2015/08/02 のログ
■眠木 虚 > 大通りに面した立ち食いそば屋。
風紀委員の赤い制服を揺らしながら暖簾をくぐる。
「―――きつねそば」
銀髪に不敵な笑みを浮かべながら注文すれば威勢のよい声が返ってくる。
すでに昼も過ぎた店内は客もまばらだ。
流れる汗を拭いている内に注文のそばが目の前に置かれる。
早い安いを言うだけのことはある。
ヒビの入った器と雑に盛りつけられたお揚げとネギが味を予想させる。
「いただきます」
飛び散る汁にも構わず勢い良く麺をすする。
いつも通りの値段相応の味。
相も変わらずこの一帯は『いつも通り』であった。
■眠木 虚 > 事件が起きたのは昨日の夜。
それだというのにすでにこの町並みは普段と同じ顔つきだ。
強いて言えば、刑事課の風紀委員の姿がチラホラ見えるぐらいであろう。
「なんだかやるせなくなっちゃうよね」
独り言。
この街では『こういう事』は日常茶飯事だ。
少々盛りすぎた気もするが……。
それほど住人が慣れてしまっている証拠であった。
(どんな命でも軽いものじゃないと思うんだけどね……)
ただの事件であれば風紀委員会が関わることはない。
今回は被害者がたまたま『生徒』であった。
そのため、先程まで現場検証が行われていたのだ。
味の薄いお揚げに齧り付く。
うむ、不味い。
■眠木 虚 > 眠木虚がこの事件においてすべきことはない。
すべて刑事課の仕事だ。
せいぜい野次馬としてわざわざこの街に足を踏み入れる生徒を見つけて補導。
だがそれも杞憂に終わった。
「それはそれで別にいいんだけどさ―――」
今日中には刑事課の風紀委員も撤収するだろう。
捜査も『形式的』なものだ。
この街がこの街であるかぎり。
味の薄い汁を一口飲んで丼を置く。
深い溜息を付く。
(ただの通り魔事件―――で処理されるんだろうね)
「ごちそうさま」
お代をカウンターに置いて店を出る。
途端に真夏の太陽が容赦なく照りつける。
■眠木 虚 > この季節は多くの生徒にとっては特別な思いがあるだろう。
夏季休暇でしばしの楽しいひと時が過ごせるであろう。
しかし眠木にとっても別の意味で特別な思いがあった。
「―――お盆の準備、しないとね」
『指導課長補佐』に出来る事は限られている。
眠木がその能力を保有していたとしても『肩書』で縛られる。
出来る事があるならば、それを逸脱しない個人の範囲であろう。
(木偶の坊《スケアクロウ》なりにやるべきことはするさ)
例の『現場』の横を通り過ぎる。
待機していた風紀委員に敬礼されれば会釈で返す。
亡くなった被害者が最後に何を想っていたのかなど知りようがない。
亡くなった被害者がどんな人間であったかも考える必要はない。
命を失えば皆同じ。
「名が―――刻まれることを願うよ」
落第街から赤い制服が去っていった。
ご案内:「落第街大通り」から眠木 虚さんが去りました。
ご案内:「落第街大通り」に『室長補佐代理』さんが現れました。
■『室長補佐代理』 > 落第街大通り。その片隅。
時は夕過ぎ。雑踏と喧噪に塵埃が入り混じり、宵闇帷の衣を纏う頃。
男は、そこにいた。
いつものように公安の腕章を身に着け、いつものように滲む笑みをはりつけて。
その、片隅に。
大通りから一本裏に入っただけの、路地裏と大通りの間。
その往来が間近で十二分に見える、ただ一歩内側に入った所に、男はいた。
■『室長補佐代理』 > 「仕事中なんだがな」
大仰に左肩だけを竦める。
右手はポケットにつっこんだまま、仰ぐ左手には銀の指輪。
笑みを象るその相貌には、伽藍洞を思わせる黒瞳が一対。
ザンバラ髪の隙間からそれを覗かせ、己を囲む無頼漢達を睥睨する。
そう、男は、数人の二級学生に囲まれていた。
■『室長補佐代理』 > 理由はまぁ、だいたい分かる。
先日の引き上げ審査のせいだろう。
中には、目の前で先日叩き落とした輩も数人いる。
恨まれる理由は十二分。
