひとの命を使った実験が、正しいはずがない……」

 わかりきった意味。わたしだって、そうだ。
 ひとの命が目の前で潰えたからこそ、ここまで来れたのだ。同時に、……

「…………わたしも。そうだったのです。
 ひとの命を、わたしを、使ってでも……目指したいものがあるひとたちが居たから、わたしが居るんです。
 ……確かめたかったのです。それが、どう見えるかを……」

 言葉は滔々と。
 今は過ぎ去ったけれど、わたしの過去とこの実験は、重なって見えた。
 正気。
 倫理。
 命。
 そういうものを置き去りにした実験と研究の果てに、わたしは居た。
 わたしは狂気の中で生まれ、弄られ、そして狂気に救われた。

 それはいい。もう、乗り越えたもの。だからこそ、わたしの声に悲嘆は混じらない。

「だからこそ、正しい訳が無い」

 わたしの中には、ふたつ論理があった。
 
 己と重なる、異常を飼いならしてでも最大多数の最大幸福を目指す狂気の純朴さと。
 己と重なる、消えゆく命をけしていたずらに増やしてはならないという正義。
 わたしが前者を捨てられないのは、わたしの命の恩人もまた、狂気の科学者に違いなかったからだった。ただ、大切な誰かを死なせたくないだけの、人間だったのだ。それがどうしようもなく、手遅れだっただけの。
 黄金瞳の前に応える言葉は、揺らぐことはない。薄暗い赤い瞳で、けれどまっすぐに見つめ返した。

「……ノアさん。
 依頼を、してもかまいませんか。
 …………まだ、探偵さんでいらっしゃるなら、ですけれど……」

 ……けど、またすぐ、控えめに上目遣いになってしまった。
 なんだか以前と様相も変わってるし、もしかしたらもう危ない探偵とかしてないのかもしれない、そんな控えめなうかがい。
 

挟道 明臣 >  
酷い事を言っている。
多少なりとも、彼女の身の回りについて調べてその過去に触れているというのに。
ここ数日何回か繰り返している気がする。
少女を虐める趣味は無いのだが。

「…………」

少女の語る言葉を、男は黙して聞いていた。
あの方舟の中で感じた苛立ち、怒り。
その一端は、眼前の少女に秘められた神秘に取り憑かれた連中を想起した事にある。
それがただ一方的な搾取ではなく、相互に利があって成り立っていたのだと、
鳴火が懐かしそうに語る姿を見れば言われずとも分かっていた。
だが、その結果がどうなったのかは言うまでもない。

「なんなりと。何時かに渡した名刺のままさ。
 君が俺をその名で呼ぶのなら、歓楽街の探偵として応えるよ」

真っ直ぐな視線から、逃げはしない。
あの頃とは、もう俺のありようは随分と変わってしまった。
それでも、少女の求めとあらば応えよう。

ちょっとばかりの身長差。
僅かに下から見上げるその姿が、もう戻らない懐かしさをくすぐって。
痛くて、熱くて。
ごまかすように、隠すように小さく笑ってみせた。

藤白 真夜 >  
「……ありがとうございます、ノアさん」
 
 己の成り立ち。薄衣の向こうにある過去。血濡れの懺悔。
 それら全てを受け入れて、……今はただ、目前の男の人の言葉に小さく微笑んだ。
 ひとが死ぬことが正しい訳が無い。
 それでいいのだ。わたしだって、そう思う。
 きっと、わたしにも、このひとにも、いろんなことが起きて、いろんな想いが過ぎ去っていく。
 それでも、わたしの瞳に映るのは、あの心強い正義の探偵でしかない。腕に血の気を感じずとも、髪の色が変わろうとも、それは変わらないのだから。

 
「──橄欖(オリーブ)の葉を。探してほしいのです」

 謎掛けのように、鳳先生に投げかけられた言葉を、繰り返した。
 自分で探すことを、諦めたわけじゃない。ただ、……探す(・・)という一点で、この人以上に上手く出来るひとを知らないから。

