2024/10/30 のログ
■焔城鳴火 >
「醜悪、ってのはああいうのを言うのね」
そう答える鳴火は、こめかみを押さえていた。
頭の中に、聲が反響していた。
そう、一つ覚えのように『アルカディア、アルカディア』と。
「――馬鹿の一つ覚えッ」
ギリ、と歯を食いしばる。
出ないと、目の前の星骸と星核の塊に、頭の中の共振で意識を持っていかれそうだった。
思いっきり、下唇を噛み切った。
「あんなのは、星骸計画じゃない――『先生』の研究を使って、ふざけんな――」
胸の奥から、燃えるような怒りが沸き上がる。
そして頭の芯――『彼』の星核が活性を増していく。
――落ち着け。
――私は兄さんじゃない。
――静かに、冷たく、怒りを鋭く磨け。
「あんたこそ、無茶をして元に戻れなくなったりしないでよ。
一分とは言わないから――数十秒だけ頂戴」
眼鏡を外し、鎖を握る。
当たり前のように、星の鍵のロックが外れた。
そう――この鉄鎖は、あらゆる怒りの結晶。
燃え盛る憤怒の、地獄の業火にも勝る、憤激を縛り付けるための形。
鎖が、パキ、と音を立て、連結が外れだした。
■【水卜異形体】 >
『あ、ある、あるか――?』
ぐにゃり、と。
まるで骨格など存在しないかのように、水卜の顔は、背面に向けて折れ曲がった。
その視線は、なんの光も映さず虚ろだ。
『あ、あ、ああ』
ずるずる、と、身体が捻じれるように、青年の作ったハリボテに気を取られ、向きを変える。
そして。
『ああ、ああああ』
四本の腕を培養槽から離し、のたうちながら無数の脚を蠢かし――青年に向けて突進していく――
■挟道 明臣 >
「あいよ、お嬢様の仰せのままに」
鎖の弾ける音と、それが反応したのはほぼ同時。
ギョロリとした生気のない目がこちらを向き、培養槽を手放して、
大小様々なサイズの腹脚が、物言いたげに蠢く。
水卜としての意識が星の鍵の脅威を伝えたのか、
あるいは危険を告げる本能が働いたのか。
丸く開かれた口が金切り声のような咆哮を上げ、突進してきた。
「っ……おっもてぇ!」
質量は、説明不要な力だ。ましてやそれが速度を伴うとなれば……
高さにして3メートル、大きさを揃えてガワだけを取り繕った木の虚像は衝撃と共に弾け飛ぶ。
━━が、そこまでは想定内。
本命は弾けた虚像の内側、獲物が飛び込んできた瞬間に振り降ろされる一振りの刃。
虚像の内に隠すように作り上げていた、ギロチンに似せた薄く硬質な樹木の刃だ。
「いや効いてねぇなこれ」
刃は確かにその喉元深くに落ちた。
しかし、赤と黒の入り乱れる血を吹き出しながらもそれは意に介さぬとばかりに暴れ続けている。
無傷とは行かないまでも、まだ10秒も経ってはいないのだが。
左腕といった一部の強化や小手先だけでどうにかなる相手ではない。
もっと、純粋な破壊を━━力を。
(自然回復するのに時間が要るってんなら、俺の身体をくれてやる)
願いと共に、首筋や背骨を越えて右半身に根が伸びる。
「……あぁぁぁぁぁっ!」
己を傷つけた人影に、水卜が振り降ろした鉄骨のような腕。
それを両の腕で受け止める。
それは生身で受ければ間違いなく潰れるような一撃だった。
だからこそ、全身へと急速に根を伸ばした樹木で鎧って受け止めた。
圧倒的な質量に対して、急造の硬度で無理やり耐えしのぐ。
衝撃は消えない。
受けた部位を貫通し、関節や脊髄が悲鳴をあげる。
だが、それがなんだ。
今この瞬間に全部を賭けるんだろ。
だったら、ちょっと人間辞めるくらいがなんだってんだ。
■【水卜異形体】 >
『あぎゃがぎぎぎぃぃ』
ギロチンの刃は深く異形体を傷つけた。
しかし、相手のサイズが規格外すぎる。
深く切り裂いた刃はしかし、喉元を切断するまでには至らない。
『あがごごがが』
水卜の口からは血と泡が入り混じって噴き出している。
がむしゃらに振り下ろされた腕は、しかし、なぜか受け取られた。
それは、青年が己の身体を犠牲にして得た物の結果だ。
『あぎゃぎゃぎゃぎゃ』
四本の腕が、青年を押しつぶそうと、抑えつける。
その圧迫は凄まじい重量だ。
それでも青年が耐えられるのは、犠牲にしている物の大きさ故か。
■焔城鳴火 >
「――んの、馬鹿ッ!」
青年のその行いに、一瞬だけ、気を取られた。
けれど、その姿を目に焼き付けたからこそ――鳴火に宿る星核は確実に目覚めていく。
(集中しろ、鳳凰――私の焔は、何のためにある)
意識を己の内側に向ける。
怒りを縛り付ける鎖は解け始めている――ならば、次は枷を外せ。
「――Abyssus abyssum inbocat.」
ガチン、と頭の中で、致命的な物が壊れる音がした。
「――Spes desperatio aeternum est.」
パキン、と、心の奥で何かが砕け散った。
(――足りない。
もっと――もっと怒りをくべろ――炉心にくべろ――!)
