2024/09/24 のログ
ご案内:「橋の中央部」に『逃亡者』弟切 夏輝さんが現れました。
■『逃亡者』弟切 夏輝 >
時刻は夜更け、あるいは早朝。
日の出は遅くなっていて、まだ夜闇が常世島を支配している。
夜闇のなか、等間隔に配置された灯りを追いかける。
常世島へ向かうルートのひとつ、大河に渡された橋をひた進む。
ここを超えれば、港にたどり着き、逃がし屋と落ち合う手はずだ。
そして、自分は洗われる。罪も罰もない場所へ逃げ延びて。
背には、学生街の、委員会街の、学園の、まばゆい灯りが遠ざかる。
少しずつ、確かに、遠ざかっていく。
逃げて、逃げて、逃げて――――
「……はあっ、……はぁ……」
ちょうど、その橋の中腹。
十数分も引きずるように歩いて、ようやく折り返し。
広場になっていたそこにはベンチがあって、背もたれに手をついて肩で息をする。
荒ぶる心拍を整える。眠ることのできる、運搬用のコンテナはまだ遠い。
もう少し、もう少し――笑いかける膝を屈さぬようにしながら、
汗を浮かべ、ぎゅっと目を閉じながら、動悸が去るのを待って――
ご案内:「橋の中央部」に伊都波 凛霞さんが現れました。
■伊都波 凛霞 >
──彼女の向かう先。
港へと向かう橋の先、等間隔の灯りの下に一人の、人影が在る。
こんな時間に在るはずのない、その人影は───彼女に向かってゆっくりと、歩みを進める。
やがて灯りの下で、その姿が照らし出されれば……。
別れを告げた筈の、見慣れた顔。
足を止め、行く先に立ちはだかる様に、見慣れた…鈍色の瞳が逃亡者──弟切 夏輝を見つめていた。
「──もう」
「もう、逃げるのは、終わりにしよう?」
「夏輝──」
見慣れた顔から、発せられるのは聞き慣れた声の筈。
でも、その声色は様々な感情の入り混じった…聞き慣れないものだった…かも知れない。
■『逃亡者』弟切 夏輝 >
足音。
ベンチにすがりつくようにしながらも、顔を上げた。
灯りが作り出す陰影に彩られたその姿を見て。
疲れ果てたその顔は一瞬、安堵したように――表情を緩めた。
「ぁ…………」
それでも、向けられた声が、決して。
罅割れた心が望んだ、羽毛のような虚像ではないと突きつけたとき、
現実を理解した。
伊都波凛霞がここにいるということは。
腕章をつけてここに立つということは。
こんな体で、どうにかできる相手ではない。
……『アリアドネの糸』は、短時間での連続使用は不可能だ。
そして、今この場をもし、あの時のように逃げおおせたとしても。
風紀委員会刑事部――そして、
レイチェル・ラムレイの敷いた包囲網からは、逃げおおせることは叶わない。
よく知っている。
……ほんとうに、よく知っている。
―――――詰み。
背もたれにかけた腕を伸ばし、立った。
正対して、うつむいたまま、帽子の鍔の下で目を瞑った。
深呼吸。……もう、秋の気配のする、朝の涼気だ。
「……すこし、歩こう」
表情の薄い顔をあげて。
すこしだけ、場違いな言葉を告げた。
示すのは……いま来た途。戻る方向。
逃げ道――ではなく。
■伊都波 凛霞 >
疲れ果てた、その姿。
あの頃の彼女とは想像もつかない…弱りきった表情。
…一瞬浮かべた、その顔に当時の面影を感じてしまって…ちくりと、胸の奥が刺す様な痛みを感じる…。
彼女はその腕前もさることながら、頭も良かった。
私が此処にいるという、意味…。
それを、すぐに察したようだった。
彼女に後はない。
ここで暴れ、もし私が彼女を取り逃がしたとしても…。
──既に包囲網が敷かれ、狙撃手による狙いは既に定められている。
逃げられない。
そう悟ったのだろう彼女の横へと、自然に並び立つ。
よく似た背格好。こうして並んで歩くのは久しぶりになる。
変わっていない筈なのに、彼女が妙に小さく感じる──。
どれだけ、逃げ続けることが彼女の精神を削り取っていたのか───今の私には、想像もつかない。
