もし、あの日の選択が違っていたら、屹度。
『室長補佐代理』-『クロノス』 †
0626 夕 第二特別教室で薄野ツヅラとの会話。
■
■
0627 夕~深夜 落第街での大規模な戦闘。
■
0627~28 深夜 公安委員会に回収される。(ログは最下部参照されたし)
■
0628 深夜~早朝 落第街 薄野ツヅラの拠点のホテルへ到達。
朱堂 緑、ゲートクラッシャー(否支中活路)、薄野ツヅラとの遭遇。
及び、"クロノス"の終了。
■
第二特別教室 †
0626 夕 薄野ツヅラ、クロノスとの接触。
■
■
0627 夜 朱堂緑、五代基一郎との連絡。
同時に、五代基一郎と薄野ツヅラの接触。
■
0627 深夜 薄野ツヅラ、クロノスを第二特別教室で待機。
しかし、この段階での接触は失敗。
■
■
0627 深夜~早朝 落第街 薄野ツヅラ、住まいのホテルへ到達。
朱堂 緑、ゲートクラッシャー(否支中活路)、クロノスとの遭遇。
及び、"クロノス"の物語の終わりを見届ける。
■
0627 朝 朱堂緑、休職扱いとされていた第二特別教室への復帰要請。『室長補佐代理』へ。~
■
0627 昼 薄野ツヅラ、落第街の廃ビルでの独白。クロノスの遺した"奇跡"より魔術『万物を喰らうクロノスの鎖』の発現。
■
0627 夕 朱堂緑────(これ以降の記述はない)
■
以上 此れをもって第二特別教室所属 活動名『クロノス』の物語の観測終了とする。
(活動名『堂廻目眩』の報告書より引用)
Another Episode
†
序文《A preamble》 †
非常連絡局が解体され、早くも数日がたったらしい。
偲様は病院で植物状態になっているらしい、面会に行ったら、拒否された。
まだ夏には早く、春というには早い微妙な季節、
私は縋る物を失って、ただ呆然としていた。
偲様の事は尊敬していた、もちろん、彼女の思想に賛同もした。
でも、それだけだ、私は彼女にはなれない。
『賛同』するだけで、自分から『生み出す』事は出来ない。
『公安委員会』から、『除名』ではなく『移籍』の書類が届いた。
元非常連絡局員の内、偲様に近い人間の大半は『除名』されているにも関わらず、
私に届いたのは『移籍』の書類、それがなんだか少し悔しかった。
『賛同』するだけで、自分から『生み出す』事は出来ない。
それを見抜いたかのようなその書類を、ぼんやりと眺める。
転属先は『第二特別教室』の『執行部』
調査用の部署の『執行部』、つまり、凄まじいまでの閑職である。
サメの着ぐるみを模したパジャマのヒレが、悲しげに揺れた。
彼女はこのパジャマを『可愛い』と言ってくれた、だからお気に入りだ。
―――『第二特別教室』では『本名』を名乗らないのが通例らしい。
私、■■ ■■ は凡人である。
何かを変える力も無く、何かを成す事も出来ない。
だから、私は、『クロノス』になる事にした。
我が子すら喰らい、父を殺し、叛逆を成し、
世界に時という新たな秩序を与えた『神』
厳つい鉄底の靴を買って、眼鏡を外してコンタクトにした。
結んでいた髪を解き、公安委員会の制服をキッチリと着込み、
彼女から貰ったお気に入りの帽子を被る。
コンプレックスだったちょっと目つきが悪い目も丁度いい。
自信無さげだった表情は、出来るだけ笑顔を絶やさないようにして隠そう。
最後にパンパンと顔を叩くと、真っ黒い手袋を嵌める。
今日から私は『クロノス』になろう。
目的の為には手段を選ばない、非情の『死神』に。
鎌を取り出すと、ひゅんと振った。
大きな鎌は、お気に入りのティーセットを壊した。
偲様が呼び出した『炎の巨人』は、天使なんだと思う。
目の前でゆれる、巨大な炎。
あの事件を思い出すその巨大な炎は、どこか懐かしくて、
でも、その『唯の炎』は彼女のそれには、遠く感じて。
鉄底の靴が床にあたって、カツンと音を立てた。
『クロノス』になった私は、まずは下準備をする事にした。
今まで使わなかった『ガウスブレイン』を使用して、計算する。
『ガウスブレイン』が出した答えは、落第街での派手な活動だった。
『移動直後でなれていない』事を理由にした、上司に責任を押し付けての活動。
その『上司』に心の中で謝りつつ、私は落第街で派手な活動を続ける。
この『派手な活動』の目的は2つ。
まず1つは、私が『公安委員会』が思っているような人間ではない事を、『公安委員会』に示す事。
公安委員会は私が『同調していただけであって、自分から事を起こさない人間』と思い込んでいる。
おそらくこの『閑職』への移動は、彼女の死を切欠に、
私が『公安委員会』に『都合のいい人間』になったか否かを試す『テスト』だ。
もし、私が大人しく『閑職』に甘んじて、特に何も『問題』を起こさなければ、
私は公安委員会にとっての『モブ』になり、適当な部署に移動させて『普通の仕事』をさせるだろう。
では、そこで『問題』を起こしたらどうなるか。
―――それは、想像に難く無い。
もう1つは『落第街の人間』に私を覚えて貰うという事。
無差別に放火し、多大な被害を生み出してれば、
落第街の戦闘に自信の無い人間を隠れさせ、逆に戦闘に自信のある人間を引き寄せる事が出来る。
加えて、『公安委員会』がそのような蛮行を働いているという事を印象付け、
『公安委員会』への敵対を煽る事が出来る上、犯罪を抑止する一助にもなる。
