2016/06/10 のログ
ご案内:「林の奥」にヨキさんが現れました。
ヨキ > 「…………!」

切られた大木が倒れるような、ばさばさと大きな音がした。
通り掛かる人のなかったことが幸いして、一先ず姿を見られずには済んだらしい。

自然の植生が保たれた小さな林の中で、美術教師ヨキが唇を引き結んで横たわっていた。

灯りの持ち合わせはあったが、今は火を点ける訳にはいかない。

「……参ったな。またやってしまった」

“戻り損ねた”のだ。
学内で見かけるいつもの白いローブの裾からは、巨大な犬の後肢が覗いていた。

瞬く間に人から犬へ、犬から人へと姿を変えるヨキではあったが、交ざりものの身体は稀にしくじる。
下半身だけが犬の姿から戻らず、バランスを崩して林の中で転倒したのだった。

犬の腰の骨格は直立するには向かず、ヨキの自重を支えて立ち上がることができない。

そういう訳で、今は少しずつゆっくりと、人の姿へ引き戻している最中だった。
これ以上変化を誤って、半人半獣の理からさらに外れてしまう訳にはいかないからだ。

息を殺し、粘るようにゆっくりと形を変える身体の内部に意識を集中する。
足の付け根の辺りから、ごきん、と鈍い音が立つ。

ヨキ > くの字に折れ曲がった後ろ腰を擦る。
あまり顔を上げていると、金色の目が光ってしまう。
手負いの獣が身を潜めるように、ただ時間が経つのを待っていた。

戻り損ねたときに何が痛いかと言えば、衣服だ。
獣の巨体に合わせて作られてはいない服はすぐに破れるか、身体をきつく締め付ける。
今このときも、靴もアンダーウェアの類も丸ごと脱いでしまった。

獣は服を着けないが、人間は服を着る。
そういう訳でしばらくの間、ヨキはどっちつかずの居心地の悪さを味わっていた。

「いッ……たい。痛い。痛……」

思わず呻き声を上げて、口元を強く押さえる。
骨盤がじっくりと形づくられ、腰が押し広げられる苦痛にはいつまでも慣れない。

ご案内:「林の奥」に久方 透子さんが現れました。
久方 透子 > (少女の住まいとは程遠い土地となる、居住区側。それも真夜中と言って差し支えのないであろう時間、人気のない場所。
決して健全な少女が一人で出歩くべきシーンでないだろうに、恐怖や後ろめたさを抱く気配もなく、進む林の中。一応は、街の中心へと帰る方角ではあるけれど)

「……ああもう、やっぱり刺されてる……虫除けスプレー、意味ない…」

(己以外の、誰か、が茂みに潜んでいるなど考えもしない。
だから不機嫌な低いトーンとはいえ、独り言も垂れ流すし、草木を踏むその音を隠すつもりもない。――制服についた土や、不自然に寄った衣服の皺を気にしながらも、段々と、距離を詰めていく事に)

ヨキ > 透子の靴が茂みを踏む音。反射的に、金色の瞳が動いた。
彼女の視界の先で、蝋燭のようにあえかな光が不意に二つ、ちらついてすぐに消える。

(……まずいな)

立ち上がろうと手を突いて、しかし下肢がびくともしない。
足を鈍く動かすことは出来るのに、地を踏み締める力が足りなかった。

身じろいだ拍子に、錆びた鉄のような臭いが夜気に滲む。
下腹部から漏れ出た血だった。
廃油のようにどろりと粘って、足の毛に絡み付いた。

脱いだ下着や靴を集めて身体の陰に隠し、せめて裾を伸ばして足を隠そうと努める。
到底隠れきらない長さの足を晒したまま、通り過ぎてくれ、と念じて――彼は祈るべき相手を持たない――諦めの面持ちで息を潜めた。

