2024/09/21 のログ
■ノーフェイス >
たしかなものを胸に抱けていなかった少女にとって、
それを足蹴にされることは、理想を踏みにじられるのと同じこと。
そして他人の目を気にし、本音を封じて生きてきた少女は現在と違い、
燃えたぎる業火のような激情を律するすべを――知らなかった。
『――――――――――ッ!!』
叫んだ。
あのハロウィンの夜、スピーカーから響いたそれにどこか似た、魂のふるえ。
振動に、周囲が震撼するほどの。爆発は、それが最初だった。
現代であれば、確かに物珍しくもない光景では、あったかもしれない。
それでも小柄な少女が吠え、暴れ――つぎつぎに。
複数人の歳上の少年を。止めに入った大人までを。
殴って、蹴って、ぶつかって、投げて、地面に沈めていく。
怒りの涙に濡れながら、喉がかすれるほど叫びながら。
やがて、静かになる。路地の入口に視えざる壁でもあるかのように。
少女にだれにも近づかない。
からだがあつい。
このままでは、だめだ。
ばくはつする。わたしという存在が。
『…………』
どうすればいい?
―――――また叫べばいいのか?
その瞬間に。
ぴたりと。
すべての星が、一列に揃ったように。
……少女の足が、倒れ伏す少年を踏みつける。
そんなものには目をくれず、顔をあげた。
『――――――!』
歌声が、響いた。
もとは、男声だ。だから無自覚に最適な調にあわせて。
『――――――――――――!』
――――裏路地を満たし、世界を満たす。
神才が萌芽する。
はじまりは、ほんのちっぽけな、理不尽への怒り。
そしてこのはじまりが、致命的に、少女と家族を遠ざける。
■藤白 真夜 >
見開いていた。瞳を。
時間が止まったような表情に、しかしどろりと垂れる返り血がそれを否定する。
それは間違いなく、絶望の表情だった。
だが。
だが、違う。
困惑。
文字通り、止まっていた。
まだ、呑み込みきれていない、感情。
小さな自我に宿る異能は、あまりにも大きすぎた。
自己の制御すら越えて暴れる異能は、拒絶することもままならず、鋭敏に自らの感覚に入り込む。
血を思いのままに操る異能は、他者の血の意味を知る。
そこに流れる想念を、読み取れる。──いや、あるいは、ただ勝手にそう思い込み……味わうだけなのかもしれなかったが。
異能の深度で言えばもう少し後に到達するはずのそれを、しかし暴走とその刹那の空白となった自我が、潜り込む感情を加速させていた。
血こそ自分自身であり、それが魂なのだ、と。
溶け合う人の最小単位、それらが触れ合うことは、確かに自らに何かを伝えるのだ、と。
そしてその時……確かに繋がった。
家族の、愛が。
愛が恐れへと砕け、悲劇へと堕ちていき、痛みと死の絶望の中途絶えていく。
……それでもなお、最期の瞬間まで受け入れてくれる慈愛を、見た。
そのとき、恨んでくれればよかったのに。
──あのひとたちは、わたしを認め、案じて、……愛したまま、逝った。
「あ、……」
見開いたままの瞳が、動き出す。こぼれていく涙。
動かない表情が信じられない奇跡を見たかのように、震えた。
覚えている。
ずっと、覚えている。その瞬間の“わたし”の感情を。
恐怖、驚き、戸惑い、悲しみ。
でも、それよりもずっと大きなものがあった。
────悦び。
涙で血を洗い流しながら、喘ぐ。
まだ、愛している。愛を感じている。愛が届いてしまった。
なのに、それをわたしが奪ってしまった。台無しにしてしまった。消し去ってしまった。
────ずっと、わたしだけのモノにできた。己の意思で、一方的に。
その昏い喜びに。
異能の暴走の影響は確かにあったのかもしれない。
血液操作の、その言葉よりも絡み合う異能の根が、奥底にまで届いていた。
血と本能と生存欲求に芽生えたその異能が、あらゆる形での生命への渇望を植え付けたのかもしれない。絶望で空白になった自我に、異能が根をおろしたのかもしれない。
──だとしても。
“わたし”はその時、殺人の快楽に、溺れた。
溢れ、乱れ、悶え。
空気を求め溺れるもののように、外へ駆け出る。
もう、わたしにも判別できなかった。
今、思い返すだけでも、涙が浮かぶ。──感涙が。
この時から、ずっと囚われている。……うつくしいものに。
だから、……だから。判別できない。
このとき、どうなっていたのかを。
ただ、朦朧として、助けを求めに行ったのか。
──次を求めていたのか。
■ノーフェイス >
――冷たいのに、舌がヒリヒリするくらい熱く
――甘みは全然ない。野心に満ちた、よくぼうの……
彼女の嗜血が、単なる味覚というかたちでの嗜好などではなく。
血液――命。聖なる紅い河を。
そこに宿るさまざまな情報を読み取るのだとすれば。
『キミは、』
他人がなにを考えているのか――ひとの心を識るすべ。
本来であれば、どこまでも手を尽くしてなお届き得ぬ可能性のあるもの。
『…………なにを、視た……?』
恍惚として、咽び喘ぐ少女に。
『両親を、……かけがえないのないモノをッ!
