2017/12/03 のログ
咲月 美弥 >   
「……ごめんなさい。
 やめましょう?こんな話。
 私達には似合わないわ」

顔を伏せ頬と目元を拭う。
避けられない結末なら、せめて誇り高くありたい。
それに涙は必要ないのだから、こんなものは流さなくても良い。

「もっと楽しかった話をしましょう。
 ほら、貴方が学園の噂になった時があったでしょう?
 あれまだ残っているのよ。一部の間だけだけれど。
 貴方が私の姿を真似たせいでその容姿も含めでね?
 本当色々と悪戯してくれたわよね」

再び上げられた顔には涙の痕すら残していない。
まるで数秒前が嘘だったかのように、
ただただ懐かし気に思い返し、
積み重ねた彼女との時間を掘り起こしていく。

「思い返すと本当に大変だったわね。ずっと貴方に振り回されて。
 ……なに?こっちだって恥ずかしい様を見せられたりして大変だったですって?
 ちょっともう、……先日のあれは見なかったことにするって約束したわよね?」

時に笑い、時に慌てながら思い出話に花を咲かせる。
付き合いの長い彼女の事、その話には事欠かない。
静まり返った禁書庫の中で穏やかな声と紡がれる言葉が踊り続ける。
 

咲月 美弥 >   
「お祭りに顔を出せばよかったって言われても……
 知ってるでしょう?人が多すぎてもしんどいのよ。
 あら、誰が、コミュ障ですって?
 人込みが苦手なのは仕方がないでしょう。
 だから、そうやって箱入りっていうのはやめてねって言ってるじゃない。
 それにある意味箱に入っているのは貴方の方でしょうに。
 はぁもう……誰が上手いことを言えと」

まるで饒舌な語り手のように宙に言葉がつづられ、いつしか部屋の中に多数の文字列が満ちていた。
ゆっくりと色を変えながら漂い、泡のように天井へと昇っていくそれはとても美しく
楽し気に、優し気に椅子に座る友人の周りを漂いそして消えていった。
それに応える様に、時には身振りを交えながらも懐かしい記憶をたどり、口にしていく。

「――そうそう、あの時は本当驚いたわ。
 あの時は本当、どうして生きてるのか不思議でしようがなかった。
 あの子達は今どうしているのかしらね。
 そうね、貴方の子孫だもの。きっと滅茶苦茶で、楽しく生きてるわね」

一人声を響かせる少女はその中心でくすくすと笑いながら目を閉じた。
例え文字が見えなくとも、綴られなくとも、親友の声は確かに耳に響いている。
遠い昔、あの城で会った時のように。

咲月 美弥 >   
どれ位の時が立っただろう。楽し気に湧き出ていた文字列が不意に揺らぐ。
一瞬明滅したかと思うと解ける様に宙へと消えていく様はまるで、刹那に咲いた花火のよう。
その様に戸惑うかのように、少しだけ崩れ、乱れた文字が新たに空へと綴られる。

「……あら、疲れてしまったの?
 そうね、随分と沢山お喋りしたもの。
 ちゃんと初めから読んだから貴方も楽になったでしょう。
 そろそろ貴方は休む時間だわ」

これだけ魔力に満ちた空間であって尚、その具現化を維持するには限界がある。
机に置かれた本が僅かに薄れ、机の模様が透けて見え始めていた。
この本を読み損ねた者に振りかかる呪いはある意味彼女自身への呪いでもある。
消えてしまう事を拒むかのように湧き出る言葉の列に
まるで慰める様に背表紙をなぞる。

「あまり無理をしないで頂戴。
 無理をすると今度こそ消えてしまうかもしれないわ」

消耗して消えてしまわないで。
そんな願いを感じ取ったかのように頷くような短い言葉を宙に綴ると
机の上に置かれた本はゆっくりと姿を消していく。
彼女が眠っている暫くの間、触れる事は愚か
そこに存在する事すらも気が付く事が出来なくなる。
次に彼女が手に取られる時は彼女の中の本としての魔力が溢れ出し
その姿を実体化させるまで訪れる事は無い。
けれどそれは、彼女にとってはとても苦しい事。
加えて正しい手順でなければその魔力を抜く事すら叶わない。

