2015/07/16 のログ
ご案内:「大時計塔」に久我山 センリさんが現れました。
久我山 センリ > 大時計塔のてっぺん、鐘楼に音もなく人影が現れる。

人影からは三つ編みが、しっぱのように揺れている。
「この時間のここは、ほんとうに静かだね」

久我山センリは髪で隠れた目をさらに細めながら、眼下にひろがる学園都市(まち)を眺める。

集中。
「----------------。」

さまざまな色が情報としてセンリの脳に飛び込んでくる。
薄く蒼く光る左目は、あらゆるものの「色」を見ることができる。
浄天眼、魔眼の一種である。

普段日中は太陽に色がかき消されるが、
センリはこうして「ここ」から夜の闇に浮かぶさまざまな「色」を眺めるのを気に入っていた。

「ここはほんとうに、綺麗だね・・・」
体育座りで鐘楼の柱に寄り掛かりながら、ほう、とため息をつく。

久我山 センリ > 「こんなに長く表にいるのは、久しぶりだな、・・・けど。」
自分の半身を思い遣る。
「姉さん大丈夫かな・・・」

自分の体質?について、センリは自覚している。
1つの体に、2つの魂。それが久我山千里を構成している要素の一つだ。

そして千里がセンリである時、チサトの意識はない

しかしその間、世界では久我山千里は生活をしている。
そのため、チサトは記憶のブランクに悩まされた。
記憶のブランクによって、嘘憑き、約束破りなどといわれるようになり、
チサトは人との関わりを極端に恐れるようになったのだ。

一方、チサトである時、センリは全ての感覚を共有している。
センリがその差に気づいたのは常世に来てから。

自分にとって、姉であるセンリは何よりも大切な存在。

「だから、僕がまもらなくっちゃ。」

眼下に広がる、そしてまざりあい時に激しく輝く「色」を見ながら
そうひとりごちた。

久我山 センリ > 「もう、こんな時間かぁ・・・」

先日「切り替わり」が発生してからこっち、センリのまま。
世間一般的に「学生」の身である千里なので、
「学校」にいかなければならないし、
ご飯も食べないといけない。

「そろそろ、寝なくちゃ」

立ち上がると、鐘楼へ続く階段をするりするりと下りてゆく
足音もなく、三つ編みの影を引きながら。

本来、こんな時間にここにたどり着くには、いくつかの関門がある。
しかし、センリにとっては「色」を避けて通れば、人と行き合うこともない。

そう「色」さえ見れれば、行き合うことはないのだ。

ご案内:「大時計塔」から久我山 センリさんが去りました。
ご案内:「大時計塔」にやなぎさんが現れました。
やなぎ > (所々破れている地図を片手に、いそいそと青年がはいってくる。
「ここがとけいとうって場所だな。あー助かった・・・」
(ほっとため息をつくと、辺りを見渡しはじめる

やなぎ > 「それにしても目立つとけいとうだなぁ。学校はこの近く。さて少佐はどこかな・・・こんなんじゃまた叱られる」
(独り言をつぶやきながら腰のホルダーに持っていた地図をしまいこんだ。

やなぎ > (しばらく探索していると、唐突に腹がなった。
「・・・・・・探すのはまたの機会で。」
(腹が減っては戦はなんとやら。などと呟きながら大時計塔を後にした

ご案内:「大時計塔」からやなぎさんが去りました。
ご案内:「大時計塔」に『伴奏者』さんが現れました。
『伴奏者』 > 時計塔のはるかな高みで感じられるのは、島を吹き渡る風の音だけ。
地上の喧騒から切り離されて、空の彼方に一人きりで立ち尽くしていた。

『劇場』は旗揚げのときを待たずして閉鎖され、最早近づくことすら叶わない有様だ。
その後のことをたしかめる気にもなれない。
現世をさまよう亡霊にすぎない自分には、帰る場所がもうどこにも残されていない。
いよいよ本格的に居場所をなくしてしまった様な気分だ。

『伴奏者』 > 正直、途方に暮れている。

今から代わりを探すのか?
『フェニーチェ』で過ごした月日に劣らぬ労力と情熱をかけて?
ひどく億劫な話だ。

ここには滅多に人が来ない。何故なら、立ち入り禁止の場所だから。
誰も近づかない。人払いの必要もない。

安全柵は簡単に乗り越えられた。

『伴奏者』 > 過ぎ去った日々の思い出を追う愚かしさはもう十分に噛みしめた。
再起もかなわず、せっかくのリバイバル公演も血みどろの惨劇に変えられた。
亡霊は亡霊のまま、恨み節のひとつも言えないまま追い払われた。
目をつむれば理不尽な暴力の記憶がフラッシュバックする。
まだ心がささくれ立っていた。傷が癒えるまでしばらく時間がかかりそうだ。