「――Ira pugnare continued.Causa aliquam pace.」
カラン、と、軽い音が頭の中に響いた。
それは反響し、連鎖する。
鳴火の中に宿っていた、あらゆる怒りが、憤怒が、焔よりも燃え盛る激情が解き放たれていく。
(スウ兄さん――力を、貸して――)
左腕の鎖は解けて行き、破片が渦を巻く。
枷は外れ、焔が吹き上がる――。
「――この世全ての怒りがここに集う――」
鳴火の瞳が、赤く、焔の色に染まった。
「――目覚めろ、解き放て――」
薄暗い地下施設が、真っ赤に染まる。
吹き上がった炎は、渦を巻いて、特殊合金製の床すらも融解させた。
地獄すら焼く、憤怒の焔。
それが、今まさに解き放たれようとしている――
「――キョウドウッ!」
その声は、激情に呑み込まれた僅かな理性が絞り出した声だった。
■挟道 明臣 >
幾度と無く振り降ろされる手。
その破砕の音の中、僅かに聞こえた声。
名を呼ぶ。
それだけで、全てを理解する。
(どうにか、状況を崩して離れねぇと……)
そうは思うが、鍔迫り合いのような状態で続く全力での力比べ。
下手に力を抜こうものなら、そのまま潰されかねない。
「━━んのくそがっ!」
継続的に使っている全ての力をその一点にぶつける。
その後に天秤が相手に傾くのも承知で、主導権を握る。
ぶつかり合う人外同士の腕の交錯が僅かな間解かれ、
その隙に自ら後ろに吹き飛ぶようにして離脱。
「……ッ!!」
一瞬の後に襲い来る衝撃。
それは圧倒的な硬度を誇るはずの地下建築を破砕する水卜の一撃。
その勢いをわざと背に受けて、転がるようにして保管室の端まで吹き飛ぶ。
全身を打った痛みでもう碌に動けそうにない。が、これで良い。
何秒稼いだかなんて数えられちゃいないが、合図はあった。
「やっちまえメイカ!」
■焔城鳴火 >
吹き飛ばされていく相棒の姿。
けれど、それくらいで死ぬような奴じゃないと、とっくに分かっている。
(後で鎮痛剤まとめてぶちこんでやるんだから)
自然と笑みが浮かぶ。
互いの命を預け合う一瞬を、心地よく感じた。
「――火種は尽きず絶えず、全てを焼き尽くす――」
パチン、パチン、と次々に、何かが解き放たれていく。
決定的な何かが、壊れながら――
「――第六六六定格出力、解放――」
それが最後の鍵。
次々と外れ、壊れ――そして最後にカチリと嵌った。
「――焼き尽くし、その名を示せ、燼滅――!」
全てを呑み込む、激情の焔。
それは瞬く間に室内を埋め尽くすように蹂躙し。
――全て、灰すら残さずに燃やし尽くされた。
■焔城鳴火 >
――カラン、と。
あまりにも軽い音で、一度溶けて固まった床に、小さな結晶が転がる。
それは薄い桃色の光を一瞬だけ放って、砕けた。
巨大な異形の怪物は、最期にそれだけの痕跡を残して、完全に消滅した。
それが水卜千利という研究者の最後で、狂人の末路だった。
――頭が割れるように痛い。
意識が鮮明になって、最初に感じたのは激痛だった。
膝から崩れ落ち、声も出せないまま、その場にうつ伏せに倒れる。
鳴火の左腕には、再び枷が嵌り、鎖が巻き付いている。
しかし、頭の中で外れた鎖は、壊れた枷は、元に戻らない。
活性化しすぎた星核は、鳴火の脳を焼き切りかねないほどの信号を絶えず流し続ける。
声も出ないまま、身体が痙攣を始める。
本来ならば十数年前から少しずつ順応していくはずだった星核が、時間を取り戻すかのように、急激な勢いで鳴火の身体、神経を焼いていく。
――まずい。
このままでは星核に宿る狂乱の焔が、体に馴染む前に燃え尽きる。
そう薄っすらと思考が働いても、身体は思うように動かなかった。
■挟道 明臣 >
外套を被り、時が来るのを待つ。