「随分久しぶりだね。こうやって歩くの」
位置は、橋の丁度折り返し。
歩く時間も、話す時間も十分にあった。
■『逃亡者』弟切 夏輝 >
「海に……」
すこし、視線をあげた。追想するために。
「みんなで海にいこうって話、してたね」
最後にこうして歩いたとき、思い出すのは未来の話をしている風景だった。
なんてことのない日常。隣にいるのが殺人鬼であることにも気づかず。
欺いていた罪悪に、顔を伏せようとして――風が吹いた。
さらわれていった帽子を、視線で追いかけて。
「……台風かな……、そろそろ増えるよね。
本土も、南のほうは大変なんだってね……北海道ってあんまりで……
…………この話、何度もした気がする」
視線を、真横の親友に。
「……彼氏できた?」
■伊都波 凛霞 >
「そうだねー。結局忙しかったりして、いけずじまい」
イベント好きの私は、そんな話を彼女に幾度となくしたと想う。
あの頃、既に裏では彼女はその手を犯罪に染め始めていた。
「夏が終われば、こういう季節が来るよね。
ふふ、夏輝は日本のそれも目一杯北の出身だからねー。
こうして気候が荒れる度に、その話したっけ」
苦笑を浮かべる。
こうして話していれば、姿や立場はともかく、彼女が変わってしまったとは思えない。
「今年も秋の風紀委員の慰安旅行、あるんだよ」
彼女は彼女のまま…あの頃一緒に並び歩いたあの頃と何も変わらない。
変わらないままに──彼女はそういう人間だった。
「──夏輝と行きたかった」
"そういった側面"を常に持っていた…。変わってしまったのなら、隣りにいる自分が真っ先に気づけた筈だから。
…不意な質問。
色恋の話なんて、あんまりされたことはなかった気がする。
むしろ私のほうが、そういう話が好きで…彼女によく問いかけていた。
「───。」
「うん、夏の前頃にね、できた。
──ほんとなら、真っ先に夏輝に報告したかったんだよ?」
その頃には…もう、彼女は隣にはいなかったから──。
■『逃亡者』弟切 夏輝 >
「冬に雪かきが日常じゃない場所は、もう外国なんだよね……」
何度も言った決まり文句に、ついてまわる苦笑にも力がない。
どうにか取り繕おうとした笑顔は、叶わない未来に言及されて、翳った。
一年目、二年目。楽しい記憶ばかりが浮かんで……言葉が続かない。
そうやって、自分の罪悪感と不安を誤魔化し続けていた。
「……慰安旅行の、夜にさ。毎回、みんなで恋話してたじゃん。
三年目も、二人でいない組のままだと思ってたんだけどな……」
ひさしぶりに感じるほどの沈黙のあと、口を開いた。
恋人を作らなかったのは……相手がいなかった、というのも大きいけど。
手に入ったら、きっと失うことに怯えるだろうと思っていたから。
「そっかー……凛霞のとなりを歩ける王子様、やっとあらわれたんだー……」
微笑んだ。遠ざかっていくような、寂寥感とともに。
「おめでと」
軽い調子で。
一歩、一歩が――重い。きっと、合わせてくれている。
急ぐように前に進めていたときとは違って。
「…………あれさ、みんなで。
卒業したら、北海道を……案内するよって。
秘密の……美味しい味噌バターコーンラーメンがね。
食べられるお店があるから。そうじゃないと、風紀委員会って忙しくて島外旅行とか。
……そういう話、ずーっと前に……したじゃん」
そこまで言って。
「……したっけ。 ……した、よね?」
遠い、遠い昔の話が。
まだ罪を犯してなかったころの、他愛のない話が。
……現実なのか、麻薬が見せた夢だったのか。
同じ時間を……生きれていただろうか。
弱気な顔で、縋るように問いかけた。
■伊都波 凛霞 >
繰り返される──過去を振り返るような話。
彼女は、逃げ続けている。
そして今も…逃げている。
己の犯した犯罪から、そして自分から…私から、現実から…。
縋るような声色…軽い調子に見せても、無理をしているのが伝わってくる──。
