2015/09/26 のログ
ご案内:「常世大ホール」に橿原眞人さんが現れました。
■橿原眞人 >
――常世大ホール、第三吹奏楽部による改装記念演奏会。
――ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン「交響曲第九番」
浦島太郎のような気分だった。
師匠とよく似た姿の少女に精神を乗っ取られ、俺は電脳世界の奥へと足を踏み入れた。
電脳世界の深部――《ルルイエ領域》
そこで、俺は師匠と再会し、師匠を失った。
俺が電脳世界に入ったその時から、数か月の時が流れていた。
様々な事件がこの常世島であったが、俺はその間、電脳空間の中で彷徨い続けていたらしい。
俺にとってはわずかな時間が、現実世界では数か月だったということだ。
まさに、浦島太郎だ。理由はよくわからない。
だが――
俺が《ルルイエ領域》に来たことにより、師匠を助け出そうとしたことにより。
師匠がやろうとしていたこと、それらが全て無駄に終わったのは事実だった。
ただただ、後悔と哀しみと、虚無感が俺を包み込んだ。
現実世界に返ってきた俺は、何もする気も起きないまま日々を過ごしていた。
やらなければいけないことはわかっていた。だが、それへの気力が湧いてこなかったのだ。
唯一、最後の家族だと思っていた師匠を失った――俺の行いによって。
俺は、気づけば常世大ホールの観客席にいた。
闘技場は俺のいない間にいつの間にか改築されて、多目的ホールになっていた。
前に見た時は屋根などなかったが、今日はコンサートということで、一つのホールのような内装に切り替わっていた。
当日に買ったチケットのため、席は一番後ろ。
演目は、ベートーヴェンの「交響曲第九番」
ぼんやりと、一時間ぐらいの演奏を聞いていると、
今ちょうど、「合唱」が始まろうとしていた。
壮大な音楽と共に、今まで座っていた合唱者たちが、一気に舞台の上に立ち上がる。
■橿原眞人 >
O Freunde, nicht diese Töne!
おお友よ、このような音ではない!
sondern laßt uns angenehmere anstimmen,
そうではなく、もっと楽しい歌をうたおう
und freudenvollere.
そしてもっと喜びに満ちたものを
【神崎正英、「第九の歌詞と音楽 - ベートーベン(a.k.a.ベートーヴェン)交響曲9番とシラーの「歓喜によせて」、Japan, Music, Internet & Computer http://www.kanzaki.com/music/lvb-sym9f.html】
バリトンのよくとおる声がホールに響き渡る。
これまでの楽章を否定するかのように、このような音ではないと叫び、
遂に「合唱」が始まろうとしていた。
シラーの「歓喜に寄す」が、歌われ始めた。
バリトンのソロが続く。
この演奏会に来た理由など大したものはない。
ただ、好きな曲がたまたま演奏するというのを知ったからに過ぎない。
俺は席に深く腰掛けながら、演奏に耳を傾ける。
この連中は中々に上手い、と思った。だが、それも俺の耳を横滑りしていくように感じる。
■橿原眞人 >
Freude!
歓喜よ!