特に何も脅威が無ければ身内同士で争うが、外に敵を作ってやれば少なくとも身内同士で争う事は無い。
『外の』人間に少しでも落ち度が見えれば、必死に自身の側に引き摺り落そうとする。
『落第街』には、そういう人間が多いからだ。
ついでに、犯罪者を餌に自分自身の異能力も強める事が出来る。
人の力を借りるだけの異能。『我が子喰らうサトゥルヌス』
自分からはけして生み出せない、なんとも『私らしい異能』。
その異能は今まではなんとなく嫌いで、積極的に使う事は無かったけれど、
今は手段を選んでいる時じゃない。
使える物はなんでも使う。異能も、魔術も、組織も、そして、命さえも。
『正義』とはなんなのか、私にとっては、西園寺偲様だ。
想定どおり、上司に『注意』を受けた。
ただ、実際に得た恩恵は想定以上だ注意が遅い。
違反部活の大半を葬り去り、異能力と命を大分稼ぐ事が出来た。
使い勝手のいい異能も幾つか手に入れる事が出来た。十分だ。
上司と、正義に関する問答をした。
彼にとっての正義と、私にとっての正義。
それはそれぞれにとってはどちらも正しく、
それぞれにとってはどちらも正しくない。
他人の正義を意固地に否定することなく、
『現場』の正義として肯定する『上司』。
残念ながら、『彼の正義』には好感は持てないが、
『彼自身』には好感が持てる。それに、なんとも甘い男らしい。
『彼』と『私』の正義の問答。
私の『正義』は借り物だったはずだったけれど。
「自分の気に入らない悪を倒し、自分の助けたい人を助ける。」
重くのしかかる彼の言葉に、咄嗟に『私』はそう答えた。
果たして、それは『彼女』の正義だっただろうか。
そんな疑問がふと浮かんで、ふわりと消えた。
どうやら、彼が注意して来たのは落第街の少女に言われたかららしい。
なんとなく、その少女に興味が湧いた。―――今度、挨拶にでも行ってみよう。
彼は、話している間コーヒーを飲まなかった。
冷めたコーヒーは美味しくなさそうだが、絶対に片付けてはやらない。飲め。
弱者は何に守られるべくもなく虐げられ、強者はより強い強者に虐げられる。
―――落第街という街は、そういう所だ。
私は目の前にいる、耳のように髪の毛が伸び、
ヘッドフォンをつけているジャージの少女を眺めながらそう思った。
監視番号は109番だ、素行不良がやや目立つ上に、落第街に居を構える変わり者でもある。
私は『クロノス』になってから、人の名前を呼ばなくなった。
非情の死神であり続けるため、仕事に私情を挟まないため。
なんていうのはきっと言い訳で、実はただ臆病なだけなんだろうと思う。
自分が殺した人間の名前なんて、これから殺す人間の名前なんて、知りたくも無い。
一度知ってしまえば、忘れる事はきっと出来なくなる。その名前に、一生苦しむ事になる。
『監視番号109番』、彼女は精神系の能力を持ち、
自分なりの『正義』を持って、自分なりに情報収集をしているらしい。
そんな姿が、過去の自分に重なった。
たとえ『知れても』、自分では何も出来ない。
どうしようもなく無力で、どうしようもなく苦しい。そんな頃の自分に。
精神系の能力者は常に孤独だ。
普通の人間なら騙された事に気がつかない事でも、気づけてしまう。
普通の人間なら仲良くできる相手とも、仲良くできない。
絶対に正しい自分の言葉が、親にも、友達にも、誰にも信じてもらえない。
能力を使わなければ、その『声無き声』を聞かなければ、知らずにいれる、かといって、
知れる手段があるのに、『知らずにいる』なんて、騙され続けた自分には怖くて出来ない。
―――そんな悪循環が、精神系の能力者を孤独にする。
ただの笑顔を悪意に歪んで見えるようにする。
少し話しただけだが、彼女はとても優秀で、善良に見える。
『私情』が入っているような気はするが、いつか、私が『上に立つ』事があれば。
彼女のような人間を、部下に引き入れたいと思った。
ええ、断じて顔が好みだったとか、そんな事ではなく。
彼女と話して昔が懐かしくなった私は、スラムを訪れた。
弱者は何に守られるべくもなく虐げられ、強者はより強い強者に虐げられる
そこで出会ったのは『学園の被害者』だ。
言葉を交わし、剣を交えた。
でも、彼を『殺そう』とは、どうしても思えなかった。
この街は、この学園は、昔と何も変わらない。
だから、私が変えないといけないと思った。
彼のカサカサした唇は、彼女の柔らかくて甘い唇とは全然違くて、怖かった。
破文《A break》 †
―――ついに、『終わり』が『始まった』
怪しげなホログラムが浮かぶ部屋に大きな黒い影と、小さな白い影が一つ。
未だ役割の無い影二つに、物語の書き手は役割を与える。
黒い影、『室長補佐代理』へ、『一般人』として過ごすように。
白い影、『私』へ、『室長補佐代理』として過ごすように。
この昇進の支持は、私に対する『大義名分』でもある。
『過激な取締り行為』を『手柄』であると認め、昇進させる。
つまり『これからも存分に暴れるように』という辞令だ。
そして同時に、私に公安委員会の為に、秩序の為に『死ね』という辞令でもある。
ホログラムが消えた部屋で、私は彼から室長補佐代理の腕章を『預かった』。
それは、私を破滅に導く『願いを叶える猿の手』だ。
腕章を握り締める、死という道に歩き出す恐怖と、
必ずやり遂げるという使命感が、私の足を振わせた。
