2016/01/18 のログ
ご案内:「図書館」に黒兎さんが現れました。
黒兎 > 吸血鬼は鏡に映らない、という話を聞いたことはあるだろうか。
数ある話の中でも、比較的有名な部類の話である。

黒兎 > 当然、普通の吸血鬼である私も、鏡には映らない。
鏡に映っているのは、幻術で作りだした虚像、私ではない誰かの姿。
黒髪をなびかせ、紅い瞳を光らせ、唇を細く歪ませる美少女の姿だ。

黒兎 > 人間は、生まれついてして、鏡で自分の姿を確認する事が出来る。

動物の中には、自分の姿を自分と認識する事の出来ない種もいる事は広く知られており、
その能力は比較的知能の高い種である事を指し示す指標となるが、
しかしながら、そのような事はさて置き、

少なくとも人間と言うものは、自分の姿を常日頃、
鏡というモノを使って確認しながら生きている。

黒兎 > そんな人間に取ってみれば、もし、鏡に映らなくなったら。
自分と言うものを、自分で観測、確認できなくなったら。
そんな事は考えるべくもなかろうが、あえて、
吸血鬼である私の目線で言わせて貰おう。

それは、凄まじい恐怖だ。

寝癖がついていても直せない。
化粧しようにも、自分の顔が分からなければしようがない。
似合う服を選ぼうとしても、そもそも自分の姿が分からない。
自分がどんな表情をしているのかも分からない。

黒兎 > こと、庶民的に理解できるであろう事を上げれば分かる通り、
自分が相手にどう思われる可能性があるかを考えた上で、相手と接する事が出来ないのだ。

黒兎 > 身の程を知る、という言葉がある。
誰しも、若いうちは自分と言うものを客観的に判断する事は難しい。
似合っても居ない服を着て、似合っても居ない口調で話し、
似合っても居ないキャラクターを演じる事もあろう。

しかしながら、人間であるならば、鏡で、その身を、その姿を確認できるのであれば。
いつかはその身の程を知り、自らの肉体に紐づいた、ある種無難な、
無理のない、相手に違和感を抱かせないキャラクターを演じる事が出来るようになる。

俗語で言えば先の例は中二病であり、
恐らく私はそれに該当する事を残念ながら、遺憾ながら、否定出来ない。
自覚を持ってあえて言うならば、私は中二病を拗らせているような状態であろうと思う。

何しろ、吸血鬼である私は、身の程を知れないのだ。

黒兎 > 自分の肉体を観測出来ない以上、永遠に身の程等知れるべくもない。
館の鏡を全て廃し、若い頃の写真と肖像だけを飾り、暗闇の中でのみ生きた人間が、
いつまでも自分自身を若い時のままだと疑う事も無く静かに死ぬように。

吸血鬼は「不老」であり、「不死」の存在なのだ。
それはその肉体に所以するものではなく、精神の不老と言えるだろう。
膨大な知識を抱え、経験を携えたとしても、
私は「大人」になる事は無かろう、と、この子供心に思わざるを得ない。

黒兎 > では人間は、突然鏡に自分が映らなくなったら、どう反応するのであろうな。
というのが、今日の私の細やかなる悩みの種であり、
無限とも言える退屈を紛らわせる思考である。

―――学園のトイレの鏡に直々に悪戯でも仕掛けてくれようか。

黒兎 > 等と益体も何もない事をぼんやりと、静かに考えながら、

私、黒髪美少女女子高生吸血鬼である黒兎は、図書館に来ていた。

こう何度も黒髪美少女女子高生と繰り返す必要があるのもまた、
先に話した与太話に所以する事だ、
自分の姿を客観的に確認できない以上、主観的に定義するしかない。

態々美少女、なんてつけているのは、何の事は無い、
少しでも良く見られたい、という浅ましく、かつ、誰にでもある欲求の為だ。
その通り、200歳になっても心は乙女なのである。

乙女である私は実に何気無く一冊の恋愛小説を手に取り、ゆっくりと開いた。
特に理由があるわけではない、インドア派の人間が時間を潰す手段など、
この世にそうありふれてはいない、というだけの事だ。

黒兎 > 日が落ちたのを確認してから、図書館から出る。
日の光の中を歩けない私の下校時間は、毎日この時間である。

「ふむ、成程、今日は雪か。」

雪は流れず、積み重なって行く。
不確かな吸血鬼である私には、雨よりも良い天気だ。

足跡が付かない事に若干の寂しさを覚えながら、
私、黒兎は、雪の降る町に歩き出した。

ご案内:「図書館」から黒兎さんが去りました。