2024/06/12 のログ
ご案内:「いつかの、夢。」に五百森 伽怜さんが現れました。
五百森 伽怜 >  
今、自分は何処に立っているのだろう。
緑色と灰色が朧気に混じり合ったその世界は、目まぐるしく動き続け。
何時しか、風景を形作っていた。

次第に視界ははっきりと、嫌になるくらい鮮明に彩られ始めた。

―――
――

五百森 伽怜 >  
あたしは、教科書を詰め込んだカバンを背負って、食堂に向かっていた。

午前の授業の内容は、一生懸命頭に叩き込んだ。

最近は薬を買う為に沢山のバイトを入れていて、とてもじゃないけれど
満足に復習の時間が取り切れなかった。

薬。あたしの生活を支えてくれる、一番頼れるモノ。
サキュバスとしての力を抑えて、
あたしを人間に近い化け物で居させてくれるモノ。

補助制度を利用しても、高いものは高い。
だから、頑張って働きながら薬を買い続けている。

日常を守るために。


食堂のランチは、いつものEセット。
御飯と味噌汁、焼いたししゃもが2匹と、それからお漬物。
デザートには大好物の林檎。これは、少しテンションが上がる。

ランチを乗せた、灰色のプラスチック製のトレイを持って向かう先は、
食堂の隅だ。なるべく、他のグループとは離れたところへ。

みんなと、関わりたくない。
あたしなんかが、関わっちゃいけない

少し汚れた白の壁に背を預けて、食堂の椅子に座る。

常世学園では、生徒も教師も皆、平等だ。
異邦人だからといって、異邦人の血が混ざっているからといって、
制度上の不都合はないし、他の人間達と同じように暮らしていける。