そのときまた、ごきん、と鉄の骨が変形する音が響く。

「!」

まるで鈍器で人を殴りでもしたような、鈍い音だった。

久方 透子 > (明かりのない生活に慣れているとはいえ、それでも人間の目には限界はある。
直ぐに足元にあった木の根に躓いてバランスを崩し――、崩すだけで幹に手を添える事で転倒は避けたが。
舌打ちひとつしながら、ポケットから携帯を取り出して辺りを照らそうとした――、ところで、不意に視界に、よぎる――なに、か)

「……――?」

(声もなく、眉を寄せた。
やや身を屈めながら、ついでに蚊に刺された太腿辺りを掻いているあたり、まだ警戒度はそう高くないのは、この時点まで。

続いて匂う、鉄の香が、血のそれに近い匂いであるというのは、すぐにわかる。頻繁にとは言わないが、その匂いに、出会う機会は少なくはないのだ。
携帯を手にしたままに、匂いの元を探すより先に真っ先に考える、逃走ルート。けれど肝心の――害になりうる存在の姿が、少女には見えない)

「……っ、ひ…!」

(静まり返った空間での、鈍い音に思わず小さく悲鳴が上がった。
どうせ、此方の存在はバレているのなら――、ナニ、から逃げるべきか見定めるべきだと。
手に構える、携帯を前に。
ボタンを押せば、カメラのフラッシュが懐中電灯の代わりとして、その光は弱くはあるが周辺を照らす筈だ)

「照れ屋さん。お姿、見せてもらえないかな?」

(震える声を、押し殺して。
余裕のある素振りで、セリフぐらいは、おどけてみせた)

ヨキ > そのまま逃げてくれさえすればいい。
だが相手の上げた小さな声が、その気配が、少女の柔らかな匂いが、犬の耳と鼻にはいやに濃かった。

(……馬鹿者めが……!)

呆れたように目元に手をやる。
が、続く震えた声が、ヨキの脳裏に冬の夜を思い起こさせるのには十分だった。

「……………………、」

足を引き摺り、何とか人間らしい横臥の姿勢を保つ。
腰は未だ半人半獣の形をして、毛に覆われた足は力なく投げ出されていた。

「――久方君、か?」

控えめながら、否応なしに通る声。
侭よとばかりに、透子が居る方角へ金色の視線を投げる。

「ヨキだ。あまり近付かない方が、……ッた!…………!」

言葉の途中で、足の骨がぐにゅりと蠢いた。
図らずも小さな悲鳴を上げて、口を噤む。

「ぐ……う、……!」

学生に、聞き苦しい喘ぎを聞かすまいと堪える。
だが暗闇に響く声には、どうしたって苦悶の色が強く滲んでいた。

飛び込んだ茂みに小さな切り傷や痣を作ったままの格好で、身を丸めて毛むくじゃらの足を擦る。

久方 透子 > (異形の獣か、快楽殺人鬼か、それとも。
漫画かドラマじみたものに回答はなく。聞こえた声は、――今、少なくとも命の危険を覚えるような相手ではなかった。

普段ならば、極力拘わらないようにするよう心掛けていた。
事実、冬に出会ったあの日以来、出会っていないのは何よりの証拠。

けれど、出会ってしまったのなら。
逃げるのは逆に不自然であり。――苦痛の声を上げる彼を気遣わない事も、また、”優等生”たる自分には、出来ない相談というもの。
ライトを直接向けては眩しかろうと、若干はずらすものの、忠告に従う気配もなく、彼に向けて踏み出す、一歩)

「ヨキ先生。
 お怪我、されてます?

 誰か呼びましょうか。それとも、手を貸しましょうか?
 残念ですけど、私、治癒とかそういうのはできなくって……」

「絆創膏くらいなら、あるんですけど。
 先生、……それ、もう、だいじょうぶ、じゃないですよね?」

(眉間に寄る皺。
後先を考えず、駆け寄るという事をしないのは、先ほどの鈍い音と、痛みに耐える彼の声のせい。
一体、誰に、やられたのかと。……殺人鬼の可能性は、まだ、完全に消えたわけではないのだ)