2016/09/28 のログ
シング・ダングルベール > 「おやっさん、今日は客が来ないねえ……。」

「……まあ、そんな時もあらぁな。」

カウンター席で頬杖を突く俺と、向かいの億から響くけだるげな声。
白髪交じりのエプロン姿の眼鏡面がここの店主。
俺はおやっさんと呼んでいる。二階に住み込みさせてもらってる手前、店の手伝いに駆り出されるわけだけど……。
……今日に限っては、とんと客が来やしない。

「……看板娘欲しくない?」

「……それはわしも欲しい。」
「ばいんばいんの。」

「ばいんばいんの?」

「むっちりした。」

「むっちりした?」

「……止めよう、虚しくなるわい。」

「だよねえ。」

シング・ダングルベール > 「学友にゃ良さげな候補はおらんのかい」

「んなこと言われても困るよ、おやっさん。」
「転入してまだ一週間ぐらいだぜ?」
「顔と名前覚えるだけでもやっとだってーのに。」

「なんだい、枯れてるじゃねえの。」
「わしが若いころはピーキャピーキャーとファンクラブが付いてまわったってえの。」

「その甲斐性があって、なんで嫁さんに逃げられるかねえ。」
「……あっ嘘ですジョーダン! 心からのユーモア!」

柔和な笑顔でグラスを拭いていたろうに、シームレスに果物ナイフを握りしめていた。
それも指先に何本も挟むように。なんのキャラだよおっかねえよ。

ご案内:「喫茶店どんぐり屋」にヨキさんが現れました。
ヨキ > 担当している講義のない日、異邦人街の雑貨屋へ買い物に訪れた帰りだった。
軽く食事を取って帰ろうと路地をぶらつき、「どんぐり屋」の看板と佇まいとに目が留まったのだ。

中を少し覗いただけで、迷わず店内へと入る。即断即決。
見るからに客の姿はなかったが、その顔に躊躇いは見えなかった。

「こんにちは。独りなんだが……もしや休憩中ではなかったかな。
 何かお勧めのメニューでもあれば頼みたいんだが」

カウンターを隔てたシングへ向け、緩く巻いていたストールを外しながら小首を傾ぐ。

シング・ダングルベール > 「おう、いらっしゃい。好きなところで構いやしやせんぜ。」
「なんせ貸し切りみたいなもんで。」

「いらっしゃいま……っ先生!?」

「先生?」

「先生。」

驚く俺の頭をメニューではたき、おやっさんが目くばせをする。

「なら初っ端から失礼かましてどうすんの。ほら、席を用意しな。」

へこへこと頭を下げながら椅子を引く。

「すいません、先生。改めていらっしゃいませ。」
「コーヒーも紅茶もあるけど、オススメはブレンドコーヒーですね。」
「ここいらじゃ評判で。食事も、軽いものなら用意できますよ。」

そそくさとメニューを広げる俺を覗きながら、おやっさんがカウンターの向こうでくつくつと笑う。

「すいやせんなあ、先生。うちの店員は不出来なもんで。」
「ここいらで何か買い出しですかい?」

ヨキ > シングが店主に叱られる様子を見ながら、ヨキもまた可笑しげに笑い出す。

「ははは。いいよ、これだけ人の出入りの多い学園だ。
 知られてなくとも無理はないさ」

その恐縮ぶりにぴらぴらと手を振りながら、席に着く。
しばらくメニューを捲りながら、それじゃあ、と言葉を続ける。

「確か……ああ、そうそう。このハンバーグシチューが美味いと聞いたな。
 それと、水を一杯もらおうか。
 あとはブレンドコーヒーを食後に頼むよ」

シングへ注文を済ませると、店主の言葉に頷いて答える。

「ふふ、真面目そうな青年で何よりだよ。
 ヨキのことは、これからゆっくり知ってもらえば良いさ。

 今日は少しばかり、そこいらの雑貨屋をぐるっと回ってきたんだ。
 ほら、近ごろぐっと涼しくなってきたろう?
 部屋にも何か、新しい彩りが欲しくてな」

シング・ダングルベール > 「そいつぁいい。先生は色をよく知っていらっしゃる。」
「うちも御覧の通り商いなんで、季節の節目にゃ頭を悩ませるもんでさあ。」
「入口にススキなんてあしらったりね。」

慣れた手つきで鍋に火をかけながら、おやっさんは何処か楽しげだ。
俺はというと水の注がれたグラスを先生に差し出し、カウンターの中へと入って食器の用意。

「そういえば先生、質問なんですけど。」
「何でこの島で美術を教えようって思ったんですか?」

前々から気になっていた疑問を口にする。
元々この島は人種どころか種族の坩堝。異世界からやってくるんだ、まともに共存できているのが不思議なぐらい。
身を守るため、自分以外の誰かを守るため、強くなりたいと願う人だっていた。
戦闘訓練施設なんてものがあるような学び舎に、文化的な授業があること自体が、俺には意外だった。

おやっさんが背中の向こうで、くすり笑声を零す。

ヨキ > テーブルに置いた紙包みを、かさかさと揺らしてみせる。
包みの表面には、どんぐり屋から程近い店のロゴがスタンプで押されていた。
異世界の植物や織物を、日本人好みのちょっとした雑貨に仕立てた品が人気だった。