かの(・・)ノアは、方舟で洪水を乗り越えたあと、鳩を飛ばします。
 橄欖──オリーブこそ、洪水の災厄を乗り切った証。
 平和と勝利の象徴こそ、橄欖の葉を得た鳩。
 ──同時に、アークの完遂(・・・・・・)を意味します」

 それは、何を意味していただろうか。
 この一連の出来事──アークの終わり。
 旧約聖書の物語をなぞるなら、計画の成功でもある。
 同時に……鳩とオリーブは、平和と豊穣の象徴。
 わたしは、求めていた。探していた。
 この方舟が、正しく辿り着く、果て。その最後としての意味を。
 純白に花開くオリーブを咥えた、真っ白な鳩の姿を。
 
 それが、忌まわしいものでも。それが、物悲しいものでも。
 唯一つの、純白の真実。
 それこそが、オリーブの葉だとわたしは感じた。

「……わたしも、探します。
 わたしも、どうしてもこの事件を、計画を、実験を……受け入れられず、でも同時に否定出来ない。
 だから、橄欖の葉(けつまつ)を、わたしも探します。……本当に、微力ながらですが。
 ……もう、ノアさんにああいうお顔はさせられませんので」

 わたしが、本当の意味でこの一件に関わりきれるかは、わからない。
 ……それでも、だった。
 命が危ういこと。
 それで立ち止まるには、わたしの躰はそれ()に慣れすぎて。
 それ()を拒む確固たる意志が、在りすぎた。

挟道 明臣 >  
「オリーブ、ね」

言葉遊び、そう笑うには因果めいた物があった。
俺は何処まで行っても偽物(ノア)だ。
旧約聖書のようにいとすぎを編んで舟を創るようなクリエイターじゃない。

「ははっ……随分詩人めいたお願い事をするな、面白い先生でもいたか?」

方舟は既に編まれ、洪水の先端は見上げれば影を差す程の距離に迫っているのだろう。
平和と豊穣がその跡に残るのか、それは俺にも分からない。

「辛いだけの真実が待ってるかも知れない。
 知るほどに、苦しさが募っていくことになるかも知れない」

敢えて、口にする。
泥の底から救い上げた真実がどんな鈍色をしていても、向き合う事になるのだと。

「━━今まで、全部手遅れだった。
 事が済んだ後の現場を荒らして、掘り返して。
 そんな事ばかりを繰り返してきた」

何時だってそうだった。
真実を見つける為、そういって幾つもの骸の秘匿してきた物を暴いてきた。
それこそ、そう。あの”空白”の揶揄したように。

「だからって訳じゃないが、オリーブの葉は……そうだな。
 綺麗な物を守ってみるよ。
 今度こそ、泥の下に沈む前に拾い上げる」

綺麗なだけの物語では済むまい。
暴走した科学者の手で洪水は既に引き起こされた。
その中で、たかだか俺一人にできる事なんて限られているのだけれど。

「……言って大人しくしてるような子じゃあ、ないんだろ。
 こんなところに来るくらいだ、止めないさ」

……まだ子供なんだ。
痛い思いなんかしなくて良い。
依頼なんかじゃなくても頼って良いし、甘えて良い。
苦しい気持ちを言葉にして、欲しい物を欲しいと言って自分を探していく。
そんな時期じゃないか。
だから━━

「ただ……心配くらいはさせてくれ。
 君が傷つくと、なんだ。
 その、俺が悲しい」

藤白 真夜 >  
「……! ありがとうございます、ノアさん!
 詩人、というか……最近、神学と“うた”に触れることが多かったからかも、しれませんね」

 きっかけは、間違いなくあの妙なことばかり言う診療所の先生のせいだけれど。
 ……このひとにだって、平和の象徴が舞い降りても良い。そう、わたしが願ったからかもしれない。

「はい。……喪われたものは、取り戻せない。あの黒い液体に溶けるのは……そういう意味だと、わたしでもわかりました。
 ……でも、それでもいい。どんな結果でも……それが、あの人たちが命を焚べた結果なのですから」

 目の前で溶けた彼を、覚えている。最期まで、誰かを慮り……何より、その理不尽への不可解を。
 わたしの中にも残るその不可解を解くためには、この実験の最後を知らなくては、晴らせない。この、謎と無念を。


