2020/07/22 のログ
城之内 ありす > 「友達……。」

送られてきたメッセージを見て、ありすは小さく呟いた。
友達なんて居ないはずなのに…どうして、当たり前のようにそう書き込むんだろう。
いつも、いつも。

「……………。」

何となく、という答えと、そこから怒涛のように送られてくるメッセージ。
それを見て、何だか、ちょっとだけ怖いと思う。
けれどそれと同時に……何かが引っかかっているような、そんな感覚があった。

毎回、毎回、自分が忘れているだけで……もしかして、本当に……?

『謝らなくていいから、教えて。』

指先が、少しだけ震えている。
これまでのやり取りを見る限り、貴女は、全てのやり取りを覚えているようだった。
だから……

『私、あなたのこと知らないの?』
『それとも、知ってるのに忘れてるの?』

……ありすは初めて、踏み込んだ質問を送る。

北条 御影 > どくん、と鼓動が跳ねるのが自分でもわかった。
核心を突いた質問。この質問への回答如何で、今後の彼女との交流が大きく変化することだろう。
一歩先へと共に足を踏み出すのか。
それとも、停滞と安寧へと共に留まるのか。

『―その質問に答えるまえに、一つだけ、言っておくね』
『これはあくまで私の問題だし、貴女は何も悪くないからね』

前置きを、一つ。
これもまた予防線だった。
ただし、今度は自分のためでなく彼女の心のためのモノ。
心優しく、寂しがりな少女のことだ。自分が友達のことを忘れているなんてことに気が付いてしまえば、
きっと自分のことを責めてしまうだろう。
だから、こうして予防線を張る。貴女は悪くないと。

『私は、貴女に会ったことがあるよ』
『お互いに友達がいなくて、寂しい者同士でお話して、友達になった』
『貴女のスマホに保存されてる、見知らぬ誰かとのツーショット写真は、その時に撮ったものだよ』

極力、簡潔に、分かりやすく。
事実だけを伝える。
言葉を飾る余裕は、今の御影にはない―

城之内 ありす > 返事を待つ時間が、妙に長く感じられた。
過去のやり取りを見ても、こんな質問を送ったことはない。
宿題の質問を終えたら、他愛ない話をして、終わっていた。

「……………。」

だから、返ってくる答えが、怖かった。
前置きとして送られてきたメッセージも、すぐには頭に入らない。

「………会ったこと……あるんだ………やっぱり。」

無意識にまた、小さく呟いていた。
一番初めにメッセージを送った日と、写真の日付は一致していた。
だからきっと、あの日に出会って……
……それなのにどうして?どうして覚えていないのだろう?

『ごめん』



『ぜんぜん覚えてない』



『どうして?』

北条 御影 > 告げられた事実に対する少女の返答はひどく単純なもの。
その言葉の裏に潜む困惑と同様を量ることが出来てしまい、苦い顔になった。
あの小柄な少女は、友達が出来たことをとても喜んでくれていた。
そんな少女が、「友達」のことを忘れているという事実に、何も感じない筈がないことぐらいはわかる。
だから―

『全部、私のせいなの。貴女は何も悪くないんだよ』

『だから気にしないで』

『私は―』


『誰の記憶にも残ることが出来ない。』
『そういう異能を持ってるから。』
『私とのメッセージログ、やりとりをした記憶はないでしょう?』
『つまりは、そういうこと』

幾度か繰り返した少女との他愛ないやり取りは、全てこの端末に記録されているし、
自分の記憶にもしっかりと残っているけれど―。
画面の向こうの少女の記憶には、決して残ることはない。
自分の端末と同じく、ログが記録された端末を見たところで、想起されるものも無い。

『この事実を聞いた記憶も、きっと明日には無くなってると思う』

『だから、貴女は悪くない―』

城之内 ありす > 送られてくるメッセージを読み進める。

「……なにそれ……。」

そう小さく呟き、その手は止まった。
本当かどうか分からない、嘘かもしれない、騙されているのかも知れない。
けれど、確かにメッセージのログは残っていて、写真も確かに残っている。

そしてIDは“友達”のリストにしっかりと登録されていた。
たった一人だけ、貴女の名前だけが表示されている、リスト。

『意味分かんない』

それが、最初に返ってきたメッセージ。
けれどそれは、全てを否定する言葉ではなかった。

『なんで最初に会った時に言ってくれないの』

これまでにやり取りした全てを忘れてしまっている。
今日のやり取りも、この質問も、答えも。すべてを忘れて、私はまた……知らないIDや写真を見て、怖いと思う。
そんなことを、これからもずっと繰り返すことになるなんて。