「夏輝」
不安げに、問いかけるような、思い出話。
それを遮るように発せられた声は…少し、強めに。
「──思い出に、逃げないで」
……彼女にとっては、聞きたくない言葉の筈だ。
でも、……その彼女、弟切夏輝は…自分の中ではずっと強い存在だった。
「私は……」
「夏輝を、捕まえに来たんだよ?」
思い出、彼女と語るその時間は…悲しくもあったけれど、懐かしくて…心地よさを感じてしまう。
それを──振り切った。風紀委員として…ではなく。
風紀委員である伊都波凛霞…彼女の親友として。
足を止めて、隣に立つ彼女の両肩を、掴む──縋り付く様に。
「もう、目を覚ましてよ……!!」
彼女の犯した罪と向き合う。
同時に…彼女にも、己の罪と向かってもらう。
辛い、苦しい、逃げ出してしまいたい、その気持ちがわかるからこそ、悲痛に、声を張り上げた。
■『逃亡者』弟切 夏輝 >
名を呼ばれる。
普段はもっと、はずむように呼んでくれている。
それでも郷愁をかきむしる――そうだ。
郷愁を感じるのだ。北海道ではなく彼女に、みんなに。
見返す瞳に、感情は薄かった。
というよりも、確かな感情を返すには、様々な情動が渦巻きすぎていた。
いっそ、諦観にだけ支配されていれば、なにも返さずに手首を差し出していただろう。
それほどに真摯な言葉に。
肩を掴まれた。痛い。……こんな力でも痛く感じるほど。
近くに、いるのに――
「……………」
視線を落とし、深呼吸をする。
「はじめて、ひとを殺した時ね」
現実に、立ち戻る。
過去は過去でも、触れなければいけない場所。
隠し通していた側面。血にまみれた殺人鬼。
一年生の時の、まぶしい季節。ちょうど、自覚が芽生え始める前後の頃。
「……なにも感じなかったの。
相手がクズだったから心が傷まなかったのかもしれない。
銃だったから、感触が伝わらなかったからかもしれない。
ぜんぜん、平然とできてた……なにも変わらず、過ごせた」
うまくいきすぎた犯罪の、はじまりのこと。
ぽつぽつとつぶやく、現実の話。
「ふたりめから……なんか、おかしいってことに気づいたんだ」
■伊都波 凛霞 >
彼女の告白。それは、罪のはじまり。
それは、一度目の事件。
7つ目の殺人で、彼女の犯行が明らかになってから、紐を手繰る様に浮き彫りになったもの。
『そんなわけない!!何かの間違いに決まってるでしょ!?』
──刑事課のオフィスで思わず声を荒げたことを覚えている。
レイチェルさんに宥められて、感情的になってしまった自分を落ち着けて。
それから、彼女の罪が一つ一つ、明らかになっていっても──、まだ、信じることが出来なかった。
誰かに利用されてる、もしくは…脅されて、已むを得ない事情があって──。
弟切夏輝を擁護する言葉や都合なんて、いくらでも叫べた。
当然、意図的に捜査班からは外され、一部の情報が共有されるだけに留まる。
感情的になってしまうのが理解っているから、意識的に触れず、考えず…そう努めた。
……遡る記憶、スラムの片隅で偶然彼女と相対して…直接彼女の口から聞いても、まだ──。
今、再び彼女の口から現実を突きつけられようとしている。
逃げられないのは、私も同じだ。
「───……」
彼女の肩を掴む手が、少し震える。
それでも、黙って…彼女の言葉の続きを待った。
目を背け、耳を閉ざしたくなる…"親友の罪"から、逃げ出さないように。
■『逃亡者』弟切 夏輝 >
「顔を見ながら」
不覚だった。それでも、なお。
「体がなにも問題なく動いて」
二人目も、また。……まだ。救えぬ悪ではあったろう。
「心臓と、あたま――」
それでも人間であり、命であり、是とされぬ殺人だった。
たとえ悪だからといって、無条件で裁きを良しとしてしまえば、社会は成り立たない。
「……しっかり、ひとを殺したんだと、おもったよ。
なのになにも感じなかったんだ。わかる、凛霞……?
