2015/07/19 のログ
ご案内:「食堂」に朽木 次善さんが現れました。
■朽木 次善 > ――やってしまった。
細心の注意を払っていつもはチョイスをしていたはずだった。
それこそ生活委員会として、先遣隊と同じくらいの慎重さを持ってことに臨んでいたはずだった。
いつもならばこんなミスはしない。
ここのところ、新しい人脈と出会い、再三自身の価値観を揺らしてきたからこそ、
どこか自分の中で迷いや揺らぎのようなものがあったのだろう。
それが、偶然、弁当の中身が微妙に変更されたのと重なった。
ただ、それだけのことだといえばそうだし、問題はそこにしかない。
だが、その事実に顔を押さえたまま、不景気な顔をした男は低く呻いた。
開いた弁当の米の頂に。
赤い、赤い……梅干しが載っていることに。
朽木次善は、梅干しが食べられない。
■朽木 次善 > 梅干しだけではない。
漬物全般が、自分は食べられない。
その代表格と言っていいその酸い物体は、直視しただけで生唾が沸いた。
頭を抱える。
目の下に隈を携えた見るからに不景気な顔が苦渋に歪む。
昨日までそこにはノリが覆い被さっていたはずだ。
そして好きとはいえないものの、嫌いなものがないレパートリーを携えた、
自分にとっての最適解がこの弁当だったはずだ。
だが、昨日まで味方だったこの弁当は、梅干しという反逆を企て、
そしてそれに気付かなかった愚か者にサプライズを齎していた。
「………」
様々な困難にも、不平不満にも容易には揺るぎない男は、梅干しを前にして頭を垂れる。
■朽木 次善 > 偏食が激しいのは、自分の大きな弱点の一つだった。
子供の頃から、一向にこれだけは治る気配がない。
治す気配がないのだから、治ることはないのかもしれないとすら思う。
味の強い漬物もダメなら、ネバネバヌルヌルしたものもダメで、
癖の強い野菜もダメなら、必要以上に脂の多い肉もダメだった。
普段何を食べているのかと問われるが、ただそれだけを除外しただけでそこまで言わなくても、と常々思っている。
ベジタリアンでも生きていけるのだから、多少の偏食で生命が揺るぐことはないだろうとも思う。
ただ、その偏食が激しい身でありながら、
その食品を育てるという行為を想像することで、無慈悲に『捨てる』という選択肢も選べないのが、
自分の最大の弱点たる所以だ。
自分の食卓に上がった以上、食べるべきは自分であり、それを味覚の好き嫌いだけで棄却するのは、
誰かの食卓に乗れば美味しく食べられていたという可能性を考えてしまい、どうしても是とは出来ないのだ。
■朽木 次善 > だからこそ、避け、逃げ、事前に対策を取ることで、
極力生きる上で無駄な食物を自分の食卓に上げないように気をつけていたというのに。
これを敵前逃亡と言われてしまえばそうなのかもしれない。
だが、戦略的に最初から敗戦を逃れることも必要な策略ではないだろうか。
そうは言うが、今はもう対面してしまっている。現実は非常だ。
赤い悪魔はそれ自体が赤いこと以上に、
本来ならば味方であるはずの白い飯にすらその跡を残していく。
我が物顔で陣取るそれは、いくら睨んでも平気でそこに鎮座している。
見るだけでダメージを受ける物を、どうして簡単に食べれようか。
頭を抱える。
何故もう少し慎重になれなかったのだろう。
■朽木 次善 > 現実から逃避して、嫌いなものを避けてまず自分の好ましいと思う部分から攻略をしていこうか。
そう思うが、やはりその梅干しの匂いや存在感が、それを許さない。
この漬物が好きな人は、多分これを上手く食べられる人なのだと思う。
極論、この酸い食べ物はその絶対値が余りにも強い故に、直接舌や口内で触れれば、
例え何人であってもダメージを受けうる食べ物なのだと思う。
羹(あつもの)と同じで食べ方自体を工夫しなければ、
その味覚への衝撃だけで容易に人体に何らかの裂傷を負わすくらいには超然としているように思う。
少なくとも自分にはそうだ。
カレーですら辛口を食す人間を信じられないし、
寿司という単体でも十分に味に幅のある料理にワサビを仕込む理由が分からない。
刺激物全般がダメな人間にとって、それらはただの『余計なこと』でしかない。
自分にとっての梅干しも、それと同じジャンルに分類される。
この手の刺激物は、『鼻を摘んで一気に食する』というような良くある対処法すら許してくれない。
どうすればいいだろうか。自分に天啓が降りてくるのを待ちながら、首をひねった。
■朽木 次善 > ただ。
この梅干しも、ここに訪れるまでに『経由』してきた道があるのだろう。
梅を育てた人間は、その梅が加工されて食卓に上るのを夢見ていたかもしれない。
そしてそれを漬ける作業は、具体的に想像出来ないからこそ、
素人が一朝一夕で行えるものではないかもしれない可能性が十分にある。
もちろん弁当に入っている梅干しがそんなに長い熟成が必要であるとも思えないが、
だからといってそれがインスタントに出来るとは簡単に結論付けることが出来ない。
また、それを流通させた人がいるはずだ。
それを運び、宣伝し、この常世学園の弁当の梅干しに採用されるまで、
昼夜を問わずその梅の良さや利点を売り込んだ人がいたのかもしれない。
採用がされてから物理的にその弁当を運んだ誰かは、
その弁当が底までを平らげられることを願っていたかもしれない。
最後に、これを俺に売ってくれた人だって、
きっとその全てを食べて美味しかったと言ってもらえるほうが、
その一部を好みとは外れるからと棄却されるよりは余程喜ばしいことだろう。
その全てに思索を巡らせると。
……人の好き嫌いなど、小さいもののように思える。
■朽木 次善 > 目頭を押さえた。
この食卓に、そして俺の下に届いたそれが、
そんな奇跡を経由しているなんて、思いもしなかった。
結果には、必ずそこまで来た経路があることは知っていた。
それに想像を巡らせてもらうことは、生活委員会たる自分たちにとっては、
本当に喜ばしいことだと知っていたはずなのに。
俺は。そんなことにすら気づきもしなかった。
そんな当たり前のことにも気づかずに、個人の好き嫌いだけでこの漬物を不要と断じて、
意識の端に端にと追いやろうとしていた。
唇を噛んだ。
騒がしい食堂の中央で、弁当を開けた状態で目頭を押さえる変な男がそこに居た。
■朽木 次善 > 弁当に手をつけ始める。
この梅は、大事に包んで持って帰って、
帰り道でよく見かける犬にでも差し上げようと思った。
……申し訳ないが、こちらも午後は絶対に外すことが出来ない仕事が山積みなので。
本当に申し訳ないが、体調が崩れるわけにはいかないのだ。
本当に、申し訳ない。本当に。
……ダメなんだ梅干しだけは特に。
無駄には、けしてしないので。
ご案内:「食堂」から朽木 次善さんが去りました。