肚の内側に取り込んで――なにを感じたんだッ!真夜……ッ!』
言い募る。叫ぶ。触れられざる少女に。無意味に。
ただ、殺すのが好きなのか。死が好きなのか。それだけでは、ない。
こんな快楽を感じる事実など――ひとつしか、思い浮かばない。
家族の愛を、至高の宝を、永遠に我がものとしたのだと。
この世で最も尊いものを、その身に取り込んで確信した咎。
『―――――……ッ』
拳を、血溜まりに叩きつけた。
湧き上がる。燃え盛る。獰悪なまでの、嫉妬心が。
どれほど求めてももう手に入らないものを、誰よりも確かに持っているこの藤白真夜が。
――殺したいほど、妬ましく思えた。
自分の求めたものとまるで違う有り様でありながらも、持っているから。
さいこうのはじめてを迎えて、すっかり虜になってしまったのだろう。
それが素晴らしいものだと思い込むには、十分すぎる体験だ。
鮮烈に、無垢な体に、消えぬ愛を刻まれて、至高美を知った。
知ってしまった。
そりゃ――そうだろう。誰にも渡したくない筈だ。
『…………、ああ』
弾かれたように、飛び出した彼女を――よろめくように、追い駆ける。
『………してやる』
そこに、あるものが。
予想通りの、紅の海だったとしても。
『藤白真夜を―――』
■藤白 真夜 >
『……』
……なんで、こんなものを? とは、思えない。
わかっていた。理解が届いてしまった。
幼心に得る執着が、どれだけ大切で輝かしいものになるのかを。
たった今、幼い君といっしょに重ねていたところだった。
どんなにくだらなくて、安っぽいものでも、関係無い。
心の柱となる、なにか。……たいせつなもの。
それは誰にだって、存在して。
……そんなこと関係なく、壊れてしまうものだから。
『……なるほど。ようやく合点がいった。
確かに、キミだねノーフェイス。
可愛いし賢いしで全く信じらんなかったけど。
今のこえは、良い。もしかしたらイマより良いかもだよ』
技巧や音楽としての意味なら、比べ物にはならないだろう。
でもわたしは、音楽に感情を見た。
剥き出しの怒りの叫びは、それだけで人の心を震わせる。
暴力的な光景に、耳を傾ける。無論、目もそらさない。
その怒り。その暴力。その慟哭。
すべて、目をそらさず、あるがままを見た。
『“……神は死んだ”』
顔を上げ叫ぶ先にあるものを、夢想した。神の愛なんて、元より信じていなかっただろうけど。
『…………愛、かぁ』
口に出したその言葉は、驚くほど軽かった。
わたしにだってその言葉は馴染が薄い……だったけれど。
わたしの中に根付いた喜びの源泉を、何故か思い出す。
正直、それはわからない。
わたしの中の愛とやらは、もう彼方で輝くお月さまみたいになってしまったのだ。
『……キミは、愛を知らないまま……行くの?』
怒りに吠える少女の、そっと見つめていた。
簡単な話で、……わたしは、ノーフェイスの順番を見誤っていた。
こいつは、さぞや音楽を愛しているのだろう、と。
でも、……。
わからない。あなたは、……何も愛せないから、音楽を愛したのか?
