2017/02/04 のログ
ご案内:「竹村浩二のアパート」にメイジーさんが現れました。
メイジー > この学園都市にやってきて驚いたことのひとつに、冷蔵庫の性能がある。
電気で動くこの装置は、蒸気都市でも最高の頭脳が製造した碩学機械を遙かに凌ぐ冷却効率を誇る。
蒸気機関は本質的に冷却の問題を抱え続けるがゆえに、モノを冷やすということはとにかく不得手なのだ。

骨付きの鶏モモ肉を仕込んで冷蔵庫に収めたのが昨晩のこと。

「誰もがこの様な機械を我が物とする……かの都では叶わぬ夢でございましょうが」
「せめて、当地にとどまって在る間は恩恵にあずかるといたしましょう」

銀色に輝くボウルから「ラップ」と呼ばれる樹脂の薄膜を剥がし、内容物の状態をたしかめる。
マリネ液はヨーグルトにレモン果汁が半個分、摩った大蒜と生姜に塩をひとつまみ。
パウダースパイスに微量のワインを加え、よく揉みこんで一晩寝かせた。下味は十分に染みていることだろう。

そろそろ主が帰る頃合だ。
主というのは……この学園都市における仮初の主人、竹村浩二のことだ。

ご案内:「竹村浩二のアパート」に竹村浩二さんが現れました。
竹村浩二 >  
無造作にドアを開ける音。
安普請の蝶番が軋む。

「戻ったぞー」

帰りの挨拶。一人暮らしを続けていれば、必要のなかったもの。
仕事を終えて、帰ってきた竹村がシケた顔で靴を脱ぐ。

「帰ったぞー、学校で問題起こさなかっただろうな」
「何度も言うが俺の立場が悪くなるからなー、真面目にやれよー」

別に本気で言っているわけではない。
いつもの会話の延長線上のものだ。
ただ、どうにも言葉の節々からおっさん臭さが拭えない26歳だった。

首をコキコキ鳴らして緑のスーツをハンガーに掛ける。

メイジー > 底抜けに青い空を清清しい風が吹き渡り、水は清冽に澄みわたって甘く。
人の心もまた和やかに、牧歌的ですらあるもうひとつの世界。
流通する食材の豊かさもまた、この世界の脅威のひとつだ。

鍋を火にかけ、バターを熱しながら数々のスパイスに目を転じる。
ここが蒸気都市であればどれも最高級品ともてはやされたであろう品々だ。
目の覚めるような緑色をしたカルダモン。
スパイスの女王の異名にもふさわしい爽やかな香りが嗅覚をくすぐる。
錆びたネジのような形をしたクローブは、この地では丁子という別の名を持つ。

「おかえりなさいませ、我が主。お召し物はどうぞ、そのままで」

主人の帰宅と同時に出迎える。
広壮なお屋敷ならばいざ知らず、この小さな部屋では苦もなく果たせることだ。
衣装のアイロンがけもまた、メイド・オブ・オールワークスの大切な仕事。
せめてハンガーがけまでは自分でするというのが、この主と決めた暗黙のルールだった。

調理に戻る。
シナモンはスティックをまるまる一本使う。鼻先に近づけて甘く深い香りを感じる。
最後にナツメグの種皮、メースを鍋に投じて中火でゆっくりと過熱する。

竹村浩二 >  
「おう」

そういえばそういうルールだった。
メイドというのは律儀を絵に描いたようなことを生業としているのだなぁ。
竹村はそう思った。

「で、今日のメシはなんなんだ。すげぇ良い匂いがするな」
「……最初は異世界の飯はどんなんだと戦々恐々だったがな」

破顔しながらメイドクッキングパーティーの現場から漂う匂いを嗅ぐ。

「いや、大したもんだ。さすがメイドだな」

家に戻る時の楽しみの一つになっていた。
だが、それを認めると成り行きで始まったメイジーとの生活を肯定しているようで。
気恥ずかしくて、できない。

外は寒く、帰ってきて家の中が芯まで冷えていると死にたくなる。
それを避けられるだけでも、まぁまぁありがたかった。

メイジー > 新鮮なカイエンペッパーを二本そろえて輪切りにする。
この青々とした発色は、熟しきる前に収穫されたがゆえのもの。
刺すような辛味もさることながら、加熱して青臭さが抜けた後の香りが素晴らしい。
断面からこぼれた白い種ごと、まな板を寄せて鍋の中へと落としこむ。