『上手くやれよ』と言って去る黒い影を見送る。やはり、甘い男だ。
暫くの間、彼は日常に戻るのだろう。いや、そのまま戻ったほうが幸せなのかもしれない。
でも、恐らくそれは叶わない。彼は、戦場でしか生きられない。そういう男だ。
私は帽子をかぶりなおすと、その腕章をつける。
その腕章はただの布のはずなのに、ずしりと重くて。
そして、私の思い描いた『クロノス《反逆者》』は完成した。
公安委員会の書いた筋書きは、
『西園寺偲を模倣する公安委員』に大義名分を与えて暴れさせる。
そしてそれを、『公安外部』の人間である彼に始末させる。
―――と、まぁ、こんな所だろう。
公安の狙いは、西園寺偲に影響を受けている人間への牽制と、
民間によって公安委員が殺害されたという事実による予算の増量の交渉、
ついでに、この所の治安の悪化による公安に対する不満感を、
『民間代表』が『公安代表』を誅する事件を演出する事で軽減する。
ついでに言うなら、先に聞いた情報から考えるに、
彼が個人ではなく、『機能』であれるかを計るテストを兼ねているのかもしれない。
とはいえ、そんな事は私にはどうでもいい。
きっとニ度と訪れる事はないその暗い部屋から、ゆっくりと踏み出す。
残された時間は少ない、それまでに、『彼女の願い』を叶える。
私が、必ず。
それは、『万物を切り裂くアダマスの鎌』。
―――世界に、私に、叛逆する力。
『黄金の鎌』を握った時の全能感は、麻薬のように心を蝕む。
理不尽をそのまま形にしたような彼に久しぶりの奥の手を振った私は、
自分が自分である事を確かめるように手を握り、そして開く。
『万物を切り裂くアダマスの鎌』、私が私として振えるのは、後、何度だろうか。
この魔術は私の中にある『縁』いや、
あらゆる人間の内側に存在する自分以外の大いなる存在との『縁』を利用して発動する、
一種の『降神術』だ。自身の身体に、魂に神を降ろし、そしてその力を振う。
人の身に『神』などという大層な魂を降ろすという無茶をしている以上、
当然のように、長く持てばゆっくりと自分自身の魂を犯して行く。
そんな危険な魔術であるにも関わらず私がこの魔術を選んだのは、自分を『変えたかった』からだ。
でも、『全能感』に身を委ねてしまおうと思った事は一度も無い。
私が『鎌』を振うのはいつも一度だけで、
この魔術自体も、極力発動しないようにしている。
『自分を変えたいと願っている』のに、『誰よりも自分を変えるのが怖い』、
だから、私にはこの魔術が使えるのかもしれない。
ちなみに、それ以外の『魔術』は一切使えない。
『降神術』なんて、『自分自身の存在』という最も危険な物を代償にするものだ、
だからこそ簡単なわりに強力な魔術だが、正直、好き好んで使う魔術ではない。
そんな事を考えながらも、私は目当てのホテルにたどり着いた。
『公安委員会』の名前を出せば、落第街のホテルの合鍵を手に入れる事はたやすい。
落第街にあるホテルということは、つまり、『そういう事』だ。
そもそも私の顔を見た時点でそれはもうへこへこしていた。
ま、建物が商売道具である以上、当然燃やされたら困るだろうから、仕方ない。
ホテルの支配人の『善意』のご協力で合鍵を手に入れた私は、
彼女の部屋のドアを開けた。まだ、彼女は帰ってきていないらしい。
何処かに隠れて、油断した頃に声をかけてびっくりさせてやろう。
口元を歪めながら、私はベッドの下に隠れた。
―――『全能感』、ちょっと私の心を蝕んでいる気がする。
私に、最初で最後の、『部下』が出来た。
跳ねた毛と笑顔が可愛い、ヘッドフォンをつけた、笑い声の特徴的な女の子。
目の前でガチガチに緊張している彼女を見ながら、
ちょっと意地悪をしてやろうと考える。
誰も居ない教室、そこに流れる空気は、落第街のものとは違う。
彼女を誘ったのは、つい昨日の事。
明らかに彼女に有利しかない取引を持ちかけて、
彼女は、それを信じて乗ってきた。
悪い大人に騙されないかが少し心配になるが、
彼女の性格を考えるに、私の事をしっかりと観察して、
信用に足る人間である、と判断したのだろう。
実際、騙すつもりはない。
彼女は落第街どころか学生街にまで足を伸ばし、情報収集を行っている。
そして、ついに先日、『ロストサイン』との戦闘にまで巻き込まれた。
『好奇心は猫をも殺す』という言葉の通り、彼女は放っておけば遅かれ早かれ死ぬ。
彼女のような、私のような人間が生き残るには、相応の地位が必要だ。
だから、私は彼女を公安委員会に誘った。
私が与えられる場所は、ここだけだから。
頬を、唇を、耳を、髪を撫でながら、彼女の顔を見る。
それはきっと、過去の私が彼女にそうされた時の顔と同じなんだろう。
そんな事を考えると、なんだか少し恥ずかしくなって来て、
結局、意地悪も程々に部屋から出て行く。
彼女は『堂廻目眩』と名乗った。
すぐ抜けるとか、存分に利用するとか口では言っていたが、
彼女は抜けないだろう、私の代わりに、いい公安委員になってくれる。
信頼できる居場所は、居心地がいいはずだ。多分
悪趣味な人形の家を模したような不気味な内装、
その暗がりで、彼は猫を抱いてまっていた。
猫の瞳が私に向いて、小さくにゃあと鳴いた。
『ようこそ公安委員会直轄第二特別教室……室長補佐代理殿
まずは祝辞からがいいかな』
マッドティーパーティが、幕を開ける。