という合唱が響き始めた。
しかし、俺は何も嬉しくはなかった。
「……師匠、俺がやってきたことは……俺が、やろうとしたことは」
小さく呟く。きっと、周りから見れば心ここに非ずという感じだろう。
だが、今はそんなことは気にならない。
「……なんだったんだろうな。師匠を助けようとしたことが、一番するべきことじゃなかったなんてな」
俺の異能である《銀の鍵》は様々な扉を開くことができる。
その結果、師匠が身を賭して守っていた扉の鍵を俺は開けてしまったというわけだ。
なんとも皮肉な話だ。
自分のすべきことはわかっている。
師匠から託されたものもわかっている。
俺はきっと今、こんなことをしている場合じゃないということも――
■橿原眞人 >
俺はこの世界が嫌いだった。
別に、昔からそうだったというわけじゃない。
3年前に俺の家族を奪った事件――
そのために、俺はこの世界が好きじゃなくなった。
3年前、俺の住んでいたマンションの横に、突如「門」が出現した。
普通、その兆候があれば警報なんかがなるはずだった。だけど、鳴らなかった。
当時最新式だったマンションは機械式だった。それが全てハッキングされたかのようにして、出口をふさいだ。
――そして、「門」からは俺の、俺たちの理解を越えた何かが出現した。
とても名づけることのできないような、奇怪な何か。
それが突如現れた「門」の中から這い出て、俺と家族の住んでいたマンションを襲った。
後は、よくある話だ。21世紀の最初のほうは、こんなものじゃなかったとも聞くが。
「門」から現れた化物により、俺の家族はみんな殺された。
俺も、大怪我を負った。
それでも今生きているのは、異能である《銀の鍵》が発現したからだ。
それによって俺は、ロックされた扉を開けて、逃げ出した。
俺の日常は壊された。
突発的な理不尽によって。
それだけならよくある話だ。別にそこまで珍しいわけでもない。
突発的な「門」の出現による事故は、ないわけじゃないのだから。
しかし、本当にそうなのか――
俺は脱出して薄れゆく意識の中、数人が俺を眺めていたのを知った。
そいつらは俺をとらえるつもりだったらしいが、すぐに消えて行った。
途中、「実験」がどうとかの話が聞こえた。
だから俺は、あれが人為的に起こされた事故ということを知ったわけだ。
■橿原眞人 > 俺はそのことを警察などに話した。
だが、あれは「事故」として片づけられた。
別に警察が無能だったとか、片棒を担いでいたと思ったわけじゃない。
多分、あれはかなり異質な事件だったのだろう。
「門」を疑似的に出現させる――かなりの技術だろう。そう簡単にできるものじゃない。第一、あんな普通のマンション一つを潰す意味がわからない。
状況からしても、事故と判断するのが、たぶん当然だったんだろう。
だが、その時の俺はそんなことは考えもしなかった。
怒りや悲しみをどこにぶつけて良いかもわからなかった。
だから、この世界の事が嫌いになった。
ほんの数十年前は、この世界に異能の魔術も異世界も――少なくとも、普通の一般人にとっては――存在していないものだった。
それが、突如現れて、今のようになったのがこの世界だ。
21世紀初頭の変容なんて起こらなければ、こんなことはなかったかもしれない。
こんな理不尽には早々遭遇しなかったに違いない。
変容する前の世界でも、当然理不尽に奪われる命もあっただろう。
だけど、その時の俺はそう思うしかなかった。
誰がやったかもわからない事件、それに対する怒りは世界に向けられた。
そうして一人絶望しているときに、俺は師匠に出会ったのだった。
■橿原眞人 > 『――世界の真実を教えてやろう』
そんなことを師匠は言っていた気がする。
ある日突然俺の元に届いた電子メール。
それは《真実の探求者》というハッカー集団から届いたものだった。
彼らはこう言った奇怪な事件について調査し、真相を明らかにしようとする団体だった。
当時、何もかもに絶望していた俺はそれに飛びついた。
考えてみれば、あれは師匠が俺を守るためにそうしたんだと思うが、当時の俺はそんなことを知るはずもない。
すぐにメールを返し、俺は実際に師匠と会った。
褐色の肌に白い髪。どこか人間的な雰囲気を纏ってはいない少女。
