2016/11/20 のログ
ご案内:「落第街大通り」に《赤ずきん》さんが現れました。
■《赤ずきん》 > それは11月の、ある物寂しい夜の出来事。
ところは、常世島共済会第三病院。
転移荒野に程近いこの医院には、時折、転移の際に負傷した異邦人が運び込まれることがある。
夜間には、宿直の医師と看護師が数名詰めている。
ある意味では、異世界から持ち込まれる病原体への防疫処置を行なう最前線の医療施設である。
病床の数は少ないながら、市内のそれより数段充実した設備を特徴としている。
この島において転移現象が発生する仕組みには諸説ある。
季節性の変動があるとか、天候の影響を指摘する説もあるが、いずれも仮説の域を出ていない。
患者の数は、かの荒野に足を踏み入れた生徒たちの数と、転移現象の機嫌次第ということだ。
病室のひとつに、一人の老人が身を横たえている。転移者である。
第三病院に運び込まれて早数日。症状は、四肢に刻まれた複数の金瘡と、胸部深くまで至った裂傷。
致命の傷とならなかったことが、不思議なほどの深手と言える。
旺盛な生命力にも関わらず、傷の治癒は遅れている。異世界に由来する何らかの作用が疑われた。
患者の落ち窪んだ双眸は、憔悴しながらも強い意志の光をたたえている。
今、その光は閉ざされて、夢のない眠りのさなかにあった。
一瞬のブラックアウト。直後に点灯した非常灯の赤い光にすべてが染められるまでは。
『ザッ――――緊急連絡。緊急連絡。構内に火災が発生しました。繰り返します、構内に火災が発生しました』
『当直の職員は、患者の避難を開始して下さい。患者の皆様は、落ち着いて職員の指示を―――』
幾つもの足音が廊下を行き交い、入院患者の避難誘導が始まる。
老人はそして、赤い光と闇の中で目を覚ます。
『――――い、いませんっ! この部屋の患者さん、もう外に出られたんですか!?』
■《赤ずきん》 > 霧深い夜だった。
晩秋らしい夜の冷気が、骨までそっと染みとおってくるような心地がした。
こんな夜には人通りも無く、誰もが夢に現にまどろみながら夜明けが訪れるのを待っている。
出歩くのは、よほどの事情があるものか……誰かの悪夢から彷徨い出た、幻影の怪物くらいなものだろう。
ここに、赤い閃光から逃れて夜の霧へと身を投じた人影がひとつ。
薄い皮膚の下、素足に石畳を踏みしめながら、痛みを訴える胸を押さえて逃れゆくもの。
長身痩躯に脂汗を流し、あてどなく異世界の夜を突き進む老齢の負傷者。
その背後。厚い霧の彼方に赤い色彩の気配がして、男は振り向く。
幻であった。人を惑わす霧に投影された、ささやかな気の迷いに過ぎない。
実像なき紅蓮のまぼろしは、視界の隅に染み付き、去らず。
白い息を荒げて、苦痛に顔を歪めて足を速める。
月光と白い霧に浮かぶ街路から、黒一色を塗りたくったような路地の闇に踏み込んで息を潜める。
存在の全てを無にして、呼吸を止め、悪夢が去るまで透明な存在であろうと努める。
夜が明けるまで、こうしていればいいのだろうか。悪夢はいつか、終わるのだろうか。
「…………どこへ往こうというのです?」
「霧の怪物。蒸気都市の夜を盗む、僭主の眷属。人の安寧を奪い、生の儚さを嗤うもの―――」
奈落の底から湧き出したような「赤」が、人の姿をした害意がそこにいた。
「まるで、人のように怯えるのですね。………その恐怖すら、借り物に過ぎないというのに」
燃えるような真紅のフードが、外套がはためき迫る。銀の刃、閃いて。
■《赤ずきん》 > 嗤っていた。口の端を吊り上げ、「それ」が狼狽して這うように逃れるさまを嘲笑っていた。
返り血を浴びて、緋色の外套がさらに濡れた輝きを帯びていた。
『…………どこまでも、追いかけようというのかね。警告は……たしかに伝えたはずだが』
「……ええ。お望みとあらば、地の果てまでも」
強烈な呪詛をもって捻じ曲げられた実験動物のように、歪んだ人影が苦痛に呻く。
病衣が切り裂かれ、鮮血が噴出す。その傷口の周りの肉が隆起し、硬質の体毛が人間の皮膚を突き破る。
それは、獣の息遣いにも似ていた。言語としての判別に、困難を覚えるほどに。