私の尊敬する彼女が常々言っていた。
『五代基一郎』血気盛んで、統制を取るのが難しい風紀委員会の人間を、
唯一人『指揮官』として纏めえる人材は彼しか居ない。と。
もし、公安と風紀で戦争をするならば、彼の有無で勝敗が決まるだろうと。
私はそんな彼が少し羨ましかった。
きっとそんな彼は、偲様と同じく『特別』な人間で。
私のような凡人では一生かかっても成し得ないような事でも、たやすく成すのだろうと。
だから、彼の事は監視番号ではなく、『101』と呼んで、席につく。
彼女と同じく、『特別』な人間ならば、きっと彼もまた、
私が考えもつかない方法で、この学園を変えてくれるのだろうと期待を込めて。
『助けてあげようか?』
彼は私にそう声をかけた、私はあえてそれに挑発的に答える。
本心では、それに手放しで縋りたかった。
私が願いの為に『クロノス』であり続けなくていいのなら、『特別』の一員である彼が、それを叶えてくれるのなら。
だからこそ、見せてほしかった、その腹の内を、飄々とした態度の中にある、熱い魂を。
―――結果は、ただ、期待はずれだった。
彼は私の命を助けると、ただそれだけ言った。それ以外は出来ないと。
学園を変えるという事はしない、ただ何もせずただ座るだけ。
この『ドールハウス』に似合う、ただのお人形。
私の『正義』をただ八つ当たりであると否定して、
彼の『正義』を示そうとはしない。否定するだけの、臆病者だ。
これ以上、彼と話す事は無い。そう考えて、私は席を立つ。
ただ、そんな彼を、彼女は評価していた。
『分からない。』きっとそれが、『特別』の証なのだろう。
『凡人』には分からないような考えが、その裏には隠れているのだろう。
私が席を立ったのは、そんな彼が怖かったからなんだと思う。
そんな彼から、目を背けて、逃げ出そうとしたからなんだと思う。
ドールハウス、人形の屋敷から、足早に立ち去る。
外に出ると、内装に見合わない、普通の建物が私の後ろには建っている。
彼もまた、外側は普通に見えても、内側ではきっと、私の考えつかないような事を考えているのだろうか。
その考え付かないような事を見せるには、私では役不足だと、そう判断したのだろうか。
そういえば、彼女もそうだったような気がする。
自分の心のうちで何を考えているのかは結局教えないまま、
どこか遠くを見つめて、そこを目指していた。
………『八つ当たり』そんな彼の言葉が、心に、ちくりと棘を残した。
―――私は、『彼女』に出会った。
委員会街の一室で、サメの着ぐるみのようなパジャマのヒレが、悲しげにゆれる。
ペタンペタンと書類に判子を押しながら、ゆっくりと昔の事を思い出していた。
スラムでの生活、弱者は強者に虐げられ、強者はさらに強い者に虐げられる。
一番上なんて存在しない、全員が虐げられる世界。落第街。
私は生まれつき、人間を食べていた。
人間を当たり前のように食べ物と思って、当たり前と思って食べていた。
特に『おいしいから』とかそういう理由ではなく、
単純に『それが当たり前だから』、ただ、食べていた。
当然、そんな『人間』が学生街に居るというわけにもいかず、
私は、落第街に捨てられた。
親が居たかは分からない、そんなもの、覚えていなかった。
だから、誰が捨てたのかも、分からない。
そこから先は、地獄のような日々が待っていた。
虐げられながらも、なんとか日々を生き延びる。
幸いにして、食料には困らなかった。
そうしているうちに、ある魔術士と出会った。
彼は私を拾って魔術を教え、そして、何よりも希望を教えた。
『私、公安委員に、正義の味方になる。』
彼にそう言って、私は魔術を鍛え、異能の使い方を覚え、
悪い頭で必死に勉強して、『一般学生』になる試験を受けて『一般学生』になり、
そして『公安委員』の試験を受けて『公安委員』になった。
少しでも、何かを変えられると信じて。
それはもうやる気満々で公安委員会に入った私は、
公安委員会の現状を見てそれはもう大層凹んだ。
『法の番人』に憧れがあった事もあって、
その凹みようは本当に凄まじいものだった。
特に意味も無い事務仕事を特に意味もなくやり続け、
特に意味を成していない監視任務を行い、
やはり特に意味も無い取締りを申し訳程度に行う。
『こんなもの、何もしてないのと変わらない。』
そう思いつつも、なんだかんだで真面目な私は、
それにもきっと何か意味があるんだ、と信じて真面目に仕事をし続けた。
結果としては、何も変わらなかった。
久しぶりに訪れた落第街は、自分が出て来た時と何も変わらない。
ただ変わったのは、自分の生活だけだった。
私を拾い上げた魔術士の家は、もぬけのからになっていた。
死んだのか、はたまた、逃げ出したのか。それは分からない。
それはもう理不尽なレベルに強かったから、多分死んではいないだろうけれど。
そのスラムの現状をみて、自分の家に帰って、ただ泣いた。
結局私は、何も変えられなかったと。
そんな平凡な人間の平凡な日常の中、『彼女』に出会った。
『西園寺偲』、公安を、学園を変えようと動く彼女を、
私はそれはもう心の底から尊敬し、崇拝した。
『西園寺偲様マジ神』とばかりに彼女の事を追いかけ、
隙があれば陰からこっそりと見守り、
口にする言葉や考え方を周辺の人物に聞いてまわってメモを取り、
『彼女のようになろう、彼女のような人間になろう。』と必死に頑張った。