様子を伺い知る事すらできない短い時間の後、轟音。
「やっべ」
隙間から入り込む熱風に外套ごと持って行かれそうになるのを、どうにか踏みとどまる。
僅かな時間が数十秒にも感じる。
間接的な物でも溶鉱炉の淵に立たされたような熱が伝わって、やがて全ての音が止んだ。
――カラン、と。
何かが落ちるような小さな音に反応して外套をどければ、水卜の姿は跡形もない。
荒れ地のようになった室内に立つ者は誰もおらず、
全てを焼き尽くした後、小さな心臓の浮かぶ培養槽だけが健在だった。
そう、誰も無事な人間などいない。
「メイカっ!」
叫んだ時には駆け出していた。
全身の痛みは消えなどしないが、それでも身体は動いた。
責任感とも恐れとも言い難い感情に突き動かされて、伏した亜麻色の元へ。
「おい、メイカ! メイカ!
死ぬんじゃねぇぞ!」
痙攣して喉の奥から声とすら言えない息を吐き続ける娘に触れる。
その瞬間、最低限にまで形を戻した左腕が拒否反応を起こす。
まるで火に触れたかのように。
水卜を塵へと帰した劫火が、その身体を蝕んでいた。
(どうする……?)
まただ。
また、目の前で知った命が弱弱しく消えかけている。
応急手当の類がどうこうできる類ではないだろう。
原因は明確だが、正しく状況を把握できているとは言い難い状態で、
ただ名を呼ぶことしかできないもどかしさに、焼けた地を拳を振り降ろした。
(……まだだ)
視界に入ったのは足元に転がったままのケース。
本人の意識があった所長室の時は意思確認を行ってはいたが、事ここに至っては訳が違う。
頭部の脈からも分かるのは脳の過活動、そして恐らくその原因は被検体として受けていた星による浸食。
「対処が違ってたら、呪ってくれ」
少なくとも効能のはっきりしている鎮痛剤と鎮静剤を、そして迷いの果てに抗浸食薬を。
思い当たる物全てを投与する。
■焔城鳴火 >
――名前を呼ぶ声がする。
『――鳴火。お前はもう少し自信を持て。
お前は確かに異能もなく、魔術の素養も無い。
だが、それはお前が劣っている根拠にはならない』
懐かしい、不器用で、ぶっきらぼうで、それでいて優しい声。
『お前には、あいつらとは違う才能がある。
今はそれを実感できないだけだ。
だが、それが開花するかは、今後のお前次第だがな』
『――ふんっ、兄さんにはわからないのよ。
だって兄さんは、頭も良くて、力もあって、何でも出来ちゃうもの。
わたしは、きっとどんなにがんばったって、兄さんみたいにはなれないわ』
そんな拗ねたような声に、仮面を着けた男は、狂ったように大笑いをする。
『当然だ。お前は俺のようにはなれん。
なぜなら、俺は、俺以外には存在しないからな。
だが――もし俺の後を追えるものが居るのなら』
男の武骨で大きな腕が、幼い少女の頭をがさつに撫でまわした。
『それは、あいつらではない。
ただ、凡人である事に足掻き、心に燃え盛る火種を持っているヤツだけだ。
――鳴火、忘れるな。
決してこの先何が起きても――』
――胸の火種は絶やすな――
「――ぅ」
ほぼ欠落している痛覚の代わりに、触覚が異物の侵入を伝えた。
それが薬を投与されているのだと気づくには、少し時間が掛かる。
焼けきれそうな脳神経は、鳴火から思考能力を大幅に奪い去っていた。
「っぁ、ぅ――ぉ」
名前を呼んだつもりだったが、まともに呂律も回らない。
ただ、全身を燃やすような熱が、徐々に治まっていくのは確かに感じられた。
ただ、脳へのダメージは深刻だったようで、身体を動かそうとしても、思ったようにはならなかった。
身体を抱き上げられるように、起こされるのを感じる。
視界は、やけにクリアだった。
眼鏡は着けたままだっただろうか?
