「よくわかりました」
小さく頷いた。
「あなたに殺意は無く、刀を捨ててまで相手を助けようと走ったことも理解しています。
そして相手に殺されないための自衛手段として刀を振るった。
あなたが剣を振るわなければ、死人が一人出ていたでしょうね」
殺す気があったように見えた、だけかもしれない。
けれど実戦を経験した者の感知する『殺意』は、本当に正しいものだ。
殺気に反応し、自衛のための振るったのであろうことを理解していた。
「僕はあなたを信頼しています。
そしてあなたの心優しさも。
だからそれを踏まえて、『人斬り』としてあなたに伝えたいことがある。
……そのために、あなたをここに呼びました」
ほんの少し、ほんの少しだけ悲しそうに見える笑みを浮かべて言った。
彼女に同じ道を歩ませないために。
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「ありますよ。
極悪犯と戦い、首を落としたことがある。
暗殺者に仲間がやられないよう、僕が血を浴びたことがある。
ここに来る前、悪人が大量のクローンを連れて世界を潰そうとした時、何十人も斬り殺したことがある」
小さく笑う。
人を斬ることに慣れ、その自分をあざ笑うような、複雑な表情だ。
「……それで、多くの人に後ろ指をさされました。
人殺しとも、悪人とも、バケモノとも。
それでも、剣を振るうことが僕の生き方であり、守り方だったので、ひたすらに続けました」
左胸をぎゅっと掴む。
今でも罵ってきた相手のことは忘れられない。
「……ですが、あなたは自分が殺意を持って斬ったわけではない。
人を殺したわけではない。
留以さんは殺されそうな自分も、人殺しになりそうな相手も救ったのです。
だから、どう罵られても、あなたは強く心を持ってほしい。」
悲しげな笑みのまま、言い放つ。
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「ふふっ、ありがとう寄月くん。
でも、それなら寄月くんも一緒じゃない。
極悪人を倒した。それはきっと、これ以上被害者が増えないようにした。
暗殺者を倒した。それはきっと、これ以上仲間が死なないようにした。
野望を食い止めた。それはきっと、世界中の人が生きていけるようにした。
すごく、いいことをしてるわ」
事実がどうだったかはしらない。
寄月の言葉だけなので、判断はできないが、もしそうだとすれば感謝こそすれ、罵倒などもってのほかだ。
なのに。
「なのに貴方は罵倒され、貶され。
たった一つの事象だけで判断されて、貴方は悪者にされた」
こんな言葉がいいたいわけじゃない。
彼なりに励ましてくれているのに、この口は魔逆のことを言ってしまう。
「……私は、彼女を救ったのかもしれないけれど。
彼女の親やお姉さんから見れば、きっと貴方の様に、悪人かもしれないわ。
だって、大切な人を斬ったんですもの」
ちょっとだけ疲れたように、ふぅとため息をついて、優しい笑みを寄月にむけた。
「私は本当に、誰かを救ったのかしら」
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「そう、同じですよ。
僕も、誰かにとって大切な人を斬っていたかもしれない。
そしてあなたも、誰かを救っていたたとしても、同じように罵られるかもしれない。
だから……」
眉根を寄せる。
鋭い瞳、けれど優しさを含む瞳。
「僕が保証します。
あなたは優しい人だ。
たとえどんなに蔑まれ、罵られようとも、あなたは二人の人間……あるいはそれ以上の人間を救った、優しい人だ」
息をほんの少し止め、吸い込む。
「だからもし、知らない誰かにそう言われたとしても、無為に自身を卑下しないでください。
その誰かの悪意に飲まれないでください。
顔も知らぬ誰かの甘言に惑わされないでください。
無論、自身が行ったことを忘れていいわけではありません。
人を斬ってしまったことを悔やみながら生きて、でもそれを足掛けにあなたを狂わせようとする人に負けないでください。
……僕は、あなたを……『留以さん』が失われるところだけは、絶対に見たくない」
きゅ、と唇をかみしめる。
心臓が強く締め上げられるような感覚が走る。
この女性が、そうして堕とされ、狂わされる姿を想像してしまった。
きっと、そんなことがあれば、『八雲 亜輝』はあの日と同じように狂ってしまうだろう。
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ぴたりと動きを止める。
胸を掴む手に、力が籠る。
そうだ、多分この感覚だ。
あの日『夏樹』に抱いた感情と同じだ。
「おそらく……おそらくですが……
僕はあなたが好き、なんだと思います。
留以さんを失いたくないくらいに」
違う。お前は間違っている。
そんな声が、胸の奥から響く。
それを握り潰すように、また胸を握りしめる。
「好意もそうですが……同時に、人を斬ってしまった先達として、伝えるべきことなんだと思いました。
僕らはどんなに安く見積もっても、ただの人斬りです。
でも、だからって……人を斬ってしまったからといって、謂れなき悪意を受け止めなければならない、などということは無いのです。
僕は僕と同じように、間違って、狂ってしまう人を見過ごしたくない。
……そう思ったからこそ……あなたには、これを伝えたかったんです。
誰にも聞かれない場所で、あなただけに」
乾いた喉で、絞り出すように語る。
自分のトラウマも引き出して、それでも告げたいことなのだ。
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ぎし、と胸を掴む。