ならまぁ、こうなるだろう。
「いくらなんでも、ここで事に及べば『タダ』じゃすまないのはわかってんだろうな?」
一応、確認の為にそう問い掛けてみるが、口頭での反応はない。
帰ってくるのは、怨嗟の視線と殺意と害意のみ。
片隅とはいえ、大通りでも『事』に及ぼうという連中なのだ、まぁ通用すまい。
だが、いくら落第街とはいえ、大通りともなれば風紀や公安の目もそれなりに光っている。
彼らとて、その意味が普段からまるきりわからないわけではあるまい。
それでも、彼らにその一歩を踏みこませたのは何かそれに至らせるだけの『切っ掛け』が他にあったからか。
そこまでは、流石に察することは出来ない。
ご案内:「落第街大通り」にヨキさんが現れました。
■ヨキ > (落第街でなければ買えないものがある。
出所不明のうまい食材とか、副作用の判然としない効果覿面の薬だとか、そういった類の。
それを買いに来ること、だけで、その地区へ足を踏み入れるには十分な理由だった。
くしゃくしゃの粗末な紙袋を小脇に抱えて、通りを歩く。
長身で、教師で、獣人で、異邦人。目を引き、害意を招き寄せる要素はいくらでもある。
それに、落第街には落第街の秩序がある。いたずらに乱してはならないものが。
そういう訳で、賑わう通りを真っ直ぐに歩いていた。
路地へひとたび目をやったのは、ほんのたまたまのことだった。
――見たことのある顔。
足を止める。
物珍しい店のショウウィンドウでも眺めるように。
爪先は、学生に囲まれた彼の方を向いている。
いつでも踏み出せるように)
■『室長補佐代理』 > 以前、常世公園の片隅で出会った、その異邦人の教師の存在に、未だ男は気付かない。
否、気付けない。
人垣の中央で、肩を竦め、余裕あり気な笑みを浮かべたその男には、それに気付けるほど視野が確保されていない。
男は、公安委員である。
だが、男は片手である。
ヨキ以外の往来は皆『見て見ぬふり』である。
誰も彼もが、ショウウィンドウ越しの非日常から、目を背けている。
「まぁ、いい。やるなら来いよ。まとめて相手してやる」
そういって、威圧的で獰猛な笑みを浮かべて左手を仰ぐが……公安の男を取り巻く無頼漢達は怯まない。
むしろ、その輪を縮めて、ついに1人が、躍り掛かった。
カラーギャング風の少年が1人、男に真正面から。
その右手を、固く握りしめて。
■ヨキ > (あの晩は、何の話をしたのだったか、などと悠長な顔。
唇を引き結び、ひとりを取り囲む男たちの背を見ていた。
サンダルの柔らかな靴底が、しゅらりと音もなくアスファルトを踏む。
一歩、二歩。
見て見ぬ振りというには近く、野次馬らしく離れた位置へ歩を進める。
男の声。怒気が増したのを肌に感じ取る)
「(なかなか威勢が良いものではないか)」
(路地の隅に積み上げられた、木箱やパレット。
その上へ無言で、徐に腰を下ろす。
板は痩せぎすの身体には不釣合いな撓みを見せて、彼らの耳へ届くほどにはぎし、と鳴った)
■『室長補佐代理』 > 一発、少年の拳が強かに公安の男の頬を捉え、男が殴り飛ばされる。
さらに追撃を加えようと他の男たちが踏み出そうとしたところで、ぎしりと、木材の軋む音が気配と共にあたりに響く。
二級学生たちの目がそちらにむき、自然、地べたに転がっている公安の男の目も、そちらに向いた。
口端から血を吐き捨てながらも、男は……じわりと、嗤った。
滲むような、交換より先に嫌悪の来る笑み。
泥沼を思わせる、汚らしい笑み。
「よう、『先生』、いい夜だな」
そう、わざと聞こえる様にいえば、周囲の二級学生たちも若干怯む。
公安と既知の教師。その上、異邦人。
彼らからすれば、それは『公権力』に属するものではないかと、脳裏に推察が過ってしまう。
■ヨキ > (男が殴り飛ばされる姿に、声は出さず、おお、と口の形だけが変わる。
自ずから響かせた物音に周囲の目がこちらを向くと、並んだ顔を右から左へ視線が流し見る。
