2025/06/30 のログ
ご案内:「◆落第街のとある廃墟(過激描写注意)1」にネームレスさんが現れました。
ご案内:「◆落第街のとある廃墟(過激描写注意)1」からネームレスさんが去りました。
ご案内:「◆落第街のとある廃墟(過激描写注意)」にネームレスさんが現れました。
ネームレス >  
土砂降りの雨が世界を閉ざしている。

篠突く雨だれが灰色の紗幕のように、ほんの少し先の視界さえ認識を危うくさせる。
ずいぶんと早くなった日の出の頃の落第街は、正確な時刻(※常世島標準時)を示す学生手帳を頼らなければ、いま何時かも判じかねる有り様だ。

誰も彼もが屋根や地面の下に引きこもって、どっしりと殴りつける水滴をしのぐなかで、
真っ黒な西洋傘(コウモリ)に頼って、大通りをゆく影がひとつあった。

落第街らしからぬ身綺麗な装い。流れる血のような紅の髪に、透けるような白い細顎。
およそこんな場所をひとりで歩くような身空でないそれはしかし、
ほんの一年ほど前まで、堂々とそこを歩いているのが当たり前の存在である。
違反学生ノーフェイス――いまは、世界に届いた無名の歌声(ネームレス)

ブーツの底が、水嵩を持ち始めた地面にぱしゃりと波紋を立てる。
爛々と輝く橙色の眼光はしかし、どこか物憂げに伏せられている。

「…………」

なにも、嫌いになったこの島の六月の雨に、憂鬱になったわけではなくて。
いつかのバス停での失態を思い出すからイヤだな~とか。
――それだけではなくて。

モノクロの世界にて、鮮やかに輝くこの存在が手に提げもった、
冴えた色の花束の由縁が、決して愉快なものではなかったからだ。

  >  
 九重(ここのえ)(じゅん)は優れた自警学生だった。
 風紀委員のなかには、彼女の入会を強く推薦する者もそれなりにいたという。
 本人がなぜ自警学生であることに拘ったのかは本人のみぞ知るばかりだが、
 主に落第街での作戦行動で、違反学生の暴動鎮圧に活躍していたことは歴とした事実だ。

 ――陽光の下で鋭く輝くような、
 己の存在証明たる異能を、たとえ喪っても……九重純は優秀だった。

 《異能喪失者》。
 神の悪戯か、心身の疾患か、あるいは在るべき姿に戻っただけなのか。
 九重純(かのじょ)もまた、原因不明の《喪失》、あるいは《回帰》に見舞われたひとりだった。
 
 昨年の晩夏の頃に《喪失》の前兆――あとにわかったことだが――があらわれはじめ、
 症状は緩やかに進行。年の暮れには一切の異能行使がかなわなくなり、
 本人の希望によって行われた様々な検査のすべてが、
 "九重純は非異能者である"――という結果を弾き出すに至った。

 そののち、彼女は属していた部活に復帰し、
 異能に頼らず、見事に違反学生の制圧に成功する。
 
 ――『まだ、みんなの役に立てそうだね』
 報道部活のマイクに向かって、そう照れくさそうに笑う九重純の姿に
 人間の価値は異能の強弱では決まらないと、そう信じた者も少なくはなかったろう。

  >  
 
 
 その夜、彼女がみずから命を絶つまでは。
 
 
 

ネームレス >  
建付けの悪い扉をあけて、エントランスに踏み入った。傘を閉じる。
かつての集合住宅の亡骸は、風雨を凌ぐ穴蔵としては絶好だろうに、
死霊ばかりか違反学生さえもそこには巣食っていないようだった。

「墓標にしたって、ずいぶんと味気ないトコを選んだもんだね」

赤い唇が失笑を零す。

「Six-o-six……ロクゼロロク……」

まず向かった扉は、

「階段じゃないとダメだよな」

停まったエレベーターだ。
肩を竦めて、上階への階段をあがる。

ネームレス >  
「外階段じゃないだけ気が利いてるケド……」

味気ないコンクリートの段をあがっていく。
向かうは606号室跡。
もう既に、捜査と検証、そして回収が済んだ場所。

「どうしてこんなトコで」

甘い声で問いかけても、いらえが返ることはない。もう二度と。

「なぁ、純?」

落第街はラ・アミーナ606号室。
九重純の遺体が発見された場所であり、
ネームレスは彼女と既知だった。

  >   
 自警学生の死。異能喪失者の自殺。
 ――決して珍しい話ではない。常世島では。この時代では。

 朝のオレンジジュースとともに眺めるありふれたニュースが、
 わずかばかり特別だったのは、知った顔が画面に映っていたからだ。
 九重純との接点は二度。
 一度目は昨年の春先。入学したばかりの彼女に追い回された。
 まあ、指名手配もされている違反学生だった頃の話だし、何もおかしいことではない。

