2015/08/19 のログ
ご案内:「教室」に嶋野陽子さんが現れました。
■嶋野陽子 > 午前中の授業が終わり、生徒達が
我先に昼食へと向かう中、一人だけゆっくりと机の上
を片付けている、一際大きな生徒がいる。他の生徒の
視界を妨げないように最後列に陣取っていたその生徒
は、机の上の物をリュックサックに詰め終わっても動
かない、いや、動けない。
■嶋野陽子 > 当座の指示として、別途連絡するまで
通常通りに授業や委員会活動を続けるようにと保健課
から言われて授業に出て、朝の薬剤合成もこなしたが、
流石に心がもう限界だ。
何とか立ち上がると、教室を後にする陽子。その足取
りにはいつもの元気が全く無く、遅いものだった。
ご案内:「教室」から嶋野陽子さんが去りました。
ご案内:「保健室」にヨキさんが現れました。
■ヨキ > (午後の保健室。
我が物顔で事務机の椅子に腰掛けたヨキが、自分に背を向けて座る女子生徒の髪を梳いている。
仕立てのよい、精緻な細工の施されたつげ櫛。
一方で女子生徒の黒髪は、伸ばされたきり手入れのされていない様子が見て取れた。
女子生徒は、名を星衛智鏡という。
ヨキが非常勤の講師として受け持っている、たちばな学級の生徒のひとり。
否応なしに他者の精神を害する異能《鏡の悪魔》によって、心身ともに孤立を余儀なくされている)
「…………、ほれ。綺麗になった」
(大きな手が、真っ直ぐに整えられた髪を取る。
髪が持ち上げられて露になった智鏡の右頬には、絆創膏が貼られていた。
彼女の異能が起こしたいざこざによって、擦り剥けたものだ。
今はこうして手当てののち――静寂の中を、しばし二人で過ごしている。
当初は難儀させられた《鏡の悪魔》も、今ではそれなりに息を潜めてくれるようになった)
■ヨキ > (櫛を懐に仕舞い込み、智鏡の髪を結う。
くるりと捻り上げた髪の束に、事務机から鉛筆を一本拝借して差し込む。
かんざしにしては色気に乏しいが、智鏡の形のよいうなじににっこりと微笑む)
「どうだ。たまには、こうしているのも涼やかで好かろう」
(智鏡は何も答えない。首が僅かに動いて、俯いたのが判る。
よく見ていなければ判らないほどに、こくり、と小さく頷いた)
「教室には戻らなくてよい。しばらく休んでいたまえ」
(背を向けたままの智鏡の肩を、ぽんと叩く。
何気なく事務机へ向き直り、たちばな学級の日誌を開こうとした瞬間――)
『ヨキ』
(――老翁の声に、名を呼ばれる)
■ヨキ > 「……………………、」
(智鏡と背中合わせに、事務机の正面に貼られたカレンダーを見ながら、表情を苦くする。
来たな、とでも言いたげに。
この優しげな面立ちの少女からは想像を絶する、醜くしわがれた声――《鏡の悪魔》の発現。
開きかけた帳面を閉じ、ひとつ息を吐く。椅子を回して、智鏡に向き直る)
「……全く、よく出来た異能だ。――『呼ぶ名前を選んだな』?」
(呆れたように額を掻く。
本当は判っていた。智鏡が言葉を選んだのではなく、ヨキ自身の根底にある思念がそうさせるのだと。
向かい合った智鏡は、顔中をくしゃくしゃに歪めて嗤っていた)
『――いひッ、ひ。ひ――ひひひひひ!
そうか、そうかァ。今日は『ヨキ』の気分だよな』
『永久イーリス――日恵野ビアトリクスの母親』
『あれには随分と揺さぶられたよなァ』
『お前の中ではさぞかし歯噛みしていると見えるぜ――』
■ヨキ > 『――なあ、“みょうけん”』
■ヨキ > [ 0 ](残り枚数0枚)
■ヨキ > 『みょうけん』、という語が、いやに間延びして響く。
ヨキは表情を変えぬまま、《鏡の悪魔》の凶相をじっと見ていた)
「…………。
今のヨキに、『妙虔(みょうけん)』は無関係だ」
(その言葉を聞いた悪魔が、一際高い声で笑う)
『あはッ。無関係。本当にそうか?