そんな記憶もぼやけたまま、自分を沈痛な面持ちで見下ろす背年の顔を見上げた。
――どうしてそんな顔をしてるの?
ぼんやりと、そんな事を考えながら、青年に右手を伸ばそうとして、左足が痙攣した。
どうやら、正常な神経伝達が行われていないようだ。
「ぉ、――ど――」
鮮明にならない思考の中で、走馬灯のように記憶が駆け抜けていく。
そう、鳴火は、彼と共に、バケモノとなった狂人を焼き払ったのだ。
その代償こそ、小さくはなかったが。
「きょ、ど――」
薬の効果も有り、少しずつ、神経の熱が引いていく。
身体はやはり、頭で考えた通りには動かないが、それでも、どうしたら手が動くかはわかってきた。
だから、青年の胸元に、震える右手を伸ばして、弱弱しく服を掴んだ。
「わた、し、ちゃんと、やれ、た?」
不安と心細さ、まるで幼子のように今にも泣きだしそうな表情。
掠れて呂律の上手く回らない声で、青年に掛けた声。
それもまた、自信のない、不安に震えた声だった。
■挟道 明臣 >
年下の女から見上げられるのが苦手だった。
触れられるのが、嫌いだった。
遠く、ずっと遠くに消えた過去に思いを馳せてしまうから。
「━━あぁ、十分すぎるくらいによくやったよ。
大丈夫だ、だからもう喋んな」
それでも放っておいたら、今にも泣き出しそうで。
自分が話そうとしている事もマトモに発する事もできない程の、
小さくて弱弱しい手は振りほどくわけにはいかなかった。
「とりあえず、どっちも生きてる」
もれなく死にかけてっけどな。
冗談めかして言って見せて、未だ震えるその手を握る。
あってすぐに独りでやるつもりだったと刺々しく言い放ってきた面影はもうない。
為すべき事をやりきれたかどうかが不安で仕方がない、幼さの残る表情。
「よくやった、お前はよくやったんだよ」
その亜麻色に手を伸ばし、僅かな逡巡の後に柔らかくその頭を撫でてやる。
寝かしつけてやれるほどの余裕は無いが、抵抗しないならこれくらいは良いだろ。
柄にもない事をやっている気恥ずかしさは、まぁあるが。
■焔城鳴火 >
――十分によくやった。
――二人とも生きてる。
そんな言葉が、胸の奥に沁み込んできて、怒りの火種から穏やかな焔を生み出した。
それに安心した瞬間、意志とは関係なく、涙腺が決壊する。
ぼろぼろと、大粒の涙が溢れ出しては顔を伝い、青年の手を濡らした。
「――わた、し、しっぱい、なんかじゃ、なかった」
それはずっと鳴火が抱え続けてきた負い目の一つ。
自分が失敗だったからこそ、かけがえのない人たちを失ったのだと、思い込み続けていた、大きな重りと枷。
それらが焼き払われた今、ようやく鳴火は、あの悲劇の日から、一歩踏み出すことが出来た。
「わたし、にいさん、の、ひだねを――」
そこからは、上手く言葉にならなかった。
星骸計画、アルカディア計画――それらに混じって、一つだけ、計画とも言えないような計画が、第一方舟では用意されていた。
それは、サブプランのサブプランとでも言えばいいのか。
火種計画と名付けられたそれは、想いを信念を、後世に受け継がせる事で、人類の幼い文明を乗り越えるためのもの。
鳴火が兄のように慕った男から受け継いだ『火種』は、全てを焼き尽くす怒り。
理不尽に怒り、悲劇に怒り、悪意に怒り――燃え上がる焔。
それは、今まで厳重に封じられ、枷を掛けられていたが。
ついに解き放たれたのだ。
「ぅ、ぁ、ぁぁぁ――」
涙が止まらない。
青年にしがみつく様にして、溢れ出す感情に身を任せるしかなかった。
そして、鳴火のリストバンドは、ようやく正しい測定値を表示し、役目を果たす。
【適合率:300%】【浸食値:Error】
■挟道 明臣 >
「……あぁ、そうだな」
彼女の抱える苦しみを、少しだけ乗り越えたらしい物の重さを俺は知らない。
事態の強行突破に必要な事なら異能を使って知るのもやぶさかでは無いが、
目前の脅威を排した今となってはその気も無い。
