2016/06/23 のログ
ご案内:「カフェテラス「橘」」にリビドーさんが現れました。
ご案内:「カフェテラス「橘」」に斎藤 朱莉さんが現れました。
リビドー > 「と――思いの他早く時間が作れたな。
 急な誘いとなってしまってすまないね、斎藤先生。」

 時は推定夕暮れ前。
 メニューを持つ手から視線を外し、斎藤へと視線を戻す。

「しかし、このカフェテラスも気合が入っているな。
 頻繁にメニューが入れ替わるのは飽きなくて良い。――ふむ。夏みかんゼリーか。」

斎藤 朱莉 > 「いえ、こういうのは時間のある時にやっておかないと有耶無耶になりかねませんから」

メニューを見るのもそこそこに、返事と共に軽く頭を下げる。

「そうですね、こういったものは常にある程度の変化があるのが望ましい。
飽き、と言うのは誰にだって訪れるものですからね」

内心『どれにすっかなー、流石にあんまり量を頼んでもみっともないしなー……』と悩んでいる斎藤朱莉先生(26/種族:人狼)である。
人狼なので、割と食事量が多めなのだ。あまり太らないけど。

リビドー > 「違いない。
 うやむやにしろ飽きにしろ、時間の経過で色褪せてしまうのは仕方が無くもあるが、どうにもな――」

 改めて軽い挨拶を交わした後、再びメニューに戻す。
 そこそこ逡巡した後、メニューを閉じた。

「……ふむ。夏みかんも良いが、ミルクティーとスイカパフェにしておこう。
 たまには冒険をしてみるのも悪くない。」

斎藤 朱莉 > 「さりとて、隆盛を誇ったモノが忘れ去られていく姿などは、一度意識してしまうと虚しいものですね」

と、いけない。あまり湿気た話をしても詰まらないだろう。

「アタシは……まあ、夏みかんにしてみます。おいしそうですし」

ホントは物足りない量だろうけど、こう、流石に普段の量食べるのははしたないかな、と我慢。
とは言え、何か深い意図があるのではなく、単にたしなみの問題と言うレベルの認識なのだが。

リビドー > 「ふむ、そっちにするか。
 キミの評価が好ければ次回にでも食べてみるか。」

 ――オーダーが決まったと把握すれば、店員を呼んでそつなく注文。
 特になにもなければ、決めた通りのモノが来るだろう。

「さて、何から話そうか。
 講義では話せない事でも構わんよ。流石にそこまで目くじらを立てるものもおるまい。」
 

斎藤 朱莉 > 「はは。これはなおの事しっかり味わわないといけませんね」

雑な評価は出来ないなあ、と笑いつつ、さて、と気持ちを少し入れ替える。

「そうですね……あまりヘヴィなところから行くのも難ですし、じゃあリビドー先生の講義や試験のスタイルとかを聞いてもいいですか?
先日は、アタシばっかり喋っちゃったんで」

自分がこういう事をしてみたい、こうしている。
それはたくさん話したのだが、思えばこの相手のスタイルはあまり聞くことが出来なかったのだ。
なので、せっかくだし取っ掛かりとして聞いたみたい、と言う判断である。

リビドー > 「何、気を抜いて味わうのも良いんじゃないかい。
 肩肘張った評価が常に優れているとも限るまい」

 ――提示された話題は軽いものだ。
 注文の品が届くまでのつなぎには良いだろう。

「ふむ。とは言えこの手の講義の形となると、斎藤先生とそう変わらんか。
 取りあえず、特定の思想を是とする風には教えないようにしているよ。
 思想に優劣を付けずボクのも一つの見方にしか過ぎん と、くどい程に前置いた上で各種のものを扱っているよ。
 優劣ではなく差異として扱う。分かっている事を前置いておくのも重要な事だからな。」

 ――この手のものを多岐に扱う以上、リビドーはほぼ必ずこのように前置く。
 彼自身に好みはあるが、それはそれとして必ず理念上は優劣を付けないと語っておく。
 彼の講義を耳にしたものなら飽きる程に聞いているものだ。