『……ならば、破滅的な結末は避けられまい。残念なことだ』
『時々、考えることが……ある。我々は……もっと、別の出会い方が……できたのではないかと……ね』
「………は。ははは。ははははは!! 世迷言を!」
異形と化した「それ」が、哀しげに肩をすくめる。シニカルに笑った様にも見えた。
月に吼えて、打ちかかる。鮮血滴る刃を振るう、赤の少女へと。
生存率61%。右の眼窩に埋め込まれた階差機関の示した数字に、赤い狩人は満足げに鼻を鳴らした。
■《赤ずきん》 > 空間が歪んで見えるほどの殺意と殺意が衝突し、銀の刃が弾けて砕ける。
常人の肉体を一撃の下に抉り取る豪腕が赤いフードをかすめ、半呼吸遅れて大気が唸る。
銀の弾丸を放つ赤き狩人と、老獪なる手負いの巨獣の闘争。暗闘の物音が白亜の闇に響きわたる。
生存率のパラメータは一合打ち合うごとに乱高下して定まらない。
『………む、ゥ……』
膝をつき、わずかな一瞬体勢を崩す人型の怪物。フードの下、右の義眼が赤く煌いて好機を告げる。
心ノ臓を抉る好機と見定めて突き出された白刃が硬質の体毛を噛み、肉を裂ききらぬまま攻勢がとまった。
筋繊維が化け物めいて隆起した黒い毛むくじゃらの腕が外套越しに上腕を掴み、軽い身体をモルタルの壁に投げつける。
「……………ッ……!!」
この体重差はどうにもならない。フードの下、視界の周縁が赤く染まって原色の星が瞬く。
■《赤ずきん》 > 衝撃から立ち直る間もなく、「それ」の姿は掻き消えている。
視界の外から三叉槍のごとく突き出される巨腕。喉が潰れて、背後の壁にびしりと亀裂が走る。
『………功を焦る。血気に逸って死に急ぐ。勇ましいことだな、《赤ずきん》君』
『命乞いは聞かんよ。君とはこれっきりにしたいのでね』
気道が詰まり、じたばたと見苦しくもがく身体ごと、もう一度壁面に打ちつけられる。
毛むくじゃらの腕の空いた側には、蒸気都市ではありふれた護身用拳銃が握られている。
「………がッ…………ぐ、う、う……!!!」
義眼に搭載された階差機関が弾く生存確率が、急速にゼロへと近づいていく。
見ればわかると毒づく前に、理論上の生存率は0%を示すに至った。
これが異国の地に飛ばされながら、向こう見ずにもひとりきりで足掻こうとした愚者の末路だ。
蛮勇の代償。救いの無い死をもって償われるもの。ここが死に場所。この身ひとつの限界だ。
断末魔の叫びを発することさえ許されず、顎先に押し付けられた銃の引き金が無造作に引き絞られる。
蒸気都市から無限遠の彼方に位置する、異世界の名もなき街路。昼間にあっても光差さぬ場所。
霧に包まれた闇の底に、乾いた発砲音が木霊した。
■《赤ずきん》 > 弾丸は顎の骨を砕き、舌を引き裂き、眼球を揺らし、脳幹を貫いて大脳をかき混ぜ、頭蓋を抜ける。
銃身に刻まれたライフリングから生まれる回転運動は頭部に破壊的な痕跡を残していく。
鉛の暴威はそして、モルタルの壁に脳漿を撒き散らし、身元不明の死体がひとつ出来上がる。
はずだった。
弾丸は正しく頭部を通過し、背後の壁面に深い弾痕を刻んで止まった。
けれど、脳漿は散っていない。脱力した身体は、怪物の足下にへたり込んだまま血の一滴も流してはいない。
このろくでもない人生に終止符を打つ物理現象が。
無かったことになった。
「………………な…っ!?」
訳がわからないのは「それ」も同じ。
間髪入れずに殺意が湧き出し、状況を把握する前に銀の刃を突き出す。
今度は全身の体重をかけ、蒸気都市の鉄塔の上で与えた傷痕を狙って、抉りこむ――――。
■《赤ずきん》 > 耳障りな悲鳴が夜の闇を揺るがす。
力任せに薙ぎ倒され、全身が軋みをあげて視界が揺らぐ。目が眩む。意識が遠のく。
喚きながら逃げだす「それ」の背に放ったナイフは、少しも飛ばずに落ちていく。
「…………っ……ま、た……仕留め……損ねた………!」
「…ぅ……ここに、も………人が―――…」
今にもばらばらに四散しそうな肉体に鞭打ち、闘争の証拠品を回収して痕跡を消す。
傷ついた身体を引きずり、赤い外套の人影もまた、霧深い夜の彼方へと溶けていくのだった。
ご案内:「落第街大通り」から《赤ずきん》さんが去りました。