『誰のせいとか悪いとか悪くないとかじゃなくてさ』

ふと、最初の日のメッセージを思い出した。
『また会おうね。』
そんな約束を交わしていたのに、きっと、忘れてしまったのだろう。
いや、約束は果たしたのかもしれない。
それさえも忘れている。

そんなの……悲しすぎる。



『どうにか出来ないの!?』

北条 御影 > 送られてくるメッセージが心を抉る。
意味が分からない。
確かにそうだ。
こんなことを唐突に告げられたところで受け入れられる筈もない。
けれども、端末に残ったログが、写真が、その全てを裏付けてしまうからこそ。
意味が分からないと、そう思ってしまうのだろう。
理解出来る。
出来てしまうのだ。画面の向こう側の少女に限らず、幾度となく繰り返してきたことだから―

続く問も予想は出来た。
何故言ってくれなかったのかと。
そう問われて、返答を打ち込む指先が重い。
それでも、打ち切った。だってそうだ。

自身の異能による忘却を受け入れ、乗り越えようと共に歩を進めると、そう言ってくれる人は確かに居るが。
ただ友達を欲し、寂しさに身を任せていた少女に、その役目を押し付けるのは酷だと思ったからというのもある。

けれども、そんなものは些細な理由にしかすぎず。

結局のところ―

『言っても、言わなくても、同じだよ』

これにつきる。
どうせ忘れてしまうのだから。
それでも、画面越しにどうにか出来ないのかと、そう言ってくれる。
それだけで十分だ。
もうそれだけで、そう思ってくれるだけで十分。

『根本的には多分、無理だと思う』

『だから―これからも、多分このログを見るたびに怖がらせちゃうと思う。そこは、ごめんね』

城之内 ありす > “言っても言わなくても同じ”
そんなメッセージを見て、改めて、その手が震えていることに気付く。
もし、初対面の相手にそんなことを言われて、信じるだろうか?
いや、信じたとしても、すぐに忘れてしまうのだから…。
もしかしたら、聞いていたのかも知れない。
その事実ごと、忘れてしまっているだけで。

私は、何を忘れているんだろう。
もっと大事な約束をしたのかもしれない。
もっと大事な話をしたのかもしれない。

それなのに、一つも思い出せない。



『ごめん』



震える指で打ち込んだのは、そんな3文字。
それから、少し時間が空いた。
どんな言葉を返せばいいのか、分からなかった。

もう一度、過去のログをざっと見る。
一番最初のログに戻って……それから、写真を表示させた。
並んだ2人。知らない相手……顔も、声も、全てを忘れてしまっている相手。

「………よし。」

小さく呟いて、ありすは“通話”のボタンを押す。

北条 御影 > 『気にしないで。言ったでしょ、ありすちゃんは悪くないよ』

小さくため息を一つ。
例え明日にはこのやり取りも、今抱いているであろう感情も、
その全てを忘れてしまうであろうことは分かっている。
それでも、だから何を言ってもいいというわけでもないだろう。
例え一時の記憶だとしても―
いや、自分だけが保持しているからこそ、友人との思い出はキレイにしておきたい―


既読のマークは付いた。
けれど、それ以降の返信は来ない。
次に送るべき言葉は何だろう。
自分のことを忘れている人が、自分の行動に対してどう反応するのかを予測するのは得意だ。
今までの経験から推測すればいい。

けれど、自分の異能のことを知った人がどう反応するのかは―予測し辛い。
こうしてメッセージログという形で、「記録」には残っているのならなおさらだ。
自分の記憶にない「積み重ね」を把握したうえで、どのような行動に出るのかは、分からなかった。

だから、次に彼女にかけるべき言葉を決めあぐねていたのだが―

突然、画面が着信を知らせるものに切り替わる。
発信元には、自分の「友人」の名前。

「―もし、もし…?」

恐る恐る、受話ボタンをタップし、言葉を発した。
メッセージでのやり取りは重ねてきたけれど、直接言葉を交わすのは何時ぶりだっただろうか―。

城之内 ありす > やはり……その声に、聞き覚えは無かった。
けれども、初めて聞くはずのその声は、何故か……懐かしいような気がした。

「……ごめんね、急に。」

最初にそう言ってから…言葉は途切れる。
声が聞きたかった。
いや、声を思い出したかった。
忘れてしまっているものを、思い出したかった。
けれどそれを口に出すのは、恥ずかしいような気がした。

