ページ: 1
常世祭期間中、常世大ホールは様々な催し物の舞台となる。
この日の夜は、ピアノ実技上級の授業を履修している生徒達の発表会だ。
音大を目指すような生徒の比率がぐっと上がるこのレベルの発表会になると、本土から足を運ぶ専門家もいるとかいないとか。
開演前に、アナウンスが流れる。
『音の出るような機器の電源を切るか音が出ないように設定するように』
『演奏の妨げになるような行為は禁止』
などの、演奏会などではお定まりの内容だ。
舞台裏ではスタッフ達が静かながらも慌ただしく動き、出演者達が舞台に立つために思い思いの装いをまとい…そして、それぞれの心境で、自分の出番を待っている。
オフライン
クラシックの、器楽ソロの発表会ということで、常世大ホールもそのようにセッティングされている。
中央にステージが作られ、その後ろ、両脇、上を囲うように設置された反響板。
ステージの中央にはグランドピアノとピアノ椅子。
ステージの後ろや真横の客席は当然「舞台裏」「舞台袖」扱いだ。
上級の授業だけあって、高い技巧を必要とする曲や、ピアノのコンクールでよく演奏されるような曲が多く演奏された。
そうして、プログラムが進行し…次のアナウンスがなされる。
『6番、美澄 蘭。
曲は、カミーユ・サン=サーンス作曲、フランツ・リスト編曲「死の舞踏」』
女性の声でそう告げられると…舞台袖から、左右色違いの瞳を持つ、すらりと華奢な少女が現れた。
ウエスト周りに横方向のドレープが入った、光沢あるダークブルーのAラインドレス。ドレープの左端に同色のバラのコサージュがあしらわれている。
長い栗色の髪はうなじの上、生え際の位置にシニヨンが4つ並ぶようにまとめられ、その右端に添えられるように飾られた紺色のバラの髪飾り。
少女は、客席に向かって丁寧なお辞儀をすると、ピアノ椅子に腰掛けた。
そして、ピアノの鍵盤にその細い腕を伸ばす。
オフライン
蘭が、そっと鍵盤を叩く。演奏が始まった。
ソフトペダルのために柔らかく響く音が、遠い鐘の音のように4つ響く。また4つ、今度は冷たい夜のようなトリルを伴って。
夜のようなトリルは一旦引くが、また4つ、鐘の音のように…しかし、より反響して響く単音が4つ鳴らされる。
鐘の音を模した音は、全部で12個きっかりだった。機械的なまでに、均等なリズムで鳴らされた音。
その後…冷たいトリルが、徐々に音の高さを増しながら、波のように一旦高まり、引く。
トリルが消えて現れるのは、何か不吉な足音を表すかのような、短い、冷たい水に起こる波紋のような高音の連打。
最後に、冷たく鋭いアルペジオを弾いた指は、休符を確かめるかのようにゆったりと宙を漂い、次の鍵盤を目指す。
そして…不吉な響きを持つ軽快なワルツが始まった。
編集者 美澄 蘭 (2016-11-25 19:21:20)
オフライン
最初、そのワルツは基調となる不協和音を叩いて、響かせるように始まった。
その響きは響かせる音と響きを止める音のメリハリをきっちりとつけながら、徐々に高さを上げていく。
次にやって来るのは、両手を合わせれば何オクターブかになる音の幅の重なりで表現される、力強い旋律。
その力強い旋律は、徐々に…しかし、確実に速度を上げていく。
スタッカートの低音が、渦巻くように力強く叩かれる。
それはやがて音の数を増やし、響きを作っていく。
最後に、華やかに響きを残すように奏でられたリンフォルツァンド。
その後、元に戻るテンポを決定づけるように低音が強く響いた後、「死」が舞う様を表現する陰鬱で軽やかなワルツが始まるのだが…
蘭は、何かに挑むかのような姿勢の取り方と目つきを、演奏開始から緩めることをしていない。
オフライン
不気味なワルツは一度ゆったりと重厚に歌ってみせたが、その響きにはペダルの踏み方で生まれる響きにこだわる蘭の演奏らしい明晰さがあった。