『暗い、暗い、夜の中。
絶望の夜の中。
……真っ白な月みたいに。
それはさぞや、綺麗に見えるんだろうね』
怒りの中で産声をあげる音楽に、でも不思議な小気味良さを感じていた。
孤独も、怒りも、人間を弱くなどしない。わたしは、そう信仰していたから。
……彼女も、そうなれる。……はずだ、と。
■ノーフェイス >
――たった、一曲だけ。
自分がうまれるよりずっとまえの、ヒットソング。
何度も何度も映像でみておぼえた、なんともなさけない歌詞のうた。
肩で息をしていた。心臓がうるさいくらいに暴れている。
(…………ああ……やば、い……)
ここまでつかれたことなんて、うまれてはじめてだ。
(月まで……ブッ飛びそう……)
自分を抑えきれないほど熱くなった。
言い訳できないほどに、全力を出して。
神サマや、世界と交わり合う手段があるとすれば――きっと、これだけ。
ぬるぬるの欲望を感じながら、両手で前髪をかきあげた。
甘ったるいため息とともに、端的に、いまの心を、吐き出せば。
「…………きもちいい……」
汗にまみれ、どろどろのぐしょぐしょになって。
白い頬は上気し、玉の汗が夕焼けに輝く。
妖艶で淫らに蕩けた微笑は、およそ少女の浮かべていいものではない。
快楽――生の実感。
これほど生きられる人間が――果たして、自分をさしおいてどれほどいる?
傲慢な疑問が浮かぶほどに、生きている、と自覚した。
窮屈すぎる世界では、歌わなければ、生きられない。
いつしか集まった聴衆を視る。自分に支配されゆくものたちを。
きっと、これだ。
自分が目指すべき理想のすがた。
みずからの内側に、神の像を得た瞬間だった。
神秘的合一――――理想の自分への到達。
ラジオやテレビのむこう――舞台の上。
触れ得ざるもの、至高天に咲く薔薇のように。
たとえこのあと――神に通ずる巫女としての素養が。
社会に、宗教に、神に、欲望に絡め取られ――歪められ。
黒い冬に開花を妨げられる才能なのだとしても。
「……このまま、すすんでいけば……」
手を伸ばす。
聴衆のなかの。
――燃える炎の色の瞳は、藤白真夜を認識して。
「…………ねえ、」
問いかける。
■ノーフェイス >
世界に、罅が入る。
視界に、すべてに。
生きるに値する渇望が、それであるゆえに。
世界を呑もうとする貪欲さが、それだけの事実であるがゆえに。
求めても永遠に埋まらない欠落から、力を引きずり出して。
■藤白 真夜 >
夕暮れ時。落ち行く日が、山々に差し掛かっていた。
そこは、小さな山沿いの村だった。
田舎だ。
だからこそ、繋がりは太い。
お隣さんの。母のおしゃべり友達の。父の釣り友達の。家族で買い物に行ったお店の。一つしか無い病院の。
ぜんぶ。……ぜんぶ。解っていた。
始まりは、すぐだった。
よろけるように飛び出たわたしの姿を見て、疑問を浮かべる人など誰もいない。
近所では、泣き虫の娘で有名だったから。
……護るべき対象。
それが、──。
そこからは、あまり覚えてない。
純粋に、多すぎた。
お隣さん。幼馴染。買い物帰りの赤の他人。たまたま泊まりに来ていたよそ者。神社の巫女さん。診療のとき飴をくれるお医者さん。青い屋根の家を持つ◯◯さん。最期までお嫁さんのことを考えていた◯◯ ◯◯。……。…………。………………。
それらを、求めた。
そこからは、ずっと。
訳もわからず、ただただ、喜びを知る。
人の一生の、想念。積み上げてきた、意味。
それらの味と──崩れていく音を。
紅い色に塗れ、快楽に耽る姿を──
──ずっと、見ていた。
わたしじゃない。
当たり前だ。
だって、咎を感じているのは真夜だ。
わたしの記憶を、真夜は持たない。
だからこれは、全部真夜のモノだった。
それは全部あの娘の得た絶望で、快楽で、咎だ。
ほかの、誰のモノでもない。
これは、それをずっと見ていただけの記憶。
きっと、特等席だ。
揺れ動き、未知の快楽を、道徳の禁忌を、生命として最大の征服を。
純粋であるが故の躊躇いと、無垢であるが故の堕落を。
およそおぞましい悦びを、純粋無垢の花に注ぎ込まれる汚泥を、彩られていく彼女の魂を。
涙を流しながら笑うその娘を、同じ肉体で、でも別の視点で、見つめていた。
きっと、わたしはその時に決めた。
大きくなったら、なりたいもの。
……殺人鬼に憧れたのだ。
ヘリコプターの羽ばたきが聞こえる。
当たり前だ。法社会で、ソレはそううまくいかない。
異能の暴走で通報がいったのは、運が良かった。事故だと思われるから。そう、思われてしまうから。
もう、誰にも判別出来ない。きちんと、皆殺しにしたのだから。
いや、後から告白もした。でも、何も変わらなかった。
……結局、わたしたちはそこから施設送りにされたのだから。
あのこは捕まった。
あのこの咎は、処理された。異能の暴走で。だって、しょうがない。暴走は止められない。
あのこの罰は、代行された。異能の価値で。だから、ずっとこの島で生きていく。そういう契約だ。
わたしの罪は、……真夜だけが知っている。
あの娘が、これをどう受け止めるか。
……それで、罪が決まるのだから。もう、誰も裁いてくれない罪を。
■藤白 真夜 >
──ねえ。
──みてた?