神社に行って、彼女と同じ部署になれますようになれますようにと必死にお願いして、
その『憧れ』を糧にそれはもう熱心に仕事をして、
やがてその努力が通じたのか、彼女と、西園寺偲と同じ部署になった。
すっかりもう手の届かない場所に行ってしまった彼女に、
ガッチガチに緊張しながら配属の挨拶をしながら、
やっぱり特別な存在なんだろうと、そう感じた。
姿には後光が差すようで、その視線は、
まるで私の心の中まで見透かすように鋭く私を刺して、
それはもう兎に角美しかった。言葉には出来ない程に。
彼女に配属の証である帽子を被せてもらい、何かの言葉をかけてもらった。
―――そこで、私の意識は途切れた。
目が覚めると病院で、夢かと思って勢いよく身体を起こした。
でも、夢じゃない事を示すように、傍らには彼女に被せてもらった帽子があった。
私はそれを見て、胸に抱えて涙を流し、彼女の為に頑張ろう、そう心に誓った。
それが、私と彼女の出会い、
『人生で一番楽しかった』彼女と過ごす時間の、始まりの思い出。
ちなみにいきなり倒れた事については、
後で『あまりに美しすぎて』と正直に答えた。
彼女はそれを聞いて笑って、私はその笑顔でまた病院に搬送された。
『正義の味方』になってみようと思う。
―――上手くやってみるのも、それはそれでいいかもしれない。
五代との会話以降、私は活動を大幅に縮小した。
『八つ当たり』、『憂さ晴らし』、そんな言葉が私の心に刺さったのかもしれないし、
彼の『助けてやる』という言葉を、やはり何処かで期待していたのかもしれない。
そんな私を許さないように、公安委員会から2つの指令が出る。
正式な指令ならば、さすがに動かずには居られない。
1つは、『路地裏に居る『怪異』の調査、およびに『討伐』
これは風紀委員の仕事のような気がするが、
なんでも、路地裏に出現する不良に風紀委員が犯られただとか、
商店街に出没したロストサインに風紀委員が殺られただとかで、
今は、風紀委員側から危険生物への対処人員を裂けないとかなんとか。
つまり、親や、近親や、友人への配慮だろう。
風紀が動けないっぽいから動いて欲しい、
という生徒会側からの御達しでもあったのかもしれない。
忘れられがちではあるが、公安委員会も、風紀委員会も結局は学生だ。
学生のうちで解決できる事は学生が解決し、それ以外は五代のような『大人』が対処する。
というのが、この学園の基本構造でもあり、学園で試験されている点でもある。
つまり、学生である以上PTAだとか、
そういう保護者に対する配慮も必要なわけだ。
当然、子供が死んで嬉しい親は居ない。
死んだばっかりなのに死ぬかもしれない討伐の指令を出すとは何事だー!とか言われかねない。
まったくもって難儀なものである。
危険生物は当然危険だから危険と言われているわけで、
私も十二分に痛めつけられつつも、なんとかトドメを刺した。
再発する危険もあるが、まぁ、『公安委員会が討伐した』という事実を作れれば問題ない。
再発した場合はあくまで『別の怪異』。良くある事、仕方の無い事だ。
そしてもう1つは、ある学生への聴取だ。
『否支中活路』二年前のロストサイン事件の重要参考人であり、公安委員会の監視対象でもある。
先にも言った通り、『ロストサイン』の人間が風紀委員を、しかも学生街で殺害した以上、
何の対策もせずに放置するわけにも行かなくなったから、手始めとしてちゃんと対策の為に活動してます。
という事を示すためにも、監視対象である重要参考人への聴取を命じた……という所だろう。
実際、『ロストサイン』は偲様も十二分に警戒していた相手であり、
その意思を継ぐ、というのなら、私にとっても『敵』である事は間違い無い。
彼女の意思を継いで、絶対的な力でもって学園を変える、とは、正直もう思って居ない。
最良の部下との出会い、そして、五代との会話が、私からその意思を取り払っていた。
『助けて』貰えるのなら、『助けて』もらってもいいかもしれないと、
このまま、彼女と2人で『上手くやる』のも、それはそれでいいかもしれないと、そう、少しだけ思っていた。
『そろそろ試験が始まるらしいし、彼女にテストの対策でも教えて貰いましょうか。』
聞いた話によると、彼女は無謀にもテストの答案を盗もうとしたらしい。
彼女と一緒にテスト勉強するのも、悪くないかもしれない。
それが終われば夏休みがやってくる、一緒にお祭りに行って、それから、それから―――。
『私の『クロノス』という鍍金が、剥がれ落ちはじめていた。』
『彼』はニャルラトホテプ《混沌》と名乗った。
活路から手に入れた情報は、信じ難いものばかりだった。
『門』は破壊されておらず、ロストサインは壊滅していない。
つまり、二年前から今まで、『何も変わっていなかった』ということだ。
『バイクってあんなにスピード出るんですね』と、夕べの事を思い出しつつ、
私はその情報を公安委員会に報告するべく、
かつてニ度と踏み込む事はないだろうと思っていた暗い部屋に足を踏み入れる。
しかし、奇妙な事に、そこには『何も無い』。
しばらくぐるぐると部屋をまわり、色々と調べていたが、
当然ホログラムを出現させるようなものもなく、それ以外にも何も無い。
……ただの空き教室のように見える。いや、そこはただの空き教室だった。