地べたから這い上がる厭らしい笑みに、腰掛けたままの上から目線で笑い返す。
引き裂けるような笑み。元から人間と筋肉のつくりが違う顔。
並んだ牙がぎざぎざと波打って、フードの下の瞳が生温い金色にでろりと輝く)
「やあ、公安の君よ。いい眺めをしているな」
(学生らの怯む様子に、くっく、と肩で笑う。
茶飲み話のような気楽さでサンダルを右左と脱ぎながら、戯れに中敷をふっと拭く。
細かい犬のような毛が僅かに散った。踵のない、獣の四本指)
「友だちかね?」
■『室長補佐代理』 > 「まぁ、知り合いってところかな」
まるで彼我の間にいる二級学生達などいないかのように、既知の教師と笑みを交わす。
鮮やかな金色の瞳を、伽藍洞の黒瞳が捉え……滲むように、細まる。
明らかな『異形』を意識させるその教師の、野性の笑み。
それを、恫喝とでも受け取ったのか。それとも、余裕の嘲弄とでも受け取ったのか。
怯んだ二級学生達は、舌打ち交じりに路地裏の闇へと消えていく。
二人の男を、その大通りの片隅に残して、一目散に。
公安の男は、ただ地べたに転がったまま、それを見送ってから、大きく溜息をついた。
そして、どうにかこうにか片手で上半身をあげて、地べたに座り込んだまま、汚れた壁に背を預けた。
「助かったよ、先生。お陰で余計な怪我をしないで済んだ」
■ヨキ > (怯むことは何もないとでも言いたげに。
人差し指にサンダルのベルトを引っ掛けて揺らしながら、学生たちが通りの向こうへ消えてゆくのを目で追う。
座り込む彼を見下ろしながら、自分は膝を折り曲げ、裸足の爪先を木箱の縁に引っ掛けて、背後の壁に凭れ掛かる)
「何、ヨキは何もしておらん。彼らが恐れを為したに過ぎんよ」
(野良犬がそこにただ在るかのように、座り込んでいる)
「怪我、怪我ね。君とてあれだけの顔をする。弱い訳ではなかろう?
君がやり返して、ここが消し炭になるならば、話は別だが。
……君、彼らの不興でも買ったか?」
■『室長補佐代理』 > 「いいや、弱いのさ。荒事は昔から苦手でね。
小さい犬なもんで、吼え方と喚き方だけは知ってるってだけのことさ。
それだって、万全じゃねぇから『こう』なることもある。
ま、なんにせよ助けて貰った事にかわりはない。後で飯でも奢らせてくれ」
そういって、左手で血の付いた口元を拭う。
舌先で唇を舐めると、血の味がした。
転がった際にズレた公安の腕章を面倒くさそうに直しながら、苦笑する。
「まぁ、そのへんは御察しの通りだ。仕事柄、ああいう連中には恨まれやすいんでね。
先日、二級学生の引き上げ審査をやって、大分篩い落とした。その逆恨みさ。
いや、アイツらからすれば……逆恨みでもねぇのかな? 好きでここにいる奴ばかりでもねぇだろうしな」
■ヨキ > 「は。ならば程よくヨキが番犬となったか。
噛み付くと従うだけがヨキの仕事よ。
――飯?誰あろうこのヨキにか。
殴られるよりも大きな痛手を負っても知らんぞ」
(楽しげに笑う。男を引き起こすようなことはしない。
その痛みが引くのを待つように、ぽつりぽつりと口を開く)
「引き上げ審査か。道理でな。
望まずと落とされれば、恨むも当然か。
斯様に君を痛め付けて、学園の門もみすみす遠ざかるばかりだろうに」
■『室長補佐代理』 > 「なあに、経費で落とすさ。
治安維持への貢献なら、それこそ番犬同士同じ釜の飯を食ってもおかしくない」
ひんやりと心地よいコンクリート壁に身を預けて、往来の喧騒を環境音に会話を続ける。
話している間は、痛みは遠のく。所詮はこれらも意識の配分の問題に過ぎない。
『紛らわせる』という手段は、思った以上の効果を持っている。
故に、誰もが、『目を逸らす』ことに慣れていく。
傷は見た時から痛み出す。誰もが、それを無意識にしっている。
「そのへんは、まぁ、あれだ。良く報道で使われる文句あるじゃねぇか。
『ついカッとなって』って、奴。アレなんだろう。