でも、それはあくまで表向きの話。仮初の体裁であることは、身に沁みていた。

あたしには生まれつき、異邦人の血が混ざっていた。
今は、21世紀初頭じゃない。
異邦人なんて珍しくもないけれど、あたしの場合は少しだけ特別で。

五百森 伽怜 > 『あの子、結構可愛いよなぁ。名前なんだっけ?』

『確か、五百森だよ五百森』

まずは、手を合わせて。
箸を手に取り、焼いたししゃもから。
味は、悪くない。久々に食べた焼き魚、ご馳走と言っていい。

『気をつけた方が良いわよ、あの子。母親がサキュバスなんだって』

『へぇ。じゃあ、あいつもサキュバスの血が混じってるってこと?』

だけれど、ゆっくり味を感じている余裕なんて、なかった。
急いでししゃもに箸を伸ばし。
それを口に入れたあたしは、いつの間にか目を閉じていた。

『サキュバスって何だよ?』

『俺知ってる! 男を誘ってセックスばっかしてるモンスターだろ? 五百森がアレなのかよ~』

ししゃもの卵が、口の中で弾けてゆく。

『じゃあ毎日男誘ってヤりまくってんのかな?』

『そういう感じに見えねぇけど、裏じゃヤることヤってんだろうなぁ』

半分ほど食べたところで、目を開いてししゃもを置いた。



皿の上で、ししゃものお腹の中が見えた。


皮を、肉を、破って突き抜けてきそうなほどに詰まった卵――。

五百森 伽怜 >  
『最近あいつ、テストの成績上位に居るよな。
 あれさ、先生とヤりまくってんじゃね?』

『あー! それで先生に問題見せて貰ってるとか?
 やってそ~、めっちゃ卑怯じゃん。真面目に勉強してる俺等かわいそー』

『じゃあ異能学の豚センともヤってんのかよ、すげぇな~。見境なしじゃん」

白米を口に運ぶ。

食欲はあまりなかったけれど、食べなきゃ午後の授業も、バイトも頑張れない。

あたしの身体は、燃費が悪い。
本当はとらなきゃいけない栄養(精気)を、とっていないから。

『伊藤、あいつに童貞卒業させて貰えねーか頼んでみたら? 
 お前でもいけんじゃね?』

『いいじゃん、尻尾振ってOKするだろ。伊藤、あいつで捨ててこいよ』

『でも俺が好きなの、リエルちゃんだしなぁ。あいつも顔は可愛いけどさぁ』

お漬物。
お味噌汁。
ご飯。
お味噌汁。
お漬物。ご飯――。

『良いだろ、じゃあ練習台になって貰おうぜ。テクとか教えて貰えば?』

『あー、それは確かにありかもしれねーなぁ』

『でも、良いなぁ。俺も五百森とヤりてぇかも』

最早、この食事は義務だった。
早くこの場を去りたい。その一心で、一生懸命にご飯を掻き込んだ。

『俺も俺も~』

『じゃあさっさと頼んで来いよ』

『頼んだら、ここでおっぱじめちゃうかもだけどな』

『やっば、生々しすぎて流石にキツいわ』

喉の奥を突き破ってきそうなほどに詰め込んだ白米。

気分が、悪くなってきた。

視界が、ぐるぐる回ってきた。
何度も通り過ぎてきたこの光景。
気づけばまた、始まっている。

ここに来るまでにぶつけられてきた、
沢山の言葉(のろい)が、頭の奥で反響していた。

五百森 伽怜 >  
『ほら、行こうぜ。で、どこに誘う? ホテル?』

『流石にそいつはバカだろ!』

『カラオケとか良いんじゃね?
 歓楽街のあそこのカラオケさぁ、店主がそういうの好きで――』

ししゃもも、全て食べ終えて。
デザートの林檎を口元へ。

奥歯で噛めば、しゃくり、と湿った音が響く。
その音は何処か、ずっとずっと遠くで響いているように感じられた。
林檎は甘い味など与えてくれなくて、
ただただ錆びたような鉄の味だけが口の中に残された。

『道具とか貸してくれるかも――』

その鉄の味すらも、雨に流される路上の吐瀉物のように。
いつしか薄れていって。

四人の男子生徒が、あたしに近付いてくる。
視線を逸らそうと俯いている自分を、取り囲むように。

手に持った小さな錠剤――サキュバスとしての力を薄める薬を持つ手が震える。

「たっ……」

口から出かけた言葉は、何処に吐き出されるでもなく飲み込まれた。


一体誰が、助けてくれるというのか。
心臓はきゅっ、と。誰かに握られているかのようだ。

この場を去りたくても、脚が動かない。

何度も、逃げようと。必死にこの場を去ろうと。

脚を動かそうとした。それでも、ダメだった。

五百森 伽怜 >  
 
そうだ。 
 
分かってる。

どうしようもなく、身体が震えているんだ。 

五百森 伽怜 >  
「ねーえ、五百森さん。俺達と一緒にカラオケに――」

来た。俯いたまま、目は閉じていた。
ただただ、首を横に振って。
それでも、そんなささやかな抵抗なんて、何の意味もなさずに。
男子の一人が、あたしの腕を力いっぱい掴んで――。