声は無い。だが、見ている。ううん、ベッドで寝ながら映画を一緒に見てたひとに、感想を尋ねるみたいな気楽さで。
だって、そのころのわたしはまさしく、産まれたてだ。精神と魂だけで出来てる。だいたいその時自我を得て、今で6,7年かも。言ったよね、少女だって。
でも、真夜も歪んだ。
人格を……魂を得るって、そういうことだから。あの娘は、ひんまがりすぎたけど。
──あれって、悪いことだと思う?
──みんなね。
──まだわたしたちのナカに居るの。
──血を喰むって、命を梳るって、そういうこと。属性って、そういう意味。
──真夜は、それを連れていこうとしてる。昇天、成仏、って言ってもいいかな。キミの場合、復活? わっかんないんだ、宗教。
──でもそれが、自分の罪を贖うことなんだ、って。
──だから、
■藤白 真夜 >
ごぼ。
泡が、溢れていた。
視界が、滲む。水よりも濃いものに。
死を嗜好する願望こそが、愛だった。
罪を贖おうとする意思こそが、自己愛だった。
死を以て完成した愛を見つめながら、歩き続ける罰を得た。
■ノーフェイス >
罪の重さを知った。
罪の内実を知った。
ノーフェイスからの、藤白真夜への認識は転覆した。
殺人を好む人格を、殺人を好まない人格が切り離した――のではない。
一般的な解離性同一性障害や、善悪の二元論で語れる存在ではなかった。
藤白真夜はどこまで憶えているのか。どこまで都合よく忘れたのか。
まざまざと網膜に焼きつけられた、真なる藤白真夜の姿から――どう乖離してこうなったのか?
わからないことばかりだ。
裏切られたとは、思わない。
快楽に耽った代償を贖おうとする、荊棘の道。
決して赦されることのない殉教者――ぶっていることも。
いまはまだ、受け止めきれてはいない。冷静な頭を妨げるものがある。
問われた言葉には、ただ。
(……知ったことかよ)
胸を占めるのは。
(姉妹まとめて殺してやる)
激烈なる、嫉妬心ばかり。
――それでも。それでも。
奇妙な納得は、あったのだ。
■ノーフェイス >
「――ぶっ、は……、ぁ……、……」
なんだいまの、と思いながら、水面に浮上した。
沈んでいたのは、ほんの一瞬。あるいは数十秒、数時間のようにも。
月はまだ大きく照っていて、彼我の体はほとんど流されていなかった。
彼女の内面を覗いた感覚。問われた、ということは、あちらからも自分は認識できたのか。
ともあれ。
「実験結果は――今日はまだ死ぬ日じゃない、ってコトだね……生きてる?」
腕のなかの殺人鬼に問いかけながら、身を泳がせる。
たどり着いたのはすぐそばの河原だ。抱き上げながらたどり着いて、ざばざばと浮上する。
まあ、びしょ濡れになるにはちょうどいい暑さだ。水も冷たいし。
■藤白 真夜 >
「いやに決まってるじゃん♡」
問いかけに即答した。
聴衆として魅入られた者たちの中で、言い切った。
不意にあった視線を、当たり前のものとして。だってそうだ、ずっと話しかけてたもん。
彼女の唄は、……素晴らしかった。
音楽なんてわからんのは、当たり前。
でも今、それは彼女だって同じ。たとえ、何も買えないCDショップに通い詰めていたとしても。
神憑り的な才能は、あったかもしれない。
それは技術じゃない。磨き上げられた技巧ではない。
だからこそ、わたしには深く届く。
慟哭と欲望に塗れた、本能のこえ。
「今のキミじゃ、愛を知らないから。
知ってるでしょ? なんでダンテが地獄くんだりまで降りてったのか。
──好きな女を追っかけてったからでしょ。
それにさ~」
伸ばされた手を取る。
――ぐしゃり。
己の手ごと、彼女の手のひらを絡め取る。
聖人を打った釘に似た、ただの血のナイフを。
「いまのキミのほうが、歌うまいもん。
いや、知らないけどね? あなたの感情のほうが、イイかもしんないし。
でもさ。
……今を生きてるヤツのほうが強いの、当たり前じゃん。
あんな死にたがりながらでも生きてるヤツの命をバカにすんの、やめてくれる?