 その程度の接点でしかなかった。
 しかし、妙な心の引っ掛かりが残っていて、それが疑念へと昇華されたのは、
 魔術学会にもっている研究室に、彼女と同じ部活に所属していた学生が訪ねてきた日のことだった。

 ――曰く。
 彼女の学生手帳には、書きかけのメール――本文は空欄だったが――が残されていて、
 その宛先が、音楽家(ミュージシャン)としての自分(ボク)のアドレスだった。
 いまはもう、ゴエティア・レコードに所属している身だ。仕事にもプライベートにも基本的に使っていない。
 が、そんな他人が自分(ボク)と接点を持つためには、まず使えるオープンな連絡先でもある。
 動画配信サイトのプロフィール欄に、つい半年前まで載っていたのだ。

 メールの作成日時は、死の前夜。
 その頃には既に、決意は固まっていたとみえる。
 だが、彼女の友人にも、自分にも、いかなる用向きで文を綴ろうとしたのか見当はつかない。

  >  
 ただ。
 聞くところによれば、彼女は自分(ボク)の楽曲をよく聴いてくれていて、
 インタビューなどの様子も逐一チェックしていたらしい。
 ――ファンになってくれたのかな、とごく当たり前の思考をあえて口にした。
 
 けれど、彼女の友人からすれば、九重純は、
 画面越しに自分を認識している時にだけ、ひどく思い詰めているように見えた――という。

 なぜ?

 きっと、自分(ボク)が何か知っていないかと思って訪ねてきたのだろう。
 証せるものは何もないが、一度追いかけ回されただけだと伝える。私的に連絡をとったこともない。
 何処で死んだのか。それを聞き出すばかりで何も返せなかったが、
 熱心に、生前の九重純の横顔を盗み見ていた、"友人"でいた眼の前の相手に、
 それ以上の言葉を重ねるほどの野暮をするつもりもなければ、義理もなかった。

ネームレス >  
夢みるもの(ベッリーニ)……」

落第街を中心に流通している違法薬物。
心地よい夢を見ることができる睡眠導入剤だが、
用量を違えると寝入ったまま目覚めることなく死に至る。

霊薬の類で、製法から流通、その意図に至るまで霊的犯罪として捜査が進んでいる。
高額で取引されるその理由が、良い夢を見たいからというだけでなくなっていのは、
人と人との営みが降り積もる世界では、自明の理である。

「最期の寝所に選んだのが、よりにもよって冷たい床とはね。
 いくら蒸し暑いトコだって、まだ暑くなりきらなかった時期だろ。
 ……綺麗なまま本土に引き渡されたのは、よかったのかな?」

荒れ果てた606。無人の部屋。その奥で彼女は眠るように死んでいたのだという。
学生手帳のGPSがなければ腐敗し風化していただろうその亡骸は、
まだあたたかく、一見すればただの寝姿でしかなかった。
死後数十分と経っていないその体を前に、発見者たるあの友人は、どんな想いだったのか。

「こんな用事で、久々に落第街を尋ねるコトになるとはな」

壁際、落第街を見渡せる窓の下に、花束を供えた。

「キミがお客様でなかったらスルーしてたよ」 

一度だけ、自分の公演に来ていたから。
舞台から望める観客の顔は、ひとり残らず記憶していた。

  >  
 人間の価値は戦闘力の高低や、異能の強弱だけでは決まらない。
 であるのに、異能という、なにひとつ明日の保証もない未解明の力に依存し、
 それそのものを自分の価値だと信じ込んでしまうことの危うさが、
 コメンテーターの口から、各々のバイアスの影響を受けたうえで並べられていた。
 
 太陽を照り返す、白銀の翼が示す威は、
 たとえそれを具現化することが叶わなくなったとて、
 異能が喪失したとて、九重純の存在を翳らせていたわけではなかった。

 死を悼まれ、逝去を惜しまれる人間は、その時点で特別だ。
 それほどに彼女は優れていた。

 悪しきを挫いて、
 弱きを助けて。
 九重純は眩く、そして、正しい人間だった。

ネームレス >  
 
 
 
(…………ほんとうに?)
 