荒れ狂う風にさらわれない様に気をつけながら、じりじりと縁まで近づく。

Sky's the limit.という言い回しを知っているだろうか?
限界は空の果てに。しかしながら、空の果てなんてものはあり得ない。
転じて、「限界なんてどこにもない」と言っている。

思いついた奴は人間の可能性を心の底から信じていたに違いない。
気に入っていた。好きな言葉だった。

『伴奏者』 > 下を覗きこめばめまいに襲われるに違いない。洒落にならない事になる。
端に立っただけでクラクラしそうで、雑念が抵抗空しくかき消されていく。

頃合だ。

あの時こいつに刺されるまで、18年とすこしの月日を共にした相棒のようなもの。
この世にふたつとない至宝。1742年製グァルネリウス。肩にあてて、弓を合わせた。

曲目は、フリッツ・クライスラーを波乱の渦に叩き込んだ別名義の偽作のひとつ。
作曲家が旅路の果てに見い出したという触れ込みだった、過去の亡霊。

『プニャーニの様式による前奏曲とアレグロ』。

『伴奏者』 > クライスラーは百年も前の曲を見つけ出したと嘯いた。
実際、この作品には古典派の香りが色濃く取り入れられている。
20世紀初頭に忘却の彼方から引きずり出された、過去の残滓のようなもの。
亡霊の仕業と言われればその通りに信じ込んでしまいそうだ。

実際、それで世界が騙されたのだ。

いつかどこかで聞かされた、パールマンの演奏を思い返す。
あれは凡庸な奏者みたいにしみったれていないのがいい。
伴奏も上等だった。軽やかで力に満ちていて、曲の印象がまるで違った。

誰のためでもない旋律が、大気をつかのま震わせては消えていく。

俺もあんな風になれるだろうか?
今は無心に信じてみるほかなさそうだ。限界は空の果てに。

『伴奏者』 > ここではないどこか、今ではないいつかから、顔も名前も知らない伴奏者のピアノが響く。

アレグロに差し掛かれば、古典派は鳴りをひそめて20世紀が顔を出す。
オクターブ・トレモロは小気味いいほど軽やかに。こちらの意図を汲んでくれたに違いない。
競うように響きあって、身体じゅうがひそかな歓喜に包まれる。

そうだ。わかってるじゃないか。これは悲壮な曲じゃない。
やることなすこと、ままならない事はわかってる。思う通りにはいかないことも。
それならせめて、力強く自信満々に奏でよう。
一度でも聞いてしまったら、もう二度と忘れられないくらいに。

『伴奏者』 > 最終盤。行く手には16分音符の群れが現れる。
ここは4分の3拍子。だが3音でひとつの拍子を織り成しているから、擬似的な4拍子とも解釈できる。

そしてヴァイオリンパートは主題に戻る。
余韻をひきとって弓を放した時には、鼓動が大げさなくらい高鳴っていた。
この身体はいつもこうだ。

続く曲目はもっと卑近なものでいい。
誰かに聞かせるわけでもなし。あえて言うなら、俺が楽しめればそれでいい。

次もクライスラーの編曲で『Londonderry Air』。
古き良き世界から伝えられてきた過去の残滓。世界に散った移民の心を励まし続けたアイルランド民謡。
ふるさとは遠きにありて思ふもの。そして悲しくうたふもの。ロンドンデリーの歌を奏でよう。

『伴奏者』 > こちらはクライスラー本人の演奏で聞いたことがある。
控えめなピアノは引き立て役に徹して、奏でられる旋律は甘く切なく郷愁に満ちていた。

ふとした瞬間にどことなく、東洋の気配を感じてしまうのは俺だけだろうか。
自分にとっての故郷とはなにか。帰るべき場所。温かく迎えてくれるかもしれない場所。
いつでも自分とつながって存在している、優しい世界。
そういうものを求める想いが掻きたてられてたまらない。

東洋の香り。それはたとえば、物憂く震える胡弓の音色。それとも、情感たっぷりに歌われる『蘇州夜曲』か。
音楽の授業でおなじみの『蛍の光』だって、もとはスコットランドの民謡だ。