「……もう一度あちらに戻りたいのでしょう?」

本当は叶うのならば誰かに彼女の事を託したい。
けれど彼女の事を誰かに口にすれば、彼女はより禁書としての性質を持つ事になる。
そうしていけば行くほど、彼女は彼女ではなくなってしまう。
それではあまりにも悲しすぎる。だから……

「大丈夫。大丈夫よ。
 ゆっくりとお休みなさい。そしてまた目が覚めたなら……
 またお話しましょう?」

待ち続ける長い時間の僅かな一部だとしても
自分が居る間だけは、安心して眠らせてあげたい。

「ええ、また、ね」

だから、さり気ない約束をする。
それが守られるか定かではない、気休めのような儚い約束でも。

咲月 美弥 >   
その言葉に安心したかのようにすっと本の姿がかき消え
その上にのせていたリーディンググラスがからんと乾いた音を立て
机の上へと転がった。
それをゆっくりと拾い上げ、黙ったまま古びたケースへと納める。
ぱちんとわずかに閉まる音と共にそのケースもまたゆっくりと消えていく。
そう、これもまた彼女の物。

「……私ってば駄目ね」

小さく呟き、カウンターに足を向けると
そこから幾冊かの本を手に取り、再び安楽椅子へと腰かける。
それらの本は禁書でも何でもない、ただただ古い書物。

「折角の楽しい時に、揺らがせてしまうなんて」

元々お喋りが好きな性質とは言え
あんなにもしゃべり続けたのはきっと彼女なりの気遣いだろう。
もっと自分の事を心配すればいいのにと思う。
此処はきちんと管理されているとはいえ、もしかしたら長い間
苦しみながら独りぼっちになるかもしれないというのに
紡がれる言葉はただただ彼女に対する心使いに溢れていた。
……本当は、もっと我儘に自由気ままに楽しんでいて欲しかった。
夢を追って自由気ままに闊歩していたあの時のように。
――心配なんて、させたくなかった。

「……駄目ね。本当に。
 ただ重たいだけの面倒な子じゃない。
 これでは安心して眠れないわね」

そんな親友に何もしてあげられない事はとても歯がゆい。
何時だって私は私の事だけ。そうやって優しさに甘えてしまっている。
結局今できる事は、自己満足のように、ただもう少しだけこの場所に居てあげる事だけ。
椅子に深く腰かけたまま天を仰ぎ、しばし瞳を閉じた後手元の本を開く。

「……数冊だけ、なのだから。
 そう、ただついでにこれを読みたいだけよ」

誰かに対する強がりのような言葉を零した後、
それに視線を落とし、ゆっくりと読み進めていく。
何時もよりもゆっくりと、心の中で誰かに読み聞かせるように。

咲月 美弥 >   
「……嗚呼」

本を読み終え、再び背もたれに背を預け小さく呟く。
一冊は、異世界の物。
こちらの世界では読める者が居なかったためにこの禁書庫に納められたもの。
其処にはとある英雄が愛し、何度も読み返した優しく幸せな物語が記されている。

「こうあれたら、素敵なのに」

読まずにおいていた一冊に目を向ける。
それは我儘で、傲慢な少女のお話。
記されている文字は今閉じたものと同じもの。
それはあまりにも無味乾燥な、無意味な物語。

咲月 美弥 >   
中身は読まずとも知っている。
それは何処までも我儘で、何処までも愚かな生き物を綴った物なのだから。

「……判っているのよ。本当は」

綺麗な結末を、残されるものの為に。
そんな綺麗事を口にして、その実救われたいのは自分だけなのだと。
セピア色に色あせてしまえば、遠き日の思い出になると思えば
自らの行動を正当化し肯定できるから。
周囲の心を犠牲に自分だけの心を救う行動で、
それがどれだけ残酷で、身勝手で、愚かな事なのか、本当は判っている。
あのころと比べ、私は何一つ変わっていない。