ご立派な人間、ご立派な教師、ご立派な芸術家――』
『――みんなみんな、“妙虔さま”の賜物じゃないか』
『その顔で何人食った』
『その声で何人口説いた?』
『犬のツラじゃあとても叶わなかったものなァ』
『みんな逃げた』
『覚えてるか』
『お前に組み敷かれて舌を噛み切った女――』
『笑っちまうよ』
『衆生済度』
『何が衆生済度だ』
『“ヨキ先生”も“妙虔さま”も――』
『顕示欲のカタマリだ』
■ヨキ > 『綺麗ごとばかり宣いやがって』
『“先生”“先生ェ”』
『さぞ気分が好かろうなァ』
『色男を謳歌して』
『お犬様は人間の身体を楽しみ』
『まんまと“妙虔さま”をも愉しませてやってる訳だ』
『互いに出来なかったことだもんなァ』
『“ヨキ先生”』
『“妙虔さま”』
『どちらを呼ばすもお前は自由』
『それだけのことをやってきた』
『それだけの地位を築いてきた』
『たまには男も口説いてやれよォ』
『寂しがってるようじゃアないか』
『お前ン中の“妙虔さま”がよ』
■ヨキ > (口汚く罵られるがまま、ヨキは押し黙っていた。
智鏡から離れれば罵声は収まる。
智鏡の意識を奪うことでもまた、異能は鎮まる。
ヨキがそれをしないのは、)
『――お前は結局、こいつに縋ってるだけだァ』
『お前を敬い、お前に甘え、お前を頼ってくる奴らに』
『認めてみせろよ。本当は逆だってよ』
『誰かに屈して甘えて頼って従ってるのがラクなんだろ』
『人様の前に平伏して泥を舐めてる方がイイんだろうがよ』
『そいつらがお前の名を囁いてくれることを望んでる』
『お前を侮り罵り辱めてそれでも手放さないような女神さまが――』
(老翁の声から、徐々に棘が消える。
音が若返り、甘さを増し、品を作った女の声に変じてゆく)
(ヨキが知る女の声で――)
『“ねえ”“先生”?』
(そのときはじめて、ヨキの肩がびくりと小さく震えた)
■ヨキ > (女の声はさまざまに姿を変えて、次々と囁く)
『歌ってあげましょうか』
『何て言って欲しいの』
『眠るまで傍に居てあげる』
『今日はどうして欲しい?』
(七色の声音は、時に男の声さえ織り交ぜた。
それらすべてが、かつてヨキとやり取りを交わしてきた男や女たちだ。
僅かに険しさを増した顔で、悪魔を睨む)
「…………、ヨキのことは何とでも言え。
だが妙虔を辱めてよいのはこのヨキだけだ。
みなの者たちの声音を弄ぶことも許さん」
『何言ってるんですか』
『あたしはただ、一線を超える勇気のない先生のためを思って』
『代わりを務めてあげてるだけですよォ』
『今日は誰が良いですか』
『慰めて欲しいんでしょう』
『劇団フェニーチェを失った自分を』
『蓋盛椎月に手の届かない自分を』
『獅南蒼二に打ち破られたい自分を』
『永久イーリスに負けそうな自分を――』
(目を逸らす。目を伏せて小さく溜め息)
『――“妙虔さま”の七光りの下にしか居られない自分を』
『抱いてみせればいいじゃないですか』
『蓋盛センセイみたいに――』
『このわたしを』
(額に手を当てる。俯いて、小さく首を振る)
「……駄目だ。それだけは。
ヨキは生徒を食い物にはせん」
■ヨキ > 『そうでしょう』
(突如として響く、ヨキ自身が聞き慣れない声。
悪魔が発するそれは)
(他ならぬヨキの声……)
(否。はじめにヨキの顔と声を持っていた男――『妙虔』のものだ)
『それをしたら』
『わたしが』
『――されてきたことと』
『何ら変わりませんものね』
『一度』
『落ちぶれてみるのは如何ですか』
『あなたと私は今やひとつ』
『わたしの嫌った“穢れたけだもの”と』
『あなたの嫌った“穢れた稚児”と』
『どちらへ転んでも最早畜生の道なれば――』