「……す、すみません。わ、わたしも別に、何も考えずツッコんでいるわけでは……!
 別に、無茶をしているつもりは、その、……は、はい……」

 普段なら、もう少し気丈かもしれない。
 なにせ、傷つこうとも傷つかないものがある。
 でも、今回の一件は本当にわたしではどうにもできない。あの泥は本当の意味でわたしを傷つける。
 だからこそ、その心配が胸に届いた。

「ノアさんも、どうかお気をつけて。……わかります。色々と、あったのが」

 人の命のにおい(・・・)には、また敏感になった。というより、どこか以前でも感じた……旺盛な生命の感覚。はびこる植物のような。

「……持って帰るまでが、依頼ですからねっ」

 ……ノアさんを相手にだと、少し気が強い言葉を吐けてしまう気がした。行き過ぎた心配のような、危なっかしい年上を見ている気分。そうでないと、このひとはどこまででも駆けていってしまいそうだから。


 木枯らしが吹く森と平野の境に、遠くで戦闘の音がした。ここは、そういう場所だ。今でも、汚染を食い止めるため、あるいはそれぞれの思惑のために立つ場所。

「わたしは、一旦戻ります。
 ……ノアさんも、どうかお気をつけて。
 …………悲しみはきっと、もうみんな十二分に、感じているはずですから」

 先の襲撃で破れたセーラー服よりも、わずかな汚染がこの躰に降り積もっていく。結局、わたしはそう長居は出来ない。無理はそもそもできないのだから。
 どこか物悲しい、灰色と黒に染まった森から、踵を返して──。
 

挟道 明臣 >  
「神学と……うた、ね。
 楽しみがあるのは良いこった」

そういって、柔らかく笑う。
讃美歌だなんだの類……ではないのだろう。
俺が学生だった時分と比べると随分とマナビの毛色も変わっているらしい。

「……その結果を知るには、拾い集めていくしかない。
 誰かの宿願を打ち破る事に他ならないとしても、
 それが俺にできる精一杯の手向けで、譲れない正しさって奴だからな」

自分の意思こそが正しいなどとのたまうつもりは無い。
誰にも思いが、願いがあって今があるのだから。
それを否定する事の罪深さは、知っている。
ただこればかりは優先順位の問題だ。
俺は、俺の守りたい物の為に他者の願いを打ち砕く事を厭わない。
科学者連中となんら変わらない、エゴの押し付け。

「そうだな……君が大切に思う人が同じ怪我を負う事を思ってくれ。
 理屈や体感はともかくとして、な」

今回ばかりは再生が、という話ではないのは彼女も理解しているのだろうが、
それ以前の部分、彼女にはもう少し自分が思われている事を、知って貰えると良いのだが。

「……ははっ。あぁ、約束するよ」

気弱そうな少女の、少しだけ弾むような語調。
言葉は、縁は鎖のようで。
死に場所を探しているつもりは無かったが、死ねない理由ができてしまった。

「区画の外までは送ろう、俺も此処自体に用があったわけじゃあないしな。
 まあ、まっすぐ歩いてる分にはもう何にも出くわしたりしないさ」

己の来た道を引き返すだけであれば、近寄る事を許すつもりは無い。

駆けるような事も無く、ゆるりゆるりと歩く中。

『判決受けたばっかりのあの馬鹿に林檎を一つ届けてやってくれ。
 切ってない奴、丸くて赤いのをそのまんま』

片手で短くメッセージを送ると、端末を白衣のポケットに仕舞う。
薄手の袖から吹き付けた風に、身震いするように肩を抱く。
全身の感覚は日に日に薄れていくのに、寒さ熱さは未だに鮮明なまま。

「……あいっかわらず女学生ってのは寒そうな恰好して」

ぼやくように零した言葉は、少女に届いたかどうか。
ともあれ、死の香りに満ちた森から二人は姿を消していく━━

ご案内:「未開拓地区:黒い森」から藤白 真夜さんが去りました。
ご案内:「未開拓地区:黒い森」から挟道 明臣さんが去りました。