だからさ……上がってきて、わたしのために唄ってよ。
……そうしたら、好きになっちゃうかもね?」
血と傷とナイフで繋がった手を、引き上げる。
正直いって、最後のおねだりは結構ウソだ。
ノーフェイスが誰かのために歌うところを、全く想像できない。それはたぶん、別のなにか。
だからきっと、……好きになることは無いんだけど。
■藤白 真夜 >
「──ぁ、…………」
浮上……とは言い難い。
元から、眠りや精神的なものには弱い。……いや、敏感で脆弱、というべきかも。
でも、寝覚めの悪い子供みたいに、ノーフェイスにしがみつきながら頭を振った。
夢の記憶が、流れていくのと同時に、実際に紅いモノが流れていた。
右手に、穴が空いている。
川に朱を混ぜたそれは、しかしすぐに塞がった。
「……けほ。
ん―……んん~……?」
水温も、体温も、さして感じない。
でも、肌に張り付く服が産衣みたいに思えたのは、昔のゆめに繋がったのかもしれなかった。
「ん~……生きてるけど、……ねむいー……」
寒いわけじゃない。けど、枕を求めるみたいにして、ノーフェイスに寄りかかった。
意識の浮き沈みには、とにかく弱い。重たい眠気に耐えながらも、……小さく、微笑んで、言った。
「……ふふ。恋人と心中するミュージシャンみたい。
いやだよ、わたし」
フッた。
記憶でも、現実でも。
わたしの愛は、そこに無いんだから。
■ノーフェイス >
「……………」
甘える猫のような有り様を、じと……と黄金の瞳が見下ろした。
こっち――ではない。どうしようもなく腹立たしいのはあっちのほうだ。
ふん、と鼻を鳴らして、不機嫌を飲み込んだ。
「ボクだってキミとは願い下げだっての。
そうなるときは、ざっくりやられてキミのものにされるんだろ?