それが、俺の師匠だ。俺にハッカーの基礎を叩きこんだ存在、《電子魔術師(テクノマンサー)》というハッカーだ。
俺はそれから、ハッカーの仲間入りをしたわけだ。
名前は師匠から貰った。《銀の鍵》というものだ。
よく考えればあまりにそのまんまだが、そんな名前のハッカーは別に珍しくもなかった。
こうして俺は、師匠と共に修行を始めた。
勿論、理由はただ一つだ。
俺の家族を見舞った事件の真相を知る事――
■橿原眞人 > 俺はハッカーとしての才能が結構あったらしい。
現実世界より電脳空間に没入していた時間の方が長いくらいだったが、苦ではなかった。
俺は《銀の鍵》として、俺の異能を使ってセキュリティの鍵を開け、様々な事件の真相を師匠たちと共に暴き、公開していった。
基本的に異能や魔術、異世界に関する事件が、俺たちの調査の対象となった。
師匠はその時、何かを探していたらしかったが、それはきっとあの《グレート・サイバー・ワン》についてだったのだろう。
そして、師匠はその《グレート・サイバー・ワン》を追って、常世島に去ってしまった。
俺は追いすがったが、師匠に強く静止され、その時は共に行くことができなかった。
いや、当然のことだ。俺は言ってはいけなかった。
《グレート・サイバー・ワン》を呼び出そうとしていた連中には、俺の異能が必要だったからだ。
大いなる電子のものと呼ばれるそれがなんなのかは俺はよく知らない。
というより、今からそれについて調べ、それらを止めなければいけない。
師匠が命を賭して封印していたそれを、解いてしまったのは俺自身なのだから。
結局、俺は師匠に会いたいがために、来るなと言われていた常世島に来て。
そして、こうなった。
結果として、俺は鍵として《ルルイエ領域》に封じられていたものを解き放ったわけだ。師匠はそれを「ロストサインの門事件」のときから護り続けてたらしいが、俺のせいで全てはご破算というわけだ。
あいつらは、すぐに何かができるわけではないらしい。
だが、必ず俺を狙ってくるはずだ。星辰が正しいとかいう、その時に。
俺は今すぐ奴らを何とかする方法を考えなければならない。
師匠に託された情報と願いと力を使って、そうしなければならない。
しかし、今はこうしてだらだらと曲を聞いている。
少し前までは、世界の理不尽を止めるために真実を明らかにするなんていっていたが。
結局は、ただ師匠が恋しかっただけなのかもしれない。
それが奪われた途端、これなのだから。
「……ああ、わかってるよ」
自分自身に、言う。
「俺は、奴らを封じ込めなきゃいけない。
師匠が存在をかけて、一時的に奴らをまた封じてはくれたさ。
だが、やつらはきっとやってくる。
あの、化け物たちが「鍵」を狙ってくるんだ。
そんなの、わかってんだよ――」
■橿原眞人 > 走馬灯のような回想を何度も行っていると、不意に音が消えた気がした。
すると、とんとんと肩を叩かれ、その主を見る。
『あのう……もう、演奏会は終わったんですけど』
それは、先程の演奏会を行っていた第三吹奏楽部の部員の女子学生だった。
ハッ、と我に返ると、劇場に残っているのは俺だけだった。
第九の終楽章は遠の昔におわってたらしい。
俺はただ一人、呆けて椅子に座っていたというわけだ。
俺が残っていると最後の後片付けができないのだ。
「……ああ、すんません。
演奏会、とてもよかったですよ」
愛想笑いを浮かべながら言う。
実際は大して聞いてもいなかったのだが。
■橿原眞人 > 『ありがとうございました。
また演奏会聞きに来てくださいね。はい、これ次回の演奏会のチラシです』
渡されたチラシを受けとりながら、俺は逃げるように会場を後にした。
これ以上感想やら何やら聞かれても答えることなどできない。
一通りの回想を終えたが、それで何が変わるわけでもなかった。
逆に虚しさが募るだけだった。
「行くか……」
放浪者のように、俺はおぼつかない足取りで進む。
演奏会場だった常世大ホールを後にする。
これから何をすべきか。これからどうすべきか。
わかっているからこそ。
俺は、何もする気にならなかった。
「……師匠、俺はただのダメな奴だよ」
乾いた笑いを浮かべながら、俺は当てもなく歩き出した。
外はすっかり、闇が垂れこめていた。
ご案内:「常世大ホール」から橿原眞人さんが去りました。