私は仕方なく、書面で報告するべく第二特別教室へと戻った。
やれやれと、必死に探して来た帽子の鍔を握りながら、席に着く。
『次は誰でしょうね?』
私の机の上には、A4の紙に12pxで一言だけそうかかれた紙と、
活路から得た情報を記載するように指示がされている、白紙の報告書が『置かれて』いた。
私はその報告書を書きながら、唇を噛む。
私はもう『助からない』、その事実が、報告書の文字を滲ませた。
終文《Epilogue》
†
―――彼女の唇は柔らかくて、そして、少ししょっぱかった。
彼女に別れを告げた後、私は落第街のビルの上に立っていた。
ゆっくりと、落第街と、そして学生街を見下ろす。
唇を指でなぞりながら、彼女を『尻尾』にさせない為に、私という『尻尾』を『最後の尻尾』にする為に、
そして、こんな最悪のシナリオを書いた公安委員会に、一矢報いる為に。
私は、『最後の詠唱』を始める。
『―――序文《A preamble》』
『―――偉大なる父《Ouranos》すら殺すクロノス《Kronos》の鎌よ。』
『―――叛逆者の大鎌よ。』
『―――我は叛逆を成さんとするもの。』
『―――その意思を継ぐもの。』
『―――その鎌は我が右手に宿りて、叛逆を成さん。』
右手の鎌は、『公安委員会』への叛逆の為に、
『世界で一番大切なあの人』の為に振おうと思う。
私は決して、敷かれたレールを素直に走りはしない。
全力で走って、走って、レールの終着駅を通り越して、自由になる。
『上手くやります』と、憧れの元上司に呟いた。
『―――破文《A break》』
『―――天と地を裂き、時間を生み出したクロノス《Xronos》の鎌よ。』
『―――時の大鎌よ。』
『―――我は新たな秩序を成さんとするもの。』
『―――その時を待ち望む者。』
『―――その鎌は我が左手に顕りて、秩序を成さん。』
左手の鎌は、『公安委員会』を守るために、
『世界で二番目に大事な彼女』の為に振おうと思う。
私は決して、公安委員会を本気で潰そうとはしない、
ただ、彼女の為に、今より少しだけ、いい場所にしたい。
『上手くやれよ』と少し嫌いな元上司に、呟いた。
『―――終文《Epilogue》』
『―――万物を引き裂くクロノス《CXronos》の鎌よ』
『―――征服され得ぬアダマス《adamantine》の鎌よ。』
『―――双つの鎌を寄る辺に、今ここに顕現せよ。』
『―――我が名はクロノス《CXronos》』
『―――『叛逆《Kronos》』の『時《Cronos》』を告げる者』
最後の鎌は、『自分の正義』を守るために、『自分』の為に振おうと思う。
『殺したい人を殺して、守りたい人を守る。』為に。
他でも無い、自分自身の正義の為に。
それを、世界に示すために。
たとえ死ぬ運命でも、最後まで足掻き続ける為に。
私は、最後まで諦めない。
たとえ、どんな罪を背負う事になったとしても。
そして私は、その門に、鎌を振った。
『門を叩きなさい、そうすれば与えられる。』
聖書にはそう書かれているが、何が与えられるかは、書かれていない。
『この力があれば、全てを終わらせられると思った。』
一度振った鎌を、そのまま振い続ける。『降神術』の禁忌を、私は犯した。
でも、不思議と、自分が喰われていく感じはしない。
何故かは分からない、『全能感』は全く感じなかった。
私は、いつもの私だった。いつもの、無力な私だった。
冷静に考えれば、自分が死ぬと分かっているのに、全能感も何もあったものじゃない。
自分から流れて行く赤い液体は、きっと私の涙なんだろう。
自分の中から急速に『命』が失われていくのが分かる。
臆病な私は、『命』を必要以上に使うのは嫌だった、
―――でも、『死ぬ』と分かっているのなら、いくら使っても構わないだろう。
鎌を握り締めて、その場に集まってくる人間を見る、見知った顔は居ない。
彼女がこの場にいなくて良かったと思った、
本当に優秀な部下だと、心底思う。
帽子の鍔を掴もうとしたが、残念ながら両手は塞がっていた。
地面に赤い海が広がって行く中、自分に向かってくる人を見る。
自分の口元が歪んでいるのが分かる。
『クロノス』としての、最後の『仕事』だ。
この『仕事』が、この場にいる人間は勿論、
この場に居ない人間にも『何か』を残せるように。
彼女に『欠片』を残せたように、
たとえ、変えられなくても何かを残す事は出来ると信じて。
私は、その鎌を構えた。
『私は当然のように。』
私は、ビルの瓦礫の中をゆっくりと落ちて行く。
『命』は、残り一つを除いて全て使ってしまった。
私のような人間に手を差し伸べる人間を視界の端に捉えながら、私はゆっくりと落ちていく。
結局、私の『終わり』は訪れなかった。
私を止めたのは、まったく無関係の民間人と、無関係な先生と、そして無関係の公安委員。そして、以前食事に誘った少女。
甚大な被害が出たかと思いきや、迅速に敷かれた全面封鎖令のお陰か、
それほど大きな被害は出ずに終わったらしい。
1人の人間が起こせる事件なんて、結局そんなもの、という事だ。
飛び交う声の中、私は公安委員会の人間に乱暴に連行される。
まったく、怪我人に対しても容赦がない。さすが公安委員会といった所か。
いつかの部屋を思い出す暗い部屋に連れてこられた私は、聴取という名の拷問を受ける。
内容は、筆舌し難いほどに酷いものだった。