その後、可憐な弱音で、先ほどの軽やかなワルツのやや明るい変奏を奏でる。時折、蘭の右手が、その旋律に絡む三連符を、ワルツのリズムの中に正確に送り出す。
可憐な弱音は高音域の和音を刻んでいき…そして再び、最初の主題を導いた。
最初に現れたときよりも力強く奏でられるその主題は、どんどんと高まり、退廃的できらびやかな響きを持つフォルテシモに到達する。
オフライン
最初は右手と左手が掛け合うようにして生み出されていた旋律は、やがて高音に移行する。
最高でC7の音を取るほどの高音を、1オクターブの幅に指を広げて強打することはあまりない。
一度くらいはミスタッチがあったかもしれないが、この曲をアマチュアが演奏する、と考えれば少ない部類だろう。
そして…蘭は、それに動揺を見せることもなく、真剣な表情のまま鍵盤に向かい続けた。
それは、主題が入れ替わっても変わらない。
重厚なワルツの旋律に合わせて、左手が低音域で慌ただしい変奏を奏でる。
こちらもオクターブでの連打で、ともすればミスタッチがありそうなものだが…低音部であるため、あまり目立たない。
もしかしたら1回あったかもしれない、くらいだろうか。
それが終われば、再び可憐な弱音の軽やかなワルツの変奏が再び訪れる。
それから、先ほどと同じように展開していき…しかし、次にやってきたのは、重厚なワルツの旋律と、それを支える伴奏。
低く、低く…ヒトの耳では鳴っていることが辛うじて分かるくらいの、ピアノの鍵盤の低音の限界に限りなく近いところで鳴らされるトリル。
編集者 美澄 蘭 (2016-11-29 00:52:04)
オフライン
しかし、その低音のワルツはその旋律を途中で下降音に切り替わり、一旦響きが途切れる。
次にやってきたのは、音の重なりを排した、先ほどの低音のワルツの変奏。
右手と左手の人差し指が掛け合いをするかのように、1つの旋律を作っている。
先ほどまでの、高音や低音の端の方にまで手を伸ばした演奏に比べると随分縮こまっているように見えるが、少女が鍵盤に投げかける鋭い視線は変わらない。
そして、右手がその変奏の旋律を奏で続ける間、左手はそれに絡み合うような、八分音符連なる対旋律をスタッカートで軽やかに弾く。
やがてその対旋律はその音程を高くしていき、そして右手に移り…主旋律と対旋律の左右が、音の高低が完全に入れ替わる。
八分音符の連なりはやがてスケールに変わり、曲を明るい響きへと導いていった。
オフライン
ハープか何かを弾いているかのように、短く、アルペジオ気味に鳴らされる高音の和音で形作られる旋律。
それを、左手の装飾音じみた細かい伴奏が彩る。
臨時記号の多さと、和音の要素の不足からくる冷たさを備えつつも、その響きはきらめきを持っていた。
そのきらびやかさは、眠りに落ちていくように重さを増していく重厚な旋律に一度場所を奪われた後…少し南国的な色を帯びた柔らかい官能性に、変調と若干のテンポの変化によって鮮やかに変化を遂げる。
重厚なワルツだったはずの旋律は、音の高低に合わせて微細に、しかしなめらかにつけられる強弱と、時折悪戯めいて差し挟まれる装飾的な三連符のおかげでどこか気だるげな子守唄のようだ。
その旋律を飾るのは、なめらかに、優しく弾かれるアルペジオ。旋律とアルペジオは、音の高低を、手の左右を度々入れ替えながら、それでもさほど変わらない情緒性を持って奏でられた。
それでも、「歌う」ことによってテンポを揺らし過ぎず、音楽そのものの輪郭を均整に保とうとするのは少女の目指す音楽性のゆえんだろうか。
先ほどまでのような鋭い目つきこそしていないものの、その表情は冷静で、「歌う」ことに酔いきらず、音楽を端正に作ろうとする姿勢を維持し続けているのが伺えるだろう。「楽し」んでいるのか、その外形だけから判断するのは難しいかもしれない。