目の前に飴ぶら下げられて、御預け喰らえばああもなるさ。
その飴がタダなわけもないって気付かない程度には感情的で刹那的な連中なわけだしな。
公安委員を痛めつけたことで次に自分たちがどうなるかなんて、想像もしてないんだろう。
そこまで想像できるなら……そもそも、最初から手ぶらで引き上げ審査になんざこないだろうしな」
そう、二級学生は難民同然。
ならば、『力』や『技術』……いつしか、『学費』へ繋がるそれらの手土産がなければ、引き上げなど出来ようはずもない。
財源は有限である以上、慈善事業ではないのだ。ならば、それは当然のことで、その想像もしない奴なら、『こう』しても無理はない。
■ヨキ > 「ふッ、は。委員というものは便利だな。
次から君の周りをついて回るか」
(サンダルを突っ掛けて、ベルトも締めずに揺らす)
「話を聞くに、よほど弁えていない者も多そうだな。
居ないことになっている奴らが、よくも君の元へしゃあしゃあと集うものだ。
公安の職務は、教師とて与り知らんことも多い。
随分と立派な仕事をする子犬ではないか。
……審査にはどれだけ集って、どれほどの割合が通る?」
(往来へ冷たい一瞥をやる。そして隣の男に、温かな眼差しを)
「使うか。薬。痛みによく効く。
いかなる薬草か定かでないゆえに、人体に使ってその形のよい顎が変形するとも知れんが」
(見るからに怪しげな紙袋を、かさかさと揺らしてみせる)
■『室長補佐代理』 > 「ははは、じゃあ、ありがたく受け取っとこう。実は結構やせ我慢してんだ。
まぁ、顎が口角ごと前に伸びたり、新しい耳が二つばかり頭の上に生えたらそれはそれで吼え甲斐もあるかもな」
そう、冗談めかして嘯いて、身を捩る。
熱を持った打撲部がコンクリートにひやされて、少し気持ちいい。
「公安は性質上、秘匿主義なんでね。俺の仕事だって、そのうちの一部にすぎないさ。
俺だって、担ぐ神輿のことは知らない事ばっかりだ。それでも、仕事は仕事。義務は義務。
与えられれば、果たすのみ。どこでも同じことだ。
審査の方は、そういうのに理解が無い連中がだいたいくるんでな。
今回に限ればだが……まぁ、せいぜい通したのは多く見積もっても二割程度だ。
それだって、一次審査を通してやっただけで、その先の事は俺にもわからねぇな。
ところで、この薬飲むのか? 塗るのか?」
■ヨキ > 「耳はもてるぞ。ヨキが保証する」
(そんなことを笑いながら、袋の中身を漁る。
取り出したのは小瓶がひとつ)
「塗り薬だ。布か紙か包帯か、塗りつけて貼っておけば痛みが引く。
一瞬で治るほどの霊薬ではないがな。擦り傷切り傷、打ち身に火傷、何でもござれだ。
異邦の薬が、島に渡ってきたものらしい。こちらへ来てから、長らく世話になっている」
(ラベルもなく、ジャム瓶より一回りは小さいようなガラスの中に、
これまたミルクジャムのような膏薬が詰まっている。
粗末なアルミの蓋ごしに、薬草の煎じたような香りがする。
ほれ、と男へ向けて差し出しながら)
「真っ当な仕事人の在り方だ。
それがいい。使うも使われるも、それが楽だ。
……ほ、二割か。なかなかのものだな。
どれほどがかの学び舎へ辿り着くか……辿り着いた先に残るか。遠い道のりだ。
烙印はそうそう削り落とせるものでもあるまいにな」
■『室長補佐代理』 > 「そういう当たり前の現実も分からないか……それとも、直視したくないのか。
まぁ、連中から見れば宝籤の抽選券を目の前で俺に破られたようなもんだ。
逆恨みの一つもしたくなるのも当然で、もしかしたらお上は『それ』をさせることが目的なのかもな。
締め付けの言い訳にもなる」
嗅ぎ慣れないが、嫌ではない不思議な薬草の香りに、少し気が休まる。
その、粥を思わせる白薬を、左手の人差し指で掬い取り、血の滲んだ頬に塗る。
少しだけ滲みるが、低刺激が続くお陰で塗布剤特有の痒みにはならない。