その瞬間。

凄まじい振動と、音が響いた。

怖い。痛いのは嫌だ。
恐い。苦しいのは嫌だ。
こわい。こわい。こわい――。


「……っと、悪ィ。で、何だって? アタシのダチに何か用か?」

聞こえてきた声は、男子生徒の声ではなかった。
綺麗で、透き通っていて、それでいて力強い。
聞いたことのない、女の人の声だった。

思わず顔を上げて、その人の方を見やった。
銀の髪に、紅の目。荒々しい眉はキッと引き締められていて、
眼前の相手――男子達を睨んでいた。

彼女の腕には、腕章――そこには、『風紀委員会』と書いてあった。

「お、お前は……風紀のッ!」

あたしの腕を掴んだ男子生徒が、変に高い声を出した。

「いかにも。風紀委員会、四年生。月山 遥――」

そうしてあたしの腕を掴んでいた、
その男子生徒の腕を、女の人――月山さんは、がしりと掴んだ。


「――破滅齎す狼(ディザスター・ウルフ)って言った方が、通りが良いか?」


男子生徒の情けない悲鳴が上がった。
掴まれた腕を擦りながら下がったその男子は、椅子に躓いて転んでしまった。

五百森 伽怜 >  
「や、やべーよコイツ! 5日で7つの違反部活を解体させたっていう……」

別の男子達も騒ぎ立てる。あたしは、その名も噂も知らなかった。
この学園はまだ、知らないことばかりなんだ。

あたしはただ、黙ってその光景を見つめていた。
口の中が、少しだけ甘さを取り戻した気がした。

「今日はイライラしてんだ……満月が近いからな……」

月山さんは男子生徒の腕を握っていたその手を、
自分の顔の前に持っていくと。
小指からゆっくりと一本ずつ握っていった。

「アタシの気が変わらない内にさっさと消え失せな」

月山さんの喉から、獣の声がした。
比喩でもなんでもない、本当の獣の唸り声だ。

「ヒッ……ば、化け物ッ!」

蜘蛛の子か、兎か。

男子生徒達はそこら中の椅子を転がしながら、食堂から出ていった。

食堂の隅に残されたのは、あたしと月山さんだけだ。

「あっ……その、あ、ありがとうございました……っす……」

一にも二にも、お礼だ。
何度も何度も頭を下げて、何度も何度もお礼を言った。
いくらお礼を言っても、足りないくらいだ。

「気にすんな。この学園の風紀を守るのが、アタシらの仕事だ」

風紀を守る。

そういえば、彼女の腕につけられている腕章には『風紀委員会』と書かれていた。

この学園に入ってから、
何度か名前だけは聞いたことがあったが、この腕章をつけた人と

話をするのは、初めてだった。

五百森 伽怜 >  
「ま、私情が噛んでたことは否定しないけどな。
 その、アタシも……ワーウルフ(人狼)――化け物なもんでな」

ああ、そうか。
この人も、異邦人の血を流していて。
きっと、さっきみたいに沢山罵られてきて。
それでも、持ってる力を誰かを守る為に使っているんだ。

胸が、きゅっとなった。
さっきとは違う、とても快い感覚だった。
だからこそ、言葉は簡単に口から飛び出していた。

「月山先輩って……風紀委員会って、かっこいい……っすね……」

こんなこと直接伝えるのは、恥ずかしい。
そんな風な思いは、
言葉にした後からじわじわと胸の底からこみ上げてくるものでしかなかった。

「そう見えるか?」

月山さんはフッと笑って、肩を竦めてみせた。

「……ま、なんだ。この学園は広い。めちゃくちゃ広い。
 ああいう輩も居るが、アタシらに理解を示してくれる奴らだって、沢山居るさ。
 ほれ、見てみろよ」

月山さんが、掌をくるりと上へ向けて、辺りを示すように横薙ぎに腕を振った。
あたしもその動きにつられて、思わず周りを見渡した。

転がった椅子を片付ける店員さん。
困ったように眉を下げながら、それでもあたしに微笑んでくれた。

遠くの方に居る生徒グループ。
月山さんとあたしを見て、親指を立てていた。

目を隠す為に長くした前髪の分け目から、あたしは温かい世界を見ていた。

とてもとても嬉しかったけれど、あまり目が合わないように。
さっと。あたしは視線を逸らした。

ずっと見ていると、あの人達の魂を、奪ってしまうから。

五百森 伽怜 >  
それを見た月山さんは、少しだけ息を吐いて、あたしの肩に手を置いた。
緊張していたものだから、びくっ、と。大きく身体が跳ねた。


「五百森。俯いたって良い。でも、殻に閉じこもるな。
前を向け。この島の色んな所を見て回ってみろ。
うじうじすんのは、それからでも遅くないだろ?

……そんで、どうしても辛いことがあったら……いつでも相談しな。
アタシにできることなんて大してないが、
この学園での経験と、腕力だけは自信あるからな」

この人も、きっと、辛い思いをしてきたんだろう。
あたしと同じように、化け物なんて呼ばれて。
それでも、この人は前を向いている。明るく振る舞っている。

あたしも、こんな風になりたいと。本気で思えた。

五百森 伽怜 >  
そうだ。

あたしも、この足で、学園を見て回ろう。

少し怖いけれど、きっと大丈夫だ。

そして、この学園で沢山の物事を見ることができたら、

次は、月山さんみたいに頑張っている人達のことを、

みんなにもっと知って貰うんだ。

自分の力で、新しい一歩を踏み出して――

五百森 伽怜 >  

――
―――

目覚めたのは、白い病室。

今、何日の何時だろう。

膝を曲げて、身体を起こそうとする。

その瞬間に、全身に鋭くも、重い痛みが走る。

気づけば足は、ぐるぐる巻きになっていて。

どれだけ願っても、あたしの足は動くことがなかった。

骨も、肉も、心すらも。

引き裂くような痛みだけが、そこに残っていた。 
 
窓を打つ雨の音と、義務的に時を刻み続ける針の音だけが、

いつまでも耳に響いていた――。

五百森 伽怜 >  
 
いつまでも。 
 
 

ご案内:「いつかの、夢。」から五百森 伽怜さんが去りました。