秘密なんてのは抱えきれなくなった時に誰かに零すくらいで調度いい。
過去を漁り、覗き見るなんてのは無粋でしか無いのだから。
「ひとまずは無事……いやこの数字で無事ってこたねぇか……?」
荒ぶり続けたリストバンドの数字が、ようやくの落ち着きを見せていた。
表示されていた適合率は、300%
図抜けた数字なのは拾ってきたリストバンドに刻まれたままの物と比較すれば分かる。
失敗、それが第一方舟の最後の被検体としての事を指しているのか、
あるいはもっと根本的に、彼女の生まれや育ちに根ざした何かがあるのか。
「あー、おい外套ぐっちゃぐちゃじゃねぇか……
ヴィヴィとかいう奴に小言食らうんじゃねぇの?」
剥き出しの感情という物に久しく向き合ってこなかったせいだろう。
拒みこそしないが、軽口を叩いてゆっくりと現実に引き戻していく。
腰を落としたままに見渡せば、目論んでいた通りの位置に扉は見えていた。
そうそう見つかる事の無いように秘されていたのだろうが、
施された隠蔽も燼滅の暴威の前に剥ぎ取られてしまっていたらしい。
「ほら、そろそろ立てるか?
寧ろ俺がこの体勢でいるのきつくなってきたんだが」
鍛え方が足りないという指摘があればごもっともだが、
そもそも中腰に近い妙な体勢にしがみ付いてきた奴が悪い。
■焔城鳴火 >
「――ぐす、ごめ」
薬が効いてきたおかげか、焼け付く寸前だった脳も、一定の思考力を取り戻していた。
身体も何とか、思ったように動かせる。
「はは、姉さんならきっと、にやけた顔で、『サプライズはお楽しみ頂けたかな?』なんて言うわよ」
あのとんでもない『詐欺師』は、そういう人だ。
鳴火がこうして泣いている所なんかを見れば、大喜びするに違いない。
「あ――数値は多分、これが本来、なんだと思う。
これを隠す事で、方舟の連中から守ってくれてたのね、きっと。
兄さんや姉さん、先生がやりそうな事、だもの」
数字を見て、苦笑する。
これだけの適合率の素体が見つかれば――アルカディア計画は確実に実現に近づく。
あの女は束縛から解放されて――代わりに己が狙われる事になるのは間違いないが。
「ん、ごめん――その、ありがと」
ゆっくりと体を起こして、自力で体を支える。
まだまだふらつくが、それでも最低限動ける程度には落ち着いたようだ。
「あんた――やさしいのね」
そんな言葉を、目を逸らしながら言う。
醜態を晒した自覚があるからか、耳まで赤くなっているが。
「っ――脱出前に、そこの心臓だけ、確認させて。
多分、それが、アルカディアの心臓で間違いないとは思うんだけど」
もしそうであるなら、強奪するか、破壊しなくてはならない。
そしてそれが出来れば、アルカディア計画という、馬鹿げた計画は根本から破綻するのだから。
そう言いながら、おぼつかない足取りで培養槽に近づいて、コンソールを叩くが。
どんな操作も、また、権限不足として弾かれるばかりだ。
「――結局、これの出番になるわけか」
水卜千利の個人端末。
あの男の執着っぷりを見れば、必然とも言える帰結だが。
「キョウドウ、またこれを繋げられそうな場所って見つけられる?」
接続用の端子は確実に存在するはずだが、それを見つけるには、鳴火のコンディションと知識では、非常に困難な事だった。
■挟道 明臣 >
「……マジで科学者だとか開発者だとかって連中にマトモな奴いねぇ」
倫理観か発想か思考回路がぶっ壊れてないと大成しないようにできてるのか。
成り行きとはいえ俺が白衣に袖を通しているのは大いに場違いなのだろう。
「0%、記述の上では完全不活性……だったか。
まぁ、理由も無くそんな乱高下するもんでも無いんだろうが、
300%なんて見せたらそれこそあいつら血眼になって追って来るぞ」
【適合率:002%】【浸食値:07】
最早見慣れてきた気すらするが、此処を出て落ち着いたら絶対に早々に引っぺがす心づもりだ。
なんなら暫くはデジタルウォッチも御免こうむりたい。
「……は?