「えっと……通話するのは、多分初めてだよね。
ログにも残ってなかったし。」

その言葉は、ありすがこれまでのログを全て、きちんと読んでいるということの証。

「……御影さん、っていうのよね?」

恐る恐る、その名前を口にする。
知らないはずの名前、知っているはずの名前、初めての友達の名前、初めて口にする名前。
もう、どれが本当で、どれが間違いで、どれが忘れてしまった記憶なのか分からない。

でも、あの写真の2人は本当に、楽しそうに笑っていた。
……いや、自分は表情固かったけれど、それはそれ。


「……私、このこともまた忘れちゃうんでしょ?」

「だから、私の代わりに、御影さんが覚えてて。」



「私、これまでのこと全部忘れてても、今日のこと忘れちゃっても………御影さんの友達だから!」

北条 御影 > 「―うん、私は北条御影です。はじめまして、城之内ありすちゃん」

電話越しの、「はじめまして」
ただ、いつもと違うのは―

「貴女の、友達ですよ」

自分が「北条御影」であることを認識したうえでの通話なこと。
例え忘れてしまうことが避けられなくとも。
この記憶が自分以外には残らなくとも。
それでも―

「―えぇ、私は「ありすちゃんの友達」です。
 そう言ってくれると―思ってました」

それでも、友情を結んだ事実が消えてなくなるわけではない。
記憶には残らなくとも、記録には残る。
この会話を、この約束を忘れても。
彼女ならきっと、もう一度電話をかけてくれると思えた。
だって―

「だってありすちゃんは、「私の友達」なんですから。
 数少ない私の大事な友達が、こんなことで縁切りなんて、そんなの困ります!
 私の友達はですね、例え私のことを忘れてしまっても、何度でも諦め悪く、ずーっと私の友達で居てくれる筈です!
 

 ―違いますか?」

くすり、と悪戯っぽく笑って問う。
受話器の向こうの小さな友達は、確かに寂しさの中に縮こまっていたかもしれない。
友達がいないと、嘆いていたかもしれない。
けれど今はそうではないのだ。

だってそうだろう。
自分という友人がいて、それを失うまいとこうして電話をかけてくれた。
あの時の約束を守ってくれたのだ。

そんな強さを持った友人のことを信じての言葉だ。

ご案内:「ある日の何処か」から北条 御影さんが去りました。
城之内 ありす > 客観的に見たら、どこまでも異様な会話だ。
絶対に同居できないはずの“初めまして”と“貴女の友達”が並んでいる。

「…友達なら“はじめまして”じゃないでしょ?」

ありすにとっては無論、初めましてなのだけれど、貴女の異能を知ったありすは、そんな言葉を返した。
この言葉も忘れてしまって、次に会った時には“初めまして”なんて普通に返しているかも知れない。
ありすは電話越しの“友達”の言葉に、小さく、息を吐く。
写真の中で笑っていた“知らない人”がやっと“友達”になった気がした。

「……当たり前でしょ!」

まくし立てるような御影の言葉に、ありすは少しだけ大きな声で返す。

「あのね、知ってるのかも知れないけど、私はホントに友達居ないの!
私のスマホに登録されてるの、御影さんだけなんだからね!」

自分で言っていて悲しくなってくる。
けれど、逆に言えばそれは、たった一人だとしても、確かに友達ができたということ。
その事実を、毎日忘れてしまうとしても……こうしてまた“友達”になればいい。

