2016/01/18 のログ
ご案内:「大時計塔」に谷蜂 檻葉さんが現れました。
■谷蜂 檻葉 > 冬季休暇、である。
場合によって、人によっては授業を行う者もいるだろう。
ただ、習慣的にこの期間、多く生徒が「授業を取らない」為に
ゆっくりとした時間を過ごし春に向けてのんびりと英気を養っている。
だからまぁ、図書館に行くのもありといえばありだったけど。
「久々に来たかも。」
ふと、風がこちらを呼んでいた―――なんて。
見上げた先の針を見つめていると此処での光景を思い出してなんとなく顔を出していた。
■谷蜂 檻葉 > 此処に来たから何か―――なんてことは、ない。
何もなく、なんでもない。
しいて言えば景色が良い、ぐらいだろうか。
「………。」
ぼんやりとベンチに座って島を眺める。
いつだったか、あの夏のように。
■谷蜂 檻葉 > 「……昨年も色々あったなー……。」
ホウ、と口元に手を寄せて白い息で温める。
温まる間もなく、湯気は中に消えて手にはそれを埋めるように入り込んだ冷気だけが残る。
そうだ。
色々、あった。
――――あったと、思う。
時計塔<<此処>>で、演習場で、公園で、海で、神社で、落第街<<何処か>>で。
ふわふわと、夢を見ているような記憶が在る。
無いような記憶が、有る。
「はぁー……っ。」
目を瞑って、もう一度息を吐く。
■谷蜂 檻葉 > その記憶も、また夢のように消えようとしていた。
春が近づくにつれて、「新しい年度」が近づくに連れて。
寄れば消える陽炎のように、『今の私』になっていく
―――『記憶の私』が消えていく。
(それが私にとって”善”なのか”悪”なのかと言えば、良い側なんでしょうけど。)
なにせ、『悪い記憶がない』のだから。
良いことしか、覚えていない。
人は反省から学ぶ生き物であるのならばそれもまた欠点ではあるのだろうけれど、
知らぬが仏という言葉もあるのだし、臭いものに蓋がかかるのであれば、見ずに焼却炉に放り込めば良いのだ。
きっと、見たところで。
■谷蜂 檻葉 > 「なんにもない、か。」
わかりきったことを口に出す。
灰色の空を見て、下へ降りるために足を空へと踏み込んだ。
翼が悪天を貫く刃であるのであれば、
私の翅は、悪天を避ける盾で良い。
ご案内:「大時計塔」から谷蜂 檻葉さんが去りました。