2015/12/23 のログ
ご案内:「共同墓地」に朽木 次善さんが現れました。
■朽木 次善 > 花束から花を、花瓶へと移す。
挿さっていた古い花を包装の中に入れ、丸めた。
共同慰霊碑の無骨さは、余計な感傷を洗い流してくれる。
飾り気のない碑の直線が単純にそれが人の作ったものであることを象徴しているようにも思えた。
人の手で作られた物に魂が宿るかは、見た人が決めるものだが、
そういう意図を以って作られたのだとしたら、その意匠は少なくとも俺の心を救っている。
悼む心と花束以外を持たずに来れることは、少なくとも自分にとってはありがたかった。
■朽木 次善 > 碑は、殉職した者の魂を慰めるために作られたらしい。
だからこの巨石の下には人の骨は愚か、何かが埋まっていることもない。
職に殉じ、立場を抱えて逝った者達が、寂しがりの誰かに忘れられないように、
墓地の中央で無骨に鎮座するのが彼の仕事だ。
その石碑の表面を水で淡々と洗い流す。
慣れたものだ。
逆に言えば、これだけ繰り返していてなお、慣れないのならば辞めた方がいい。
墓掃除など、自分がやらずとも誰かがやってくれることも確かだ。
雨が降れば自分が水を掛けた程度で取れる汚れは取れる。
だが誰がやっても構わないことをやることは得意だ。
冬の寒さと水の冷たさに悴む掌も、この寒々しい墓所で眠ることよりは寂寥感もない。
だとしたら、自分が死者に出来ることなど、そうやってその寂寂に寄り添い近寄ることしかないのかもしれないとも思った。
■朽木 次善 > 人の気配がして、顔を上げる。
冬枯れの景色の中に老年の女性の顔が見えた。
こちらの視線に気づくと、その女性は丁寧に頭を下げた。
顔見知りと言っても良いと思う。共同墓地の管理を任されている風紀委員会の墓守だ。
名前こそ知らないが、何度かここに通っていたので、顔を覚えられているらしい。
会釈を返すと年季の入った寂しげな顔を笑顔にして寒そうに手を擦った。
――殊勝な子だね。
来るたびにこれを言われる。
時節の折にここを訪れる者はいても、頻繁に訪れる者がいないからだそうだ。
けして自分が信心深いわけでも、殊勝な心がけをしているわけでもないことを説明しても来るたびに言われるので、
否定するのも悪いな、という思いが対応を苦笑いと会釈に変える。
彼女にとっては話を切り出す挨拶のようなものだとも思うし。
――大切な人が眠ってるんだね。
老女はそんなことを俺に言う。俺は言葉を返した。
■朽木 次善 > 「いえ。――代理です」
苦く笑って応えた。
多分。それは。
――二人の女性の。
■朽木 次善 > ―――。
弔事とは曰く、生者のための行為だという。
使い古されたその言い回しが浮かぶのは、自分がこの墓参りにある種理由付けや言い訳を必要としているからだろう。
各位委員会で、職務に殉じた者が名を刻まれるその場所に、
生前世話になった者はまだ幸運にも眠っていない。
にも関わらずこうして参りに来ているのは、かつて関わった事件の被害者がここに眠っているからだった。
筋合いもない。もっと言えば、資格が必要ならそれもない。
それどころかその事件の被疑者であった自分に参られて、喜ぶ者はいないとも断言できる。
だからこれは、甘く掛けられた嫌疑に対して、温い贖罪のつもりなのだろうかと自問が沸いた。
弔事とは、曰く生者のための行為だという。
何度もその言葉が、僅かな疼痛だけを胸に湧き上がらせる。
この痛みや手指の冷たさを以って悼みへの贖罪とするのは、死者を冒涜していると責められてもおかしくないだろうに。
■朽木 次善 > ただ、その行為は事件が起きてすぐの頃よりは自罰的ではなくなった。
元を正せば、それを出来なくなった者と出来ない者の代わりに、
謹慎という形で生活委員会の職務の停止を命じられた自分が、有り余った業務の空白に埋め込んだことが始まりだ。
それ自体は誰に指示されていたわけでもない。
謹慎中は身辺保護という名目でしばらく風紀委員の監視下に置かれていたので、
