2016/11/04 のログ
ご案内:「地区ごとの駅」に有賀 幸作さんが現れました。
有賀 幸作 >   
 
 如何者であるかと、己に尋ねるのは幾度目の事であろうか。
 
 

有賀 幸作 >  
 常世島の中心、学生街。その中央駅のホームにて。
 蓬髪を持て余し、黒縁眼鏡の奥に近眼を押し込んだ辛気臭い面の男は、そう言った益体の無い些事を脳裏で転がしていた。
 
 男の名は有賀幸作と言う。
 当人はいつも、「面白味も何もない名前だ」と語っていた。
 しかし、同時に「人様に笑われるような名で無くて良かった」とも内心で思っていた。
 
 ようは、幸作という男はそういう小心者であった。
 

有賀 幸作 >  
 幸作は学者であった。
 いや、正確に言えば学生であり、さらに詳しく言えば研究生であった。
 彼は学者の卵であり、学者の卵であるからこそ、それを言い訳にいつも「やあ己は如何者であろうか」などと格好を付けた事を考えていた。

 だが、それこそが命題であるかと問われれば当然違う。
 そんな事は考えても金にも課題にも結び付かない。
 それは常日頃考えて然るべきことだが、所詮は好みの遊興であり、それを大仰に「これぞ我が道でござい」などと抜かす事は幸作には出来なかった。
 もっと言えば、そこまで開き直る事が出来る程の意気地が無かった。
 
 故、この幸作という男は、「なんだか新しい事が出来そうじゃないか」という漠然とした希望だけで《大変容》以後の異能やら魔術やらの研究に首を突っ込んでいた。
 
 幸いにも、パトロンは山ほどいた。
 幸作程度の頭でも奨学金が得られる程度には、この道は歩みやすい道であった。
 
 だからこそ、幸作は今、この常世島と呼ばれる、異能魔術の流刑地へと足を運ぶ算段となっていた。 
 

有賀 幸作 >  
「なんだ、思ったよりも騒がしい所じゃないか……」
 
 幸作は憔悴した顔でそう呟き、眼鏡を掛け直した。
 幸作は田舎っぺいである。都会の喧騒とは無縁の僻地で暮らしてきた。
 通っていた大学も地方国立大と言う奴である。
  
 だからこそ、この幸作という男は「なんだ、同じ田舎みたいな離れ小島じゃあないか」と常世島に一種の親近感を抱いていた。
 しかし、フェリーに乗ってこの場に辿りついた時から、そんな親しみは完全に消し飛んでいた。
 
 都会程では無いとは言え、鮨詰めとは正に此の事かと言わんがばかりの満員電車。
 座る場所どころか、壁に背を預けるのも難しい有様の人波の中、必死に波に攫われんと吊革と手持ちのトランクにしがみ付く様のなんと滑稽な事か。
 
 数少ない幸いと言えば、その滑稽な様を見ることは幸作自身には叶わないという事だけであった。
 

有賀 幸作 >  
「全く以て度し難い巷だ」
 
 誰に言うでも無く一人舌打ちと共に愚痴を零し、幸作はコートとズボンのポケットを弄る。
 そうして、紛失、または盗難の憂き目にあった物は無いかと一通り確認を終えてから、漸く溜息と共に、ホームのベンチに腰を下ろした。

 幸作は虚弱である。日に万歩どころか数千歩も動けるか怪しい。
 自分は天下の研究生であるのだからと己が身の上を言い訳に、怠けに怠け倒した挙句が此の為体。
 齢二十半ばにして、最早、内訳は三十路過ぎのそれである。
 医者に散々嫌味を言われているのだが、それも幸作にはまるで堪えていない。
 
 何れ、何時か、そのツケを払う日が来るのであろうが、少なくとも昨日今日でない事は確かであるので、幸作の肉体は当分の間、脆弱惰弱のままなのである。
 

ご案内:「地区ごとの駅」にヨキさんが現れました。
有賀 幸作 >  
 溜息と共に懐から取り出したるは、常世島地図。
 スマートフォンの電源はとうの昔に消耗しきっている。
 ともなれば、最早頼るはこの地図と、幾ばくかのメモのみ。
 
