2016/06/01 のログ
■ヘルト > 普段は一教師として武術関連の教鞭を振るうヘルトだが、一週間に一度程度『ストレス発散』と称して転移荒野へ遠征に出かけることがある。
転移荒野に点在するダンジョンやら遺跡やらを探検、あわよくば戦闘行為に勤しんでいた。
今日もそのストレス発散の帰路についていて。
見渡す限り荒れ地がずーっと続くこの景色に飽き飽きとしていた頃、ようやくそれ以外の何か黒い何かを見つけるに至る。
「おー? 何じゃありゃ……?」
■ヨキ > 蹄と、重い鎧の立てる音に顔を上げて振り返る。
知った教師の顔だった。
(あれは――ヘルト)
立ち上がる。
いつものように名を呼ぼうとして、獣の低い唸り声が漏れた。
獣の姿のときには、人語を発することしかできない。
相手が異能者でありさえすれば、思念を通じて言葉を伝えることもできたが――
異能を持たぬ者には、人智を超えてあまりに巨大な、黒色の猟犬としか見えないだろう。
息遣いと共に噴き上がる焔はいかにも禍々しく、全身から迸る邪気を抑えることができない。
獣は紛れもない魔物の様相をして、ぎらぎらと不穏に光る瞳でヘルトを見ている。
もはや犬どころではない猛獣の声が、落雷のように静寂を劈いた。
ヨキにとっては、ヘルト、を彼の名を呼んだだけだったのだが。
■ヘルト > 「うお!? な、なんだコイツ……!」
こちらを捉える瞳は鋭く、桁違いの巨体。それだけで充分気圧される様な感覚に彼はうろたえた。
これまで様々な獣を見てきたが目の前の黒き獣以上のプレッシャーを感じたことがあっただろうか。
「はーん、こいつぁー……なんつーか……。」
最初こそギョっとして見つめていたヘルトではあるが、すぐにいつもの態度に戻り興味津々の様子で観察している。
例え猛獣のような声が出ようともである。『ん? 腹でも減ってんのか?』とか言っている始末。
■ヨキ > ヘルトの反応に一瞬身構えるも、相手の様子が人の姿で接したときと同じ気楽さに変わったのを見た。
身を低くして身構えたのが、一瞬ふっと緩む。
恐る恐る、ヘルトへと歩み寄らんとする。
会話を試みるように、ばふ、げふん、とくぐもった声で吼える。
腹が減っているのは事実だったが、まさか同僚を食べるほど理性は欠かしていない――今はまだ。
だが意志の疎通を試みるあまり、穴の空いた屍の身体で繰り返し声を上げたのがよくなかった。
吼えた拍子に突然年寄りのように噎せて、ヘルトから顔を逸らす。
喉の奥から込み上げるものがあって、小さく咳込んだ。
獣の足元に、赤黒い血に塗れた塊が転げ落ちる。
それは誰がどう見ても人間の指だった。
ヨキが「正義」の下に食らった違反学生の肉片が、口の奥にこびり付いて残っていたのだ。
(!)