その行為に向けられる白い視線があったことも知っていた。
だがそれでも、急に空いた暇(いとま)を埋めるのに丁度良かったという舐めた不謹慎さで、
その墓参りは職務に復帰した今に至るまで続いていた。
心が安らぐわけでも、
それに没頭出来るわけでもない。
ただそうしている間は、あの時自分の身に起こった劇団の一連の出来事が、
夢物語や空想の出来事でなかったと自分に言い聞かせるには充分な静謐がそこにあったから。
そうしていなければ、あの時感じた物も何もかもが、
季節や風景の移り変わりと共に薄れていくことも、痛いくらいに感じられていたから。
■朽木 次善 > 人間が喪失感を、維持することは難しい。
日々は人の感傷になど興味が無いように過ぎていく。
自分が業務を休んでいた間の、恐らくは自分にしか出来ないだろうと思っていた職務ですら、
優秀な誰かによって隙間を埋めてもらっていた。特に後輩の頑張りは、後から聞いただけで目頭に熱を帯びた。
事件が起こってすぐは、風紀委員の監視があったこともあり、
また風聞が話題性を求めた結果、意外性のある結末としての『朽木首謀説』すら流れていたが、
それすらもすぐに朽木次善本人を調べたときの面白みのなさによって風化していった。
意外性のない人間であったことが、生まれて初めて役に立った瞬間かもしれない。
だから、フェニーチェに関わってズレた自分の日常は、
致命的な破綻や瓦解を齎すことなく、朽木次善の回復を以ってスライドするように元の形へと戻った。
軋みの音すらもなく連続性を示す道のりに、軽い呆れすら沸いた。
同時に、道すらつながればまた十全に朽木次善を行える自分の胆の太さにも、
同じくらいの呆れを感じた。
■朽木 次善 > ……一つだけ変わったとしたら。
一人の少女が露頭に迷うことになった。
あの事件に関わった生者のもう一人であるカガリという名の少女は、
一時過失傷害で拘束されて自分と同じように監視下に置かれた。
実際に異能を以って人を傷つけた事実が彼女の拘束を強いものとし、
彼女が孤児であったことも含めて風紀委員が身柄を預かることとなった。
何度か面会にも行ったが、会話らしい会話はなかった。
失語を伴う心神喪失状態であるというのが精神医の見解であったようだが、
単に外側に言葉を発する意義が見つからなかったようにも思う。
元から生活委員としての立場が存在していた自分と違い、
自己を確立する前にことに及んだ彼女が帰るべき日常はどこにも用意されておらず、
それが自分の創りだした自我の檻の中に彼女を閉じ込めることとなった。
そして重ねて悪いことに、元いた孤児院が彼女を異能傷害を理由に受け戻りを拒否した。
どうにも調べるに、それは正当な手続きと権利によって拒否しうる物であり、
保証されるべきが加害者の権利よりも入院者の安全の確保であるという楯を構えられては、
感情でしか言い返しようのなかった自分には抗弁のしようもなかった。
それに、肩入れを抜きに考えれば、孤児院自体の判断もそう妥当性がないものであるとは言えなかった。
誰だって、人を傷つける可能性のある者の側には寄り添おうとは思わない。
加えて、ある種の慈善的立ち位置としての施設だ。保守に走るのは当然とも言える。
■朽木 次善 > 結果、彼女の存在が宙に浮いた。
彼女の唯一の肉親はフェニーチェの事件で失われている。
正真正銘の天涯孤独となった少女は、身の置き所を失った。
ゆえに風紀委員会がカガリの拘束を解いた後でも、
彼女は風紀委員の庇護下に置かれることとなる。
それは永続に保証されるべくことでないことは明らかだった。
受け入れ先を探して交渉も続いていたが、事件の規模が規模だけに中々それも難航していたようだ。
身柄を引き受ける先として、名乗り出ようにも、自身も未成年とあっては認可が降りるはずもなく。
結局は未だ受け入れ先を探して半年以上が経つ今も、
彼女の身柄は風紀生活委員の下にある。
この時ばかりは久々に、自身がまだ学生であるという身分を恨みもした。