 であるが、しかし。
 
「まるで面倒この上ない……」
 
 今の幸作には、それを頼りに動き回る事すら、大義の極みであった。
 

ヨキ > 幸作とは全く対極にある印象の男だろう。
長身で、堂々として、歩幅は大きく、また男のくせに化粧なんぞ施している。

それでいて、

「――む、君。
 大丈夫か?随分青白い顔をしているな」

人に声を掛けるのに躊躇がなかった。

歩みを止め、幸作へ近付く。
ベンチに腰掛けた相手の顔を、体調不良か何かと勘違いしたらしい。

有賀 幸作 >  
 正に猫背の幸作が、その声に気付き、面を上げるまでには実に数秒の時間を有した。
 
「え? あ、ああ……これは、どうも」
 
 故、間の抜けた面で眼鏡を掛け直しながら、曖昧な笑みを返すのが精々と言った有様。
 己に声が掛けられたと気付くまでにも、幸作は時間を有していた。
 しかし、それは無理も無かろう。
 
 幸作の目前に現れたのは、幸作が「いや声掛けの相手を間違えているのではなかろうか」と思うほどの麗人。
 長身の偉丈夫、否、美丈夫でありながら、その顔に乗るは化粧の色。
 目尻の紅とハイカラな癖毛。そして黒縁の洒落た眼鏡。
 要素の端々こそ幸作と同じ記号を持っているが、幸作とはまるで違う、正に麗人。
 これを「幸作と同じ蓬髪の黒縁眼鏡」などともし評する者がいるとしたら、その者は間違いなく眼病疾患を患っていること享け合いであろう。
 
「いや、少しばかり疲れてしまっただけで。長旅には慣れていないもので」

 どうにかそう返して、笑顔も返してみるが、巧く出来た自信はまるでない。
 幸作の表情筋は日頃、あまり活動していないのだ。
 
 

ヨキ > 戸惑っているらしい幸作の面構えを見下ろして、ぱちくりと瞬く。
その浮かない顔が長旅の疲れと知るや、男の顔はぱっと明るんだ。

「……ああ!もしかして、新しく常世島へ来たのかな」

相手の鈍い笑顔もどこ吹く風、笑って頷く。
よく言えば人懐こく、悪く言えば馴れ馴れしい。

「船便があるとは言え、不便な土地だろう?
 遠路はるばる、お疲れ様」

男はコートのポケットや、垢抜けたデザインのボディバッグを覗きながら、あちゃあ、と声を上げた。

「少し出かけるつもりで来たから、名刺の持ち合わせがなかったな……。
 ヨキと言うよ。ここの常世学園で、金工を教えている教師だ」

初めまして、と会釈する。

有賀 幸作 >  
「やあ、これは御丁寧にどうも有難い。私は有賀幸作。
 正しく、先生の予想した通りの新参研究生であります。
 船旅は初めてだったもので、難儀致しました」
 
 宛ら、華のように笑う金工教師ヨキに会釈を返して、幸作もまた笑みを返す。
 下手糞極まりない笑みであったが、それを観測できるのは対面のヨキのみである。
 
 しかし、自分の笑顔の出来など知る由のない幸作は、ヨキの自己紹介を聞けばこれ幸いと内心で手を打って、「ところで先生」と切り出した。
 
「もしや、お出かけの方面は中央街の方でありましょうか?」
 
 ヨキの出で立ちを見て、そう幸作は尋ねる。
 だとすれば、幸作にとっては都合が良いからだ。
 

ヨキ > 「有賀君か。これからよろしく。
 ヨキと常世島が、君を退屈させないことを約束しよう」

幸作の不器用そうな調子にもあっけらかんと笑う辺り、ヨキと名乗った男の教師生活の長さを感じさせる。
年の頃は幸作とそう変わらぬように見えたが、その低く落ち着いた声音と喋り口はどこか老成している風だ。