「今日のこと、忘れないように色んなトコに書いとくから。
私がまた全部忘れちゃっても、御影のIDと写真、絶対消したりしないようにって書いとくから!」




「だから……。」




「……また宿題教えてね!」

ご案内:「ある日の何処か」から城之内 ありすさんが去りました。
ご案内:「紅月の拠点」に紅月 純さんが現れました。
紅月 純 > 修行と作業を終えて拠点に戻る。

剣の使い方は勘を取り戻した。あとは戦場での立ち回りと組み合わせるだけだ。
魔力集めもそれなり。皆既月食の魔力によるデメリットは、剣が吸い取って強化される。

無事、剣を持って帰れてよかったと思う。

紅月 純 > 「ふぅ」

ソファに腰かける。

クソ博士が計算して、超常現象の発生地点、規模の合うものに、赤黒い魔力と生命力を注ぎ込んで、無理矢理『門』として機能させた現象。

次やるとしたら俺は宇宙の果てや死の向こう側にいなきゃならないらしい。
つまり『自力じゃもう無理』ってことだ。
そう思うとやり残したことは沢山あったな……。

紅月 純 > 「ここで、どうするか」

手土産は貰った。
それのおかげでできることは沢山増えたし、この島での生活も地盤が固まりつつある。

この島で、どう生きたいか。学生真っ盛りか、チンピラ一直線か。
夏休みだし、じっくり考えなきゃな。

今は他にもやりたいことはあるが。

紅月 純 > 少しでも自分の満足いく方向にもっていくために。

赤黒い魔力を集め、禁術を制御させる。
魔力集めはそれのためのコストだ。

立ち上がり、倉庫の扉を開ければ、赤黒い結晶で作られた洞窟のようになっており。

「こんだけあっても、足りねぇかもしれねんだよなぁ」

鞄からさらに、今日集めた結晶を取り出して放り込む。
人にゃ見せられねぇ場所だな。魔力持ちにゃ毒だし。

紅月 純 > 「今日はもう寝るとして、明日はどこへいくか」

最近また近所が騒がしくなったからチンピラ狩りにでも行くか。
スラム側も様子がおかしい。
風紀委員との小競り合いを眺めにいきながら魔力を集めるのもいいだろう。

もしくはまた海とかで魔物狩りしながら魔力集めか。
クソ博士の研究室を借りて禁術の制御をするのも良さそうだ。

……。考え事をしているうちに眠くなってきた。
全部、明日考えるか……。

ご案内:「紅月の拠点」から紅月 純さんが去りました。
ご案内:「落第街」に水無月 沙羅さんが現れました。
水無月 沙羅 > 特殊領域『円』。そこから帰還した沙羅は精神に異常をきたしているとされ、しばらく病院に縛り付けられることになる、筈だったが。
どういうわけか未だにこの落第街という土地を歩いている。
いつものパトロールのように見えてしかし、その目は何処か虚ろで。

「……異常……ないですかね?」

確かに辺りを見回してはいるのだが。
覇気がない、というのが正しいのだろうか。
怯えているわけではないが、少なくとも風紀委員の腕章をしている少女にしては、余りに危なっかしいと言わざるを得ない。

ご案内:「落第街」に神樹椎苗さんが現れました。
神樹椎苗 >  
 落第街を、人目を避けて歩いていく。
 人通りの少ない場所は、落第街には多い。
 特に危険な人物などに会う可能性はあるものの、その確率は交通事故に遭うようなものだ。

(――まあ、そうなったらそうなったで、逃げるだけならどうにでもなりますしね)

 人のいない路地を抜けて、こそこそと進んでいく。
 昨日の『トラブル』で実質右腕を失った椎苗は、あの光の円に挑むための支度を整えたかったのだ。
 学生街で売っている訓練用の武具でなく、表向きの所持には許可が必要な、殺傷力のある装備を得ようと。

(短剣二振りじゃ、心もとないですからね)

 備えあれば憂いなし。
 落第街ともなれば、そう言った危険な獲物を扱う商人も顔を出すだろうと。
 そうして、目立たないようにしながらも、一度表通りに出てから、また路地の裏へ消えようとして。

 ふと、知っている顔が歩いているのを見つけた。

(――あの色ボケ後輩、なにやってんですか)

 普通に考えれば、風紀委員としての見回りだろう。
 今の落第街はにわかに騒がしくなっているのだ。
 しかし、それにしては様子がおかしい。

「――こんなところで、何してやがるんですか色ボケ後輩」

 そう、見て見ぬふりをできない程度には。
 見てすぐわかるほどに、常態ではなかったのだ。

水無月 沙羅 > 「んぁ……? あぁ、しーな先輩ですか。 こんにちわ、こんな場所に居たら危ないですよ……?
 あ、いや、しーな先輩なら、別にいいのかな。
 何があっても、えっと、複製? っていえばいいんですかね。
 復活できますから。」

声に振り向けば、表情のない顔のまま、口元だけがへにゃっと笑う。
目は死んだように椎苗を見つめているだけで、以前のような輝きは無く。
死なないから平気ですよね、と、本来なら言わないであろう言葉を口にする。