どこから手に入れたのか分からない情報で、言葉で殴られ続ける。
物理的攻撃が無い分、尚の事性質が悪い。
身体は既に先の戦闘でボロボロになっている中、
その言葉の数々は、私の心を丁寧に、そして残忍に抉り取って行った。
やがて、私はその真っ暗な部屋に取り残された。
文字通り心身共に衰弱しきった私は、その暗い部屋で、静かに涙を零し、
やがて、甘い夢に落ちようと、そっと瞳を伏せた。
私は委員会棟を飛び出すと、ただひたすらに走った。
魔術と異能を封じる手枷と足枷をものともせず、
疲れた身体に鞭を打って、ただひたすらに、『彼女』を求めて走った。
『助けてあげようか?』
その五代に言われた台詞が、頭を満たす。
幽閉用の教室の鍵が開いていたのも、見張りが居なかったのも、
そして、何故か追っ手が無い事も。
きっと、彼が何かをしてくれたんだと、
都合のいい妄想を真実だと、勝手に思い込んで。
すっかり聞きなれた鉄底の靴の大きな音ではなく、
素足のぺたぺたという音が、やけに大きく聞こえて、
でも、私は『彼』から『逃げる』為に、
そして、『私の為』に、そこを目指して走った。
―――今はただ、『彼女』に会いたかった。
落第街まで来れば、私のような人間に興味を向ける人間は居ない。
脱獄者が逃げ込んで来る。落第街では、よくあることだ。
そんな『自分たちの側』へ落ちてくる人間には、落第街の人間は比較的優しい。
そこに住む彼女なら、私の為に涙を流した彼女なら、
きっと、今の弱い私も、受け入れてくれる。
全能感よりも、もっと甘い、麻薬のような『奇跡』が、
そんな普段なら絶対考えないような甘い考えが、私を蝕んで行く。
いつかも訪れた落第街のホテルにたどり着くと、
私は勢いよく階段を駆け上がり、そして、その扉を開け、
血の味がする口を開いて、彼女の名前を―――。
『よう――『室長補佐代理』』
その声を聞いて、その顔を見て、頭の中がクリアになっていく。
『そんな都合のいい話、あるわけないでしょう?』
頭の中の誰かがそう言って、全員が納得して、
カチリ、カチリとパズルのピースがはめられていく。
私は踊らされた、『公安委員会』に。
『彼ら』はここまで計算していた。
まず、暴走した私を捕らえる。
そして、精神的に十二分に衰弱させ、思考力を奪う。
精神的に衰弱した人間が取る行動は予想しやすい。
あとは、牢を空けておけば『開くはずの無い扉』を開けようとして開き、
そして、自分の心の拠り所である『彼女』の家に走って行くだろう。
『ガウスブレイン』が、『その先』のシナリオすらも計算して行く。
いや、そんなものが無くても判る、『公安委員会』なら『やる』。
この場にはあと『2人』来るはずの人間が居る。
―――必要な役者は4人、そして、
『私』がこの場所に来ている時点で、その2人は確実にこの場に現れる。
やつらは、私の心を、
この彼女への気持ちを利用して、『最後の仕上げ』をした―――ッ!!
許せない、許せない、許せるわけがない。私は、悔しくて、吼えた。
「貴方は―――ッ!!!『公安委員会』は―――ッ!!!!!
ここまで、ここまで出来るんですか!!!!」
「こんな―――こんな―――ッ!!!」
人の心を弄ぶような真似、心底腐っている。
そう言おうとした口は、何も言えずに閉ざされる。
私こそ、許されるわけがない。
私に、彼を、公安委員会を罵る資格はない。
『―――それが、私の『正義』だから。』
ああ、きっとそれが、私の、
他の誰でも無い、『私の正義』なんだと、私は思った。
予想通りに、その場に彼女は現れた。
ぴょこりと跳ねた毛に、ヘッドフォン、そしてジャージに、
今にも泣き出しそうな、その顔。
正直嬉しかった、それが公安委員会の書いたシナリオだったとしても、
彼女が私を助けに来てくれて、本当に嬉しかった。
『助けて』と一言言えば、3人でこの男に立ち向かえば、
きっと、私は『助かる』んだと思う。
でも、悔しい事に公安委員会はここまで想定通りだったんだろう。
『私が助けてと言えば、きっと彼女も彼も助けてくれる。』
でも、それを口に出すわけには行かなかった。
他でも無い、彼女の正義が、それを許さなかった。
目の前の男は『休職中』の執行官だ。
ホログラムの男達が居たはずの部屋が空になっていた時点で、
私の机に『あの手紙』が届いた時点で、間違いないと確信した。
最初から、担がれていたんだ。私も、この男も。
私が助けてといえば、『ツヅラ』が公務を妨害したとして処罰される。
せっかく私の作った居場所を、他でもない私が、奪う事になる。
―――だから、私はその言葉を飲みこんで、彼女を制止する。
「これ以上、私の『正義』を邪魔しないでくれますか。」
きっと、こう言われたら、彼女は手を出したりはしない。
心の中で、ずるい先輩でごめんなさい、と謝った。
『最後に会えて、本当に嬉しかった。
でも、私の『正義』を認めてくれた貴女の前で、
情け無い姿を見せるわけにはいきませんよね。』
『私が守りたい人を守る』ために、私は、ゆっくりと闇へと歩き出す。
闇に飲まれる間際、私はにっこりと笑って振り返った。
「ツヅラ」
彼女の名前を呼ぶ、それは、最後の未練。
『―――嫌だ、死にたくない、まだ、貴女と一緒に居たい。』
そう、心の中で『誰か』が叫んで、口には出ずに、心の中で消えた。
あの日、私は『クロノス』になった。