「ああ、今しがた異邦人街へ寄ってきたところでね。
 これから中央に出ようと思っていたところなんだ。

 これから君は……手続きか何かに出向くところかね?
 ヨキで良ければ、どこへでも案内しよう。
 食べるところから遊ぶところまで、何でも訊いてくれたまえ」

検索するより早いぞ、と悪戯っぽく笑って、己の頭を指差してみせた。

有賀 幸作 >  
「ははは、これは魂胆を見抜かれてしまいましたな。
御察しの通り体でして……いや、端から御案内を頼んでも良いのなら心強い」
 
 ヨキと幸作は歳の頃は見た所、大差無さそうに見えるのだが、どう見ても器というか、心持の広さが違う。恐らくあらゆる意味での強さも違うだろう
 それが証拠に、一般の人間にとっては危険であるとパンフレットにも書かれていた「異邦人街」……ようは、異世界の奇々怪々の巣窟よりの帰還をさらりと述べた所からも、このヨキという男の力強さが見て取れる。
 タダ子供が歳を重ねただけの不器用さしか持ち合わせていない幸作とはまるで違う。
 
 幸作とて男児の端くれに違いは無いので、そんな格の違いをまざまざと見せられれば、内心で若干の嫉妬を抱いてしまうのだが、同時に「いや、俺は研究の徒なのだ。その分は余所で挽回出来ているじゃあないか」と見当違いな言い訳を己にする有様でもあった。
 
 そのような心持であるからこそ、内地の研究からは外され、このような流刑地同然の僻地にて実地研究を命ぜられるわけであるのだが、幸作当人はそれすらも「いやこれぞ栄転。逆境を手に出来てこその才人よ」と体の良い言い訳をする始末。
 
 そう言った矮小さが、己をこの地に導いたと、幸作が知る日は来るのであろうか。

 兎にも角にも、幸作はヨキの格好の良さに内心で嫉妬をしながらも、表の面では絶えず下手糞な笑み浮かべつつ、言葉を返し続ける。

「では、早速、この図書委員会の庁舎というところまで行きたいのですが、御同道願ってもよろしいでしょうか?」
 
 食べる遊ぶは幸作も興味はあったが、流石に公務を後回しにする醜態まで、ヨキの前で晒すのは憚られた。
 

ヨキ > 「もちろん。常世なんぞと呼ばれてはいるが、来た者に居心地の悪い思いをさせてはならんでな。
 このヨキが誠心誠意、有賀君をバックアップしようという心算だ。

 何もすることがなくてヒマ、という訳ではないぞ。この島で美術教師というのも、なかなか暇人に思われてしまっていかん」

軽い調子でくつくつと笑う。
その晴れ晴れとした顔は、迷いのない大人のようでいて、稚気を晒すことに躊躇いのない子どものようでもある。
ヨキ、という姓のない名乗りからしても、日本人からは些か離れた印象があった。

「ほう、図書委員会か。それならもう少しで、委員会街方面に向かう列車が来るぞ。

 図書ということは……司書にでも就くつもりか?
 ここの大図書館は見応えがあるでなあ、よほどの本好きならば心奪われて泊まりたくもなるだろう」

時計と発車時刻の案内板を見上げながら、幸作を一瞥して尋ねる。

有賀 幸作 >  
「ほ、ほう! そうでありましたか。それはまこと、御丁寧にありがたい」
 
 早速、別に駅を出る必要がないのに出る醜態を晒すところであった。
 ヨキに教えられていなければ、幸作は間違いなく呑気に中央街を歩きながら委員会街にまで向い、やれ「交通の便が悪い」「不親切な街だ」と己の失態にも気付かずに悪態を垂らしていたことであろう。
 名前の響きからして大陸の出であろう美術嗜む麗しき御仁は、やはり、たかが島国のケチな研究者とは心根のつくりからして違うのだろうかと、最早見当違いな卑屈を己が内に秘めながら、幸作はベンチに座り直す。

 初対面の人間にも此処まで誠心誠意親切にするというのは、己に出来るであろうか。

 端から答えが出ている愚問に内心で嘲笑を漏らしながら、幸作はヨキの尋ねに答えた。
 
「いえ、私は内地の某大学から出向している研究生故、預かりが図書委員会となるだけなのであります。
 司書は流石に、自分の役には回らないでしょうな。はははは」

 もし、回してくれるのならアルバイトがてらやってみたいとは思うのが、非現実的だろう。
 司書のアルバイトは大学では倍率が高いものだ。
 外様の自分が滑り込める余地は恐らくないだろう。