「こんな事、只の我儘だって」

贖罪のように呟く。
それは誰にも届かない。そして誰にも届かないからこそ
ただ想いのままに口にできる
ちっぽけで呪詛にすら似た生々しい何か。

「逃れえぬ事なら、失われる事を避けられないのなら
 ……愛しいモノの中でだけは笑って立って居たい。
 それがつまらないプライドである事も、
 ただの自己救済だという事も判っているけれど」

体は当の昔に滅びている。
この生は偶然与えられた期限付きの幸運にすぎない。
けれど、だからこそ、

「再びこの生を終える時、今度こそ笑っていたい。
 虚構でも、張り子でも、誇らしくありたい。
 それを成すための方法を私はこんな方法しか知らない」

願う事をやめられない。
それは懇願に似た、我儘で自分勝手な願い。
人類の天敵として、誇り高き者として潔くありたい。
……そして愛しいものの傷でありたいという矛盾した想い。

――本当は絶望するべきだ。

消えてしまいたくないと泣き喚き
私を忘れないでと愛しいモノの胸に縋り
その生を終えるまで無様に足掻き続ける事。
最期まで願い、諦められず、手を伸ばし続ける事。
それが生きるという事だから。

けれど……

「赦さなくても良い。憎んだって良いんです。
 いえ、きっとその方が良い」

それを自分自身に許せない。
物分かりが良いふりをして、綺麗事で心を騙してでも
幻想でありたいと願ってしまった。
そんな事を考える程、ヒトに近くなってしまった。

「そうすれば、誰も傷つかないから」

……救われてほしいと心から思う。
彼らを救ってほしいと心から願う。
偽りでも、作り上げた幻想でもなく、等身大の心からそう願っている。
そんな資格などないとは判っているけれど、願わずにはいられない。

咲月 美弥 >   
「……本当、馬鹿ね」

ふと我に返り小さく呟く。
こんな事に意味はない。
それどころかこの思考すら意味はない。
ただ、時間と共に私は消える。それだけだ。
知っているはずだ。知っていた筈だ。

「只の言葉遊びよね。こんなもの」

絡み合い、内航していく思考など
何の役にも立たない。

「あの子が此方に帰ってくる。
 結果私は消える。それだけ」

それに以上も以下もない。
それをこんなドラマチックに過剰評価するなんて
やはり随分と人間に近づいてしまった。
こんな思考、まるで思春期を拗らせた幼子のよう。
前提から間違っているのだ。

――私の生にあるのは現象のみであり、元より意味などありはしない。

それはただの事実。
自己の人生に意味など、そもそも誰であろうと存在しない。
あるのはただ、そこに起きた客観的事実。

「美しいか否かを決めるのは、私ではない」

ならば出来る事も、やるべき事も知っている。

咲月 美弥 >   
「始めましょうか。きちんと終わらせるために」

必要なものは下らない感傷でも
ましてや悲劇のヒロイン気取りの陶酔のような陳腐なものではない。
そんなもの、ただの自慰行為。
カワイソウでオカワイソウな私は御終い。

「……この愚かさを、私は愛したのだけれど」

それはきっと、私に求められているものではない。
そう呟くとゆっくりと立ち上がる。

「けれど所詮トレース。
 私はヒトではないのだから」

――その呟きは先ほどまでの感情が
まるで嘘であったかのようにどこまでも無感情だった。

その瞳がぼんやりと紅の光を帯びる。
同時にその細い腕がゆっくりと持ち上がる。
そしてその指先で鳴った軽い音と共に明かりがかき消えた。
窓すらない禁書庫は瞬く間にドロリとした闇に飲み込まれ
その中で浮かび上がる赤い双眸は帳のようにゆっくりと閉じられていく。
それが完全に閉じられると同時に禁書庫からその気配は消え失せ
ただただ静寂のみが部屋の中に満ち満ちていった。

ご案内:「禁書庫」から咲月 美弥さんが去りました。