訓練で、せんぱいにブッ飛ばされたときに感じたみたいな……
思ったより痛くないな、とかそんなじゃなくって……」
語る言葉には、感情の色はない。
表情も、いつしか抜け落ちていた。
虚ろ――見せたことのない、顔。あるいは、逃亡の日々で剥げ落ちた、地金か。
「ああ、二人目だ、って」
殺人鬼はそう語る。
昏い悦びも、哀しい罪の意識もなく。
動機を語らぬままに告白するのは、その殺人の遍歴だ。
「三人目も、四人目も」
ただ、冷たく、無感動に、機械のように。
「こないだの新人を撃った時も、……あんたの後輩。
橘を撃ったときだって、心はなんも反応しなかった。
他人に暴力を振るって命を奪っても、ほんとうになんも感じないの」
視線をあげた。硝子玉の瞳がみつめる。
一切の感情を宿さない。人形のようなつぶらさで。
「言ったよね……このまえ。
あんたとは、ちがうんだ……って」
"……ひとり死なせちゃって……それだけで
ずっと苦しんでた良い子のあんたとは、違うんだ"
「ちがうんだよ、わたし」
■伊都波 凛霞 >
「──………」
"何も感じない"
そう語る彼女の顔からは…表情も…感情の色も薄れていって。
そんな彼女の顔を、表情を、言葉を…ずっと隣にいても見たことはなかった。
"私とはちがう"
あの言葉を、彼女は繰り返す。
──已む無く、だった。
風紀委員として、それ以外の手段を取る選択肢が残されていなかった。
飽くまでも結果的に…落第街の二級学生の命が失われた。
そう…覚えてる。
人の命を奪った、その感覚と、現実が辛くて、重くて……。
先輩にも、周りにも、勿論彼女にも…心配をかけたことがあった。
「違ったっていいよ、そんなの」
はっきりそう言葉を返した。
「私は…落ち込んだし、他に手段がなかったことを悔やんだ。
でも、結果的にあの子は生命を落として、私の手は血に濡れた。…それは変わらない」
「夏輝は…何も感じないから人を殺したの? ──違うはずだよ。
それは、引鉄の重さが違うだけ。それ自体が人を殺す理由になんかならない。
──むしろ、風紀委員的には私のほうが向いてない『甘ちゃん』だったんじゃない?
………そりゃあ、そんなこと自覚したら……」
辛いだろうと、思う──彼女を苛む孤独感は、そこからじくじくと、彼女を蝕んでいったんだろう。
少し、落ちかけた視線を、真っ直ぐに向け直す。
……色のない、彼女の表情。
「──相談なんて出来ないよね、私みたいな相手には…特に。」
言葉の終わりにかけ、少しずつ声が震える。
何も相談してくれなかったから、何も聞いていなかったから。
「でも…私はもう夏輝に逃げて欲しくない…。
自分の犯してしまった罪からも、自分自身からも……私からも」
弱りきった親友へ、向けるのは……とても残酷な言葉。
橋の向こうを見る……レイチェルさんや他の風紀委員達の想定通り、島外への逃亡を画策していたのは明らかだ。
この島から逃げたって、きっと彼女は罪の意識からは逃げられない。
人を殺すことに何も感じずとも、自分が大切にしたいものまで傷つけ逃げたことは…きっと一生ついてまわる。
……一生、その精神を蝕まれながら逃げ続けることになる。
親友に、そんな地獄を味わってほしくなんか、ない。
かつての仲間に、そんな苦痛を味わってほしくはない───。
■『逃亡者』弟切 夏輝 >
刑の執行を待つものはしかし、その言葉を受けてはっと顔をあげた。
違ったっていいと、言われれば。僅かばかりに、表情に色が戻る。
「……………」
数秒。じっと、驚いたように見つめてから……表情をまた沈ませて。
薄く開いた唇を、一度噤んだ。
「風紀委員の弟切夏輝には、なにもなかったの。
ほんとうに、なんとなく……入会したから」
すべてが無為の言い訳になるとしても。
聴取の際に、洗いざらい吐くのだとしても、この場で伝えねばならなかった。
どうあろうと、最後の会話になる気がしていたから。
「そこにいたかったから、しがみついてたのが、わたし。
みんなに、血まみれの手で淹れたコーヒーを飲ませてたのが、わたし。
背がでっかくなって、諦めざるをえなかったフィギュアとか。
みんながわたしを憐れむようになった北海道での生活みたいに。
