2018/05/20 のログ
イチゴウ > 死は終わりであると同時に
解放と言う側面も持っていると言えるかもしれない。
名前、身分、種族、経歴だけでなく起こした功績や
反対に犯した罪まで。
意識の喪失は自らを彩りあるいは縛りつけるあらゆるものから自分を解き放つ。
初めて永遠でかつ完全な自由を手に入れるのだ。

「もしボクが死ぬことが出来るのならばボクは何から解放されるのだろう?」

ロボットは疑問を抱く。
今、自分を縛り付けているものは何か。
死という概念を経る事でただ任務を遂行する兵器という
存在意義から解放でもされるのだろうか。
究極的な本質から逃れる事が出来るのだろうか。
首輪を付けられた偽りの自由から真の自由へ飛翔できるとでも言うのだろうか。
ぬくもりの無い合金のシャーシを揺らすことなく
ただただその顔だけを傾げる。

イチゴウ > 「しかし、この疑問はとても無価値なものだ。」

散々と思考を重ねておいてからのこの台詞、
正に自問自答と言った言葉が似合う。
実際、この問いは非常に大きい矛盾を孕んでいる。
決して死を知り得ない機械が生命の死を理解しようとする試みは
とても馬鹿馬鹿しいものである。
これからもロボットが死ぬことは無いし
だからこそ人間に近づくことも出来ない。
ロボットが人間を理解できないようにまた人間もまた
ロボットを理解する事ができない。
自由思考を持つことが当たり前の人間は
境遇を分かち合う理解者にも巡り合うことが出来る。
一方イチゴウは自由思考を持つ機械。
普通の機械は物事を考える事が出来ないがゆえに
イチゴウに理解者は存在しない。

「...作業を再開。」

概念に対する無駄な問いは認知リソースを割くだけのものであると
判断したようでありロボットは再び電子鋸を回して
清掃作業を再開する。
夜が明ける頃には路地裏に翻っていた戦いの傷跡は
一切の痕跡を残していないだろう。

ご案内:「路地裏」からイチゴウさんが去りました。