よく出来ているな、と呟いてから、改めて目前で「ありがとう」と礼をいう。
「小さな擦り傷にすら、特効薬はそうそうない。みんな、分かってるはずなのにな」
■ヨキ > 「うまく回っているものだと感心する。
若く換えの利く学生に、それらの『籤破り』を果たさせることも。
ヨキのようけだものが、教師という職に在り続けることも。
それが常世の認めた秩序という訳だ。
締め付けは、何も制約のみと同義ではない、とあってな」
(薬は滑らかに肌に伸びる。草の匂い。
市販薬のような刺激は少ない)
「どう致しまして。
ヨキの身体に、人の薬は合わぬことも多くてな。探すうち、ここへ辿り着いた。
……ヨキを見て、妙な顔をする者は少なくない。
良い顔をしておきながら、ヨキを知るうち手のひらを返す者も。
秩序の番をしながらに、自ずから乱しに入る駄犬であることよ。
――傷を埋めた薬は、いつか剥げる。
光明が虫を灼く火と知って、なお蜘蛛の糸を上らずに居れぬのは、地を這う者の宿業か」
■『室長補佐代理』 > 「光ってのは、想像以上に力があって……想像以上に、なくなると恐ろしいもんだからな。
真っ暗な場所には、人は長く居られない。人は生まれながらにして、結局ああだこうだ抜かしても正の走光性を持っている。
そういうのが、先生の暮らしを脅かす原因にもなっているのかと思えば、同じ『こっちの世界の人間』としちゃあ恥ずかしい限りだけどな」
男とて、薄暗がりでヨキのような異界の住民に襲われたら、恐らく是とは言えないだろう。
ならば、組織の蓑すら纏えない弱者の畏れを……どうして詰れるだろうか。
男もまた、人に過ぎない。ならば、それは人ではない彼に対して示す同調すら……時には、お為ごかしになるのだろう。
その事実こそを、男は恥じた。
「なぁ、ヨキ先生。異世界からきた、先生から見て……この学園の秩序はどう見える?
正しく『第三者的見地』をもっている先生にだからこそ、少し、聞いてみたいんだ」
■ヨキ > 「獣とて智慧はあるが、人のような手管はない。ヨキはそれらを学び、使ってきたに過ぎん。
人にも獣にも思想はある――獣はただ食う。産み育てる。食われる側は逃げ果せる。
それらは決して相互に干渉するものではない。
人の思想を侵し脅かすのも、また人間の走光性のひとつだ。
目指す方向が正負のどちらと呼ばれるべきかは、大した問題ではない。
それが人の在りようならば、ヨキはそれらのいかなる性質をも肯定する。
害意すら、そいつが人間として生きていることの証だからだ」
(男に問われて、ぐるりと身を翻す。
大きな犬が体勢を変えて歩み寄るように。
長衣の裾が、薄汚れたアスファルトの上へ波紋のように拡がる。
男の隣へ、腰を下ろす)
「この学園の秩序、か。そうだな。
薄氷、あるいは、引き絞った弦。表通りの安寧と裏の混沌とが、正しく均衡し合っている。
だがその均衡は、氷を踏む力、糸を切る鋏のごとき外圧によってすぐに破れる状態にある。
ロストサイン、フェニーチェ、『外圧』の名前は色々だ。
はたまた『内圧』。氷の自重か、糸を引く手とも付かん。
その名前もみな知っているだろう。財団、公安、風紀に生活委員会。
全く継ぎ接ぎだ。美しくも何ともない。だが活力に満ちている」
■『室長補佐代理』 > 異形の教師と肩を並べて、薄汚れた壁を背に、薄く微笑む。
星は愚か、月明かりすら届かない、大通りの片隅。
誰も彼もが見て見ぬふりして通り過ぎる、地べたに鎮座する二人の男。
公安の男は足を投げ出し、広がる衣の波紋を一瞥してから、四角く切り取られた夜空を眺める。
教師が返答を終えるまで、口は差し挟まず、ただ、空を眺めた。
夜が深まり、落第街の光が増し、鱗雲で斑となった夜天の煌めきすら、疎ら霞んだ頃。
教師の返答を十二分に咀嚼してから、男は、口を開いた。
「なら、よかった。それも、『人間が生きている証』なんだろうからな。