苦しい、息がつまる。
「僕は昔……恋人を亡くしました」
ぽつりと呟く。
「大切な人を失いました。
命の前に、心を。
壊れた心で、僕を刺しに来た彼女の顔は……
壊れた心で、虚空を見上げる彼女の顔は……
……もう、思い出したくないほどに、悲しかった」
「だからあなたを……失いたくない。
あなたを恋人として迎えることになろうと、なかろうと……
あの時の壊れた目を、見たくない。
……留以さんに、同じ目をさせたくない」
まるで泣きそうな顔、震える唇で呟き、じっと留以を見つめる。
剣士としてではなく、守るべきものとして。
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「『好きです』という言葉に……返事が欲しいわけではないです」
首を小さく横に振る。
少し落ち着けるように、目を閉じて深呼吸をして。
再び目を開き、顔を上げたときにはいつも通りだ。
「留以さんが人を斬ったという事実があろうとも、僕はあなたが大切に思えます。
僕と違ってとても温かくて、とても優しい人だ。
でも留以さんは、その優しさに必ず付け込まれる」
先ほどまでの乱れようが嘘であるかのように、凛として言葉を紡ぐ。
瞳にも、普段の力が戻っている。
「だから、これだけは覚えておいてください。
たとえ人を傷つけてしまったとしても、あなたは見知らぬ誰かの悪意を受け止める必要はない。
たとえ人を斬ってしまったとしても、あなたは幸せになる権利を失うわけではない。
そんな言葉であなたを惑わし、あなたを手にかける者を気にかけてはいけません。
それでも、折れそうになったら、僕があなたを好いているという事実を思い浮かべてください。
……誰がどんな評価をしようと、僕は今の留以さんが好きなんです」
背筋を伸ばし、言い切る。
鋭く、強い眼光。
嘘偽りない感情と、留以に伝えたい言葉だけがこの場にはある。
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次に人を斬るという可能性以上に、それを理由に留以が責められる可能性を告げていた。
それが伝わっていればいいのだが、と小さく息を吐く。
留以の問いには、首を横に振った。
「いいえ、何も。
ですが僕の師は、一人は暗殺者で、一人はバケモノでした。
なので『剣士は人を斬って初めて一人前』と言われましたね」
その言葉だけで、相当に過酷な状況で生きてきたであろうことは理解できるだろうか。
彼は支えなど無く、悪意に苛まれながら自分の足で立って生きてきたのだ。
「……僕に支えはなかった、だから何度も折れそうになり……
恋人を失った時は、本当に折れてしまった瞬間がありました。
だから留以さんだけは、同じようになってほしくないんです。
……留以さんは……堂々と生きていいんです」
小さく、優しく笑顔を浮かべて、そう言った。
胸の痛みは、いつの間にか引いていた。
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「それじゃあ駄目よ」
寄月の言葉に否定をする。
堂々といきる。
寄月が、たった一人でも留以を肯定してくれるなら、留以は救われるだろう。
でも、それではダメだ。
「寄月くんも、堂々と生きてくれなきゃ。
ううん、寄月くんはきっともう、大丈夫なのかもしれないけれど。
私を支えてくれてる貴方が折れちゃったら困るもの。
だから」
一呼吸おいて
「私も、寄月くんのことが大切よ。
寄月くんのような気持ちではないけれど……でも、大切な人だから。
だから、貴方も堂々と生きて。
それで、折れそうになったときは、ちょっとだけでも私を思い出してくれると、嬉しいわ」
そう、優しく微笑む。
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きゅ、とまた心臓が縮み上がるような感覚が走る。
その言葉をかけられたのは、何度目だろうか。
彼女にとって、自分は特別ではない。
同じように言ってくれた、かつての仲間たち。
それと変わらない。
「……ありがとうございます……
肝に銘じておきましょう……」
微笑みながら。静かに嘘を吐いた。
自分はもう変われないのだ。
刀を振るい、血を浴び、命を消費して勝利を導く、『最強の捨て駒』としての生き方。
きっとそれを変えられる人間には出会えない。
きっとこの人も、自分を変えてはくれない。
そう感じていた。
「……お話は以上です。
我が家までお呼び立てして申し訳ありませんでした」
ぺこりと頭を深く下げる。
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「……ええ、理解してもらえて助かります。
あぁ、帰られる前に、こちらも土産を……」
傍らにある自分の刀を握り、留以に近付く。
それを鞘に納めたまま杖のように振るい、魔法陣を展開する。
「留以さんを守る魔術結界のトリガーを仕込んでおきます。
留以さんの精神を犯す術や魔法薬に反応して、それらをおよそ半日防ぐ結界を展開出来ます」
金色に輝く魔法陣が一つの点に収束し、光の玉になる。
その玉をぴっと投げると、留以の胸の中に潜り込んでいった。
「……これでおしまいです。
出来ればこれが発動しないことを願っていますね」
そう言って、もう一度笑った。
「僕も和菓子は好きなので、ありがたいです。
ありがたく頂戴します」
再び座布団に座って、ぺこっと頭を下げた。
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