作曲家自身の演奏をたどりながら、五線譜にのせて託された想いのあとを探して進む。

『伴奏者』 > 「O Danny boy, the pipes, the pipes are calling」

  ああダニーボーイ、バグパイプの音が呼んでいる

「From glen to glen and down the mountainside」

  谷から谷へと、山腹を駆け下りていくように

「The summer's gone and all the roses falling」

  夏は過ぎ去り、すべてのバラが枯れ落ちていく

「'Tis you, 'tis you must go and I must bide.」

  あなたは、あなたは行ってしまう


これは『ロンドンデリーの歌』として知られる曲の、数ある歌詞のひとつ。
もう二度と出会うことのない定めを予感しながら、別の道を進む誰かのために口ずさむ言葉。

『伴奏者』 > 「But come ye back when summer's in the meadow」

  帰ってきて、草原が夏を迎える頃に

「Or when the valley's hushed and white with snow」

  谷が静けさにつつまれて、雪に白く染まるときでもいい

「'Tis I'll be here in sunshine or in shadow」

  日のあたる場所に、日陰に私はいます

「O Danny boy, O Danny boy, I love you so.」

  ああダニー、私のダニー 心から愛しているの


悲恋の香りがするからって、女の歌とは限らない。男の歌手だって歌ってる。
その場合、愛しのダニーは最愛の息子ってところだろうな。

「But if ye come and all the flowers are dying」

  もしもあなたが帰ってきて、すべての花が枯れ落ちていて

「If I am dead, as dead I well may be,」

  私がすでに死んでしまっていたとしても

「You'll come and find the place where I am lying」

  私が眠っている場所を探してほしいの

「And kneel and say an Ave there for me. 」

  ひざまずいて、別れの言葉をかけてほしい

『伴奏者』 > 「And I shall hear, though soft, your tread above me」

  あなたが優しく歩いても、私にはきっと聞こえているから

「And all my grave shall warmer, sweeter be」

  ぬくもりと安らぎに包まれるの

「For you will bend and tell me that you love me」

  俯くあなたが、愛していると告げてくれるなら

「And I will sleep in peace until you come to me.」

  安らかに眠っています あなたが帰るその時までは


死人にはもってこいの歌詞だな。
ピアノの伴奏も遠のいて、いつしか元のとおりの静寂に包まれる。
魔法は解けた。俺が解いた。
フリッツ・クライスラーの悪戯心も、甘い郷愁もほろ苦い感傷も去っていった。

作曲家は旧世界のかけらを拾って集めていた。城よりこぼれた欠片のひとつ。
この島にもそういうものはある。クライスラーの真似をしようと思えばできなくもない。
俺には目標が必要なのだ。『団長』はもういない。一人で歩きだす時だ。

ご案内:「大時計塔」にアーヴィングさんが現れました。
アーヴィング > (この世界の空は遠い
 どこがどうとは言えないが、故郷の空はもっと、手を伸ばせば届きそうなほどに世界を包み込んでいた
 しかし、この世界の空はどこか、天蓋のように遠く余所余所しい
 常世財団、と名乗る奴らは自分にこの「世界の知識」とやらをご教授してくれるそうだが、真っ平御免だと抜け出してきたのだ
 一つの島を支配する体制の与えれくれる知識などどんな毒が仕込まれているかわかったものではない
 
 そうして付近で一番目立つ高い建物に登ってみようとしたところで…演奏が聞こえてきた
 聞き覚えのない言葉のそれはしかし、言語の壁を越えて感情に訴えかける、そんな曲だった
 しばし風に溶けるその旋律に聞き入り…
 ふわり、と、少女の前に空から舞い降りる)

よぉ、いい感じの曲じゃねえか、言葉の意味はわかんねーけど
(と、ポケットに手を突っ込み、何が楽しいのか笑みを浮かべながら)

『伴奏者』 > 最後を飾る曲は、同じくクライスラーの『マルティーニの様式によるアンダンティーノ』。
ボローニャのジョヴァンニ・マルティーニといえばバッハやモーツァルトの師匠としても知られるとんでもないおっさんだ。
根っからのコレクターで音楽絡みの蔵書を2万冊近く抱えてた。マルティーニの様式とはつまり―――。

「―――うぉう!?」

途中まで昇れば音は聞こえる。誰かが迷いこんでくる可能性は確かにあった。
けどな、こっちからかよ!!

反射的にのけぞって尻餅をつきそうになる。まずい、楽器に傷がつく―――!!

アーヴィング > あ……わり、驚かせたか?
(バランスを崩した瞬間、すい、とすべるように間合いを詰めて手首を掴んで倒れないように手前側に引っ張る
 そうごつい手ではないが、指の腹や手の平の皮が硬質化した、使い込まれた手である事が判るだろう)

そういやこっちの人間で飛ぶやつはめずらしーんだったか…
やっちまったな……
いい感じの曲が聞こえてきたんでつい来ちまったが
邪魔したか?
(ガリガリと髪の毛をかき回し、バツが悪そうに反応を窺う
 これ以上自分から謝る気はないが、強く出られれば謝るしかないと考えている……やらかした悪ガキのような表情を浮かべて)