「なにをしてるって、パトロールに決まってるじゃないですか。
 ほら、誰かがあのへんな光に入らないように、とか、もめ事が起きたら対処できるように、見回ってるんです。
 これでも風紀委員ですからね。」

袖につけている腕章を少し上げようとして、その手は宙を切った。
あれ? と言いながら持ち直す。
へへへ、と笑いながらくいっとあげて見せるが、
沙羅に瞳は、何の変哲もない腕章が『真っ赤に染まっている』様に見えて、一瞬身体がこわばっていた。

神樹椎苗 >  
「――お前」

 娘が正気でないことは、すぐにわかった。
 何があったのかはわからないが――先日の様子から考えれば、短期間でこうなるのは尋常ではない。

(昨日の今日で、これですか――ああほんとに)

 面倒なやつが周りに増えてしまった。

「なんでいつもお前は、壊れかけて現れるんですか」

 そう言いながら、癖で右手を伸ばそうとして――舌打ちをしてから左腕で娘の腕を掴もうとする。
 こんな状態でふらふらと歩かせるわけにはいかないと、一先ず、相手を確保するために。

「それでお前、何があったんですか――いや。
 ――何をやったんですか」

 そう、うつろな瞳をのぞき込むように、娘を見上げた。

水無月 沙羅 > 「壊れかけ……に見えますか? あはは。なら、まだごまかせてるんですね。
 壊れかけなら、ん、まだ、大丈夫。
 うまく演じてるでしょ? 人間らしく見えますよね?
 少しくらいならまだ、アハ。」

首を、カクンッ、と横にかしげて笑う。

「ダメですよ椎苗先輩、お仕事の邪魔しちゃ。
 いまは日ノ岡あかねのグループも何をするかわからないんですから、気を張っておかないと。
 あの人が、危ない目に合うかもしれないから。 ね?」

掴まれしそうになる腕を、ゆらりと躱して。
あははと力なく笑う。
ずっと、口だけが笑っている。

「……何をやった、ですか? そうですね、数え切れないほど、死んで、殺してきました。」

少女は冷たく、それだけを話した。

神樹椎苗 >  
 声と、表情と、言葉と、動作と。
 娘はすべてがうつろで、かみ合っていない。
 それは例えるのなら――壊れかけた人形。

「訂正しますよ。
 随分と、丹念にぶっ壊されてるじゃねえですか」

 伸ばした腕は躱された。
 中途半端にまだ思考が働いているようなのが、少し厄介だろうか。

 神木から風紀の活動記録を抽出する。
 その中から目の前の娘の名前を抜き出し――いくつかの報告を読み取った。

「――お前、あそこに入りましたね」

 それも無防備に、対策もなく。
 あの場所は――特殊領域と呼称されたあの光の円は、まともな精神で触れられる世界ではない。
 少なくとも。
 形だけでも普通の人間として歩き出したばかりの娘が、耐えられるような場所ではないのだ。

