「だからさ。離れとけって言ったのに。バカなやつ」
猫乃神ヘルベチカは、笑った。
己を庇い、今、虫の息で地面に倒れ伏す少年を見下ろして。
しゃがみ込んだ。手を伸ばせば、髪を梳くように頭を撫でる。
「人のいいやつは、この島じゃすぐに死ぬか、食い物にされる。誰かの都合のいいように」
だから、と前置きして。
己と異なり、猫の耳など生えていない、黒髪の少年の頭を。
ぽんぽん、と二、三度優しく叩いてから。
「お前も、そうなった。悪いな」
立ち上がった。少年は笑っている。
最期の時に至り、気が触れたのかもしれなかった。
けれど、それにしては、明るい笑顔。
歩き出す先は、禁書延滞者の待つ方向。
既に身はボロボロだ。
あまりにも惨めで、視線の先、男は笑っている。
制服の頑丈な生地には穴が空いて。
体の節々の痛みで、歩くのも億劫そう。
頬の傷から流れた血を、もう拭うこともない。
その体から、ばちばち、と音を立てて迸る雷。
37兆2000億の細胞が励起する。
命の最期を燃やし尽くして、そして。
指向性を持った雷が、禁書延滞者の男へ向けて迸ると同時。
「さようならだ。そして、ようこそ。猫乃神ヘルベチカよ」
ざん、と首が断ち切られる音。
心底、つまらなさそうな顔で。
男は、猫乃神ヘルベチカという少年の命を終わらせた。
そして、少年の肉体から離れた頭は、固い音をたてて地面へ落ちる。
勢いで二、三度転がって。
血に塗れた金の髪が覆った後頭部。
それを上に向けて、止まった。
そうして金髪の少年は、長く短かったその生を終えたのだ。
「ふん。最初から大人しく従っておけばよかったのだ」
つまらない、といった口ぶりの男。
転がった頭へと、歩み寄って。
「それでは、渡してもらおうか………――――なんだと?」
異常に気付いた。
死した少年の頭部に。あるはずのものが。
猫の耳が、ない。
「なんっ、きさ、ま、まさかッ!」
慌てた様子で、周囲を見回す。
自身がぼろぼろに砕いた建物達の間。
その一点で、視線が止まった。
一際酷く砕かれた建物。真っ二つに断裂した壁面。
そこから垂れ落ちた、一本の黒いケーブル。
その先端を手の中に掴んだ、
「殺すッ!」
黒髪の少年に向けて、男は手の中から衝撃を迸らせた。
塵を巻き上げ、高速で飛来する一閃。
少年の頭、黒髪の合間から覗く猫耳を断ち切るより、触れるより早く。
”なんぴとも猫を殺すこと一匹とて罷りならず”
ルールが敷かれた。
此処に定められた一条。
だから、つまり、既に。
終わっていた。
距離損失を受けながらもファイバ・コアの中心を迸った光。
それは、最終的に図書館の、OPACの一端へと触れて。
図書館の内側へと潜り込もうとする。
金髪の猫の残した、最後の能力の欠片が。
黒髪の無能な猫の手から、迸る。
図書館は遮断する。
OPACシステム。其処から先は、スタンド・アロン。
如何なるクラッキングスキルを持とうとも。
如何に正当な手順を踏もうとも。
そもそも用意されてなどいない回線を、通ることなど不可能だ。
銀の鍵を持つものであっても。
電脳の中に身を浸し、人を抜けだしたものであっても。
それは、そもそもとして、彼らのルールの外側にあった。
だから、これは、魂の物語。
猫乃神ヘルベチカの魂を認めた図書館は、励起する。
秘奥の奥底、禁書庫の中。
焚書館の手に渡れば、即座に焼却されうるような、書物が並ぶその場所で。
光が触れた。
一冊の本が、書棚を転がりだした。
宙に浮く。
その46ページ、5行目、8つ目の文字。光る。
次の一冊。190ページ目。2行目。2つ目。光る
次の一冊。3ページ目。10行目。行頭。光る
禁書庫の内側、何冊もの本が書棚から転がりだして、宙に浮かんで。
光る文字列が単語を形作る。
光る文字列が一節を捧げる。
光る文字列が文章を描いて。
光る文字列がそれを呼んだ。
「描かれよ、猫乃神」
遠く、図書館から離れ、砕かれた町並みの中。
黒髪の猫乃神ヘルベチカの、呟いた一言があった。
「その魂を寄越せ!それがあれば、私は、図書館の最奥まで――――」
叫ぶ男。引き継がれたそれを求めて、手を伸ばして。
同時。
界
を
視 で に 悉
元 ゃ く
耳 あ 埋
。 、 め
瞳 と 尽
の く
猫 す
猫が鳴いた。
これは、僕の物語だった。そして。
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