だが、逆に言えば人一人を養う覚悟が十全にあったとも言いがたい自分に、
法的な歯止めを掛けてもらったと思えば軽々しく手を挙げる前に熟考を齎してくれたのはいい結果だったとも言える。
所詮は負け惜しみでしかないが。
だから。
これは代理だ。
今はまだここに来れない者と。
もう二度とここに来れなくなった者の、代理にすぎない。
■朽木 次善 > それでも、ある程度少女の状態は回復しつつある。
失語に似た状態こそ回復していないものの、あれだけの事件があったにも関わらず日常生活を送るのには、
何不自由ない状態にまで戻っていた。時折訪れると、その健気な回復が見て取れた。
風紀の監視下という名目で身柄を預かってはいるものの、
外出や学業の自由は保証されているため、時々自分の寮にも遊びに来る。
……遊びに来られたところで、満足なもてなしが出来ているとは思えないが。
どんな年代であっても、女性をもてなすことには未だに苦手意識がある。
能見さゆりに刺された釘が、その度に歯ぎしりを起こす。
ただ、マイペースに時間を過ごし、
マイペースに帰っていく様を見れば、それほど居心地が悪いわけでも、
不興を買っているわけでもないらしい。
だとしたら何故来るのかという疑問は残るが、懸案するのも五里霧中で、
聞くなどという愚行は以ての外だった。
……それで、あの小さい少女が来なくなりでもすれば、それはそれで後悔するどころの話じゃない。
■朽木 次善 > ただ、そうやって訪れる少女に、墓参りのことはまだ言い出せずにいる。
自分は、他人の傷を見ることに、そしてその痛みを察することに、疎い。
それは、あの路地裏で必要以上に傷つけた女性の泣き顔を思い出す度に、
教訓として突き刺さるような痛みを胸に齎す。
自分はおそらく、他人に対して優しくないのだろうと思う。
本当に優しい人間であるならば、他者の傷に触れるような真似はしない。
誰かが失敗する、間違うことを見過ごせないだけの、狭量な自分の存在を今は確かに感じていた。
もう一人の、墓参りに来ることが出来ない女性のことを思い出す。
あの日。
自分が引き金を引かせた、誰でもない彼女の顔が、まだ脳裏に焼き付いている。
どうだい、これが正解だろうと言わんばかりの誇らしげな彼女の顔が、
それを間違いだと優しく受け止められなかった自分を、酷く責め立てる。
選択の全てが間違いだったなんて、弱音でも思わない。
だが、その選択が齎した結果は、永遠に自分の心を苛むだろうと思う。
そしてその慰みのためにこうやって墓前で、
顔も知らない誰かの魂を悼む振りをして、姑息に生きていくしかないのだろうとも思った。
■朽木 次善 > 詳しい事情を誰かに漏らしたことはない。
あくまで被害者を貫くことが、あの事件に対して何も出来なかった自分の責任だとも思っていた。
今更、自分の行いを美談にすることも、醜聞にすることも、自分には憚られた。
だから自分は嘘を吐き、ただ巻き込まれただけの被害者を装った。
それは、蓋盛教諭にも。
そしてヨキ教諭にもだ。
その後ろめたさが、彼ら彼女らからの距離を遠ざからせた。
事件直後から、謹慎のこともあり、何かと目を掛けようとしてくれていたのは分かる。
だが、他でもない自分が、その両の目に見つめられることが耐えられなかった。
失敗した自分を。
そしてあるいは、両手にまだ血の跡が残る身体を。
彼女らの慧眼であれば、一瞬で看破されてしまうのではないかという恐怖と。
それをされれば、自分は楽になってしまうという確信が、胸の中に真実を秘匿する鍵となった。
■朽木 次善 > 事件直後、蓋盛教諭の胸の中で感じた、帰還への安堵。
そして張り詰めていた物や抱えていた荷を下ろした感覚は。
もう二度と自分には許されないものだと思っている。
自分にとって蓋盛は、そしてヨキは日常の象徴なのだろう。
学園生活という形骸を形作る、一番わかり易いパーツであるがゆえに、
その劇場から帰ることを嫌がる自分が、それらに触れて癒されることを嫌ったのだ。