揶揄う余裕があるならもう肩も貸さんぞ」
適当な応答を返しはするが、優しいという言葉には胸中を刺す物があった。
優しく、正しい人間でありたいと願うのがいつかの頃の常だった。
ただ現実は優しさ等で救えるものはたかが知れていて、
正しさなんかよりもずっと悪意は強かだった。
そんな現実を前に、俺はその在り方を諦めたのだから。
だから、なのだろう。メイカの言葉を素直に受け止められないのは。
「アルカディアの心臓……ね」
計画の骨子であり、諸々の始まりの『星』。
水卜がいなくなったとしても、極端な話コイツがある限り何度でも繰り返されるだけだ。
破壊……できるのか? あの火力の中で健在のコレを。
「いや、皆目見当がつかん」
言い切った。
未だに同形状で十も二十も似たり寄ったりの規格が量産されていた時代の、
しかもその中でもとびきりの旧規格を個人端末に据え付ける奴の思考なんか分かるか。
そもそも所長室でインターフェースを見つけたのも異能頼りの外法だ。
「ン、ここか……?
いや、そもそも有線接続のコイツじゃ端子がねぇんじゃ……」
丁度端末が収まりそうなスリットを見つけたが、其処に端子があるわけでもない
個人端末の側が非接触式の通信に特化したモデルなら話は違ったのだが。
「……あ?」
そうは言いつつ、物は試しとはめ込んでみた瞬間だった。
機械音と共にコンソールの内側に格納されていたインターフェースが姿を現した。
水卜千里、存外デザインに浪漫を求めるタイプの奴だったのかも知れない。
■焔城鳴火 >
「間違いなく、狙われるでしょうね。
しかもこの計測値は記録を取られてるだろうし、追われるのも時間の問題かしら」
とはいえ、安全な場所に隠れる、なんてことも難しい。
方舟の連中が、この島のどこまで浸透しているのか、わかったものじゃないのだ。
「まあ、しばらくは風紀に、ストーカー被害に遭ってるとでも言って、身辺警護してもらうわ」
最も無難かつ、安全性の高いプランだろう。
この島の自治機能――風紀委員は非常に頼りになるのだ。
「――は?
揶揄ってなんかいないわよ。
ほんとに、その、嬉しかった――って何度も言わせるな馬鹿」
相手の心中など、互いに知る由もない。
だからこそ、思ったことを言葉にするしかないのだが。
言葉にした結果、鳴火の顔は真っ赤に染まっていた。
「あー、んー、そう、アルカディアの」
あれだけ水卜が執着していたのだから、ほぼ確実だろう。
ただし、簡単に壊せるモノじゃない。
そもそもこの培養槽からして、焔の中で無傷なのだから。
だからこそ、正規の手順で取り出して、奪い取るしかない。
もしかしたら、心臓だけになれば案外脆い可能性もあるのだが――。
「――あんたにわからないならお手上げか」
自分より詳しい相手に言いきられてしまえば、出来る事はない。
それでも、やるだけやるというように、試してくれるのだから、この相棒は本当に人が好い。
「――え?」
気の抜けた声に、似たような声でリアクションをすれば。
コンソールの中に隠されていたモノが現れる。
――無駄に手の込んだことをしやがって、なんて思うのも無理のない事だろう。
「わからないって言いながら、何とかするんだから、あんたも相当運がいいわね」
そう言いながら、見てわかる範囲であれだこれだと操作をし。
培養槽のモニターに映ったのは、恐らくはパスワードの入力画面。
「ここに来てこれか――これじゃあお手上げ――」
と思ったのも束の間だ。
入力欄の下に小さく表示された、不可思議な文字列。
それは、あの『詐欺師』の姉が好んで使ったバックドアのための暗号文。
「――『君たちは何度だって輝ける』」
入力した文字列は、あっさりとセキュリティを通過する。
第一方舟では当たり前だった暗号、それがなぜ。
疑問こそ浮かんだが、モニターに表示された識別名の方にすぐ意識は移った。
それはつまり、この心臓がアルカディアの物であるという証拠――
「被検体番号Ⅳ、星護有瑠華――?」
そこに表示されたのは、アルカディアではなく。
鳴火にとって最も大切な、幼馴染の――初めての想い人の名前だった。
「なによ、これ」
呆然とその表示を眺めるが、それが意味する事は、ただ一つだった。
この心臓は『アルカディア』の物などではなく。
既に破棄されたはずの、星護有瑠華の物だという事だった。
■挟道 明臣 >
「……?」
勝手知ったるといった様子で端末を弄っていたメイカの手が止まる。
確たる物にたどり着いたなら自慢げに振り返るだろうと高を括って後ろで見ていたが、