「うん。今日も、こじゃれたリースなんぞ見つけてな。
 寒くなるまで、しばらく飾っておこうと思って。

 この店はこの店で、いい風合いの見た目をしているようだがね。
 郷に入らば、郷の季節感が欲しくなってしまうのが人情か」

朗らかな調子で会話を交わしながら、供された水のグラスを受け取る。

「なぜ美術かって?――
 どれだけ時代が変わろうと、世界が交じり合おうと、『美しいもの』に感動する心は不変だからさ」

即答だった。
問われてふっと笑み、水で喉を潤す。

「異能者に手わざの妙を教えること。
 無能力者に、異能芸術の多彩さを教えること。
 そして異邦人に、地球にどれほど多くの素晴らしい文化があるかを伝えること。

 ……まあ、何だかんだ言っていちばんの理由は、誰あろうヨキが好きだから、に尽きるがね」

シング・ダングルベール > いきなりの質問で困らせちゃうかなと思ってたけど、それは俺の思い過ごしだった。
この人はこの人の結論を出した上で、この島で生きている。
成程。美しいもの……美しいものかぁ。
そういうものほど、この島じゃ必要なのかもしれない。
そんなことを思う俺はかなりのアホ面をしていたのか、おやっさんのごつごつした手が背中をたたく。
……ったく、わかってますよ。わかってますよって。

「ハハッ、こりゃあ見事な一本筋の通ったお方だわ。」
「こりゃあサボれねぇやな。」

鍋をかき混ぜる片手間に、おやっさんはフライパンを煽る。
焼かれた肉の「ああ、こりゃ旨いな」感の強い匂いを、スパイスが「旨いに決まってるだろ……」ぐらいにまで昇華している。
横で準備するだけでもたまったもんじゃない。
それが深皿のブラウンソースの中に沈む様を眺めるのは、大変胸が苦しい。
原因の大半が飲み込んだ唾液の量のせいなんだけど。

「おまちどうさん。野菜なんてドロッドロに溶け込んでるし見てくれは悪いが、うちの自慢の息子でさぁ。」

眼鏡を直すおやっさんからは、どこか自慢げで微笑ましくある。
先生の前にそいつを配膳する俺も、感化されたのかな。どうもそんな気分だった。

ヨキ > お冷やを片手に、シングが背中を叩かれるまでの表情を見届けてくすくすと笑みを零す。

「実際のところ、美術ほど生活する上で役に立たないものはないからな。
 だが、だからこそ必要なのさ。ヒトをヒトたらしめるためにね」

やがてふわふわと店内を充たす肉とソースの匂いに、ひとつ深呼吸。
それまで教師然として話をしていたのが、たちまち頬が緩んでしまう。

運ばれてきたハンバーグシチューの皿を見下ろすと、おお、と目を輝かせる。
こっくりとした香りと照りに、細面に似合わぬ食欲が覗いた。

「これは美味い。いやまだ食べてないが、どう見ても美味いぞ。
 ふふふ。では早速……いっただきますっ」

スプーンを手に、子どもみたいな抑揚をつけた挨拶で合掌する。
シチューを一口掬って口に運び――目を丸くする。
頭上にエクスクラメーションマークが浮かんでいるかのようだった。

二口目にハンバーグ。じっくり咀嚼して、肉汁まで余さず味わう。
なるほどこれは、という低く艶のある男声と、わんぱくな食べっぷりがいまいち噛み合っていないのは明白だ。

「軽く済ませようと思っていたが……無理だな、これは。
 白いごはんを追加でひとつ、頼めるかね」

わんぱくな割に食べ方が綺麗なのも、ヨキなりの美学らしかった。

シング・ダングルベール > 「勿論! おやっさん追加オーダーいただきましたー。」

「あいあい。」

和やかな空気。緩やかな時間。いつだってうれしい顔を見るのは俺もうれしい。
幸せって、やっぱ伝播するもんだよな。
平皿にご飯をよそう俺の顔も、きっと笑顔なんだ。



そうこうしてる間に、まばらでもあるが他の客もやってきた。
先生のように買い物帰りが多いのかな。空席も残り少ない。
接客もひと段落してカウンターの奥で佇む俺。
カップを傾ける先生の横顔を眺めながら、こんな日がいつも続けばいいのになあと。
改めて、そう思ったんだ。

ご案内:「喫茶店どんぐり屋」からシング・ダングルベールさんが去りました。
ヨキ > 間もなくテーブルに運ばれてくる白米を、シチューと併せてこれまた美味そうに頬張っている。
途中でメールを受信したらしい端末を手に取ったが、返信はしなかった。
文面に目を通しただけで、再び食事に戻る。

取り立てて掻き込むでもなく、冗長でもなくマイペースで食べ進め、二つの皿を綺麗さっぱり空にしてみせた。

そうして食後のコーヒーにほっと一息つきながら、店主らへ目配せする。
いかにも満足げな顔だった。

食事を終えて会計を済ませ、その帰り際。
踵を返そうとして、はたとシングへ振り返った。

「――君、名前は?」

次もまた朗らかに会話を重ねられるように、と。
“ごちそうさま”を言い添えて、にこやかな挨拶で店を後にする。

季節の変わり目の晴れ間に大きく伸びをして、悠々と家路につくのだった。

ご案内:「喫茶店どんぐり屋」からヨキさんが去りました。