 
 
 

ネームレス >
ニュースで綴られる、多くの記録と記憶が形造った、死後に語られる九重純の肖像と、
自分のなかに刻み込まれた、九重純という人間がどうしても重ならなかった。
そのギャップと、死に至るまでの経緯の疑問を咀嚼し、嚥下して己の一部とすべくして、
ネームレスは彼女の死の現場を訪ねたのだ。

死んだらそれまで。死後はない。
そういう死生観(せかい)で生きているから、
死した者の軌跡をたどり、祈って、花を手向けるのは、
確かに感じる喪失、あるいは欠損を、自分なりに解釈し、
より良い(オト)を創り出すための儀式(ルーティン)だった。

すべての存在は、自分をより美しく咲かせるための養分でしかない。
数年を過ごしたこの落第街という環境だって、
裏切り者だなどと自分を謗る者もいるが、そもそもが理想のための踏み台だ。
ネームレスは自分のことしか考えていない人間だ。
なにを踏み潰しても、己の理想を実現することを最優先とする存在だ。

(あの時の、九重純(キミ)は)

追想する。
自分を追いかけ回す、厄介な自警学生。
ほんの数十分の追走(ドッグレース)、肩越しに伺ったその顔。
自分を睨み、見据えるあの双眸。
もうとっくに記憶の片隅に追いやった、咲くことのなかった花の――

(そうだ)

そして、解釈する。
それが事実かどうかは、関係がなかった。

九重純(キミ)も……)

ネームレス(ボク)と同類だったはず。
そう感じたから、あの駆け出しの自警学生が、胸に残っていたのかもしれない。

  >  
 九重純の異能。
 金属質の翼をその背に生じさせ、様々な現象を"実現"する。
 思い描く可能性を現実へと写すような、強大な能力だった。

 昨年の晩夏より、その異能は出力を上昇させ
 ――程なくして煙のように喪失してしまったのだという。

 異能喪失の経過は一様ではない。
 ゆっくりと減退していく者もあれば、ある日突然喪うものもいて。
 そして、九重純は、増大・成長という形で、喪失の前兆があらわれていたのだ。

ネームレス >  
「喪った……?」

そうだろうか。

あの翼で、どこに行こうと。
あの異能が、何かの手段であるのなら。
どこかへの切符なのだとしたら。

「…………」

  >  
 
 

 異能に苦しむ者がいる。
 異能に呪われる者がいる。

 影のようにつきまとい、己の意図に反して暴走することさえある。
 捨てたいと願う者は、要らぬと嘆く者は、どれだけいるのだろう。
 
 
 

  >  
 
 
 
 所有者の精神と密接に結びつく異能は、現代異能学においてポピュラーな分類だ。
 感情の起伏に応じて出力が増大し、心身の成熟によって限界を超え、
 時に段階(ステージ)が上がるように成長する――

 そんな自分の翼を、影を、
 もう必要ない、と感じてしまったら……?
 
 
 

ネームレス >  
「―――………」

顔をあげた。
結露した窓ガラスを、掌で拭った。

少しだけ弱まった雨脚のむこう、
ビルの谷間には、なにもない――今は。

かつては、あった。
そこに幻出していた。

灰の劇場――かつての自分の本拠地。
演者と観客という形で、ネームレスと九重純が二度目の接点をもった場所。

視線を落とす。

ネームレス >    
自分が、死者に花を手向けるという儀式(ルーティン)を持つことを、
知っている者は、それなりにいる。

どれだけ鈍くたって、それなりの時間親しんでいる娯楽の傍ら、
横顔をみつめられたら、少しは察することもあるだろう。
まったく気づかないなんて、いくら鈍感そうな九重純だって。

だから友人がネームレスを尋ねることも、
ネームレスが死の現場に訪ねることも、
もしかしたら、思い描くことだって……

ネームレス >  
こうなってしまえば、
九重純の形の傷も、ほんのうっすら、自分には残るだろう。
 
「どっちに向かって逝ったんだ」

思い詰めた悔いの果てに?
それとも、前に向かって死んだのか――"苦"を白黒の濃淡で描き抜いたあの画家、各務遥のように?

  >  
 
 
 "夢見るもの(ベッリーニ)"をひとつぶ飲んでみれば、幸せな夢がみられる。
 痛みも苦しみも忘れて、幸せの国への旅行を楽しめる。

 だから、ふたつぶ飲んで戻ってこれなくなっても――
 
 

  >  
 
 
 ――うっすらと唇を綻ばせて、幸せそうに死ぬのだという。

 九重純もそうだったというのなら、願わくは、
 最期に夢見たその風景が――
 
 
 

ネームレス >  
「止んでる」

九重純の寝所を出ると、雲は割れ、白く焼けた朝が覗いている。
傘を開く必要はなさそうだった。

朝も夜もない落第街は、雨上がりとともに起き出すだろう。
自分はもう、ここの住人ではない。否、最初からそうではない。
それを証したから、九重純との接点は消え、
そして――知らず知らずのうち、九重純の物語を、終わらせてしまったのだとしても。

「さよなら」

振り向かずに、もうひとことだけ。
彼女の形のうっすらとした傷を連れて行って、
眩き黄金は、昔日の銀色を、あの夏に置き去りにした。

輝ける栄光のなかへ。理想を実現するために。
自分が生きているのは、痛みのない、幸せな夢のなかではないから。

ご案内:「◆落第街のとある廃墟(過激描写注意)」からネームレスさんが去りました。