どうにもそうはいかないらしい。
「星核覚醒者のリストに居た名前か」
高い適合率と星骸への耐性を示し━━そして人格の崩壊に至ったと。
記憶処理の上で星核の摘出が摘出されたと書かれてはいたが……
「こいつが、その心臓だってのか。
っつー事はアルカディアはもう持ち出されたか……
いや、そもそも此処には無かったのか?」
水卜は、これがアルカディアだと思い込むように誰かに仕向けられていたのか。
計画そのものの下準備を実直に繰り返し、果てには狂って今回の事を起こした奴の手には、
そもそも理想郷への鍵など渡されていなかったのだろう。
管理者足り得なかったのではない、その資格すら正しく与えられていなかったのだ。
「つまり……元凶のアルカディアはまだどっかに残されてるっつー訳か」
今日一番の溜息が出た。
頭が痛くなる話だった。いや、違う。
全身にある鈍痛も頭痛も紛れもないホンモノだ。
オレの体力の限界が、もうすぐそこまで来ている。
「なんでってのは分からねぇが、持ち出せねぇなら一先ず離脱すんぞ。
マジで海に繋がってたら場合によっちゃ気合い入れて泳ぐハメんなるが」
実際はボートなりはあるのだろう。
無いとマジで死にかねない。
■焔城鳴火 >
「――そう、なるのよね」
半ば上の空で、相棒に言葉を返す。
ただ、その手は指先の感覚すら痺れている状態で、培養槽の操作を行っていた。
養液が排出され、心臓は底に開いた口に沈んでいく。
そして、がこん、という鈍い音と共に、培養槽の一部が外れ、小さな円柱型のケースになって吐き出された。
「大丈夫、持ち出せる。
――今度は、絶対に置いて行かない」
そう言って、ケースを一度抱きしめ。
「キョウドウ、そっちの薬の方はお願い。
はは、ほんとに海底に放り出されるようだったら、お互いおしまいかもね」
流石にあり得ないだろうが――万が一そうなっても。
なぜか、この青年とならどうにかなりそうだと、そんな気になっていた。
「しんどいと思うけど、出口まではそんなに遠くないはずだから。
走るのは――無理だけど、急いだほうがいい、か」
そう言って、心臓の入ったケースを抱えながら、不安な足取りで歩きだす。
焔で歪んだ隠し扉は、軽く押しただけで、軋みながら開いた。
その先の道のりは、記憶に薄い。
ただ薄暗い非常灯の中を、ただただ、疲れ切った身体で歩き続け。
非常用のボートを見つけた時は、ようやく帰れるという気持ちで、半ば倒れ込むように乗り込んだ。
「――キョウドウ、生きてる?」
なんとか座標を設定し、島を右回りに、異邦人街へと向かうよう自動操縦にまかせ。
鳴火自身は、なによりも大切そうに、心臓の入ったケースを抱いたまま、ぐったりと倒れて空を見上げていた。
■挟道 明臣 >
知人、いやそれ以上の間柄のモノなのだろう。
愛おしそうに心臓の納められたケースを抱く姿は、異質ではあるが
不思議と絵面から感じる程の嫌悪感は湧かなかった。
「まぁ幸運とかは根こそぎどっかに落として来たけど、
あるべきもんは、あるもんさ」
言いつつ、幾つかのアンプルが残るケースを引っ掴む。
急いだほうがいい、その言葉には無言で頷き返して扉を潜る。
薄暗い道をただ歩く。
足を引き摺る程では無いが、一歩一歩の振動が全身に響く。
普段であれば、この手の場所を通る時には歩数で大まかな距離を測っていたが、
どれだけ歩いたかの感覚など最早脳のメモリに一瞬たりとも残らない。
正に一心不乱というべきか。
二人して薄暗い天井を仰いで、そこでようやく思考が追い付いてきた。
ボートに、着いたんだよな。
余りにも頭に血が回っていないせいか、到着したという結果をようやく認識する。
「━━7割がた、死んでる」
メイカが自動操縦の設定に取り掛かったのを起き上がりもせずに一瞥して、
応えた言葉に準じて死んだように目を閉じる。
視覚情報が閉ざされて、全身の感覚に意識が巡っていく。
7割はやや盛ったかも知れないと思ったが、あながち嘘にはならなさそうだ。
■焔城鳴火 >
「はは、笑えない――三割生きてるなら、上等よね」
そう言って笑う。
そう、やり切った安堵と達成感から、疲れ切っていても、やってやったとばかりに笑った。
「――キョウドウ、あんた、408の所属なのよね」
408研究室。
近年迎えた紅博士を筆頭に、植物の研究を中心に行っている、比較的大きな研究室だ。
学園への貢献や、医学会からの注目のされ方から、多くの視線が集まっている場所と言える。
「その薬と、この心臓、あんたに預けてもいい?