「われらが女王陛下が南方の亜大陸を庇護下に置かれて以来の伝統料理……」
「―――カレーにございます。当地では、ライスとあわせて頂くものと伺いました」

カイエンペッパーの香りが変わってきたところでホールトマトを一缶まるまる追加する。
あとは煮込み料理のように、水気が飛ぶまで火を通していくだけだ。

「ですので、サフランライスの用意がございます」

炊飯器から噴き出る蒸気に紛れて芳しい香りがたちこめている。
その内部では少量のサフランを湯に溶いて抽出した黄金色がムラなく色づき輝いている。
はずだ。

「今日もお早いお戻りにございますね」

住み込みをはじめてまだ間もない頃、主は何かと理由をつけて外で食べてきていた。
その頻度が目に見えて減ってきている。これは統計的な事実だ。

竹村浩二 >  
「カレーかー、確かに日本じゃライスとセットだな」
「昔、黄地(おおち)ってダチがいて、そいつがカレーライスが大好きでさ」
「つるんでた頃は時々一緒にカレーライスを食べに行ったもんだ」

……ところで今、何を入れた?
ホールトマト? カレーに?
どういう味になるのだろう。
少なくとも自分の母親はカレーにトマトは入れなかったのでわからない。

だがうまそうな匂いがたまらなかった。

「サフランライス……なんか本当に店で出るものみたいだな…」

料理に視線を奪われていた時、帰る時間に言及されて口を尖らせる。

「別に何時に帰ったっていいだろ、お前は俺のおふくろか?」

いつものフレーズ、いつもの日常。
家に帰ると他人がいると考えると苦痛で仕方なかった。
でも、今は何となく違う。

メイジー > 一晩寝かせた骨付き鶏モモ肉のマリネ。そのボウルの中身をすべて鍋の中へと投じる。
さらに甘味を引き立たせる、濃いアカシアのハチミツを大匙一杯。
風味の角をとってまろやかなコクと調和を生み出す生クリームを、紙パックから目分量で追加する。
傷みやすい乳製品が紙パックで売られていること事体、大いに驚かされたものだが、今ではもう慣れてしまった。
紙パックの生クリームといえど、この学園都市で流通する数社の製品をよく吟味して選り抜いたものだ。

鍋の中身をゆるりとかきまぜ、鍋に蓋をして火を絞る。手を濯ぎ、拭きながら主の方に向き直った。

「ところ変われば何とやらと申します。お口に合えばよいのですが」

やさぐれた少年みたいに、憎まれ口のような文句が飛び出した。
生来の貴人たるホールドハースト卿であれば想像だにしない言葉を、この主人は口にする。

「ええ。主のお側にお仕えし、暮らしぶりをつぶさに見守るのも身共のつとめにございます」
「そのようなものと、ご承知おき下さいませ」

にこりと柔らかい微笑を向け、パウダースパイスの残りを片付ける。
この学園都市では、ホールスパイスよりもありふれた存在だ。
様々なスパイスが粉状に挽いた状態で、小瓶に分けて売られている。風味も強く、便利なことこの上ない。
ターメリックとガラムマサラをそれぞれ小さじの半分、カイエンペッパーはその倍の量を。
さらにカイエンペッパーの主張を和らげ、豊かな香りに調和させるためパプリカの赤い粉末を混ぜ込む。
マリネ液によく溶け込んで、鶏モモ肉の芯の芯までしっかり染み込んでいるはずだ。

竹村浩二 >  
「う、うおお」

うおおて。うおおて言っちゃったよ。
戦ってる時でも言わないよこんな台詞。
でも圧倒的だ。あの鍋に入っていった鶏肉の官能的なツヤを見ろ。
そしてカレーに蜂蜜と生クリームを入れたぞ。
もう想像が追いつかない。
俺の舌の歴史の敗北だ。カレーのレコンギスタだ。