継ぎ接ぎだらけで、美しくもなんともなくて、生き汚くて、不恰好でも……生きてるのなら、証とするには十分なんだろう。
異界の先生からもそう言って貰えるのなら、それこそ、不恰好に『正義の味方』を続けた甲斐もあるってもんだ」
そう、少しだけ朗らかに、男は笑う。
隣人にして客人であるその教師と肩を並べて、どこか、納得したように。静かに。
■ヨキ > 「そうだ。この島のものみな愛し子よ。
ゆえにヨキはすべてを肯定する。旗取りて進め、だ」
(男と同じくして壁に身を預け、小さく笑う)
「安心するがいい、『正義の味方』。
この島に、悪が永劫と蔓延ることはあるまいよ。
進めまた進め、その先にあるのは革命か? 答えは否、だ。
天命革まること能わず。何故ならここは冥府の果ての底の底、その名も見事な『常世島』」
(謳うように、励ますように、揶揄するように。微かな、それでいて低く通る声が言葉を続ける)
「いずれ割れた薄氷はまた凍る。切れた糸は縒り合わされる。
我らの見えざる手によって、だ。
地の底深く空を仰ぎ見ること叶わず、天命はいかなる星より遠い。
ならば正しく、空より注ぐ定めの通りに吼える他にないだろう――『常世の犬』よ」
(そうして笑う。すべての望みと諦めを呑み込んだような顔で、小さくひとつ)
■『室長補佐代理』 > 「至天への昇華も叶わず、六道が辻に堕ちることもなく。
何故なら、我らは肉の身。肉の身非ずは……常世に成らず、か」
第二特別教室。その警句を思い出して、苦笑を漏らす。
正しい意味での獣性を持つ教師のその言葉は、獣だからこそ持ち得る誇りのような諦観に思えた。
人は、苦しみに嘆く。喚く。避け得ぬ定めにすら、抗う。
それこそが人の持ち得る美徳であり、悪徳である。
だが、獣は違う。
獣は、それが避け得ぬと知れば……ただ、佇む。
死期を悟った獣はただ、鎮座する。ただ、受け入れて、佇む。
それは、徒な自棄ではない。
ただ、誇り高く、気高い諦観だ。
それこそが獣の持ち得る美徳であり、悪徳である。
しかし、ただ、この時ばかり。
ただ、徒に手を伸ばす『人』の悪徳を自省するこの時ばかりは、その対極の美徳が、深く沁みた。
何事も、丁度いい所がある。
この教師は、それを知っているのかもしれない。
人でもあり、獣でもあるからこそ。
その、『自然』の在り方を、ただそれこそ……『自然』に、知っているのかもしれない。
懊悩の果て、漸く人はそれを知る。
だからこそ……その愚かさすら抱き込んで、彼は愛するのだろうか。
「詩人だな。先生。
ただ言いつけを守る『番犬』と、自ら出ずる『猟犬』の違いってところか?」
自嘲の笑みをそう漏らして、左肩だけを竦める。
左手の銀の指輪が、妖しく煌めいた。
■ヨキ > 「保たれた秩序の裏にあるのは、泥濘のような退屈と停滞だ。
だから秩序を乱そうとするものが現れる――泥の中を、足掻きながらに」
(隣の男へ言葉を投げ、それに返るものがある。
交わされるやり取りに、発する声は穏やかだ。
詩人だ、と評されて、あの二級学生たちを脅した昏さなど微塵もない、ひどく落ち着いた顔で笑う)
「躾けられたのさ。
君や、君のような聡明な人間たちに。あるいは、人間の愚鈍さに。
獣は、人が思う以上に愚かだ。そうしてそれ以上に、人は獣の賢しさをも知っている。
思想は害されるべきでない。ただ知り、学び、留めるべきだ。
留めたものを、その隅に見返すでもなく置き放し、仕舞っておけるだけの広さがあるはずだ。人の身の、心にはな。
番もするし、猟もする。
そしてそれらの心得を、人の言葉に介して発する――ヨキはそれほどに、切り離すことも出来ないほどに、人であり、犬なのだ」
(獣が目を瞑るような、上下の瞼を動かす瞬き。
人の男がしみじみと染み入るように、緩く首を振った)
「ヨキは公安にも、風紀にも加担しない。
いかなる組織とて、ヨキを飼い馴らせはせんよ。
このヨキが信じ、従い、愛するのは――ただひとりの、君という人間だ。
