2015/07/05 のログ
ご案内:「歓楽街」にクランさんが現れました。
クラン >  繁華街のある一角。そこに一台のバイクが停まっている。
流線型の防弾性カウルを身にまとった巨大なバイク。
銀色の流線はある種芸術的とも暴力的とも言える。
 そのバイクの周辺に、むせ返るような、ひどく甘い香りが立ち込めていた。
「……フゥー」
 老婆だ。ゴーグル付きのメットを被り、このモンスターに腰掛けるように体重を預けて煙草を咥えている。
 枯れ木のような手足。おおよそこのバイクには似つかわしくないその外見。
 しかし、紫煙を吐き出しながら繁華街を見つめるその落ち窪んだ眼窩は、一種の凄味すら感じるかもしれない。

クラン >  着信を知らせる携帯端末。気だるげに懐に視線を向けると、それを手に取りながら腰を上げる。
「あァ、もしもし?」
 通話の相手は壮年の男のようであった。
やかましく騒ぎ立てるその声に、見えるはずもないのに払うように手を振って、
「あーあー。ねんねのガキじゃあるまいに。その程度の騒ぎならほっときな」
 どうやら落第街の方でトラブルが発生したようだ。
彼女は落第街・歓楽街間を股にかけるいくつかの組織を束ねる長という立場であった。
ひとたびトラブルが起きればこうして気を逸らせるものも多いのだが――。
 電話の男が告げる要件は、ただのマフィアの内輪もめである。
こちらに直接関係のある事態ではないし、彼女の定める掟が破られたわけでもない。
 人が何人病院送りになろうが知ったことではなかった。
「えーっと……ジンジャーレモンは……お、あったあった。……あん? あァ、こっちの話サ」
 自動販売機の前に立ちながら、気楽な素振りで小銭を投入。
最近お気に入りのジンジャーレモン・コーラのボタンを押した。

クラン >  落下した缶を手に取ると、携帯端末を頭と肩で挟む。
「用件はそれだけかい? ならいいんだ。
……ああ、夜の会合の話だけど。遅れるかもしれないから適当に相手を待たせときな」
 動揺する電話の男の声を聞きつつ、我関せずといった素振りでプルタブを上げる。
プシュッと音を立てると、ジンジャーレモンの爽やかな香りと煙草の甘い香りとが交じり合っていった。
「今日は平和だねえ」
 吸いかけの煙草を携帯灰皿にねじ込みながら呟いた。
 日進月歩、この常世島は絶えず流動している。トラブルも多いしキナ臭い動きだってある。
だが、少なくとも今日という日は大きく世界が動くこともなさそうだ。
 軽く空を見上げながら一息。
 缶に口をつければ、すっきりとした味わいが喉奥まで駆け抜けていく。

クラン > 「あ」
 いつの間にか通話は途切れていた。
自分から切ったのだか、相手から切ったのだかはよく覚えてなかった。
 少なくとも大した用件ではなかったし、それでもいいだろう。
 携帯端末を懐に仕舞うと、まるで今のこの空気を撹拌するように、強く息を吹きかける。
 もう紫煙が吐き出されることはない。しかし、まるでその息に呼応するかのように風が巻き上がっていく。
 むせ返るような甘い香りと、ジンジャーレモンの爽やかな香り。
その二つが混ざり合った空気が、歓楽街へと拡散していく。
「なんてね」
 風に巻き上げられた時点で、そのほとんどが霧散してしまった。
精々鼻の利く異邦人たちがその香りに眉を潜める程度だろう。
 この一連の出来事で、何かが大きく動くことなどそうありはしないのだから。

クラン >  その空気を破るように、再び携帯端末が鳴り響いた。
老婆にとってそれは見知らぬ番号だ。
 それを躊躇なく手にとって、再び耳に当てる。
「あー、もしもし?」
 今度は若い少年の声だった。
特に慌てた様子はなく、老婆にひとつひとつと用件を伝えている。
「アンタも物好きだねえ」
 コーラ缶を傾けながら目を細める。
呆れたような苦笑が老婆の口の端から漏れた。
「はいよ、水曜の二限目。確かに」
 言いながら、通話を切る。用件とは"カウンセリング"である。
老婆は表の顔として、この学園のカウンセラーを担当していた。
 しかしながら、相談室をむせ返るような紫煙で満たし、
面白がるように相手の話に応じる老婆に相談に来るものはそれほど居ない。
 だからこれもそれなりには珍しいことだった。
 楽しげに、メモ帳ではなく脳裏に予定を刻みこむ。
未だこの歳になってもボケないのは、一切の勘定を頭のなかで済ませてきたからだ。
人生のヒケツである。多分。

クラン >  ようやく愛馬のところまで戻ってくることができた。
再びシートに軽く体重を預けると、雑踏を眺めはじめた。
 特に用があったわけではない。勿論、待ち合わせというわけでもない。
ただこうしてフリーの日は様々なところに足を伸ばしているだけだ。
 現代に生きる魔女ならば何事もオープンな感覚で生きていかなければ。
 老婆が街を眺めるだけでも、知った顔がいくつも見える。
『あー、あいつはうちの店で筆下ろししたヤツだ』
『お。まだあいつは風紀にとっつかまってないのかい。相変わらず変装の巧い女だね』
 雑踏に目を向けながら、ぼんやりとそんなことを考えている。
声をかける気はないし、まあ声がかかることもないだろう。
 こちらが一方的に知っている人間がほとんどだし、そしてそれは糸一本のような細いつながりもののばかりだった。

クラン >  あくびを噛み殺し、空になった缶を潰す。
そのままゴミ箱へ缶を放り捨て、ゆっくりとバイクに跨った。
 手慣れた様子でエンジンに火を点けると、再び繁華街の奥へと走り去っていった。

ご案内:「歓楽街」からクランさんが去りました。