一度、儚げに溶けゆくようなクロマティックスケールとゆるやかなトレモロを挟みながらも、甘美な響きは続く。
オフライン
調を変えて、少し憂いを帯びた響きを持ちながらも、甘く「歌う」ような音楽は続く。
その憂いは、旋律の音程が高くなっていくにつれて切なさに変わってその印象を強くしていく。
二度目のクロマティックスケールと、溶けるように弱く、そしてテンポを緩めていくトレモロ。
二度目のそれは、実際に一瞬消えた。
そして、曲調は一変する。
テンポは以前の快活さを取り戻す。低音部に軽やかなワルツの変奏がきっぱりとした音で奏でられ、それをうねるようなクロマティックスケールが飾る。
それらの音の動きは徐々に音程を高くしていき、旋律も音を増やしていく。それに伴って、徐々にだが確実に音の強さを増していった。
クロマティックスケールは最後に流星のように装飾的な十六分音符に変わり、音の増える旋律とともにフォルテッシモを導いた。
オフライン
甲高いフォルテッシモの後、重厚なワルツをリズミカルにした変奏が、明るい響きで、トリルを伴ってやってくる。
トリルの響きは徐々にきらびやかになっていくが、一方で重厚な暗い響きも匂わせる。
重厚なトリルは、オクターブの音の重なりと音程の跳躍で紡がれる絢爛な旋律を導き、そして細かい和音の強烈な連打に至る。
強烈な連打は低音と高音をせわしなく行き来し、連打の細かさと相まってうねるような印象を残すだろう。
しかし、曲はあっという間にその印象を変え、柔らかな強さの音で、三連符のリズムで鍵盤の左右を飛び回るような、変奏の極みのような軽快な旋律が流れ出す。
オフライン
三連符はその音を高くしていくとともに音を強めていく。
しかし、それが上りきってしまうと、再び静かな音量に戻って、軽快なワルツの旋律が低音で帰ってきた。
今までと違うのは、伴奏にクロマティックスケールの重なりが入ってくるところだろうか。
バリエーションの異なる変奏が続く。音の粒こそはっきりしているものの弱音で弾かれるため、これも今までとは違った印象を与えるだろう。
後半、高音の畳みかけで少しクレッシェンドがかかるが…結局、軽いほどのピアニッシモでスケールのような動きが流れるように辿られて、その場面は終わり。
次に始まったのは、低音のトレモロの上で、ゆったりと二つの旋律が掛け合いをしているかのような音楽。
ピアノという楽器の特性を活かして、その掛け合いを右手だけで歌い上げてみせる、若い演奏者。
オフライン
旋律はゆったりとなめらかながら、不穏なうねりを感じさせる上昇、下降を繰り返す形になる。
うねりを強調するかのように、強弱が寄せては引き、引いては寄せる。
そのうねりに沿うかのように八分音符が鳴らされるのだが…それは左手だけでなく、オクターブで鳴らされている右手の旋律の間の指でも奏でられているのが、指の動きが見える位置にいる者には分かるかもしれない。
まるで、右手の中で二つの意思がそれぞれの役割をこなしているかのように整然と整った演奏を、この少女は真剣な表情のままこなし続けている。
そうして、うねりながら徐々に強さを増していくその演奏の中で、旋律を受け持つ手が左手に変わる。
役割を譲った右手は高音の八分音符で畳み掛けるようなフレーズを奏でた。それはフォルテッシモになってオクターブで重なり、更に左手もリズムで同調し始める。
うねるようなそのフレーズは重々しい低音まで一気に駆け抜けるように(演奏のテンポは走っていないので、あくまで演奏の「印象」である)進むと、今度は八分音符を刻む低音の上で、右手の和音が幅広い音域を跳ねるように動き、響く。