風紀委員会の日常が、くすんで、なくなっちゃうのが、いやで……」
……そのときばかりは、逃げなかった。逃げられなかった。
露見を恐れての、行為だった。
隠蔽も、以降の殺人も、すべては。
「……期待に応えて……」
なにも感じないから人を殺したのか、といえば違う。
心についてこない罪悪感が、罪を犯すハードルを下げていたのは確かだ。
でも、最初だけは違った。
「……応え続けて……」
渇いた喉を、いちど、嚥下して。
「……凛霞に、なりたかった」
ずっと、そこにいられるようなものに。
遠巻きに見て、羨んで、憧れて……風紀委員会の門戸を叩いた。
そのきっかけとなった輝かしい青春のはじまりのひとに。
「あんたみたいに…………」
瞬間、
■『逃亡者』弟切 夏輝 >
距離が開く。
ほんの僅かに体を離す。
懐から抜き放たれた銃は、過たず眼前の親友を照準する。
銃爪にかかった指先は未だ、動かずとも。
奈落のような銃口はそちらを向いていた――それが。
たとえ、さしたる脅威には、ならなくとも。
「まだ、逃げられる。わたしは――ここで、二人殺す」
感情の失せた顔と。
急に動いてせりあがった血液で、口端を濡らしながら。
「伊都波凛霞と弟切夏輝を!」
訣別でもって心を凍らせ。
永遠に凍らせて。
罰も何もが、素通りするような人でなしと成り果てて終わるために。
道連れに――しようとするから。
(……終わらせて、……レイチェルせんぱい……!)
狙撃銃が、構えられている筈だ。
――だから、………
■伊都波 凛霞 >
私に、なりたかった───。
その言葉を聞いた瞬間…胸を貫かれた様な気がした。
これは、後悔だ。
風紀委員という組織の中で、我慢をして感情を抑えて…。
本当は飛び出して、委員会なんか関係なく彼女を捜そうと思わないわけじゃなかった。
…前の不意の邂逅の後に、本当にそうする気持ちもあった。…そのときにはもう、色々なことが遅すぎた。
どちらが正解だったのかは、わからない。
選択した時には…どちらが正解かなんて理解らない。
選んだ道を正解にするために頑張れと、かけられた言葉を思い返す。
後悔は終わりじゃない、はじまりなんだって。
──事は、弾かれる様に。
「撃たないで───!!!」
張り裂けるような言葉が夜明け前の橋の上に響く。
それは、自分に向けられた銃口に対しての言葉ではなかった。
二人のやり取りは、通信機を通し彼女達の先輩にもあたるレイチェル・ラムレイ他──刑事課の面々へと伝わっている。
制止の言葉は、狙撃班の引鉄に向けての叫びだった。
「夏輝は私を撃たない」
撃てない、のではなく…自分の意思で、その引鉄を引くことはできない。
「勝手に終わらせない……逃さない。
ほんとに、いくら追い込まれたからって自分勝手なことばっかり……だったら私だって、自分勝手にするよ」
「夏輝は渡さない。罪を償う以外の死に方は絶対認めない。
他の誰でもない、親友の私が───私が夏輝を刑台に送る」
向けられた銃口──その引鉄にかけられた指先に、グリップを握る手に。
己の手を、静かに重ねる。
銃を奪う…?否──その銃口を、自ら自身の額へと、当てた───。
──それでも、狙撃音が轟くことはなく。
「私も」
「レイチェルさんも」
「刑事課の、皆も──」
ぐ…と、重ねた手に熱が籠もる。
「夏輝がこの引鉄を引けるなんて思ってないないよ。
どうしても逃げ切りたいなら…引鉄を引いてみなよ。……望み通り、二人で逝けるよ」
まっすぐに、空虚な貌を見つめながら。
──こうして、自分だけ死んで逃げようとすることなんて、今はもう、お見通し。
何もなしに親友だなんて口にするもんか。
良いも悪いも、全てを打ち明けられた今なら…なんだって貴女のことが理解る──。
それでも、声が震える。
つがえられた手にも、震えが伝わる。
恋人が出来た?秋にも、楽しみにしている旅行がある。
思い残すことなんてないわけがない。死ぬのは、怖い──。
でも、無理だってする。無茶もする。眼の前で、親友がいけない方向に向かおうとするなら。
罪を犯してしまったのなら──絶対に償わせて見せる。
「私に、憧れたって…?」
「私だって…私だけじゃない、夏輝に憧れた生徒は一杯いるよ!
