2017/12/18 のログ
ご案内:「教室」に咲月 美弥さんが現れました。
■咲月 美弥 > ―――しんしんしんと、雪が降る。
遅くまで練習している部活の部室や夜間部の授業、
何時も明かりのきえる事のない職員室……
それらの教室から漏れ出る光が静かに降る雪を
幻想的に浮かび上がらせていた。
まるでそれ自身が光を放っているかのように淡く輝き舞い踊り
時折吹く弱い風に吹かれて波のように揺らめく様は
何処かスノードームを彷彿とさせるよう。
見る人によって温かくも、冷たくも感じるそれは
少しだけ世界を小さくしながら行く年と
残り少ない今年という時間を精いっぱいに生きる者達を
等しく包み込むようにただ静かに降り積もっていく。
それをただじっと見上げる姿が
明かりもついていない教室の一室にあった。
床に届かんばかりの緋の髪を肩に流し
窓際に置かれた椅子に腰かけて
背もたれと窓に体を預けたその周囲には
……今宵はほんの微かな甘い香りが漂っていた。
「……―――」
風の合間を揺蕩うような僅かな声が
冬椿のような紅が引かれた唇から零れていた。
それはとても小さく、無音の教室の中でなければ
聞き逃してしまうような小さな声。
誰に聞かせるでもないその歌声は吸い込まれていくように
ただ暗い教室の中へと消えていく。
■咲月 美弥 >
この島の特殊性のなせる業か、
この島はあまり大きくないにもかかわらず
気温が場所によって大きく異なる事もある。
この周辺はどうやらかなり気温が低い位置に相当するようで
気温は氷点下まで冷え込み、それはこの教室も例外ではない。
仮に空を見上げながら息を吐けば、呼気が白く空へと溶けていく様を
心行くまで楽しめるだろう。
あかりすら付けていない部屋はもちろん暖房もついていない。
窓から差し込む光だけが光源のこの教室は
吐息も床に積もっていきそうな、
静かで冷たく、透明な空気が満ちている。
「―――……―」
その空気を揺らす歌声はそれに同調するかのように
か細くも必要以上に震えることなく、
とある異界の古い讃美歌を奏でていた。
それは故郷においても多くの者が耳にしたことがないような
古い古い祈りの歌。
――歌声の主は寒さを感じてはいなかった。
膝元にかかったブランケットは防寒というより……
その足元を隠す為だけにかけられたもの。
文様に彩られた様を誰かに見られて驚かせてしまわないように。
そんな目的の為だけにかけられたそれの上に、
小さな身じろぎで流れた髪が
タータンチェックに不規則な色をさしている。
■咲月 美弥 > 「―――……」
時間にしては数分、
幾分か長めのその歌を歌い終えた口は再び閉ざされ、
窓の外の空を見上げる姿は凍り付いたかのように
じっと踊る雪を見上げる。
「……」
ふと、その唇が緩やかな弧を描き
いつの間にか瞳を閉じたその顔には
物思いに耽るような笑みが浮かぶ。
実際に何かに想いを馳せていたのだろう。
再び開かれた目には懐かしさを伴うきらめきが宿っていた。
「……楽しかった」
零れるそれを拭う事もなく、
思い出を反芻するようにゆっくりと
噛み締めるような調子で言葉が漏れる。
その言葉には多くの思い出と、願いがこもっていた。
時には翼が生えているという。
その大いなる翼で万人を包み込み
そして飛ぶように過ぎ去っていく。
――今年ももう残すところ2週間程。
想えば今年ほど短く感じた一年は
過去にはそう多くはなかったかもしれない。
時間は本当に、飛び去る鳥のように
鮮やかに、そして手を伸ばす間すらなく
過ぎ去っていったような気さえしていた。
■咲月 美弥 >
まるで何かにそっと触れるかのように左手が持ち上がる。
真横に伸ばされ、微かに震える指先を
じっと見つめると、すとんと力を抜く。
軽い音を立てて膝元へと落ちたその手は
まるで血が通っていないかのように真っ白だった。
「……ふふ」
小さな笑い声がその口端から漏れる。
……この外気にも寒さなど感じていなかった。
正確には、感覚はもう、ほとんど失われている。
暑くても、寒くても、もう全く気が付く事は無いだろう。
失われてみればそれらがなんだか随分と愛おしいもののように感じて……
煩わしがっていた事が嘘のようで、それがなんだか可笑しかった。
「元々そんな事、気にもしない体だったのに、ね」
肉体を持つという事は煩わしい事が多いと感じていたつもりが
中々どうして、それらを愛おしいと思うほどには当たり前になっていたよう。
そんな考えを巡らしながら窓の外に視線を戻す。
■咲月 美弥 >
今から帰宅する生徒の一団だろうか?
