2018/05/17 のログ
ご案内:「演習施設」に獅南蒼二さんが現れました。
■獅南蒼二 > 彼の授業のうち,【魔術学概論】を除く授業では,この演習施設が頻繁に利用される。
無論,それは実践的な魔術演習を行うために他ならないが,
殆どの場合,その授業は参考書や教科書といったテキストを伴わない。
「……以上だ。」
授業開始時に獅南から何らかの課題が提示される。
生徒は己の才能と知識を総動員し,その課題に挑む。
ただそれだけの活動を,毎時繰り返している。
■獅南蒼二 > そしてその課題は,これまた実に単純極まるものが多かった。
この時間の課題など,「浮遊または飛翔し,空中で静止せよ。」ただこれだけである。
だが条件として一言,「一切の補助具を用いず,万人が再現可能な方法に限る。」と,そう書かれていた。
この言葉に,多くの生徒は頭を悩ませることになる。
古来,魔法使いは様々な補助具を用いて術式構成の不備を補完し,飛翔または浮遊を可能としてきた。
魔女と箒の組み合わせは,あまりにも有名だろう。
■獅南蒼二 > だが,それら補助具の一切を使用できず,尚且つ己の才能に頼った力技も認められないのだ。
やや大げさだが,車輪を取り上げられた自転車でいかに移動するか考えよ。と言われているようなものである。
通り一遍の知識と相応の才能を備えた生徒であっても,容易いはずがない。
数名の生徒たちが,それぞれに脳漿をしぼり,様々に試行錯誤を繰り返す。
■獅南蒼二 > 箒や絨毯を利用する方法が一般的であることには相応の理由がある。
魔力によって再現される現象を用いて地面から離れることそのものは容易だが,問題は空中における姿勢制御である。
人間というものは,殊の外に自分の身体というものを分かっていない。
自分の重さは自分では感じられないし,体の大きさを俯瞰視することもできない。
それこそが,姿勢制御を困難にしている最大の要因である。
感覚でしか捉えられない自分の肉体を術式の始点とし,作用点とせざるを得ない状況こそが問題なのだ。
5kgの鉄球を10m投擲するために必要な推力は計算できても,
自らの身体を10m浮かべる推力を,一切の計量なしにして計算するのは難しい。
■獅南蒼二 > それを解決する手段として,俯瞰視できる物体を起点とする術式構成が編み出された。
箒や絨毯を飛翔させる魔術は,極めて初歩的な術式の部類に入る。
数値的にも感覚的にも,何ら難しいことは無い。
そうして生まれた,飛翔させた物体にしがみつく,という原始的な方法から,
長い時間をかけて体系化されてきたものが今日の一般的な飛行魔法と言えるだろう。
さて,体系化された既存の範疇から抜け出し,文字通りに飛躍する者は,現れるのだろうか…。
ご案内:「演習施設」から獅南蒼二さんが去りました。