2024/12/16 のログ
ご案内:「鳳診療所」に藤白 真夜さんが現れました。
『医者』 >  
「神に至ろうと思ったことはあるか?」

 暗い診療所の中で、声が響いた。
 応えは無い。それどころか、女以外に動くものはその部屋には存在しなかった。いや、唯一、時計の秒針だけが動く。

「私としては神と定義すると途端に格落ちする気分だけれどね。
 存外、珍しくはない願望だと思うのだよ。
 “より上の存在に成りたい”……誰にでもある変身願望だろう?」

 低い、女の声だ。希望、歓喜、親愛……そういったものを知らない人間の声だ。
 であるはずなのに、その声は喜色に弾む。
 暗い部屋で、唯独りで。

「だがどうにも、“神”と定義すると胡散臭くなる。
 それは彼奴らがそういう属性を備えているからだと私は思う。
 ある種の全能性、不死性……崇拝される存在としての信仰……だとかね」

 女の指先から、かちゃかちゃ、と金属が触れ合う音がする。
 なぜだか、それは後片付けだという感覚がした。
 もう終わったもの(・・・・・・・・)を、仕舞っているだけ。

祭祀局(かれら)が気にしているのはその不死性と、だからこその脆弱性だがね。
 真夜(かのじょ)が気にしているのは、神に至らんとする傲慢ではなく……神に押し上げよう(・・・・・・)とした、ある種の……人類全体への奉仕精神なんだよ」

 それを聞き届けるものは、女のほかにひとりだけ。
 ……もう、息をしていない亡骸が、ひとつだけ。
 

『医者』 >    
「……何度も言ったんだけれどね。
 人類の総体(そんなもの)のために本気で身を擲つことが出来る人間なんて、居ても夢の中くらいだと。
 よくもまあ……。こういうときだけ、夢見がちだ」

 片付けも終えたのか、いよいよ解剖台に載せられた亡骸に声をかけるように、座り込む。草臥れたパイプ椅子がぎしりと哀れな声をあげた。

「かのノアの方舟に乗った人間はたったの8人だ。次は動物を乗せるようだけれど、ね。
 ……第二の方舟。
 御身の元へ、鳩が戻るかどうか……確かめさせてもらおうか」

 ドアが開く。わざとやっているんじゃないか、と思うほど不吉な音が響いた。

「先生、お呼びで──」

「よし、鳩が来たな」
 

藤白 真夜 >  
「……この場合、伝書鳩だけどな。くく……」  


「……は、はい?」

 急に呼びつけられたと思ったら、よくわからないことを言われる。……いつものことだ。慣れてはいても、ついていくのに一苦労。

「前回の続きだ。
 ほら、例の……神を造ろうとしている連中の」

「……! ……第二方舟、ですね」

 それはまだ記憶に新しい。
 “神殺し”の材料になるかも、と視察に行ったらとんでもないことに巻き込まれた一件。
 結局、わたしにできたことは何もなかった。
 あの場所と相性で、……そう、言い切れればよかったけれど。
 つまり、私の意味は異能にある……そう、現実を突きつけられたような苦い記憶。

藤白 真夜 >  
「知っての通り、お前に任務は降りてきてない。真夜のトコは異能だよりの連中が多いから、だが。
 だから……これは、ただの個人的な好奇心なんだ。
 真夜、もう一度──」

「──行きます」

 請われる前に、言い切っていた。
 鳳先生が、一瞬こちらを見る。……珍しい。ほんの少し眉が上がっただけの、驚いた顔。
 
「わたしに出来ることは無い……なんて言ってなかったか?
 実際、相性は最悪だぞ。
 つまらん理由(・・・・・・)じゃ死ねないんじゃなかったか?」

「……わたしには、あの方舟に手は出せないと思います。
 能力的にも、思想的にも。
 ……──わたしに、人類のために倫理の壁を破る人達を否定することはできません。
 100の無辜の命を焚べて、全ての人が神に至るなら……それでいいのかもしれない、と」

 あの場所に、どれだけの理想と、どれだけの希望と、どれだけの狂気があったのか。
 わたしは、識ることは出来なかった。それでも、わかるものがある。

「それでも、わたしの目の前で死んだ人間が居たのです。
 あの舟が何処を目指すのだとしても……わたしは、ただそれを知りたい。
 ……あの場所で散った命の行く末を、見届けなければ」
 

藤白 真夜 >   
「はあ。結局その動機づけか。
 ……まあ、構わんが。異能を喰われて死ぬのだけはやめてくれよ」

「はい。先生。
 ……わたし、つまらない理由で死ぬのが嫌なのではありませんよ」

 ……少し意外だった。先生が、まさかわたしの心配をするなんて。正確には、わたしの異能の、かもだけれど。
 でも、心配には及ばない。
 わたしは、ただ目の前で死んだ無念が許せないだなんて理由で命をかけられるほど、勇敢じゃない。

「──絶対に死ねないから、死なないだけです」

 その言葉を聞くと、先生は無言で満足そうな顔を浮かべて、解剖台へ振り向いた。
 先日、先生の元に届いた遺体だ。誰のものか、わたしは知らない。でも、先生はよく、死体と話す。……会話が通じているのか、わたしには知らなかったけれど。
 

藤白 真夜 >  
  
「橄欖を探せ」
 

「……は、はい?」

 それを会話の終わりだと思ったわたしは、入ってきたドアに手をかけていた。
 相変わらず、先生の言うことはよくわからない。

「オリーブのことだよ。
 私から頼むことはそれだけだ。
 お前も、義理人情で死地に赴くようだがね。多少は気になってるんだろう?
 ……あの方舟が、水に浮かべるかどうかを、な」

 ……背後に投げかけられた言葉を、わからないなりに、応えた。

 きっと、わたしに出来ることはなにもない。
 だとしても。
 ……橄欖の葉を探す鳩の真似事くらい、出来るはずだから。
 

ご案内:「鳳診療所」から藤白 真夜さんが去りました。