人と獣とは、そうしてあるべきだと思っている」
■『室長補佐代理』 > それは、事実という名の真実だった。
男は、真実というものを信じていない。
そんなものに価値はない。
愕然たる事実を前にすれば、真実など、都合のいい虚実に劣る。
しかし、その教師が今しがた語った……泥まみれの真実だけは、肯定せざるを得なかった。
永劫に保たれた秩序が与えるのは停滞であり、その停滞を是とする環境は最早……ディストピアというほかない。
行き過ぎた管理は例えがそれが紛れもない、誰もが求め、そして認める真実の善意であろうと……悪意という名の人間性を駆逐する毒となる。
それは現実的な真実であり、現実に即した事実でしかない。
ならばそれは、ただ、曖昧に首を振る程度には、理解できる話だった。
司法取引を是とする公安調査部別室所属とあっては、それこそが自然な話ともいえた。
それを前提として、それすらも『清濁併せのんで』語られる、教師の奔放で好意的な言葉に、つい男も面映けに返事が遅れる。
「教師の言葉としても……口説き文句としても、中々聞きでのある台詞だな。
少し、考えちまったよ。どう返事しようかってな。こういう仕事してるせいかね。
いつまでたっても、まっすぐそんな風に言われるのは慣れないもんだ」
そう、気恥ずかしげに笑う。
善意を知らないわけではない。好意を知らないわけでもない。
それでも、平時それはどうしても、受け取ることは多くない。
なら、やはりそれに対しては、男も正しい受け取り方はおそらく知らないのだろう。
知っているつもりに、なっているだけだ。
「とりあえず、ありがとよ。先生の見解は、個人的に非常に参考になるものだったよ」
■ヨキ > 「君との話は、夜が早く明けるな。
……我らの言葉で、何度でも下ろそう。夜の帳を」
(人間らしく、履き物を整え、すっと立ち上がる)
「どうぞ、参考にしてくれ。
君ほどの男となれば、ヨキ以上に思慮深い師の多いことと思うから。
だが先生、と君から呼ばれる限りは、いつでも話に応じよう」
(男に向けて手を伸ばし、彼の身体を引き起こさんとする。
やがて差し込む朝日を受けて、ゆったりと、大らかに笑う)
「今夜は、君の言葉を随分と馳走になった。
次は卓を囲み、うまい食事と、うまい酒でも交わすか。
はたまた夏だ。与太話の供となるものは、どこにでも溢れていよう」
(そうして別れる段になって、踵を返し際、男に尋ねる。
懐を探り、指先に取り出すのは――いつかの夜に男から受け取った、白紙の名刺だ)
「公安の君。
これは君と対等に話したいという、ヨキの望みだ。
――君の名は、何と言う?」
(答えを得られようと、得られまいと。
名など瑣末な要素に過ぎないと笑うか――彼の手掛かりを得たと笑うか。
どちらにせよ、落第街には似合わぬ和やかさで、別れの手を掲げるだろう)
ご案内:「落第街大通り」からヨキさんが去りました。
■『室長補佐代理』 > 去りゆく背中に、一言。
「朱堂 緑」
ひどく、男には珍しく。
躊躇いもなく、恥じらいもなく。
ただ、自然に。ただ、当たり前に。
一度漏れた以上、隠す必要もないせいか。
いや、違うだろう。
ただ、男は思ったのだ。
『助け』られたのなら、それは自然であろうと。
ただ、懊悩の中、詩篇を綴るが如く引き上げられたのなら。
それは。
「それこそ、先生と呼ぶ限りは、そう名乗るのが自然だろうからな」
己の不足をなぞるように、そう教示を与えられたのなら。
それは、必要な事であり、それこそ『自然』言うべきことなのだろう。
掲げられた手に、同じように手を掲げ返して、立ち上がる。
獣人の教師に背を向けて、踵を返す。
何、ここは常世。
天に唾吐き、地より追われる箱庭の園。
ならば、背中合わせの別れにも、さして大きな意味はない。
故に、男は振り向かない。恐らく、教師もそうしたように。
ただ、それこそ、自然に。
ご案内:「落第街大通り」から『室長補佐代理』さんが去りました。