私はきっと――あまり長くは、無事でいられないと思うから」
そう言いながら、空に広がる星々を眺める。
それらは本当に、この世界を焼き尽くす事になるのだろうか。
それとも、ただの妄想で、比喩で。
今のこの大変容の世の中を予言した言葉だったのか。
――いずれにせよ。
方舟はすでに最初の理念から外れてしまっている。
そう遠くない内に――いや、もしかすれば数日のうちに。
焔城鳴火という人間は、この島から消えているかもしれない。
それでも。
「――こんどこそ、『あーちゃん』を守りたいの。
だから、お願い。
酷い我儘なのはわかってるけど――私を、助けて」
そう、鳴火は、出会った時とは真逆の、弱弱しい、虚勢を脱ぎ捨てた生身で、青年に懇願した。
■挟道 明臣 >
「408に、じゃなくてか?」
もともと今回は見学の体で探りを入れる為に送られたに過ぎない。
手土産があれば、まぁそれらを悪いようにはしないだろうが……
「俺は、正義の味方でも何でもない。
弱い奴を助ける為に生きてる訳でもねぇし、綺麗ごとじゃ飯も食えねぇ。
世界のどっかで誰かが苦しんでようと、悪事が蔓延ってようが勝手にやってろって話だ。
どうせ全部を救えるわけでもねぇしな。
今回もたまたま行先と動く理由がかち合っただけだ」
閉じたままの瞼。
外の暗さを僅かばかりに感じながら、男は星々に思いを馳せる事をしない。
出会った時とさして変わらぬ、語調で返す。
「ただ、目の前で胸糞悪いもんを見せられんのは我慢ならねぇ。
だから━━本当に手が必要なら俺の見える所で、勝手に戦っててくれ」
勝手に生きて、勝手に戦って、勝手に助けられてくれ。
助けを求める誰かを探す気は毛頭ないけど、
目の前で苦しんでる奴を見捨てる事は、俺にはできないから。
「預けたい、荷物があるなら……
落第街の端、海沿い……貸金庫の302番に」
意識が落ちていく。
出血こそ酷くはしていないが、体力と気力の方が限界を迎えていた。
「場所が分からなけりゃ……その辺りで『ノアの箱舟』とでも訪ねてみろ」
言うだけ言って、男は意識を手放した。
ご案内:「Free5 第二方舟」から挟道 明臣さんが去りました。
■焔城鳴火 >
「――そう、あんたに、キョウドウアキオミに」
命を預け合った信頼から。
それは、多分に甘えも、打算もあったけれど。
「それは――私も同じ。
医者になったけど、助けられる命なんて、ほんの少し。
どれだけ怒りを燃やしたって、救えるものなんて手の平の大きさにも満たない。
今日だって――きっと一人だったら、なにも助けられなかった」
落ちてしまいそうな瞼。
けれど、眼鏡が無くても、彩を取り戻した世界を見ていたくて、言葉を返しながら、眠気にだけは抗った。
返す言葉は、出会った時とは別人のように、弱気な物だったが。
「――ははっ、そういうところが、信じられるの。
そういうあんただから、命よりも大事な物を託せるって思うのよ」
託される側は堪ったものではないだろうが。
それでも、それだけ信じられてしまう。
頼りたくなってしまう、そんな人間だと思ってしまうのだ。
「貸金庫の302、ノアの箱舟、ね。
まったく――ハコブネなんて、これが奇縁って言うのかしら」
意識を失った青年を見つめて、その頬にそっと触れた。
「あんたのお陰で、沢山、大事な物を見つけて、取り戻せた。
――ありがとう、かっこよかったわよ、アキオミ」
そう、万感の思いを込めて、言葉にして。
鳴火もまた、青年と同じように、束の間の休息のために目を閉じるのだった。
ご案内:「Free5 第二方舟」から焔城鳴火さんが去りました。