ヘルトとの距離は未だ離れたままだったが、自ら発する焔に照らされた獣の顔が、その輪郭をはっきりと浮かび上がらせる。
鋭い牙の並ぶ口元が、乾いた血に大きく汚れていた。
■ヘルト > 「おうおう、そうかそうか。やはり腹が減っているのか……どれ、確か干し肉があったはずだが。」
鞍に備え付けてあるポケットに手を伸ばすヘルト。
その時、獣が咳き込み何かを吐き出したのを彼は確かに見た。
「お、おい!? お前怪我をしているのか!?」
慌てて馬を降り、金属が擦れる音を立てつつ獣へと駆け寄るヘルト。
果たして彼の目に赤黒いその塊は見えたであろうか。
■ヨキ > 自ら吐き零した血の臭いと、壮健なヘルトが発する生きた人間の匂い。
毛皮の上からでも強靭と見て取れる筋肉がびくりと強張って、ヘルトから後退る。
巨体が後退ったがために、獣の足元に落ちた肉片がヘルトの視界にも露わになった。
再び張り詰めたように低く身構えた体勢は、今にも飛び掛からんとする魔物のようだった。
噛み締めた獣の口から、どろどろと焔が溢れて立ち上る。
永劫塞がることのない傷口から、粘液まがいの血がだらだらと糸を引いた。
獣はヘルトを拒み、いよいよ猛り吼える。
近付くごと、獣のまとう死臭が人間の血肉によるものであることが鮮明に感じられてくるだろう。
(ヘルト。ヨキに近付くでない)
残念ながら――その意志は、外へ通ずることはなく。
寄らば噛むとばかりに勢いづく獣が、警戒を強めるばかりの光景だ。
■ヘルト > 近寄るとまずは臭いに気付き、そして肉片を見やった。
戦場で厭と言うほど嗅いだ臭い。
なるほど、自分を見て威嚇していたのはそういう事だったのか。
黒き獣を再び視界に捉えた──
目の前の人間を警戒し、寄らば噛み殺さんと言わんばかりに吠える。
勿論これはヘルトの主観であり、目の前の獣が本当にそう考えているのかどうかは言うまでもない。
「なるほど、なるほど。」
ヘルトは足を止め獣の目をじっと見据える。瞳の奥の何かを見ようとしているように瞬き一つせずに。
やがて、うんうんと頷くと……獣から背を向けて歩き出した。
■ヨキ > 間近に向き合ったヘルトの顔を、剥き出しの荒々しさが見つめ返す。
目玉が飛び出さんばかりに痩せた輪郭に、硬く張り詰めた獣の筋肉。
そこにヨキの面影はなく、低く身構えてようやくヘルトの身長より顔の位置が下がる程度だった。
(――拷問だ!)
ヨキはそう思った。活力に満ち溢れた若者の身体が目の前にある。
人の姿をしているときには性別を選り好みする余裕があったが、今はそれどころではなかった。
さながら獣の母親が子を守る姿に似て――黒い獣は矜持を守るためにヘルトから身を引き離した。
じりじりと焦れるような時間があって、唐突にヘルトがヨキに背を向ける。
(! これは……冗談ではないぞ、)
ヨキの脳裏から、少しずつ人語が薄れてゆく。
(……背を向けるでない!――)
吼え猛ると同時、獣の巨大な足が地を蹴った。
あれほど重たげに見えていた身体が、暴風のように跳躍する。
ヘルトの半身ぎりぎりを掠めそうな位置に、毒々しい舌を露わにした大顎が降ってくる。
辛うじて獣は宙で身を翻し、ヘルトに触れることなく彼の隣へ着地する。
地震ほどの地響きが、ずしん、と荒野を揺らした。
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(■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■……)
喉の奥からは、断続的に威嚇の唸り声が漏れ聞こえてくる。
金色の瞳は凶暴さを増して、次の瞬間には相手を襲うか、見逃すかの瀬戸際にあった。
■ヘルト > 相棒の目の前までやってきたその時、地響きと共に落ちてくる黒い塊。己以上の体躯と荒々しい瞳のそれに再び目をやる。
何てことはないといつもの表情で、でも足は止めずに。
まるで信じてたと言わんばかりの無防備さで馬へと歩みを続けていたのだった。
そして馬の背に乗ると声を掛ける。
「惜しかったな? あー、でもさ俺なんかよりもこっちの方がマシだって、絶対。」
と、ニヤリと笑みを浮かべ獣へ干し肉を放り投げつつ馬を駆けてこの場を離れようとするだろう。
■ヨキ > その一撃を当てていれば最後、ヨキはヘルトを獲物としてのみ認識していたろう。
無理やりに身体を統御した疲労に大きく息を切らし、次の行動に踏み出す直前の苦悶に身を捩る。
放られた干し肉には、見向きもしなかった。
ヘルトと彼の馬が発する体温の熱に引き摺られて踏み出してしまう足を押し留め、相手を睨み付ける。
離れゆくヘルトの背後で、獣は激しく頭を振り、身を捩って――
頭を地面にがんと叩き付けた。
鉄塊が衝突したような音があって、獣の足取りが一瞬ぐらりともたつく。
目が醒めたかのように獣はその場に立ち尽くし、去ってゆくヘルトを睨んでいる。
どこが恨めしげに、あるいは口惜しげに。
次の瞬間には、獣の姿はどこにもない。
口から取り零したはずの肉片も忽然と消え去って、あとにはヘルトの放った干し肉が残るばかり。
ご案内:「転移荒野」からヨキさんが去りました。
ご案内:「転移荒野」からヘルトさんが去りました。