叛逆を成し、そして、愛する我が子によって殺される、そんな神様に。
やっと『自分の正義』を見つけた『クロノス』は、にっこりと笑いかける。
いつもと同じように、落第街に暴れに行く時のように。
「―――これからも、いい仕事を期待しています。」
最後にそう言って、私は闇に踏み込んだ。
私を殺せば、公安委員会の筋書き通りに彼は『室長補佐代理』に戻る。
彼はきっと、これからも『うまくやる』。彼女の居場所は、きっと守られる。
『私の部下を、頼みます。』そう闇の中で目を伏せると、闇が、私を飲み込んだ。
私の白が、黒に溶けて行く。
『クロノス』を滅ぼすために作られた、ただの黒に。
私はただ「死というのは、案外痛く無いんですね。」と思った。
ゆっくりと、眠りに落ちて行くように、私が死んでいくのが判る。
―――私はただ、甘い夢を見る。
『彼女』と出会った頃の夢、そして、『非常連絡局』で、彼女の下で働いた夢。
彼女の笑顔、そして、彼女との―――。
やがて、滑り込むように、『夢』の場面が切り替わっていく。
出会った頃の『彼女』の夢、彼女が私の『部下』になった時の夢。
誰も居ない2人きりの教室で、唇を交わした時の夢。
夢は、終わりすら越えて、まだ続く。
夏に『彼女』とお祭りに行く夢
秋に、一緒に本を読む夢。冬に、『彼女』と一緒に、雪の中を並んで歩く夢。
春に、一緒に進級する夢、何でもない日常に、第二特別教室の皆で、カラオケに行く夢、
そして、再び、この季節を迎える夢。
その甘い夢は、甘いのに何故かしょっぱくて、悲しくて、
無いはずの目元から、涙が零れ落ちて、それもまた、黒に溶けて。
夢も終わって、私はただゆっくりと、沈むように、眠るように、
そして、雪がアスファルトに溶けて、染みになるように。
ただ、消えた。
『次は、誰でしょうね。』
―――私は、最後に皮肉をこめて、そう呟いた。
《 END 》
Extra Episode †
お盆というものは『死者が現世に帰る』と言われている。
「まさか、本当に帰る事になるとは。」
『冥界』というものを一つの異界とするのなら、『お盆』というのは一つの『門』だ。
冥界に『彼女』の姿はなく、特別再会を喜ぶような相手も居ない私は、
現世≪うつしよ≫の知り合いが来ない事を祈りながら黙々懲役に勤しんでいたわけだが、
お盆休みというのは現世と冥界共通の休みらしく、私はこうして『帰省』を果たした。
しかし、迎え火を焚く人間が居ない私は帰る場所もなく、
箱庭のような世界を見下ろして、ただ静かに暑い夏の空に漂っていた。
―――常世学園、私が壊そうとしたその世界は未だ何も変わらずに廻りつづけている。
その世界の片隅にキラリと輝くものが見えた気がして、
私はそれに誘われるように降りて行った、
誰かが、ほんの少しでも私の事を思って線香を焚いてくれたのだろう。
白い天冠を握って正しながら、しかし鉄底の靴の響く音はしない。
その光に近づくにつれて、その場所が何であるのかが見えてくる。
「……妙な気分ですね、自分のお墓を自分で見る事になるとは。」
やれやれと首を振りながら、その『お墓』に腰掛ける。
そして、足をぶらぶらと動かしながら、
私をここに導いた線香を焚いた人間であろう二人の人間を遠目に眺める。
「あの子は、まだ上手くやっているようですね。」
そう小さく呟きながらクスクスと笑う。
今にも泣きそうな酷い顔、そして、吐くような咳。
あの時のような笑顔ではなくても彼女は生きて、未だ『そこに』居る。
―――それだけでも、私は嬉しかった。
「いい居場所を残してあげられなくてすみません。」
そして、彼女に謝罪の言葉を口にする。
彼女の今座る椅子は、彼女にとってあまりすわり心地が良くないようだ。
抱きしめて優しい言葉の一つもかけられればいいのだが、死人に口無し。
私は彼女にかける言葉を持たないし、声をかける資格も無い。
そう心中で嘆く私の視線と、彼女の視線が一瞬交わった。
気が付いたかと思ったが、どうやら違ったらしく、
それを示すように、すぐに彼女は視線を男に戻した。
―――風が、彼女の声を運ぶ。
たまたま、聞こえたのかもしれないし、
はたまた、それが私に向けられた言葉だから聞き取れたのかもしれない。
何しろ、躰が無いのだ、
声をどこの器官で聞いているかなんて分からない。
『知ってる。絶対、ゼッタイあんな死に方はしたくない。
───、死ぬのは怖いから。あの人みたいなことは絶対、しないし繰り返させない』
彼女の、ツヅラのそんな言葉を聞いて、
私は紅い目を細めて笑みを浮かべて、彼女の元へと歩み寄って行く。
歩み寄る私に、いや、おそらく、私の背後にある私のお墓に彼女が一瞬視線、そして顔を向けて。
そして、何を思ってか目を閉じた彼女の唇に、そっと、唇を重ねた。
「苦しくても、頑張ってください。
―――来年も、また会いに来ますから。
そうですね、その時には出来れば笑顔を見せてくれると嬉しいです。」
そういって笑う私のそんな声は、きっと彼女には聞こえない。
私にも彼女にも、お互いの唇の暖かさも感触も分からない。
そのまま彼女の背を見送りながら、
私も、白い天冠を正しながら、彼女へ背を向けて歩き出した。
『死者』と『生者』の道は、決して交わらない。
ただ僅かに触れ合って、そして、再び別れるだけだ。
「では、ツヅラ、良い仕事を。」
里帰りを済ませた私は『ふわり』と宙に溶けた。