「……ああ、わかってるよ。その台詞も何度も聞いた」

なんか甘そうなカレーになるのかな、と思ったらスパイスのご登場だ。
これがまた不思議な香りを次々と生み出していく。
竹村の心が浮き立つような、そんな香りだ。

カレー、恐るべし。
メイド、恐るべし。

メイジー > 仕上げにはフェヌグリークの葉、カスリメティをたっぷりと大匙二杯。
とろみのついた暖色の水面に浮き沈みして、黒々と色を変えていくスパイスをかき混ぜる。
古代エジプトではこの植物の種子を死者の鎮魂に使っていたという。
食欲を刺激してくれ、ストレスや不眠の緩和に効果があるとも聞いている。

カレーの立てる音を聞く。
色合いを見極め、移ろいゆく香りをたしかめて鍋の中の表情を読み取る。
木のへらの伝える手触りが、完成のときを告げていた。

「お待たせいたしました、竹村様。お席にお掛け下さいませ」

椅子を引いて待ち遠しげな主を食卓へと招く。
主人の胃袋の大きさは承知している。
おかわりをしたくなりそうな分量でサフランライスを平皿に丸く盛り付けていく。
鍋の中身も一人前ずつ別の器に盛り付け、冷水のグラスと水差しを置いた。

「世界に冠たるかの都でも流行の味。バターチキンカレーにございます」
「冷めないうちにいただいてしまいましょう」

竹村浩二 > 鍋を見るメイジーの表情は真剣だ。
たぶん。
メイジーは目が隠れているので目から感情が読みにくい。

「お、できたのか。もう腹が減ってたまんねぇ、いい匂いだなー」

着席。

「バターチキンカレー………」

ごくり。
もう食べていいのか。食べたらどうなるんだ。
ひょっとして手順を間違えたら死刑になったりしないだろうか。
そんな妄想を脇にどけて、手を合わせる。

「いただきます」

確かに見た目はただのサフランライスとカレーだ。
ただ、感情に訴えかけるスゴ味がある。
見ただけで坊さんが垣根を飛び越えてきそうだ。

カレーをライスに少しかける。
ちょうどいい塩梅にとろけたカレーが、サフランライスの領地を一部支配した。

もう我慢できない、一口。
辛……い、辛くない? いや、これは…旨い。
絶妙に舌を刺激する辛味、典雅な風味、自然な甘味、そして旨味。

「う、うまい」

メイジー > トマトベースの熱量を引き立てる、バターとクリームからなる豊かなコクとまろやかさ。
骨付きの鶏モモ肉はよく味が染みていて柔らかく、スパイスの働きで旨味が引き出されている。
下ごしらえにこだわり、よく火を通したおかげで骨と肉もホロリと離れていく。
トマトの味わいに隠れてはいるものの、レモン果汁とヨーグルトのかすかな酸味も感じる。
カイエンペッパー特有の刺すような辛味は、パプリカという相棒に恵まれて円熟の境地に至った。

本来は別個の存在として世に生まれ落ちた食材たちを、スパイスが大いなる調和へと呼び込む。
これを奇跡と言わずして何と呼ぶべきだろう。感動的なことだ。

蒸気都市にあってはこれほどの食材、全て揃う事など望むべくもない。
使用人としての暮らしを送る中で口にすることなど、決してありはしなかっただろう。
壮麗なるタペストリーのように豊かな香りが、圧倒的なまでの旨味が感嘆の言葉さえ奪ってしまう。

「……………………これほど、とは…」

五感を介して味わう喜び。多幸感に酔いしれて思わず頬に手を当てる。
我ながら、会心の出来ではないか。
冷水を口にして味覚を戻し、ふたたび香辛料の魔法へと挑む。

「わが主。おかわりの用意もございますので」

竹村浩二 >  
そう、鶏肉の肉離れの良さ。これには驚かされた。
すごく適当な肉が入った店のカレーにはがっかりするものだが、これは丁寧だ。

どこにいってもこの味はなかなか出てこない。
ただ、どこかほっとする味わいでもあった。
とんでもなく旨い、のに。心が落ち着くような。

「………………うまいな、ああ、うまい。降参だ」

何に対して負けたのかわからない。

「おかわり予告しておくからな」

そして食べる、食べる、食べる。
八割ほど食べた頃、複雑な表情で顔を上げた。

「おふくろがな、よくカレーを作ってくれたんだ」
「おふくろも忙しいもんでな、じっくり煮込んだカレーよりフライパンで作るカレーをよく作ってさ」
「ちくわとか入ってんだ、これが」