「後は宗教や神話の絡むものは、神秘と言葉を置き換えて解釈しているぐらいか。
 語られているような神性や異世界のそれらがこの世に降りてきた以上、
 背景がどうあれそういうものとして扱わねばならん。
 基本的にはその位だよ。後はキミとそう変わらんさ。」

斎藤 朱莉 > 「あんまり気を張り過ぎると、味も分からなくなりそうですしね」

苦笑。そもそも、食事にそこまで気を入れる必要も、本来はあるまい。

「ふむ、確かにそこら辺はアタシと同じですね。
教えるって行為は、どうしてもうっかりすると押し付けになりがちですから、そうならない様にって毎度気を使ってます。
『あくまでこれは、過去にあった思想の一つに過ぎない』ってな感じですね」

実際、特に『政治思想史』などと言うジャンルを扱って、それを紹介する場合は、下手をすれば『特定の政治思想を持つ人材を育成しようとしている』などと邪推されがちである。
そんな気はない。全くないし、そこまで考えるのは下種の勘繰りであろう、とすら言いたくなる。
あくまで求めるのは、自立して思考できる人材。
多様な意見、思想を自分の中で整理し、自分なりの結論を導き出し、それを発信出来る人材だ。
優劣ではなく、差異。そこは、朱莉も最大限強調し続けているところである。

「アタシの方は神話はあんまり噛んでこないんで、そこら辺は少し新鮮ですね。
『魔法や神、悪魔のいない世界線』で発生した物を扱ってますから……宗教は、稀に噛んできますけどね」

宗教と人間の思想は切り離せない程密接にかかわっている。宗教と言うものが一種の哲学であり、人々にイズムを提唱するものだからだ。
故に、宗教を含む文化が異なれば、思想は異なる。その差異もまた、学んでいて興味深いものであるのだ。

リビドー >  
「それは重要だな。
 ――とは言えボクは我は強いからな。どうしても言い切ってしまう時もあれば、
 平等に触れるが故に見下すようにもなってしまう。
 その上邪推の類だって扱うし、させるからな。それだって必要な要素だ。
 故に飽きる程前置きを付けている所もあるが――その位の価値はある。」

 邪推や下種の勘繰りであっても思考には違いが無い。
 それらを無いものと蓋をしてしまう訳には行かない。故にそれらも肯定する。

「ああ、近代になると宗教はどうしてもなりをひそめてしまうからな。
 社会のシステムがそれにとって代わる程強固になったと言うべきか。
 とは言え、それまでは『魔法や神、悪魔のいない世界』であろうとそれらは苛烈であったものだ。
 ――いや案外、『魔法や神、悪魔のいない世界』であったからこそそれらが苛烈であったと言うべきだろう。
 常世島を見ていれば、そうだって思うさ。」

斎藤 朱莉 > 「そこのさじ加減は本当に難しいですね。
アタシも、自分の中の思想ってのは個別で持ってるんで……どうしても、それを押し出しがちになります。
ミルの他者危害原理を説明する際も、自分としてはもう少し制約がかかっていいと思う、って言うのを出さないのと、必ずしもこうあるべきと言っているんじゃないって言うのを強調するのが大変でした。
っと、ここは専門外の話でしたか?」

大雑把にかみ砕けば、ミルの『他者危害原理』とは『自己責任の範疇で収まる事であれば、他者はそれに口を出す権利はない。個人の範疇においては、その個人が主権者なのである』と言う考え方だ。
斎藤朱莉としては、それでも、個人が破滅に向かうのならば周囲が止めてやるべきだと思っている。
しかし、それを押し出すと、各生徒の思考にノイズが入る。
さりとて、必ずこうなんだと思わせてしまうと、それもノイズだ。その価値観の純度が下がってしまう。
それが善であれ悪であれ、まず持つべきは個人の思想。しっかりとした自分の考え。
その上で……それが善か悪か、それも自分で考えるべきなのだ。