そして、強烈なアクセントを伴って八分音符を連打する主題が再び現れ…それは、強烈なクレッシェンドをもって、曲のピークをもたらす。
両手ともオクターブをめいっぱい叩くような激しい演奏。それでも、少女はミスタッチをすることなく、力一杯こなしてみせた。
オフライン
右手が軽快なワルツの旋律をオクターブで重ねれば、左手は重厚なワルツの旋律を和音で壮麗な響きに仕立てる。
めいっぱい鍵盤を叩くような演奏ではあるが、少女はミスタッチを生み出さず、また、リズムや音のバランスが崩壊することもなかった。
ここを一つの山場と捉えて、かなり熱心に練習を積んだのだろう。右手と左手、それぞれが生み出す響きは見事に1つの曲として絡み合い、寄り添って成り立っていた。
そこから、曲はクライマックスに向けて加速していくようだった。
スタッカートのきいた八分音符がたたみかけ、時折要のように低音の四分音符が重く響く。
その主題が高音を上りきったところで、間の手のように軽妙な六連符が流れる。
その六連符を境に曲調から重さ、厚さが消えるが、終曲に向けた流れは止まらない。
今度は、八分音符の連なりと間の手の三連符が、曲を先へ先へとせき立てるように上下に揺れ動く。
主役だった八分音符はやがて三連符に変わり、そして流れるような動きとなってさらに曲をせき立てていく。
ピアノの音が再び強さを増していくとともに、そのテンポは統制された緊張感を持ちながらも加速していた。
オフライン
そして、再度のフォルテッシモ。
四分音符の明瞭で低温な響きと、重厚な八分音符の主題が交互に訪れる。
右手はそのパターンを小節を短くして繰り返すが、その裏では左手がうねるような動きの低音を八分音符で刻んでいる。
そして、右手が重厚なワルツの旋律を1フレーズ響かせた後…
単音で、朝を告げるニワトリの鳴き声を模した音が、今までよりは大分余裕のあるテンポで…しかし、鋭く明瞭に響いた。
その後の、少しの間静寂が訪れるが…蘭は、ピアノの鍵盤から手を下ろさない。
曲は、まだ終わりではないようだ。
オフライン
ゆったりした旋律を歌っていた右手が、優しい強さでトリルを奏で出す。
左手は、低音で軽快なワルツの変奏を刻む。
そして、左手の動きが消えたところで、右手がスケールめいた上昇音を刻み、最後に装飾をつけた高音を弾く。
弾いた高音はペダルの効果でしばし響いて、そして消えた。
右手が高音の短いアルペジオを奏でるように再び鍵盤を押すと、左手がそれと掛け合うように八分音符を軽やかに刻む。
やがて右手と左手の動きは一つになり、冷たい響きの和音をうねるように進行させたかと思うと萎んでいく。
曲は、最後に左手でごくごく低い音を2回と、高音の和音を鋭く、しかしか細く響かせて、曲は終わった。
舞台の上のピアニストは、今まで鍵盤の上を無尽に駆けさせていた自分の両手を、一旦膝に置いた。
(11月末日に舞台からの退場ロールを行って終了となります)
編集者 美澄 蘭 (2016-11-29 04:34:41)
オフライン
それから、椅子から立ち上がってステージの手前に足を運ぶ。
女性らしく手は前で組みながらもぴんとした姿勢を作ってから、綺麗に頭を下げた。
化粧っ気がないわけではないが、ファンデーションの類は使わなかったのだろう。再び顔を上げたその頬は、やり遂げた達成感がもたらす興奮、音楽を作って人に披露することがもたらす快感で紅潮していた。
左右色違いの瞳もきらめいて、顔には程よく力の抜けた笑みが浮かんでいる。
若いピアニストは、お辞儀を終えるとそのまま入ってきたのとは反対側の舞台袖へ歩いて引っ込んでいった。
ほどなくして、次の演奏者が入ってくるだろう。
(主催者のロールはこれで終了となりますが、足跡を残す感じでロールしたい方がいらっしゃれば常世祭期間中はご自由にどうぞ)
オフライン
ページ: 1