何人かの生徒と思しき人影が降りしきる雪の中で戯れていた。
ふざけ、雪をぶつけあいながら走っていく幾人かと、
その後を追う様にゆっくりと並んで歩く少し身長違いの二人。
どちらからだろうか、そっと差し伸べられた手を握り返し
仲睦まじく歩く姿と、その首元の赤いマフラーが雪に映える。
ゆっくりと遠くなり、雪の中掠れて消えていくその姿は
まるで残り二週間の今年を表すかのようだった。
「……仲良くして、ね」
見えなくなった一団に小さく呟く。
目の前まで来たる年の瀬と聖夜に向けた、
どこか浮足立つような空気はこの島をも例外なく駆り立て
……そしてきっと来年も同じような光景が見られる事だろう。
それを享受する者も、またそうでないものも
この島には多く居るけれど、その何れもが例外なく
今という時間を生きている。
■咲月 美弥 >
来年の今頃はどんな景色だろう。
そんな事を考えている事に気が付くと少女は小さく微笑む。
また動くものの居なくなった校庭へと目を向け……
眠る様に瞳を閉じた。
来年の今頃、彼女が此処から外を眺める事は、もうない。
それを理解しているつもりだったというのに
気を抜くとどこかで未来を当たり前のように思っている自分が居る。
……けれど今は、それを許す事が出来た。
「……明日、どうなるかなんて誰にも分らないのだもの」
その分、自分は幸せだと彼女は思う。
ここ数週間、島内のお気に入りの場所を廻りその景色と別れを済ませてきた。
最期に臨み、此処まで準備ができるというのは本当に恵まれた事だと。
だからこそそれ以上を望んでしまう自分も、仕方がない事だと心穏やかにいられる。
「失う事は何時だって怖いものだものね」
ブランケットの下に隠した、蔦が絡まるような文様に包まれた足をゆっくりと撫でる。
末端から消えていった感覚から、真っ先に失われたのは歩行する能力だった。
元々歩く必要がない彼女からすればそこまで困る機能ではないけれど……
お気に入りの靴で歩く音がもう聞けないのかと思うと
歩くという行為がひどく尊い物に思えた。
常日頃意識すらしなかったものですら……その様だ。
大事な物となれば、怖くない筈もない。
けれど恐怖を感じるからこそ、心穏やかで居られるのだと
ここ数日でやっと学ぶ事が出来た。
「……心残りがないと言えば、嘘にはなるけれど」
だから、きっと最期は笑っていられる。
■咲月 美弥 >
「……ふふ」
今や島の住人の大半は彼女を認識すらしないだろう。
それほどまでに彼女の存在は失われてしまった。
もう少しすれば、完全に彼女という存在は居なくなる。
その殆どは記憶にすら残らないだろう。
彼女らは元々そういう夢なのだから。
目が覚めれば、夢は忘れられていくものだ。
哀しくはないと言えばうそになる。
心残りはそれこそ幾らでもある。
もっと美味しいものを食べたかった。
もっと美しい物を見ていたかった。
友人と一緒に過ごし、歌い、願っていたかった。
何に変えても守りたいと思えた人がいた。
決心が揺らぐほど、共に居たいと願った人達が居た。
大切な人の深く刺さってしまった棘を、傷を、
癒す助けになりたいと本気で願っていた。
――その願いは叶わない。
けれどだからこそ
叶わない願いを抱えているからこそ
「幸せよ?私。ねぇ……」
そう想う事が出来る程沢山のものを
手に入れる事が出来た事をとても幸せに思う。
今願う事は残された余暇を、ただ願うままに。
「だから、ね?」
その為に……今は眠ろう。
まだ迷っている選択をするための、余力を残すために。
「……―――――、――」
小さな呟きと共に吐き出した誰かの名前が冷たい教室の空気へと溶ける。
それと同調するように、いつの間にか窓際の人影はなくなっていた。
窓の外にはただただ静かに雪が降り積もり、世界を白く染め上げていく。
……それはまるで、美しい時間が積もっていくかのようだった。