却下だ却下。ボクはみんなの極星なので」
起き抜けにずいぶんな物言いに、こっちもズケズケと言ってやる。
だれかひとりに自我をくれてやるつもりはない。
そのつもりなら、あの夜さっさと死んでいるはず。
一瞬でも悪くないかも、と思わせてきたこの殺人鬼の誘惑に乗って。
「……ったく」
河原にたどり着くと、そのまま、身を翻して流れに身を向けて。
抱いたまま座り込んだ。体温はもともとえらく高い。
連れて帰ろうがどうしようが、どうせまた先日の天丼をやることになるのだろう。
あのときとはずいぶん、自己嫌悪の方の彼女の視え方は変わってしまうが――
「……出来たよ。死の歌」
■藤白 真夜 >
「んー……」
考え込む。眠気でうとうとしているものの、それに耽るときのわたしはハッキリする。
心中が、最も映える瞬間。その死を考えていた。
「もし、そう決めたならわたしは逝くけどね。
……でもどっちかっていうと、真夜のがうれしそう。
死ぬ予定無さすぎるもん、わたし。
……そうやって釣って目の前でズドン、のほうがらしいし~?」
かとおもいきや、にまにまとノーフェイスの危惧通りを示唆してみたり。
どうしたって、自殺はわたしたちから遠すぎる。心中という形は、ちょっと特異に映ったけれど。
「へ? ……あれってわたしの歌だったの……?」
スランプ、みたいなのも、着想を得た、みたいなのも聞いた覚えはあったけれど、自分の歌、といわれるとちょっと特別な響きに聞こえちゃう。
……記憶の中で、好きになっちゃうかも、なんてことを言っちゃったけど、……ま、いっか。どうせバレてないし。
「……ふふ。楽しみにしてる。
あなたが、わたしに……わたしたちに、何を見出したのか。
……いろんな人に、届くといいね」
どうせなら。
彼女の歌う理由のため。
……多くの人に、愛が芽生えるといいな。……なんて思いながら、目を閉じた。
「……やば。……めっちゃねむい。
いまだめなの。真夜がへろへろだから……」
…………かと思いきや、ゆらりと立ち上がる。こっちも十二分にへろへろだった。
揺れ動きながらでも、それは家路を辿る。
自分の中で、区別はなかったけれど。
……疲れた妹の重荷を背負う、姉のように。
その想いは、決して届かない場所へ、注がれていた。
■ノーフェイス >
「あいつが悦んで死ぬのなんて、
ほんとにおばーちゃんになってからじゃないの……自己満足のさ」
なにひとつ自らを赦せぬまま、しかし。
そこに陰陽を描くつがいの魚はいるのかどうか。
「……ばーか。いまから歌うんだよ。
本番の録音は、オーケストレーションとかいれるから。
ボクだけのむき出しのヴァージョンは、ほんとにいまだけ」
掌と掌を重ねて、指を絡めた。
さっき、水に呑まれたわずか。聖痕のようにあいた傷口。
なにがそうさせたのか――こっちには、自分が覗かれた感覚は、ない。
「うっかりウサギの巣穴に落ちるなよ。
……これなるは、ボクを侵蝕した死がくれた、極星の新境地――」
耳元に、唇を寄せて――
■ノーフェイス >
「――あ。 これ生で聴かせるの、キミでふたりめだから」
キミのため、だけじゃない。
あえて他の女の話をしてやりながら、喉を鳴らして戯れた。
「準備はいい? 目は閉じたままで。
激しいもんじゃないからさ。そう、そのまま――」
――月夜に。
静かに響く天上の音色は、子守唄のようなバラッド。
眠りに誘うかのようなその音が、どうしてここまで優しくなるのか。
編んでいてずっと疑問だった。
藤白真夜が持てるもの、持たざるものである自分にないもの。
永遠に手に入ることのない、渇望の原初。
それを得たものこそがきっと、醜く激しくともそこまで優しくなれるのだろう。
――Nighty Night.
題は、ほんとうに最初の最初に決めてあった。
■藤白 真夜 >
「あははっ、いいじゃん!
そんなとこまで生き抜いて、自分に満足できるならさ。
……老い、かぁ……」
その概念に実感を持てるのは、もう少し先の話かもしれなかった。
いまはただ、明滅する日々を送るだけ──
「……へっ?」
解らないまま、手を取る。
……そう。本当に、想像できてなかった。
ノーフェイスは、輝く舞台で唄ってこそ、だと。
だって、そっちのほうが多くに届く。
「……うん。いいよ。
そっちのほうが、あなたらしい」
だから、素直に受け入れた。
他の女でいい。多ければ、多いほど。その生のために謳う死の歌は、輝くだろうから。
「──、……」
ああ。
声だけのメロディで微睡みながら、……安堵した。
あなたは、安らぎを見いだせたんだ。
終わりの意味。
死と似た眠り。ヒュプノスとタナトスに優しく揺すられながら……夢見るように聞き入った。
「……うん。……すき、だよ」
……でも。
ただでさえ眠たかった中、これを耳元で注がれたら、堪えるものも堪えられない。
もう、目が開かない。告白するみたいに、最短の感想を告げて。
(……真夜にこそ、……聞かせてあげなきゃ、……)
他の女のことを考えながら、目を閉じるのだ。
……おやすみなさい、と。
ご案内:「逆しまの満月」から藤白 真夜さんが去りました。
ご案内:「逆しまの満月」からノーフェイスさんが去りました。