苦笑いしながら残ったカレーを食べる。

……なんで、俺は、家族の話、なんかを。

メイジー > 調理の技術にかけては人並みだ。特に秀でたものはない。
きっと、食材の良さに助けられたのだ。
煤と黒煙に覆われたあの世界では決して巡りあえない食材たちに。

この味わいの妙、オーケストラの奏でる交響詩もかくやと言うべきか。
もしも。もしもこれが数奇なるさだめの果てに待ち受けていた宿命だったとするならば。
この身は、このカレーを味わう為にこちら側へとやってきたのかもしれない。

「俗に、人は声から忘れていくと申しますが」
「食べ物の思い出というのは……いつまでも残るものでございますね」
「では、身共もカレーを作りましょう。魚のカレーも、野菜と豆のカレーもございますので」
「ちくわ…というのは存じませんが、お望みとあらば……ちくわカレーも」

平皿のすみに残ったカレーを、音を立てずにすくって口へと運ぶ。
主人と食卓を共にすることへの抵抗感は、しばらく前に消えている。

「身共の母は……母の記憶は、はっきりと覚えていることは―――もう何も」
「お母上は、どの様な方だったのです?」

竹村浩二 >  
「………おかわり」

話す前に予告どおり皿を差し出す。

「いやぁ、ちくわカレーは微妙だと思うぜ。調和ってもんがない」
「微妙だったのに、どうしても……覚えてるもんだな、おふくろのカレーを」

メイジーの母親のことを聞くと、後ろめたい気持ちになった。
だって、俺の母親は。

「普通だよ、普通の母親だ。俺の親父も、普通の父親だ」
「アニキも普通、親父の酒屋を継いでるんじゃないかな、多分」

「家族の中でおかしかったのは、俺だけだからな」

なんでこんな話を。後悔が苦味を伴う。

メイジー > 「はい、ただいま。お待ちしておりました」
「これで残りはあと一食分。よろしければ、お夜食にどうぞ」

一皿目と同じく、丁寧に盛り付けて出す。

「フィッシュカレーと同じように……よく下味をつけても難しいものでしょうか」

強い風味や香りがあっても、スパイスの組み合わせ次第で均整を取ることは望めるはず。
ちくわとはそれほどに主張が強い食材なのだろうか。

「空の青さも、水の清さも……身共にとっては普通のことではございません」
「成長期にさしかかったばかりの子供が工場で働かず、汚染にさらされないことも」
「何の心配もなく、ただ胸いっぱいに大気を吸える……身共にとっては奇跡にも等しいことでございます」
「ですので、身共には主の「普通」がわかりません。何がおかしいことかも、おそらくは」
「なぜ、ご自分は「おかしい」と?」

主人は自分自身を卑下しているのだろうか。思うところはよくわからない。
ただ、おいしい食事は心を和ませ、傷を癒してくれるはずだ。
身の上話をはじめたのも、それがきっかけだったかもしれない。

食後のお茶を淹れるために席を立つ。

竹村浩二 >  
「…………ありがとよ」

おかわりを受け取って、食べながら考える。
今の話題はなんなのだろう。自分から振ったくせにそんなことを考える。

「ちくわは魚肉の練り物、加工品でな。結構、癖があるが……」

それでも目の前のメイドなら何とかしてしまいそうだな、とは思った。

「……メイジーのいた世界は、厳しいんだな」
「普通ってのは、幸せって意味さ」
「汚染もない、大気も綺麗、食うに困らない、家族仲も悪くない」
「俺の親父もおふくろもアニキも、きっと幸せなんだ」

喉を潤しながら、少しずつ二杯目のカレーを食べる。
味わいながら。消えてしまわないように、ゆっくりと。

「俺は『普通に幸せ』ってのが快く感じなかった」
「家を出たのもそういう理由だ」
「足りるを知るとか、穏やかな生活とか」
「そういうのに幸福を見出せなかったんだよ」

だから正義の味方ってやつをまだやめられていないのかもしれない。