「それも、四円まで転がり落ちて――自殺でもしたかったんですか」

 娘の挙動を観察する。
 いざとなれば、力づくで制圧する必要もあるだろうか。
 静かに、椎苗は警戒の度合いを引き上げる。

水無月 沙羅 > 「……? あぁ、円の事ですか。 よく、知ってるんですね。」

一瞬首をかしげて、くすりと笑う。

「しーな先輩には何でもわかっちゃうんですねぇ。 はい、入ってきました。」

にこやかに笑いながら、袖を血がにじむほど掴んでいる。
震えは腕からやがて足にまで伝播して。

「―――四円、えぇ、行きました。 でも、死にに行ったわけじゃありませんよ。」

そこだけはなぜか、強く否定した。 一瞬だけ、目に光が戻って、すぐに消える。

「……人助けをしに行っただけです、言ったでしょう? わたし、風紀委員なんです。
 お仕事ですよ、お仕事。 やだなぁ、怖い顔しないでくださいよ。」

あはは、とまた笑った。
力なく、嗤って。

「アナタは、行かないほうがいいですよ。」

他人の心配をする。

神樹椎苗 >  
「人助け――人助けですか。
 しいには、お前はまだ人を助けられるような奴には見えませんでしたが」

 せいぜい、歩き始めたばかりの幼子だったろう。
 それが誰かのために動こうとして――壊れたのか。
 震えているのは恐怖のためか、また別の感情か。

「しいの心配なんか出来る状態じゃねーでしょう。
 お前、自分がおかしくなってる事はわかってますね」

 まだ僅かに理性は残っていそうだが、それも反射的なものか。
 少しずつ、さらに距離を詰めていく。

水無月 沙羅 > 「好きな人のために、走るのはいけない事でしたか?
 できないと決めつけられて、それでも隣に居たいと思うのはいけない事ですか?」

あなたも、そんなことを言うのか。
無意識のうちに歯ぎしりをして、椎苗を、何時も優しそうに笑う瞳が睨む。

「心配しちゃいけないんですか? 待ってるだけで居ろっていうんですか?
 待ってる怖さも知らないくせに。
 死なれる怖さも知らないくせに、殺す怖さも知らないくせに!!!」

恐怖と怒りと、あとは、炎に焼かれるような、狂気を吐き出して。
にじり寄られると後ずさる、触れられたくない。

「えぇ、お医者さんにも言われました、おかしくなってるって。
 だから何ですか、また我慢しろっていうんですか? あなたも!!」

思い出すのは、あの研究所での感覚。
死と痛みの感覚。
吐き出す呼吸は乱れて、汗は滴り落ちる。
身体は怒りと恐怖に震えて、崩れ落ちそうになる身体を気力だけが支えている。

神樹椎苗 >  
「――馬鹿ですねお前は。
 忘れていれば、楽だったでしょうに」

 第二円の仕組みを考えれば、そういう事なのだろう。
 足は止めず、ゆっくりと下がられた分近づく。

 忘れていたはずの記憶を掘り起こされて、再び体験することになった。
 椎苗が恐れて避けたことを、この娘はなんの準備もなく経験してしまったのだ。
 まともな精神であればあるほど、耐えられるはずはない。

「ソレを思い出した以上、お前はもう元には戻れないでしょうね。
 そのまま壊れるか、全て押し込んで忘れたフリをするか――しいのようになるか」

 どれも推奨できる選択ではないけれど。
 壊れた心を修復することは、容易にできる事ではない。
 特に――同種の経験を持つ椎苗には。

「乗り越えろなんて、軽々しくは言えねーですからね。
 まあせめてお前にやってやれる事があるとすれば
 そのまま壊れて、人間でなくなる前に。
 眠らせてやるくらいのもんですか」

 誰かのために走るのも、誰かの隣に居たいと願うのも。
 否定するつもりは一切ない。
 けれど――それをやり通すには、生半可ではならないのだ。

 もしもこの娘が壊れて、人間らしさを失ってしまうのならば。
 まだ人間らしく居られるうちに、『安寧』を与えてやるのがせめてもの情けだろうと。

水無月 沙羅 > 「楽な道なんてありませんよ。」

椎苗の言葉を否定する。
忘れていればいいというわけではないと。

「これまでも、ここから先も、楽な道なんてないんですよ。
 しーな先輩は、楽な道をすすみたいんですか?」

強がるように、ハッと笑って見せる。
震える身体で、壁に背をついてもたれかかりながら、それでも甘言に寄り掛かりたくないというように。

「私はね、しーな先輩。 壊れるつもりも、忘れるつもりも、……しーな先輩みたいに全部諦めるつもりも、毛頭ないんです。」

それは後輩から先輩に対しての、初めての侮蔑のまなざし。
私は貴方とは違う、そう言っている。

「乗り越える、それができたら、苦労はしないんでしょうね。
 でも、それって置き去りにする……ってことですよね。
 なら、私はその選択は選べない。」

過去の記憶が、あの領域での恐怖が、狂気が頭痛を引き起こして、正気を奪っていく。
身体は死の恐怖に怯えて、過去に捕らわれて、今にも心が壊れそうになる。

「だからね、しーな先輩。 それじゃダメなんですよ、私誓ったんです。」

「全部背負っていくって、あの人と一緒に、罪も、過去も、過ちも、苦しみも、痛みも、悲しみも。
 全部全部、背負って生きていく、置いて行ったりなんてしない。
 人間であることを、諦めたりなんてしない。」

だから。

「邪魔をしないで。」

その言葉を最後に、崩れ落ちて尻もちをついた。
自分よりも小さい先輩を見上げながら、壊れそうな心を必死に繕いながら。
眼前の敵になりえるかもしれない恩人を、見据えている。