「存在が証明できず、実態が不明だったからこそ……人は時に盲目と言えるほどに宗教を信仰し、場合によっては政治的に利用してきましたからね。
ハッキリとしないからこそ、好きなだけ大きく出来てしまう。逆も然り。
だけれど、その世界線は『科学』の発達により、今まで神話の中で神の御業とされてきたことが、殆ど物理法則に則った『現象』でしかないと証明されました。
だからこそ、社会システムにとってかわられたんでしょうね」

逆に、その『科学』をまるで全知の象徴であるかのように進行してしまう人も出てきたようだが。
そこはそれ、やはり人は『何かを信じ込む』と言うことから抜け出せないのかもしれない。

リビドー >  
「ん、そうだな。分からなくもないから問題ない。分からずとも概要を言ってくれれば咀嚼する。
 ――要は他人に危害を加えなければ馬鹿をやっても自滅するような行動でも構わない、だったか。
 幸福追求だけで語ればそれは是だが、社会ともなると中々そうも行かん所だな。」

「――税収は減る。
 ――教育は徒労に終わる。
 ――働き手は減る。
 ――保険の負担が増える。」

 かつては今ほど社会が発達してなかったとはいえ、
 社会に属する人が破滅することはこれらに繋がる。
 極論全員が幸福を追求して迷惑を掛けぬように自滅すれば、社会は成り立たなくなる。
 そう言わんばかりに、淡々と挙げるか。

「ちなみにボクは自分の考えをがっつり押し出すぞ。
 哲学家としては多少雑味が混ざろうとも、自分だって考えて良いと思ってくれる方が重要だ。
 まぁ、安易に世界を滅ぼそうとしたら認めた上で止めざるを得んが……。」

斎藤 朱莉 > 「ええ、大体そんな感じです。
実際の所、結局はある程度他人が統御しないといけないとは思うんですよね。
アタシが目指しているのは『全員が自分なりの思想を持ち、尚且つ他者のそれを尊重できる』ことですけど、それ以上に団結が求められる場合もあるし、思想云々ではなくシステムとして制約をかけるべきところもある。
個人の権利は大事だけど、認め過ぎても危ういって考えですね」

自己責任。それは聞こえの良い言葉だ。
だが、数多の自己が集まっているのが社会であり、他者に迷惑をかけないからとその自己が好き勝手をすると、結果として社会に害を為しかねない。
自己は時として、自己の内に収まらないのだ。

「おや、そうなんですか。そこら辺はスタンスの違い……いや、中庸を強制するのではなく『あくまで自分はこうだ』と言うことを提示する事で、自分なりの思想を持っていいと思わせるってのはアリかもしれませんね。
世界滅亡は、まあ……それこそ、他者危害原理の『他者に迷惑をかけるならそれは制約を受けてしかるべき』に思いっきり引っかかりますし、アタシも止めますかね……」

それを言い出したのがこの学校の教師なのだから末恐ろしい。

リビドー > 「それは理想だな。難しいだろうが。
 自由と権利か。そうだな。例えるならば公園の遊具の扱いか。
 誰も使っていなければ使っても構わんが、ずっと占有していれば他にそれで遊びたい奴も出てくるだろう。
 それを意にせず誰にも迷惑を掛けていないから使うのは俺の自由だと呼ぶのは少々諍いを産む。
 さて、ずっとその公園の遊具で遊びたければどうすればいいのかな。どのような手段や思想に則っても良いとして、
 キミならどれ位の選択肢が浮かぶ。」

 意地悪そうに一つ問うてみせる。
 年若い風貌でもある故か、悪童のような笑みも伺えるか。

「自分の不出来を誤魔化す事になったとしても、敷居を下げて見せるのは自由なことだ。
 これはこうで、こうであるべき。イデアこそが正しい"これ"なのだから、
 それから外れた解釈は劣り恥じる――などと委縮されても困る。そうするのは心を折るか、危険を抑える時ぐらいにしておきたい。
 例え魔術や異能が絡まずとも、思想と言語はその位には危ういものだ。
 ……暴力でひっくり返せもするし、暴力や能力も無視できないものもあるがね。」

 直後、注文された品が届く。
 特に間違いはないだろう。