何も笑える話ではない。
古寂れた劇場から誰かを連れ戻そうとしたがゆえに。
今は自分すらその劇場の灯りの消えた照明の下から帰還できていないだけの話だ。
それはけして、その誰かに寄り添い、傷を癒やそうとする献身などではなく、
明確な線引を行いたくないという自分の甘えが引き起こした癇癪だ。
だからそれは。
未だ墓地に訪れることのないカガリと同じで。
そして、自分が彼女の身柄を引き受ける事のできない「子供」を自身の中に宿している、
何よりもの証拠になっていると、今になっては思える。
■朽木 次善 > だからそう考えれば。
その灯りの消えた照明の下から最初に足を踏み出すのは、自分でありたいとも思う。
連れ帰ることを失敗した少女と、まだそこから一歩を踏み出せない少女のために。
ここから先の暗夜にも道があることを示すように。
そろそろ、それがどれくらい辛いことであったとしても、
甘やかな贖罪に歯を食いしばりながら耐える時期かもしれない。
……或いは、そこに未だ愛想が残り、ヨキ教諭らがそれを許してくれればだが。
連絡を入れようとすれば、目を合わせれば簡単に震えるであろう膝で、
それでも歩き始めなければと思う。
でなければ、それこそが本当の自分の贖罪であるにも関わらず、
死者に責任をなすりつけてそれを悼むことで自分を慰めていたことも認められない。
墓前に来たのは、
それを一先ずの区切りとするためだ。
きっと自分が踏み出せば。
次からは代理ではなく、本当にそれを悼む人がここの前で手を合わせることになる。
きっとそれが、前を向いて歩くということであるし、
自分にとってはそれこそが道を作るということだとも、少し思うから。
■朽木 次善 > 碑に手を合わせる。
次は、すべき人か、或いはそれを伴って来ることを約束する。
帰り支度をして、
ふと、次に行く先のことを考えた。
本人が悼むべきというのであれば、世界でたった一人、
自分しか悼めない誰かの元に足を運ぼうと思っていた。
だが、花の似合わない彼女が、花束を持ってきても喜ばない事は知っていたので、
今は両手に花束はない。
だが、手ぶらで訪れるのも、目的が分からないのではないか。
路地裏に捧げるために、慰霊碑の花瓶から一本だけ彼女に回そうと思い手を伸ばし、
――そして辞めた。
余計な真似をするなよと。
バカにしたような笑いが、いや、きっとバカにしたのだろう笑いが。
なんとなく心に浮かんだから。
ああ、そうだった。
それが、花の一つも捧げられないことが痛みであり、悼みである彼女なら。
きっとそうやって傷つくことを選ぶだろうなと思ったから。
■朽木 次善 > 「……ふっ」
小さく笑いが漏れた。
不謹慎にも程がある。
だが、それは、彼女のことを思い出して最初に出た笑いでもあった。
それくらいには、自分は元の朽木次善を取り戻しているのだろうと思うと、
やはり今こそ、彼ら教諭に会うべきだなとも思った。
そしてそれが、
自分には誰かの心に痛みしか残さなかった脚本家が、
その脚本で誰かを笑わせ得た最初の瞬間だと思うと。
自分の中の観客が、その功績を称えるために両手を叩いている。
捨てたものじゃないだろう。
爆笑には程遠いが、笑わせてみせたぞ。
俺は小さく苦笑いをこぼすと、すこしばかりの皮肉を込めて頭のなかで拍手を送った。
そう来るのなら、こちらも冗談で返すさ。
『共犯者』の自分が、シニカルな笑いを顔に浮かべたのが分かった。
■朽木 次善 > 墓前には。
墓なき路地裏の弔事には。
事務所に置いてある、
先週読んだ、本当にくだらない脚本の小説を持参し、供えることにする。
破顔一笑、駄作を捧げるとはいい度胸だと一笑に伏してもらうことが、
花を捧げた笑顔よりは、幾分想像に易い。
世の中は、そのくだらない小説と同じように退屈だけれど。
それでももう少しばかりこっちで生きていくしかないんだと。
それはそういう皮肉を込めた、
――俺からの贈り物である。
ご案内:「共同墓地」から朽木 次善さんが去りました。