「しかし、寝泊まりしたくもなるほどの蔵書とは、俄然興味が湧いてきますな。
 研究者の端くれ故、書物にはどうにも目がないもので」

 若干の格好つけは含まれているが、まぁ事実ではある。
 昔から休みといえば家に籠り、書を食んで居たからこそ研究生などという者を今やっているわけで、そこに嘘偽りはない。
 ただ、熱烈な読書家であるのかと言われれば、幸作は希少本やらには興味を持たない類なのでまた違うとなってしまうが。
 
「ところで、先生は大変に親切である上に、実に邦語が達者でありますな。
 この地には留まって、長いのですか?」

ヨキ > 「歩くのも悪くはないが、その大荷物ではな。
 この島はインフラが整っているから、運賃の安さが自慢さ。
 身軽になったら、次は一緒に街を歩こうではないか。なあ?

 海沿いほどではないが、島はのちのち風も冷たくなるでな。
 今のうちに新しい環境に慣れておくといい」

幸作の身の上話に、ほう、と感心した吐息を零す。

「出向か。すると、そのうち本土へ戻ってしまうのかな。
 これは今のうちに、常世島への就職を進めておかねばなるまいなあ。

 図書館は、学生らの委員会が運営に携わっているでな。
 ここで学生をやり直すか……若しくは、ヨキのように教師を目指しみては如何かね。
 真面目な研究生ともなれば、学生らの糧となる話も山ほどあろう」

幸か不幸か、幸作の身の上を話に聞いたのみしか知らぬゆえの、明るい笑い声。
相手の問いに頷いて曰く、

「そうだな。大体この島へ来て……もうすぐ十五年かな。
 それより前は、異世界で犬をやっていた」

犬。
言うに事欠いて犬である。しかも異世界の。
詰まるところこの男は、日本人とはまるきり出自の異なる異邦人であった。

有賀 幸作 >  
 本土であれば金を払っても御同道は難しそうな麗人にそう言われれば、男の身とて幸作も悪い気はしない。
 相変わらずの下手糞な笑みを浮かべながら、どうにか返答をする。

「いや、上陸初の知人にそう誘って頂けるのは実に有難い。
 腰を落ち着けたら、是非とも宜しくお願いします。
 就職についてはまぁ、ゆくゆくと言ったところでありますが、はははは」 
 
 しかし、こと、就職に話題が移っては、それくらいの返事が関の山であった。
 願って此処にいると言うよりも、偶々出来ることを出来る範囲でやっていたら此処に辿りついたといった有様の幸作は、まだそこまでの考えがないのである。
 そも、就職にあぶれたので仕方なく研究生になり、それすら芳しくないので此処に送り込まれた幸作にとって、未来を考える事は中々に苦々しい。

 内面の苦味を劣等感ごと心の奥底に押し込みながら、振り払うようにヨキの話題に喰いつく。

「ほう、十五年ですか! 私は二十五でありますから、半生以上を此処で過ごしておいでで……」
 
 しかし、直後。

「へ? い、犬……?」

 信じがたい単語が、ヨキの口から飛び出す。
 犬。犬である。人ではない。
 聞き違いかとも思ったが、生憎、ヨキの発音は実に綺麗で、周囲に雑音もあまりないため、聞き違える要素は揃っていない。
 目前の麗人は、間違いなく、幸作に向って「自分は以前は異世界で犬をやっていた」と答えたのである。

 冗談で言っているのなら、笑えば済む。
 だが、どうにも判別しがたい。
 異世界風の冗談と言われたら幸作には最早判別がつかない。
 また、それとは別として、幸作は脳裏では「ああ異世界出身だからこんなにも見目麗しいのか」と全く以て見当違いな納得をし出す始末。
 故に。

「そ、それは……苦労をなされましたな。犬といいますと……その、走狗の如き働きといったところでありましょうか?
 は、ははは、立派でいらっしゃる」

 どうにか、幸作が言える台詞はそれが関の山であった。