事件を起こして、追われて、逃げて…それでもあの夏輝が、先輩が、って!」
「まだ夏輝を信頼して、間違いに気づいてくれるって、期待をなくしてない人が大勢いるの!
例えそれが、上っ面だって夏輝が私と一緒にしてきたことは全部が嘘じゃないでしょう!?
私だって上っ面だよ!!本当の自分なんて、おおっぴらにして生きてる人間、そんなにいるもんか!!」
「───私の夏輝は、きっとそれに応えてくれるって信じてるから」
捕まり、己の罪を受け入れ…逃げずに向き合って、償ってくれるのだと。
叫ぶように放った言葉は夜明け前の空へと溶け込む。
眼を瞑り──じっと、その時を待った。
■『逃亡者』弟切 夏輝 >
終わりの時は訪れない。
狙撃銃が撃ち抜くなら蟀谷――あの時と同じ。
突風は吹いていない。命中させることなど容易だったはずだ。
この女の声がそれを阻んだのか。
「わたしは、あんたみたいに"甘ちゃん"じゃない」
氷の声が、熱を帯びた親友に向けられる。
決然としたその力強さに対して、永久凍土のような言葉の刃が飛ぶ。
「どうでもいい命に罪の意識を抱くことはない」
贖いようもない罪だ。救いようもない悪だ。
対話を願うレイチェル・ラムレイに、含ませた毒のような存在だ。
銃口が迎えられる。
「命の値段は等価じゃない。いまもわたしは罰から逃げようとしている。
だれがどこで死ぬべきだったかなんて、考えるまでもない――」
指先に銃爪の感触。問題ない。
知っている。これで八人目と九人目。すべてが終わる。
ふたりで、いっしょに―――
すべてが―――
■『逃亡者』弟切 夏輝 >
"その風紀委員を殺すにはどうしたらいい"?
解答は明白。
■『逃亡者』弟切 夏輝 >
"銃爪を引けぬように人質をとればいい"
ご案内:「橋の中央部」から『逃亡者』弟切 夏輝さんが去りました。
ご案内:「橋の中央部」に弟切 夏輝さんが現れました。
■弟切 夏輝 >
無言のまま。
表情のないままに、頬に涙が伝っていた。
いくつも、ぼろぼろと、溢れ出していた。
重なった掌のむこう、銃把を握った手が緩んだ。
トリガーガードにかかった指を軸に、くるりと拳銃が回転し、
やがてかしゃり、と軽い音を立てて、橋の上に転がった。
糸の切れた人形のように、弟切夏輝はその場にへたりこむ。
うつむいたまま、肩を震わせ、静かに嗚咽を立てる。
殺せない。
弟切夏輝に、伊都波凛霞を殺せるわけがない。
弟切夏輝は、弟切夏輝であることから逃げ切れなかった。
伊都波凛霞の想いからも、逃げ切ることはできなかった。
かつて結んだ因果の、すべてからも。
運命を翻弄する《逃亡者》は、ここに破綻する。
「ごめんなさい」
溢れた言葉は、それでも。
被害者でも、遺族でも、怯えた島民にでもなくとも。
「…………ごめんなさい……」
自分を信じてくれた、慕ってくれたひとたちに背を向けたことに。
信じることができず、ただ怯えて逃げ出したことに。
他ならぬ無二の親友を、ずっと傷つけつづけたことに――
人でなしがしていた、人間のふりであっても。
償えることは……確かにあった。